最終章
2月、彼岸桜がまだ沖縄の街中を鮮やかに染める頃、浦添の野球場でプロ野球チームがオープン戦を行っていた。
「うわぁ、すごい!実際で見るとこんなに迫力があるのね!」黒いキャップをかぶったマリアは迫力あるプレーに釘付けになっていた。
「今年入った新人だよ。やっぱり、まだまだ球筋が荒いな。」
「お父さん、わかるの?そんなこと。」
「慣れてくるとわかるものさ。」
カン!
外国人の5番バッターが強烈なライナーを左中間に飛ばしていった。観客が皆飛んでいくライナーの先に釘付けになる。
「あ〜、やっぱり打たれちまった!」
やれやれ、と、言わんばかりに耕太の父が残念そうに言って見せた。球場ではレフトとセンターがランニングキャッチを試みるがあえなく超えていき、ランナーは一挙に2塁まで進塁する。マリアは興奮する様を隠そうともしない。
「まぁ、プロともなれば全国からファンがやってくるんだけどさ。」
「そうなの?」
「あぁ。ペナントレースって言ってな、4月になるとプロチームが優勝をかけて半年間戦うのさ。沖縄じゃあ見れないがな。」
「え〜っ。それは残念。」
8番バッターがバッターボックスに立とうとしているのが、マリアの目に留まった。背番号は28。濃紺を基調としたユニフォームがたくましい男性の体格を一層引き立てていた。その後姿に今はもう夢と消えた耕太の将来の姿を感じさせてもいたように、マリアは感じた。
そこで、真由が壮太に捧げた、人魚の物語は終わった。
「強いね、マリア。」
「そうだね。」
「真由、その物語、気に入ったよ。やっぱり真由は天才だよ。」
白いベッドに横たわって眠る壮太にそう言って笑う顔が思い浮かんだ。話して、よかった。書いて、よかった。真由の心は限りなく透明な青に染まった。
こうして、一人の青年が海に還った。
壮太が世を去ったのはあれから1週間後の9月20日だった。まだ夏の盛りの沖縄ではあまり実感こそわかないが、カレンダーを見ればもうすぐ秋分だった。壮太の葬式はしめやかに行われた。泣き崩れるクラスメートをよそに真由は読ませてあげられなかった最終章の原稿もまとめて、壮太が眠る棺に納めた。色こそ白かったが、眠る壮太の顔は安らかなものだった。互いに思い残すことは、何もなかった。泣き崩れるクラスメート達とは対照的に真由の顔は晴れやかで、清々しささえ感じさせた。もっと一緒にいたかったのに、という悔しさもないといえば嘘になる。それでも、この日までには書き上げたのだ。真由は葬儀会場の外でぼんやりと空を眺めていた。
「比嘉。」
呼んだのは浩伸だった。ユニフォーム姿しか知らない真由にはやはり制服姿はどうにもしっくりこない。
「なんだ、石川か…。」
「なんだってお前な…、まぁいいや。しかし、こんなことになるとはな…。」
そう言いながら真由の横に並んで空を見上げる。
「お前、幼馴染なんだろ。挨拶とかしてやらなくていいのかよ?」
真由は一度うつむいた。
「うん、いいの。もうしたから。」
「そうなのか?」
浩伸がそう聞くと、真由は縦に首を下ろした。
「そうか。」
浩伸も並んで空を見上げた。それ以上は何も言わなかった。
「あぁ〜あ、これから受験だよな、俺達。」
「そうだね。」
10月も間近なのにもかかわらず盛んに照りつける沖縄の太陽もさすがに今は幾分しおらしく感じた。
真由は卒業後、一年浪人してシドニーの大学に入学した。沖縄を去り、シドニーの大学に留学するため、オーストラリアに旅立ち、現在に至っている。今も彼に会いたくなれば、こうして海を訪ねる。海に行けば、彼に会える。そうやってこうして白いワンピースを海に浸している。真由の他に周りには誰もいない。足がつくことを確かめて、くるくると回ってみた。水がくっと抵抗したが、かまわずに回る。足をとられてそのまま水底に沈んだ。少しなすがままに黒い海水と戯れ、ゆっくりと浮き上がったら、月光に照らされた波が、白く煌いていた。
真由は海から上がった。濡れたワンピースのままテラスの白いテーブルとリゾートチェアに腰を下ろし、ボールペンを手に取った。サザンクロスが輝くシドニーの空には似つかわしくないほど白く、透き通った肌に月光が反射する。青い空に蒼い海。麗しいその青春の日々は、見るものの視線を釘付けにするような、えもいわれぬ美しさを湛えていた。
I found a new dream...
真由は新たな物語の第1章を書き始めた。その物語が完成するのは、また少し先の未来になるだろう。物語の展望は、彼女しか知らない。
おかげさまで最後まで書き上げることができました。多数アクセスありがとうございます。
大切な人が去っていくのは悲しいですが、何とかそれを乗り越える糧になれば、と、書き始めたのがこの作品です。あなたにとって真由や壮太、そして耕太やマリアが心の片隅で光り輝き続けることを願って。