episode 9 もう一つの五年三組(3)
和泉谷を掴んだ手にしがみついていた浦原は、気がつけばどこかの教室まで連れていかれていた。
離されないように必死だった為ここがどこなのかは分からない。しかし引きずられて教室に入ると、そこは今までの校内とは打って変わって、多くの“人間”で溢れていた。
その教室には、沢山の人ならざるものが居た。黒板の傍、教卓の前に立っているのは僅かに透けて見える三十代くらいの男性が、そして並べられた机には何十人もの半透明の子供達が静かに前を向いて座っていたのだ。
「っ、い!?」
しかし浦原がそれらに気を取られていると、その瞬間浦原は和泉谷を掴んでいた手に殴られて引き剥がされてしまった。床に強かに打ち付けられた彼女が痛みに呻きながら起き上がろうとしても、即座に床から生えてきた手が彼女を拘束し全く身動きが取れなくなる。
「和泉谷君!」
「離せ! はーなーせ!」
一方で未だに手に捕まっている和泉谷はそれから抜け出そうとじたばたと暴れる。だが手は全く意に介さないようにそれをいなし、そして彼を無理矢理一番後ろの空いている席へと座らせた。
「だから離せ……って、お前ら!?」
それでも抵抗しようとした彼だったが、しかしすぐ傍の席に座っている人物を見た瞬間、和泉谷は暴れるのを忘れて半透明になっていない彼らを凝視した。
教室の一番後ろの列、四つ並んだその席には和泉谷の他に行方不明になっていた男子児童三人がぼうっと虚ろな目をしながら座っていたのだ。
「健二! 誠! 拓也! おい、聞こえないのか!?」
和泉谷が声を張り上げても、彼らは微動だにしない。ただただ他の幽霊の子供達と同じように黙って前を向いているだけだ。
「――それでは、学級会を始めます」
押さえつけられている手をどかそうとしている浦原、そして何度もクラスメイトに声を掛け続けている和泉谷。そんな二人を無視して、不意にずっと無言で立っていた幽霊の教師が静かに口を開いた。
浦原と和泉谷の視線が教師に向いたその直後、突如として教室の扉が開き、そして沢山の手によって一人の男が教室内へと投げ込まれた。
転がすように放り投げられたのは、昇降口からどこかへ姿を消していた滝野校長だった。
「校長!」
「いたた……何なんだ一体……って、あ、あんたは」
酷く憤慨するように怒りを露わにした滝野が顔を上げる。しかし彼は傍に立つ教師の顔を見た瞬間、途端に怒りを無くして逆に酷く怯えたように表情を一変させた。
教師は突然放り込まれた滝野に一瞥もしない。ただ淡々と授業を進めるように教卓に手をおいて子供達の方を見ている。
「大変悲しいことに、この中に学校を燃やしてしまった人がいます。心当たりのある人は黙って手を上げなさい」
しん、と静まりかえった教室に響いた声。それを聞くやいなや、滝野の肩が大きく揺れた。
誰も何も言わない。手を上げる人も居ない。ただ、半透明の子供達の視線はただ一人――滝野の方を見ていた。
「名乗り出る人が居ないのは残念ですね。……では、誰がやったのか見た人や聞いた人はいますか?」
直後、今までただ前を向いて大人しく座っていた子供達の手が一斉に挙がった。綺麗にそろったその手達は、まるで先ほどから和泉谷を捕まえようとしていたそれらに似ていて、酷く不気味に映る。
「滝野先生が煙草を吸ってたんだって」
「それをぽい捨てして、それで火が着いて広がったって」
「だけど先生は自分が燃やしたって言わなかった」
「先生は校長先生の親戚だから、それを見た他の先生は何も言えなかったんだって」
堰を切ったように次々と声が上がる。それらを耳にした浦原は、信じられないとばかりに大きく目を見開いて滝野を凝視した。
「た、滝野校長……四十年前の火事は、あなたが……?」
