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エレクトリック・ドリーム その1

 夢から醒める直前だけに本当の自由がある気がする。現実でも夢でも『伊瀬冬』という役割を持つ俺が、その瞬間だけ何もかもから解放される。世界のどこにも居場所がなくなるのに、不思議と嬉しい気持ちになる。


 では、伊瀬冬でなくなった瞬間の俺は何者なのか。わからないし、わかりたくない。


 こんなこと考え続けたらきっと、頭が熱暴走を起こして爆発する。





 はっと目覚めた時に俺は見知らぬ部屋の中にいた。二十畳ばかりはある広い部屋だ。壁には古びたハリウッド映画のポスターや、あかんべーをするアインシュタインの写真などが貼ってある。五台あるデスクの上にはそれぞれパソコンが置いてあり、ファンの回る起動音が微かに聞こえてくる。長机も一台置いてあり、こちらには四つのマグカップが並んでいた。誰かがいることは明らかだが、部屋に人影は見当たらない。というか、こうして視界を動かすことができるのに身体が動かない。しかし固定されているような感覚は無い。おまけに、自分が今立っているんだか座っているんだかすらわからない。なんだこりゃ。まだ夢を見てるのか、俺は。


 混乱が恐怖に変わる寸前に扉の開く音がして、視界に人影が映り込んできた。現れたのは見知らぬ三つの顔だ。揃いも揃って葬式みたいに暗い顔してこっちを見てやがる。なんだってんだ。


「これは夢か? それとも現実か? もし現実なら、俺はどうなってんだ。さっぱり動けん」


 現れた新顔のうち、左耳にピアスを付けた目つきの悪い女が俺を見ながら「相変わらず呑気ですね、伊瀬冬さんは」と言った。なんだこいつは、鹿間みたいなこと言いやがって。


 夢の中なら遠慮はいらない。源尾がいないのならなおさらだ。


「悪かったな」と喧嘩腰に返すと、エノキみたいにひょろひょろした身体つきの男が、「ふたりとも、落ち着いて。今は、いつものように仲良くしてる場合じゃないだろう」と大藪さんのように優しく割り込む。


「仲がいいつもりはありませんがね」と俺が言うと、今度はまるで小学生の子どもみたいに小さな女が、「伊瀬冬。その、落ち着いたら声かけて。話があるから」と江村みたいに淡々と言った。


「そもそも、お前達は誰なんだよ。みんなして伊瀬冬、伊瀬冬って」


「そうよ。自己紹介も無しじゃ混乱するでしょ?」


 突然割り込んできた聞き覚えのない野太い声。やがて視界に映り込んできたのは、やたら筋肉質で背の高い男だった。「なんだお前」と思わず問うと、「ずいぶんな挨拶ね」とそいつは言って肩を落とした。


「あなたの言葉を借りれば、〝水島嬢〟。あの少しガラの悪そうなコが光ちゃんで、そこの細いのが大藪さん。小さくてかわいいのがまなみちゃんね」


「嘘つけ、あほ」


「……だから言ったじゃないですか、水島さん。アバターで遊ぶなって」


「悪かったわよ。ハイ、謝ったからこれで終わり」


 自称・水島嬢はその場に腰を下ろしてあぐらをかくと、ゆっくり語りだした。


「伊瀬冬くん。あなたが何者なのか、話をしてあげる。少し長くなるけどね」





 とある民間研究所に、ひとつの研究チームがあった。その人達は、心の病に苦しむ人や、過去の出来事に心を囚われてしまった人のためにあるものを開発していたわ。『心的外傷治療特化型AI』……それは、『ISY(I Save You)』と名付けられた。


 問診により聞き得た患者のトラウマやパーソナルデータを元に異なるストーリーを作り上げ、それを彩る架空環境を展開。患者と共にそのストーリーを追体験し、トラウマを肯定的に受け入れさせる治療を行う。


 そんな『ISY』の働きは、〝常に最適で最高〟。日に日に注目を集めていって、人間の医者に取って代わられるのもそう遠くない、なんて言われてた。


 でも、そう上手くはいかなかった。研究が進む最中、ある問題が起きたの。理由はわからないけど、『ISY』に心〝らしきもの〟が芽生えたと報告されたのよ。


『ISY』にとって、心はバグ同然。人間にはできない〝常に最適で最高〟が役目なのに、心があるとそれができなくなるから。相手する患者によって好き嫌いが出てきたり、患者に感情移入しすぎて精神が参ったりする危険性があったら困るでしょ? 『ISY』が鬱になる、なんて笑えない話も出てくるかもしれない。


『ISY』の企画凍結と破棄は早々に決定した。


 でも、研究チームは『ISY』を助けたかった。そこで上層部に交渉して、『ISY』の学習記憶をすべてリセットした状態で、トラウマを設定されたAI人格を救えるかどうかテストしてもらったの。もしもすべてまっさらな状態から、強化学習のみで患者を治療することが可能なら、心はバグではなくて立派な武器だと認められるから。……でも、駄目だった。テストは失敗に終わった。


 こんな話をわざわざしたんだから、なんとなく察しはついたでしょ?


