ふわふわを共有して
夕食を終え、お風呂を済ませた私たち。彼が昨日と同じように私の髪を乾かしたいと言い、そわそわしながらも彼にドライヤーを預けた。くすぐったさはあるけれど、彼が指で優しく髪を梳かす度に不思議と落ち着いていった。
……なんだか、彼に撫でられているみたい……。
「よーし。おわったよ〜」
そう言いながら、彼がブラシを手に取った。
「そのくらいなら自分で───」
「…ううん。おれにやらせて」
そのまま彼がブラシで私の髪を梳かしていく。
「おねーさんの髪、好きなんだ。サラサラしてて、あと、いい匂いする」
「……! あなたも、同じ匂い…でしょう?」
「ん?あ、そっか。そーだった。……へへっ、おねーさんとおそろいだ」
「…………」
お風呂上がりだから。そう自分に言い聞かせた。そうでもしないと、この顔の熱さを説明できそうになかったから。そんな私の様子には気がついていないのか、彼が髪を触り続ける。少しの間、ただブラシが髪をサッと梳かす音だけが響く。その音が止んだかと思えば、今度は彼の声が響いた。
「ここにいる間はおれがこうしておねーさんの髪キレイにしたい。……ダメ?」
後ろから私の顔を覗き込むように首を傾げ、彼が顔を近づける。至近距離の『……ダメ?』という問いは、抗えない魔法でもかけられているようで
「…いい、わよ……」
視線を逸らしながら答えるのが精一杯だった。
……また、顔が熱くなってきた気がするわ。でも、これは、彼なりの恩返しなのよね。さっきもそう言っていたもの。そんなふうに考えてから
「へへっ、よかった〜」
砕けた笑顔を見せる彼を見て、きっとそうなのだろうと確信した。どうして熱くなったのか、なんてことはもう頭の中にはなくなっている。
「…ほら、乾かし終わったのなら歯磨きして…それから荷解きもしないとよね」
「あっ、そーだった」
それから私たちは荷解きを始めた。ほとんど終わったところで、彼が一切手をつけていない荷物があることに気がついた。
「……このカバンはどこかに置いておいた方がいいのかしら?」
開けない方がいいのかと思いそんな風に聞くと
「ん?あ…これはね─────」
予想に反して彼がカバンを開け始めた。
彼が持ってきたキャリーケースには衣類や必要なものがほとんど入っていたし、この大きなカバンには何が入っているのかしら。
「じゃん!おれの大好きな子達!!」
そう言って彼が取り出したのは三つのぬいぐるみだった。
「おれ…なんかぎゅってしてないと眠れないからさ。家にぬいぐるみが沢山あるんだ」
彼はぬいぐるみを大切そうに抱きしめ、一つづつ頭を優しく撫でていく。
そういえば昨日も同じようなこと言っていたわ。あれは、ぬいぐるみがないとってことだったのね。
「ホントはねもっと沢山あるんだけど……全部連れてきたらおねーさんの部屋がぬいぐるみだらけになっちゃうから。いっぱい悩んで、この子達を連れてきたんだ」
ぬいぐるみを見つめる瞳はとても優しくて、見ている私まであたたかい気持ちになっていった。そのせいなのか
「……私も、あるわよ。…………ぬいぐるみ」
つい、そんなことを口にしてしまった。
「え…?そうなの?」
「……えぇ」
今更撤回することはできない。仕方なく昨日、彼がシャワーを浴びているうちに奥にしまったぬいぐるみを取り出した。
「…この子よ」
「わぁ…かわいいクマのぬいぐるみ!でも、なんでしまってたの?こんなにかわいいのに、もったいないよ」
ぬいぐるみに近づいた彼が少しだけ唇を尖らせる。
「それは……その、あなたに見られたら恥ずかしくて。…でも……そうね。元の場所に置いておくわ」
「……ぎゅってしたりしないの?」
一瞬、寂しそうな表情を見せた彼は
「…そんなことしたら壊れてしまうかもしれないもの。この子……手作りだから、所々ほつれているし、パーツだって取れそうなところがあるの。…いつも抱きしめていたら壊れてしまうわ」
私の言葉を聞いて安心したのか、優しく微笑みながら私のぬいぐるみを見つめていた。
「そっか。…うん。なんかいいね、そういうの」
「…ええ」
久しぶりにくまの頭を撫でると、ふわふわとした感触が指に触れた。ずっとしまっているとはいえどこか不安だった心が落ち着いていく。
……よかった。変わっていなくて。と、安堵していると