「で、でたらめを言うな! 大体、そんなことお前達が知れるはずは――」
「知ってるよ?」
「みんな知ってるよ。ねー」
「だって他の先生達がこそこそしゃべってたもん」
「――僕たちが、死んじゃった後に、ね?」
その瞬間、天井から沢山の手が飛び出した。
「な、やめ」
その青白い手はいくつも絡み合い、まるで一本のロープのようになって滝野の首に絡みつく。そして床に座り込んでいた滝野をゆっくりと絞め上げるように彼を宙に持ち上げていった。
ぎりぎりと生暖かい手達が首に食い込む。そして宙に浮く自分の体重で、どんどん首が絞まっていく。
そして、静かな目をした教師が口を開く。
「皆さん知っていますか? 悪いことをしたら、罰を受けなければなりません」
浦原は動けない。和泉谷も動けない。ただ、目の前で滝野が殺されていくのを見ていることしかできない。
「――だから、滝野先生には罰を」
「ちょっと、待った!!」
動けたのは、彼らだけだった。
その時、滝野が放り込まれて開かれていた扉から大きな声と共に一枚の紙が飛んできた。意志を持つかのようにまっすぐ飛ぶその紙――札は天井から伸びていた手に当たり、そしてあっという間にその手を溶かした。
ズドン、と大きな音を立てて千切れた手から解放された滝野が床に強かに打ち付けられた。
「和泉谷君、美守さん、無事ですか!?」
「遅くなってすみません。あれからこの教室に来るまでさんざん邪魔されたもので……」
「ささら! 茶々姉ちゃん!」
静かだった教室に騒がしい声が溢れる。そうして勢いよく扉から飛び込んできたのは、妙にあちこちに怪我をしたささらと茶々だった。
ささらは慣れたように浦原を押さえつけていた手を殴って消滅させると、そのまますたすたと静かに佇んでいる半透明の教師の元へと足を進めた。
「ど、どこへ行っていた! さっさとこの悪霊どもを退治したまえ!」
「……」
解放された途端に喚き始めた滝野を、ささらは彼女にしては珍しく冷たい目で一瞥する。
「ここに来るまでに、さっきの子供達の声は聞こえていました」
「う、うるさい! とにかく今はこの悪霊をどうにかするのが先だろう!」
「うるさいのはあなたの方です。ちょっと黙ってていただけますか。わたくし達への依頼は子供達の捜索。あなたのことは二の次ですので」
ぴしりと茶々が滝野の眼前に札を突きつける。今し方手達を溶かしたその札に、触れたら自分も溶かされるのではないかと滝野は震え上がって口を閉じた。
「……聞きたいことがあります」
ささらが教師に一歩近づくと、その瞬間目の前の床から手が飛び出して彼女に向かう。しかしささらは最早怯えることなくそれらを手で一蹴すると、もう一歩近づいて静かに佇んでいる彼を見上げた。
「どうしてあの子達を浚って閉じ込めたんですか。火事を起こした犯人である滝野校長を捕まえて吊し上げようとするだけならまだ分かります。けど、何の関係もない子供を捕まえたのは、どうしてですか」
「……子供達が、寂しがってたから」
教師の目が、ようやくささらを映した。
「寂しいって、悲しいって言うから、だから友達を増やしてあげようと」
「それでちょうど迷い込んだあの子達を浚ったんですか。浚って……殺そうとしたんですね」
「ちがう、子供を殺すなんて」
「あの子達は生者です。普通に生きている人間がこんな空間に長時間閉じ込められれば……勿論、死にますよ」
今まで静かに凪いでいた教師の表情が驚愕に変わった。
「今はまだ辛うじて生きてるようですが、あと数日もすればこの子達と同じになります」
「そんな……私はただ、この子達の為に」
「何がこの子達の為だ! あんたそれでも教師かよ!」
その時、一番後ろの席に座らされていた和泉谷が、酷く怒ったように机を叩き付けた。
