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エピローグ 夢みる機械

〝お別れ会〟五日前の朝五時まで話は遡る。


 酒瓶を枕に床に寝ていた鹿間は寒そうに身体を震わせた後、寝転んだまま伸びをしながら大あくびをした。「ようやく起きたか」と俺が声をかけると、「本音を言えばもう少し寝ていたいですがね」なんて言いやがった。とことん呑気だ。


「おはようございます、伊瀬冬さん。しかし、硬い床で寝たところで全然疲れが取れませんね。全身バキバキだ」

「知るか。それより作戦会議だ。しゃんとしろ、鹿間」

「なんですか、作戦会議って。それよりまずは顔洗わせてくださいよ」

「あほ。そんな悠長なこと言ってる場合か。俺が生き残るための作戦会議だぞ。焚きつけたのはお前だろ」


 すると鹿間は眼鏡をきらりと光らせていやらしい笑みを浮かべた。


「まったく、ようやくその気になりましたか。少し遅すぎる気がしなくもないですが」

「寝覚めがよくないんだよ、低血圧だからな」

「初耳ですね、それ」と笑いながら言う鹿間へ「数ある秘密のひとつだ」と冗談で返した俺は、研究所脱出計画について鹿間へ話した。


 身体を持たない俺がここから生きて出るには、インターネットを経由して外に出るか、記憶媒体に入れて物理的に外へ持ち出して貰うしかない。前者はなかなか難しいが、後者はなおさら難しい。となれば、どこからか回線を引っ張ってきてサーバと接続するのがセオリーだが、これでは逃げたことがあからさますぎる。やるなら後者しかあり得ない。


 とはいえ、その道のりは簡単じゃない。まず、俺の〝家〟であるサーバは、ネットワーク接続されていない。唯一、架空環境展開装置を用いる際は社内ネットワークへと接続されるが、環境内での俺の動きは常に監視されているため、たとえどこかに逃げたとしてもログを頼りに呆気なく見つかってしまう。


 そこで考えたのが〝お別れ会〟だ。


 自身に残された短い人生に絶望した『ISY』の懇願により執り行われたお別れ会。架空環境の中で自身の生みの親と会話し、自暴自棄になった俺は、その場にいる源尾を人質に取る。暴走したAIに待っているのは削除のみ。情報の塊である俺は指先ひとつで呆気なく消去される――ように見せかけ、社内ネットワークを経由して別の場所に避難する。


 元より破棄が予定されていた俺が消えたところで誰も気にしない。ゴミ処分の手間が省けたと奴らが安堵している中、俺はどこかでほくそ笑んでいるという寸法である。


 このようなことをざっくり説明すると、鹿間は「なるほど」と腕を組みながら呟いた。


「確かに、それなら指をくわえて待ってるよりもずっと建設的ですね。まあ、まだまだ穴だらけの作戦ではありますが」

「ひと言余計だな、お前は」

「あんたに似たのかもしれません。さて、では早速皆さんに連絡をして協力を――」

「待て。源尾には言うな、絶対に」

「どうしてですか。源尾さんがこの件で一番心を悩ませてるんですよ」

「わかってる。でも、あの源尾が演技なんてできると思うか?」


 一年前、研究室のメンバーで江村へのサプライズ誕生日パーティーを企画したことがあるのだが、主催者である源尾が一週間前からあまりにニヤついていたせいで、気味悪がった主賓にパーティーの件が露見し、物の見事にご破算になったことがある。半年前の鹿間の誕生日の時は、一週間前からマスクを着けるというファインプレーにより表情の変化は見抜かれなかったものの、そわそわした行動やふわふわした言動により露見した。極めつけは本人の誕生日パーティーの時で、サプライズで祝ったらあまりに嬉しかったせいなのか大泣きしたあと気を失った。それ以外にも似たような出来事は数多く、枚挙にいとまがないとはこのことだ。