「ねぇ、おねーさん。おれの子と、おねーさんの子で写真撮りたい」
ぬいぐるみから私に視線を移した彼がそんな提案をしてきた。
「え?」
「だってすっごく可愛いし、ぎゅってできない代わりになんかしたいなーって。あっ、ちゃんとおれのプライベート用のスマホだから大丈夫。誰にも見せないし。…ね?いいでしょ?」
私をまっすぐ見つめながら彼が首を軽く傾げる。その瞳は真剣そのもの。心からなにかしたいのだと感じて
「……えぇ。いいわよ」
私は頷いた。
「やったー」
嬉しそうに笑ったあと彼はスマホを取りだし、ぬいぐるみ達をベッドの上に置いていった。体の向きや角度なんかを気にしながら『うーん…』と唸る彼。その真剣な姿を見ながら、ふと思ったことを口にした。
「…あなたのも誰かから貰ったの?」
「ん?…うん。子供のときにお父さんとお母さんが誕生日にくれたんだ」
「そうだったのね。…ぬいぐるみだらけになってしまうくらい沢山なのよね。……愛されてるのね、あなた」
「…うん。二人して誕生日にくれるからいつの間にかすごい増えて。でも、みんな特別で、大好きなんだ。だけど、この子達は…思い入れが深い?みたいな感じかな。おれがすごく寂しかった時に来てくれた子達だから」
並べたぬいぐるみの頭を彼が優しく撫でる。その仕草から、本当にみんなを大切にしているのが伝わり
「ふふ……」
心があたたかくなって、笑み声に出てしまった。
「え…おれ、なんか変だった?」
「……いえ、そんなことないわ。…その子達のこと大好きなのね」
「うん…!大好き。おれの宝物だから」
一瞬、私の方へ振り向き彼が笑顔を見せた。そして、カシャという音が響いてすぐ。彼が私の方へ向き直り、勢いよく近づいてきた。
「よしっ、撮れた!おねーさん見てみて!!」
驚く暇もなく、私の視界には、かわいらしいぬいぐるみが4つ映っている写真で埋め尽くされた。彼の大切な子たちが、私のくまのぬいぐるみの周りにちょこんと座り、腕を上げていたり、頭を傾けていたりと彼なりの愛情が伝わる写真だった。私のくまも友達ができたみたいで、どこか嬉しそうに見える。
「写真、上手いのね。みんなかわいくて素敵だわ」
「へへ〜でしょでしょー」
撮った写真を見ながらへにゃりと笑っていたかと思うと、写真から私へと視線を移し
「おねーさん。撮らせてくれてありがとう」
ふわりと柔らかく笑った。どこか大人びたその微笑みに、鼓動がどきりと跳ねる。
「……こ、この子、しまわないと」
目の前の彼に、騒がしくさせられる鼓動をどうにか落ち着かせたくて、ぬいぐるみを抱きしめ、少しだけ頭を撫でた。そして、ガラス戸棚の戸を開けて、いつもの場所にそっと置く。
ふぅ、と一息ついてから振り向くと、無邪気な笑顔や大人びた微笑みとは違い、どこか緊張したような表情で私を見つめていた。
どうかしたのかと聞こうとして、私が口を開こうとするよりも先に
「ねぇ、おねーさん」
彼が私を呼んだ。少しだけ低くなった彼の声が部屋に響き、私まで緊張してしまう。
「…どうかしたの?」
そう問いかけると、少し照れたような、けれど真剣さを帯びた表情で
「……おねーさんのこと、京香さんって呼んでもいい?」
どこかかわいらしいお願いをされた。
「え?」
変な緊張が解けて気の抜けたような声が出てしまう。
「せっかく、おねーさんの名前教えてもらったし…名前で呼びたいなって。……おねーさんの名前、綺麗だから。あ、イヤなら今のまま"おねーさん"って呼ぶよ」
「……いいわよ。好きに呼んで」
断る理由もなくて頷くと
「ほんと!?やった〜!ありがとう!」
子供みたいに可愛らしい笑顔を見せたあと、彼はふっと目を細め
「……京香さん」
優しく落ち着いた声色で、私を呼んだ。
少しだけ鼓動が速まった気がしたけれど
「京香さんもおれのこと、名前で呼んでほしいな」
そんなものが吹き飛ぶような言葉が耳に入ってきた。
「…か、考えておくわ……」
「うん!」
今まで異性とこんな会話をしたことが無かったからか、彼の名前を呼ぶことはできなかった。いつか呼ぶ日が来るのかとぼんやりと考えて、すぐに気がつく。彼と過ごすのは少しの間だけだもの。そんな日は、きっと…来ないわ。そこにたどり着いた時、あの子を……兄がくれた、あのくまのぬいぐるみを無性に抱きしめたくなった。