「健二も誠も拓也も、こいつら皆大人しく席に座ってるようなやつらじゃない! いつもべらべら大声でしゃべって、外走り回って、授業中居眠りして……こんな人形みたいな状態じゃ、死んでるのと変わらねえんだよ!」
「和泉谷君……」
「こいつらだけじゃない……あんた自分の生徒の顔見てんのかよ! ただ座って静かにして、何の感情もなさそうな顔して、こんな状態の生徒ほったらかしにしてやることは新しい子供を連れてくることなのか!?」
「……それは」
「お前らも言ってやれよ! どうしてほしいのか、何がしたいのか、ちゃんと言ってみろよ!」
和泉谷が叫ぶと、何人かの子供の虚ろな目がゆっくりと瞬いた。そして、一番前の席に座っていた男の子がゆっくりと口を開く。
「……外で、遊びたい」
「給食が、食べたい」
「プールで泳ぎたい」
「図書室の本が読みたい」
「――早く、六年生になりたい」
その言葉に、教師の男性は息を呑んだ。
「……この子達の魂をここに留めているのは先生、あなたの意志です」
「私の、所為」
「あなたがこのクラスを失いたくないという気持ちが、この子達を成仏させずにここに縛り付けているんです。……この子達のことを本当に思っているのなら、あの子達の望むこことをさせたいのなら、魂を解放して生まれ変わらせてあげるべきです」
「……」
男性が押し黙る。ささらから視線を外した彼は自分をじっと見つめる生徒達を見返す。しばし焼き付けるように生徒を見ていた男は、やがて視線を落としゆっくりと彼らに向かって頭を下げた。
「……皆、すまなかった。先生が不甲斐ないばかりに、今まで不自由を強いた」
「先生」
「皆の魂を、解放する……次の人生では、無事に大人になってくれ」
「せんせい、」
何かを言いかけた女の子が薄らいで消えていく。少しずつ、しかし確実に半透明の彼らは姿を消してゆく。
「……ありが、とう」
最後の一人が微かにそう呟いて消えると、途端に和泉谷を縛り付けていた手も無くなり、そして行方不明だった三人の子供も、崩れ落ちるように椅子から落ちた。
「おい、お前ら大丈夫か!?」
「……浩?」
「俺たち、何してたんだっけ……?」
「なんかすげえ腹減った……」
床に倒れ込んだ三人がのろのろと顔を上げる。自分の身に起こったことが分からず首を傾げている三人に、和泉谷は安堵で力が抜けたように床に膝を着いた。
そしてそんな彼らを優しげな目で見た教師は、今度はささらに向かって頭を下げた。
「間違ったことをしていたのは私の方だった。……正してくれて、ありがとう」
「いえ……」
「私もあの世に行こう。……ただ」
「ひ、」
穏やかだった男の目が、不意に剣呑な光を放ってささらを――いや、その背後にいる滝野を映す。
「何もしないまま、この世を去る訳にはいかない」
「……駄目。絶対に殺させないわ」
浦原が滝野を庇うように前に出て、両手を広げた。
「何故だ、あなたは警察官だろう。その男の所為であの子達は死んだんだ」
「どんな理由があっても、どんなにクズな人間であっても、殺人を容認することはできない。警察だからこそ、ね」
「……」
「人を殺すと、堕ちますよ。あの子達と同じ場所には行けなくなります。それで構わないのなら……わたくしは止めませんけどね」
殺させないと滝野を守る浦原と、逆に二度と子供達に会えなくなってでも復讐を遂げたいのなら勝手にすればいいと言う茶々。
ささらは二人の言葉を聞きながら、黙り込む男を見上げた。
「……わざとではないとはいえ、あなたやあの子達を殺した彼と同じように、あなたも殺人者になりますか。教師である、子供を導く存在のあなたが」
「教師……教師、か。……そう、だね。……私は、あの子達の見本にならなければならない人間だ……」
