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Intro






 浄化月の2日、夜の9時。聖燭祭を終えて、宮廷地の夜は静かだ。

 暗闇に溶けてしまいそうな黒衣の背中が、「いや疲れた」と少し前でぼやく。


「相変わらず短気な方だ。……点火式に出た領主なんて、夕方くらいまでは身体が空かないもんじゃないか? 拝謁は明日にしてゆっくり高等法院でも見て回ろうかと思ってたのに」


 本当に疲れたのだろう、穏やかな声色にも疲労の色が濃い。片手で首を擦りながら、グステンは大袈裟にため息をついて見せた。


「ほんッッと──に疲れました。やっぱり最初に教区に話つけておいて正解でしたね」


 隣を歩くアンドリースも億劫そうに伸びをする。今日一日で重たくなった足を引きずり歩く道の先には、内廷に隣接して建つ修道院教会(クルースターケルク)がある。ホルフェーンでの逗留先として、先んじてアンドリースが手配していた客房棟にとぼとぼ向かっているところだ。


「それはまさしく。これで内廷(ビネンホフ)の客室に通されたりしたら、身が保たなかったな。ありがとう、リース」


 肩が凝って仕方ないといった様子で、片腕を回しながらグステンが答える。


「──大丈夫? 生きてる?」


 宗教画の天使像みたいな紅顔の美少年に覗き込まれて、茫洋と歩いていたコーネリアスはふと我に返った。半ば夢から醒めたような顔で、忌憚ない友人の顔を見返す。


「ああ、うん。疲れた……」




  ⚸




 ホルフェーンの内廷は、代理伯であるクラウディア3世の居館に、司法や会計機構が併設された古い様式の宮廷である。

 パルウェンテに新設されたパッヘルベルクの総督府や、今はシャンツァー領の領都に置かれている聖国連邦政府の宮廷地は、政府機関と居住区が明確に分かれている。宮殿と会計院・高等法院が棟続きになったこのビネンホフの様式は、軽く見積っても300年ほど前のものであるらしい。

 聖燭祭当日である。代理伯とはいえ、ヌーボルニュに代わってこの地を預かるザウスナ家当主には、正午からの点火式への参列義務もある。てっきり接見は翌日になると思っていたところを、午後4時というなんとも中途半端な時間に呼びつけられて、今に至る。

 私邸と公邸が複雑に入り組んだ内殿で、教会領からの使節が通されたのは、ザウスナ家側の区画にある接見室だった。背筋がぴんと伸びた衛視に見守られ、3人でしばし時を待つ。


 ──似合うな。


 何ほどのこともないという顔で、教会衛視の制服を着こなしているアンドリースを、コーネリアスは感心しながら眺めた。漆黒の長衣に短いケープレットがついた巡礼者のマント。胸元に自領の赤白市松を重ねた斜め十字が刺されている。

 儀礼剣ではあるものの、戦闘も可能な細身のレイピアを躊躇いなく()いてみせたのには驚いた。「使えるの?」と聴くと、やはり当たり前の顔で「まさか」と肩をすくめられたものだ。


 ──構え方も憶えてないよ。

 ──必要に駆られるような場面がきたら、

 ──僕はこれをご夫君様に渡して、魔法で応戦するだけ。


 なるほどと思った。全く扱えないと明言する割に、まるで手練れのような顔でしれっと帯剣できるあたり、本当にさすがだ。

 この規模の接見で、使節について入れるのは記録係的な立場の従者と、せいぜい護衛が1人というところだ。もともと本物の護衛がついて入る予定だったところに、グステンが軽く「コーネリアス君もくればいい」と言いだしたことから、自動的にこの3人の配役になった。アンドリース本人も他の随員の面子も、慣れた様子でこの急な配置転換に対応していたので、これくらいの思いつきはよくあることなのかもしれない。よくあること?


 いきなり──目の前の扉が開いた。

 びりびりと腹に響く声が叩きつけるように飛んでくる。


「よく来たな」


 扉を跳ね除けんばかりの勢いで前室に踏み込んできたのは、軍装の貴婦人だった。

 大海原のような緑がかった深い青のジュストコールの端々に、渋い金刺繍が力強く施されている。同色のブリーチズに、ウエストケープのような前合わせのドレープを纏った様式は、将校クラス以上の女性騎士の礼装である。目の醒めるようなアズールのサッシュが、王統に連なる高位貴族であることを堂々と主張している。

 胸には潔く十字章がひとつ。使い込まれた細身の剣を腰に佩いた、非の打ちどころないザウスナ家の武人だ。


「細かいことはいい。入れ」


 カツカツと重い軍靴の音を響かせ、部屋の中ほどまで進み出た騎士は、犬の子でも追うような仕草で、誰何もせず全員を招き入れた。場合によっては帯剣の衛視はここで止められてもやむなしと考え、事前に準備していた側としては拍子抜けするくらい雑駁な対応だ。

 追い立てられるように接見室の長卓の前へ出る。使節を招き入れた女騎士は、正面の主座にどっかりと腰を下ろしながら、傍らに立つ近侍の手に無造作に剣を預けた。「一面識はある」と語っていたグステンの他、年若い2人の随員があることに目を留め、初めて気づいたような顔で鷹揚に客席を示す。


「見ない顔もいるな。ザウスナ家のクラウディアだ。座れ」


 客席は2つあったものの──たまたま──完全に文官か官僚貴族の従僕のような格好をしているコーネリアスは、当然のように壁際の小机の方に通された。見た目は完全に記録係兼補佐なので、妥当な処遇といえる。

 対角線上の壁際には、ホルフェーン側の書記官が小机の前で控えていた。他領のことは言えないが、ずいぶんと若い。同い年くらいではないだろうか。

 扉の前には宮廷付きの騎士が1人、泰然と佇んでいる。心得たもので、アンドリースはいかにも衛視らしくグステンの背後の壁際に立った。必要に応じて多彩な仮面を使いこなす、本当に優秀な人だと思う。


「それにしても」


 主座の高い背もたれに身を預け腕組みをしたクラウディアは、沢鵟(ちゅうひ)のような鋭い金眼をじろりと対面の男に向けた。ひと針ひと針錦糸で刺したように見事な眉が強い意志を感じさせる、強靭で華やかな美女だ。角度によって様々な色が薄く乗って見える、真珠に似た白金の美しい髪を邪魔そうにかき上げ、端正な鼻梁を嫌そうに歪める。


「あの信心の欠片もなかった男が教会の司直とはな。その黒服、似合っているのがまた気色悪い」


 率直といえば聞こえはいいが、ずいぶんと無遠慮な物言いだ。グステンは──はは、と声を上げて笑って、


領都(ローツェン)の宮仕えでは、実質禁色でしたからね」


 と、言った。







Intro/天気輪


時系列的にこの続き

https://ncode.syosetu.com/n7462km/126/

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