 結論。源尾あいという人間は、サプライズという行為とは徹底的に相性が悪いのである。


 鹿間もそういった件をひとつひとつ思い出したのだろう。幾度と深く頷き、それから大きく息を吐いた。


「……彼女への連絡はやめにしましょう。アドリブの方がいい結果を残す人だ。それ以外の皆さんには私から個別でお伝えします」





 みんなの協力のおかげで脱出計画は見事に成功したが、想定外だったのはその後だ。源尾が気絶ないしは気分を悪くするだろうということまでは計画の内で、鹿間のノートパソコンに移った俺を病院への付き添いを理由に持ち出してもらうつもりだったのだが、まさか入院までするとは思ってもいなかった。おかげで未だにネタバラシができておらず、源尾は俺が生きていることを知らないままである。


 さて脱出から三日後のこと。現実の『2045』にて俺は、水島さん達と共に退院した源尾が店までやって来るのを待っていた。外はあいにく弱い雨が降っており、断続的に曇った窓がぱらぱらと音を立てる。外を歩く人の吐く息が白い。きっとずいぶん寒いのだろう。


 調べてみると摂氏九度、季節外れの真冬並みだ。体験できないのは少し残念だが、絶対しもやけにならないのだと思えば、まあそこまで悪いことばかりでもないはずだ。


「しかし、本当に大丈夫なんだろうな」

「なにを心配してるんですか?」

「源尾のことに決まってんだろ。サプライズはいいけど、ここで気を失われたりしたらえらいことになるぞ」

「大丈夫よ。あいちゃんだってもうそんなヤワな子じゃないわ」

「そうそう。人は成長するものだから」

「……そうは言ってもな」

「ほら、みんな。来たみたいだよ」


 大藪さんに言われて店の入り口を見ると、源尾らしき人物が店内をみょろきょろと見回して俺達を探していた。〝らしき人物〟というのは源尾の顔がはっきりと確認できないせいで、サングラスにマスク、つばの広い帽子とまるで変装のような恰好をしている。しかしその立ち姿から漂う雰囲気は、まず間違いなく本人だろうと言えた。


 水島さんが「こっちこっち」と呼びかけると、源尾はすたすた早足でこちらに歩いてきて、直立不動でこう言った。


「み、皆さん!き、今日は急に呼び出したりなんかして、どうされたんでふか?!」


 しばしの沈黙。やがて鹿間が「逆ドッキリ失敗ですね」と呟き、その場は笑いの渦に飲み込まれた。





 三月二十日、午前六時四十五分。天気は快晴。雨の予報は無し。湿度38パーセント。


 空気が乾いていることを除けば悪くない日だ。そんなことを考えながら湯を沸かして豆を挽きコーヒーを用意する。


 やがてとすんとすんと階段をゆっくり降りる音が聞こえてきて、リビングの扉が開いた。まだ眠そうにあくびをするその姿すら朝の光を浴びてきらきらと輝いているのは源尾である。


「おはよう、伊瀬冬くん。いい天気だね」

「おはよう。でも、いい天気だけどだいぶ乾燥してる。仕事行く前に対策はしっかりな」


「はーい、わかってます」と寝ぼけ眼でのんびり受けた源尾は、窓のそばで大きく伸びをした。


「鹿間さんから連絡が来て、今度飲まないかって。もちろん、伊瀬冬くんも一緒に」

「一緒に行くのは大歓迎だけど、飲むのは勘弁して欲しいな。あいつの作る酒はしっかり翌日まで残るんだよ」

「悪くないと思うよ? たまに二日酔いするのも」

「簡単に言うなよ。酷いんだぞ、本当に」

「でも、生きてるって感じがするでしょ?」

「……まあ、する」


「じゃあ、決定ってことで」と勝ち誇ったような笑顔を見せた源尾は、俺が用意したコーヒーを飲む。それからホッと息を吐き、思い出したように「そうだ」と声を上げた。


「どうした?」

「今日の分、言い忘れてたのを思い出したの。大好きだよ、伊瀬冬くん」


 もう何度目かなんてわからないほど口に出したはずなのに、ちっとも慣れる様子もなく、照れ臭そうに頰を染めながら源尾はそう言った。途端に頭が熱暴走寸前まで熱くなるのを感じながら俺は、辛うじて言葉を絞り出した。


「大好きだ、源尾。生まれた時からずっと」

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