男の殺気が、少しずつ薄まっていく。今にも悪霊に転じそうになっていたどす黒い空気が消え、しかし彼は滝野に向かって静かに手を伸ばした。
「間違いは、正す。それが教師のやることだ」
「な、何だ!?」
突如、男の手から発せられた黒い靄が滝野の体に纏わり付いた。痛みも苦しみもないが何をされたのか分からない彼が混乱していると、教師の男は手を下ろして彼に向かって微笑んだ。
「呪いを掛けた。お前が今後死ぬまで何か悪事を働いたその時に、死ぬよりも恐ろしい苦痛を味わう呪いを」
「な……」
「お前も教師なら、生徒の模範になるように生きるんだな」
それだけ言った男は、憑き物が取れたような穏やかな表情を浮かべ……そして消えていった。
その瞬間、教室の中が少しだけ明るくなったような感じがした。
「あ……どうやら、普通の学校に戻ったようですよ」
「携帯も普通に使えるようになってるわね。すぐに捜査本部に連絡しないと……」
「なー浩、腹減ったんだけどなんか無いか?」
「飴ぐらいしかねーけどいいか?」
「おい、ちょっと待ってくれ!」
緊迫した空気がなくなり気の抜けた雰囲気が漂い始めたその時、今まで床にへたり込んで呆然としていた滝野がようやく我に返り、そして酷く狼狽した表情で立ち上がった。
「あ、あいつ変な呪いを掛けて!」
「別に悪いことをしなければ発動しない呪いのようですから、問題ないのでは?」
「問題ない訳あるか! 君! さっさとこの呪いを解きたまえ!」
「……すみません、私除霊専門なので呪いを解くとかできないんですよね。だから諦めてください!」
滝野がささらに掴みかからんばかりに詰め寄るが……しかしささらは妙にいい笑顔でそう言い切った。
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「何とか無事に解決できてよかったです」
「ええ、子供達の衰弱も酷くないようだし、本当に安心したわ」
その後、浦原の連絡を受けた警察が学校へと押し寄せ、行方不明になっていた三人の子供達と念のため和泉谷もすぐに病院へと搬送された。そして残ったささら達は、一応他にこの学校に霊や怪異が居ないかを確認してから帰ることとなった。
「ちょいちょい浮遊霊は居ますけど害はなさそうですね」
「え、それ除霊しなくていいの?」
「放っておけば自然と消えるような力の無い霊ですので大丈夫です。というか全ての浮遊霊まで除霊しようとすると流石にささら様でも大変ですから」
茶々の説明に浦原はなるほど、と頷く。ささらの霊力がすごいという話は聞いたことがあったが、浦原自身はその手のことは全く分からないのだ。
「それにしても、ささらちゃんもたぬちゃんもすごかったわね。殴ってじゅわって蒸発させたり札で溶かしたり。私は全然役に立てなかったわ……」
「まあ、祓い屋ですから」
「美守さんが和泉谷君を守ってくれたので安心して怪異を倒せましたよ」
「そう言ってくれると嬉しいんだけど」
大体の場所の見回りを終えた三人は階段を降りて昇降口へと向かう。一番後ろを歩いていたささらは階段の踊り場に辿り着いたところで、また妙に鏡が目に付いた。
目の前に映る自分は酷く疲れた顔をしていて、早く帰ってふかふかの布団で眠りたいと思いながら鏡の前を通り過ぎようとした。
「え」
その瞬間、ささらは突然何かに引っ張られるようにして背中から倒れかける。何が何だか分からないが鏡に頭をぶつける、と目を閉じたが、しかし一向に何かにぶつかるような衝撃は訪れなかった。
「ささら様? どうかしましたか?」
「……ううん、何でもない」
階段を降りたところで茶々が振り返る。鏡の前で立ち尽くしていたささらに首を傾げるが、ささらはにこりと綺麗に笑って何事もなかったかのように階段を降り、茶々達の後を追いかけた。