保安官の憂鬱な午後 / SVASTICA, The part-time hero
おまけにひとつ、マナブ君と黒服の保安官の話をば。
妄想癖のある手水舎学が差し出してきたものだから、どうせ碌なことは書かれていないだろう。とは思ったものの。
駅前から少し離れた場所にある静かな喫茶店の中、丸いテーブルの中央に置かれたチラシを、渋々ながら覗き込む。正直気分が乗らなかったし、無視しても良かったのだけれど、注文した料理が出てくるまではどうせ暇であるわけだから。
チラシに大きく描かれた人物は、仮面やマントから察するにどうやら変身ヒーローめいたものであるらしい。きっと格好いいポーズをとっているんだろう、と拙い線画を想像で補完する。視線を上に動かすと、これまた特撮戦隊モノを意識したようなロゴマークが目に入ってきた。
「万象落着、卍、スヴァスティカ」
「あ、いや、『まんじ』は読まなくていいんだ。ただのマークだから」
「ふーん」
というか、何なんだろうなコレは。こんな落書きを見せられても、反応に困るのだけれど。
顔を上げてみれば、「それで、どうかな?」と期待に満ちた表情でこちらを見つめる学くんがいて。そう、こいつ見た目は悪くないのにねえ。傍から見たら、私たちは大学生と高校生のカップルに見えているかもしれないな、などと考えつつ。
「よくわからんけど、没ー」
「アトちゃん!?」
前菜のサラダがやってきたので、とりあえず切り捨てておいた。
地球上では刹那と名乗っていて、誰にも本名を教えた覚えはないのだけれど、不思議なことに、学くんは私をアトと呼ぶ。
†
何年か前、学くんがまだ高校生だった頃、私は新任の保安官として銀河連邦から派遣されたばかりだった。
ちょうど、彼の周辺はふたつの銀河放送局による視聴率争いでごたごたしていて、私はその調査と身辺警護をいきなり命じられて。
私やクリスが宇宙人であるという事実を、時には電撃銃で気絶させたり、記憶を消去したりして誤魔化しつつ、なんやかんやで付き合いが続いてしまっている。
今日もまた、気乗りのしない任務のためにこの街にやってきたところを、通りすがりの学くんに発見され、いきなり「お昼ご飯まだなら、一緒にどう?」と誘われたのだった。
手元不如意なところ、気の効かない彼にしては珍しく奢りだと言うものだから、一も二もなく同道することとなった次第で。
†
ちゃんと話を聞いてよ、と学くんが言い募るので、サラダをつつきながら先を促してみた。
曰く、時代はご当地ヒーローである。八王子や小平にもいるというのに、吉祥寺にご当地ヒーローがいないのは問題ではないか。なればこそ、人助けには実績のある卍屋の主任である自分こそがその役回りに相応しいのではないか。というのが、学くんの論であった。
いつものことながら唐突に始まる熱弁である。それにしても、卍屋の主任といっても従業員は彼ひとりだったような気がするのだけど。
「つまり何だ、君が考えた吉祥寺のご当地ヒーローというのが、その卍丸というわけか」
「スヴァスティカだよ。万象落着、スヴァスティカ」
笑顔で訂正する学くんに対して、両手を上げ、肩をすくめて首を振って見せてやる。
「そんなの勝手にやってれば。止めないから」
「ケイちゃんにも同じこと言われたけど、ひとりじゃ無理なんだって」
「なんでだよ、巻き込むなよ」
情けない表情を隠そうともせず、学くんは身を乗り出してくる。
「だって僕じゃ変身スーツとか作れないし。アトちゃんなら何とかしてくれると思って」
「それこそこっちに振られても困るぞ。裁縫くらい自分でやれっての」
「そうじゃなくて、本物の変身スーツだってば。そのひらひらした黒い服、任務のときにはなんか変わってたよね」
「任務ー? 何のこと、かな?」
