理想の街 三日目(一)
そろそろ私は学校のことが気になっていた。連休は今日で終わり、つまりは普通なら明日から学校だから、今日中に帰らなくてはいけないはずだ。
「ねえ、今日帰るんでしょ。」
「帰りたいの?」
私に返事しながらもパパの手は動いたままで、絵を描き上げることで頭がいっぱいな様子である。
「学校始まるし。休んだらいけないんでしょ。」
「この部屋はとりあえず一週間予約してあるんだ。どうするか分からなかったからさ。」
「学校はそんなに休めないよ。」
その時、パパは急に私の顔を見た。
「学校、行きたい?」
「・・・」
「ここは休むために来たんだ。休みが終わってないなら帰れないだろ。」
「学校のある日の方が先に決まっているわ。」
「今回の休みは自分で決めた。だから自分で終わりも決めないといけない。夏休みや春休みとは違うんだ。」
「じゃあ、ずっと学校休んでいていいの?」
この旅の意味自体よく分かっていないから、パパが言う意味もよく分からない。だけど、今日まではまあ普通のことで、明日もこの街にいることは普通ではないんだと私にも分かっている。
「学校があるのに行かない理由がこれじゃあ、先生や友達に言えないもん。」
「言葉で言えなきゃダメなのかい。」
「それはそうよ。連絡帳に書けない。」
「言葉だと意味と別にイメージで伝わっちゃうものがあるんだよ。修飾や例えで伝わる場合と違う伝わり方さ。それって両方ある。片方だけで済む場合がほとんどなのにね。たまに二つで意味が違って伝わるのさ。」
「連絡帳は大事にしなきゃいけないって先生が言っていたよ。毎日、お父さん、お母さんと先生は会えないけど、連絡帳があれば安心だって。」
「連絡帳に絵を描けばいいんじゃないかな。」
「連絡帳は文字を書くものよ。細かく四角で仕切ってあって、だから、先生に正しく伝わるようになっていると思う。」
「まったくこの前までは感情任せの赤ちゃんだったのに。いつからそんなに理屈が先走るようになったんだろう。まあ、とりあえず絵を仕上げてしまおう。それから片付けの準備をしても間に合うだろうしな。」
パパは昨日買ったコンテで、自慢げに色塗りを始めた。帰るにしてもパパが絵を仕上げるまでは待つしかないので、しかたなく私は一人で散歩に出かけることにする。
いつもの大通りに行くと、多目的ホールでは小さい子供たちがはしゃいでいた。発表会の練習みたいだ。小学校へ上がる前の子供たちの様子はかわいらしくはあったけど、私は白い髪飾りをつけたおねえさんが見たかった。楽しそうに踊るおねえさんの笑顔、それが今の私にはそれがとても大切で、きっと私は助けられているんだって思った。それから、これは学校を休む理由になるんだろうかと考えてみる。
自分が何かしたいっていうのは、きっと理由にはならないだろう。おねえさんだって明日から学校か会社が始まるかもしれない。だけど、あのおねえさんが学校を休んでここで踊ってくれたら、きっと私は嬉しいし、見たいと思う。やっぱりおねえさんはすごいんだと思った。
私の頭の中ではいろんなことがぐるぐる回っていた。学校に行くかどうかで不安になる、それはなんでだろうって考えた。悩みのもとから遠くにいるせいかもしれない。それにすることがなくヒマなのも、不安を感じることだ。でも、私が本当にやらなくてはいけないことってなんだろう。
その時、ふいに頭の中の回転が止まって目の前に現れたのは、あのおばあちゃんのことだ。そうだ、私はおばあちゃんに頼まれていることがあった。それなら学校を休む理由になるかもしれない。自分のことでなく人のことだから。
図書館はこの近くだ。本の予約を確認しようと、私はそのまま図書館に向かった。
図書館の前のベンチに、おばあちゃんはちょこんと座っていた。
「本当に来てくれたのね。」
「今から行ってきます。」
「お願いね。なんのご本か分かる?」
「ササトミさんのご本ですよね。」
「うん、そうよ。アリジゴクの絵本なの。じゃあ行ってらっしゃい。ここで待っているわ。」
緑に囲まれた図書館に入るとすぐに、図書館のカウンターには昨日と同じ若い女の人がいた。私は聞く。
「すいません。ササトミさん、ササトミサヨリさんのご本は戻ってきましたか。」
その名前を聞いて女の人は、ちょっと驚いたみたいだ。
「ええと、そうねえ。なんでその作家さんなの。」
なぜだか困った様子で、女の人は私の方を見る。
「頼まれたんです・・」
本がなかったら、大声を出して調子が悪くなってしまうから。それが理由なんだけど、そんなことは言えず、変に自信のない感じの言葉になってしまった。
「その本はないわ。ごめんなさい。」
図書館の人も私も困った感じでなので、なんとなく小さい声でのやりとりになる。
「分かりました。ありがとうございます。」
「あ、あのね。本が戻ってきているかは、あそこの機械で検索すれば分かるの。」
「はい。」
そういえば家の近くの図書館では、カードをかざせば借りる手続きは終了だった。
「だけど、その本の時はカウンターに来てくれた方がいいかもしれない。」
よく分からなかったけど頷いておく。私は、おばあちゃんの所へ戻ろうと、それからすぐに図書館を出た。図書館を出ると緑がキラキラした世界がとってもまぶしく感じる。図書館の中の静かな雰囲気もいいけど、外の公園もとても気持ちがいい。こんな風にこの図書館に毎日通うのも、悪くないんじゃないかと思えてきた。
おばあちゃんはあのベンチにやっぱりちょこんと座っていて、私に気づくと手を振ってくれた。
「ごめん。今日、ご本ないんだって。」
「そうなの。残念ねえ。」
「うん。」
それからすこしの時間、おばあちゃんと私は無言になった。また急に怖くなって、背中がきゅんとなる。この前みたいに怒り出すんじゃないかって。私は何か別の話をしようと思ったけど、話題がすぐに浮かんでこない。
「アリジゴクってなんですか。」
思わず出た質問、それはとんでもなく意外なものだった。だけど、それはずっと心にひっかかっていたのかもしれない。
「やっとその気になったのね。じゃあ今日の午後にでも見にいらっしゃい。」