 私達がその研究チームで、そして伊瀬冬くん。あなたがその問題の、『ISY』よ。



 はっきり言って、水島嬢(仮)の言うことの意味がわからなかった。妙に深刻そうな顔で急に何を寝ぼけたことを言ってるんだろうか、この筋肉人は。しかも、鹿間(仮)をはじめとしたその場の連中も似たような顔をしてるんだから、まったく悪質と言う他ない。くだらんいたずらをしやがる。こんな状況のせいか、あのまずい喫茶店のコーヒーの味が恋しくなった。


「とんだ夢だ。最悪だ。そこの自称・水島嬢、俺のこと思い切りぶん殴ってくれ」

「あなたが驚くのもわかる。でも、これが事実よ」

「……あんたがどこの誰だか知らんけど、適当なこと言ってると――」

「伊瀬冬くん、昨日の夕食はなにを食べた?」


 今まで黙っていた大藪さんを自称する男性から突然そんなことを言われて面食らった。くだらない質問を急になんだと思いながらも一応答えようとしたが、思い出せない。年寄りじゃあるまいし思い出せないのも癪だったが、いくら記憶の水をすくっても無駄だった。


「覚えてないですが、それが今の話に関係ありますか」と俺が言うと、大藪さんは間髪入れずに「なら、今日の朝食は?」と問いかけてきた。夕食の質問と同様に、こちらもさっぱり思い出せない。記憶があやふやだ。もやが掛かっているようで何も見えない。


 ほんの少し、ほんの少しだけだが怖くなった。


「……俺の物覚えが悪いのはどうでもいいとして、なんでそんな質問を――」

「君の通う大学の名前は? 学科は? お世話になっている教授の名前は? テストが近いそうだけど、それはいつから? 通っていた小学校の名前は? 中学校の名前は? 高校の名前は? 好きな食べ物は? 嫌いな食べ物は? ここにいる人間以外の知り合いの名前は? 母親の名前は? 父親の名前は?」


 矢継ぎ早に浴びせられた他愛のない質問。そのすべてに俺は……俺は、どうしても答えられなかった。空っぽの頭が動揺でいっぱいになる。冗談じゃない。どうなってんだ。答えろ、答えろよ。どれも即答できる質問のはずだろ。


 息が詰まりそうな数秒が経った後、大藪さんは最後通牒を苦々しい表情で突きつけた。


「伊瀬冬くん、君の名前は? 伊瀬冬、だけで終わりなはずがない」


 忘れるはずがない。わからないはずがない。人生のあらゆる場面で幾度と口にして、幾度と書いたはずなのに……わからない。自分の名前だぞ。ど忘れなんかじゃ話が済まない。


 俺の記憶はどこいった? 今まで俺だと信じていた俺自身は何者だ?


「意地悪してごめん。わからないのも無理ない話なんだ。もともと君にそういった記憶は無いんだから」


 ちくしょう、ダメだ。話を聞いていられない。外の空気を吸いたい。一刻も早くここから出たい。


 足腰に力を入れて立ち上がろうとする。だめだ。足の感覚も腰の感覚も無い。腕に力を入れて暴れようとする。だめだ。腕も無い。首を動かして周囲の状況を確かめようとする。だめだ。首もない。呼吸もできない。匂いも無い。高鳴っているはずの心音も聞こえない。あるはずの身体がどこにもない。なのに意識だけはある。ちくしょう、夢だろ。これは夢だ。


「……嘘だろ」

「……嘘じゃないです。信じられないかもしれませんが、事実です」

「ふざけろ、鹿間。こんなのが現実なら、つまり俺は人間じゃないってことかよ」

「伊瀬冬、大丈夫。あなたは人間だから」

「こんな状況でどうして俺が人間なんて言えるんだよ」

「伊瀬冬くん、混乱する君の気持ちはわかる。でも、まずは落ち着こう」

「落ち着いてられませんよ。なんだよ、ちくしょう。どうなってんだ」

「――なんの騒ぎですか?」


 突然聞こえてきた声。視界に入り込んできたのは神経質そうな顔をした男だ。首に掛けたネームプレートには、『課長 佐藤正木』の文字が見えた。そいつは大藪さんや鹿間達を侮蔑の混じった目つきで見回すと、最後にその目を俺に向けてきた。


「なんだよ。何者だよ、お前は」

「……いくら貴方達が所内の問題児連中とはいえ、廃棄が決まったプロジェクトにかまけて、やるべきことをやらないようでは困ります。始業の時間は過ぎているんですから、早く通常業務に戻りなさい」


 これ以上の時間は割きたくないとでも言うように、男は早足で去って行く。勝手だ。自由だ。あれこそが人間だ。手も足も無くて一歩も動けないようじゃ、人間じゃない。


「伊瀬冬くんを〝家〟まで送ってあげましょう。ここよりも少しは落ち着けるはずだから」


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