おかしいな。ちょっと前に地球に逃げ込んだ凶悪犯をぶっ飛ばしたときに鉢合わせた件は、記憶操作して書き換えたはず。私は学くんのただの知人のひとり、うら若き私立探偵という設定なのであって、宇宙人だということは隠しているはずなのに。
内心の動揺を気取られないよう平静を装っていると、彼は勝手に納得したように頷いた。
「ああ、ごめん。任務については話せないこともあるよね。でも僕も、地球を守る戦士なわけだし」
「ん?」
「アトちゃんみたいな魔法少女と変身ヒーローじゃちょっと違うかもしれないけどさ」
「んん?」
これはもしかすると記憶操作が不十分で、学くんの妄想があれこれ補完してしまった、ということなのか。
しかし誰が魔法少女だというのか。私か。
「それでさ、アトちゃん」
「なんだよ」
「渋い声で喋る変身ベルトとか、なんとか手に入らないかな」
「悪の秘密組織にでも改造してもらえば?」
たとえ製作できたとしても、地球に持ち込んだら確実に銀河連邦法違反である。保安官に何をさせるつもりだ。
†
地球文明圏の保安官という立場は、正直なところ微妙だったりする。
星々をまたにかける特務捜査官であれば、その任務と実績によって色々とボーナスが出たりする。特定宙域を担当する保安官なら、その宙域の重要度や危険度に応じた固定給が支払われる。私の場合は後者になるのだけれど、この辺境星系は特別扱いされているが故に、査定に必要な数値が定められておらず、給与面では残念なことになっているのだ。
かといって、何か不祥事があれば減給が待っているのだから、適当な仕事をするわけにもいかない。何とも損な役回りじゃないか。
とは思うものの、それを補って余りある利点が、この星にはあるのだ。
そう。美味しいカレーを、食べられるのである。
†
学くんお勧めのチキンカレーは、皿の中央に丸く盛られたライスの周囲に褐色のソースがかけられ、大きな鶏の一枚肉が上に乗っていた。
鶏肉をライスの上からそっと降ろし、焼き色のついた皮にナイフを入れてみれば、柔らかい中身にするりと刃先が入っていく。その食感を想像するに、これだけでも期待できるというものである。
ひとまずナイフを置き、スプーンでソースをすくって口にしてみる。甘めだけれどスパイスの効いた味は、鶏肉と合わせると真価を発揮しそうだ。後に残るかすかな辛さの余韻は、食べ続けていくうちにより強くなっていくのだろう。
と、目を閉じて娑婆の味を堪能している対面で、キーマカレーを食べていた学くんが再び話しかけてきた。
「ところでさ、アトちゃんは今回、何しに吉祥寺にきたの?」
「んー」
「あ、話せないならいいんだけど」
都合がいいんだか悪いんだか、微妙な勘違いをしていることだし、ある程度ぼかせば話してもいいだろうか。
再びナイフに持ち替えて、鶏肉を切り分けながら言葉を選んで口にする。
「家出娘を、探してるんだけどさ、なんか別にいいかなーって」
人形の探索は新任のカラスに任せている。彼女を発見したら、街外れの貸し倉庫から木星基地に転送する手筈にはなっているのだけれど、どうにも気が乗らない。
「いつも仕事熱心なアトちゃんが、珍しい」
「まーね」
問題が起きる前に対処するのも仕事のうち。とはいえ、ちょっとばかり後ろ暗い程度の連中なら、大人しくしている限りは放っておきたいのだ。
怪しいからって片端から捕まえていたら、この街に住んでいる宇宙人の数が八割引きになってしまう。本当にヤバい奴が現れたときには、彼らの情報網は役に立つのだし、余計な波風は立てたくない。それに。
「ただの勘だけど、微妙にいい話になってそうなところに首突っ込んで、余計な反感買いたくないしなー」
「なんだか大変そうだね」
別に慣れ合うつもりは無いんだけどさ。って、学くん相手になに愚痴ってるんだか。
小さく切った鶏肉に、ソースをからめていざ実食。少しコクが足りないかな、と思ったソースも、これならまったく問題ない。
惜しむらくは、学くんの目の前にあるキーマカレーもなかなか食欲をそそられるということなのだが。
「……アトちゃん、こっちもちょっと食べる?」
「変身ベルトの件は無理だからな」
「わかってるって。いらないなら別にいいんだけど」
何を言ってるのやら。上に乗ってる半熟卵も含めて、きっちり頂くに決まってるじゃないか。
†
至福のひとときは過ぎ去っていき。
綺麗に片付いた皿が下げられていくのを眺めつつ一息ついていると、学くんがいきなり「しまった」と困り顔になった。
「どうかした?」
「紅茶ふたつで頼んじゃってたけど、アトちゃんダメだったっけ」
なるほど。そういえばかなり前にそんなことを言ったような気もする。
「どちらかと言うと好きな方だけど、仕事中はちょっとね。酔っちゃうから」
「紅茶で酔うんだ」
学くんは意外そうに首を傾げているが、実際そうなのだから仕方ない。個人的にはポリフェノールとやらが怪しいと踏んでいる。今度、茶葉の持ち出し申請してきっちり調べてもらおうか。
「もう用意し始めてるだろうし、ひと口だけ頂こうかな……っと?」
テーブルの脇に置いていた、携帯電話に偽装した任務支援装置が震えだす。カラスからの定時報告だろう。
学くんに断りを入れつつ、ナビを手に取って内容を表示させる。
『人形は相談役と行動を共にしている。情報屋に足止めされているため、追跡不能。至急応援求む レイヴン』
「ありゃま」
状況がよく分からないな。いいとこ見せようと思って先走っちゃったんだろうか。新しい相談役を承認したっていう通知はまだ、珪素カエルからは来てないんだけれど。
ナビをテーブルに戻して、学くんに向き直る。少し申し訳なさそうな様子に、思わず苦笑いが漏れた。そんなに気にしなくてもいいのに。
「いいや。今日の仕事はお仕舞いってことで、飲んじゃおう」
「あれ、何か吹っ切れた?」
「まあね」
新しい相談役とクリスが出張ってるのなら、人形の方は悪いようにはならないだろう。たぶん。
学くんの妄想を聞きながらカレーを食べていたら割と気が晴れたし、いまさら慌てることもない。
「酔い潰れちゃっても襲ったら駄目だからな」
「そんなことしないってば。僕はケイちゃん一筋なんだって、アトちゃんも知ってるくせに」
「冗談だよ」
どうやら下手を打ったらしい同僚は後で迎えに行くとして、その前に黒猫親分を撫で回しに行こうか。我ながらいい考えじゃなかろうか。
黒い毛並みの手触りを思い浮かべていたら、対面の学くんが何故だかほっとした様子で口を開いた。
「でも良かったよ。なんか元気無さそうだったからさ」
「もしかして、それで昼飯に誘ったとか?」
「人助けをするのが仕事だからね」
学くんのくせに、何を気障ったらしいことを言っているのやら。
「それにしたって、随分と安上がりなご機嫌取りじゃないのさ」
「大抵の悩みは美味しいものを食べればどうにかなっちゃうもんだって、どこかの偉い人が言ってたよ」
それはまあ、否定しない。現にこうしてテーブルの上に並べられていく紅茶とデザートを眺めているだけで、気分は上向きになるわけだし。
「支出ばかりじゃ仕事にならないだろうに」
「そこはまあ、将来のお客さんへの先行投資ってことでさ」
そういうことなら、遠慮なく。
とはいうものの、私が卍屋に何か依頼するようなことは、この先も無いような気がするけれど。
損得勘定のできない手水舎学のことだから、どうせ今考えた理由なんだろう。
一時間二千円、パートタイムの便利屋さんには、奢ってもらった昼飯分くらいのお礼をしないと、かな。