Kitchen Fan Lullaby
いろいろ考えて、新章にしました!
前の章の名前も少し変更
書いてみないと章タイトルが固まらないまである…
ふとした物音で目を覚ました。
薪の崩れ落ちた音かもしれないし、風に煽られた小枝のひとつ、窓に当たる音だったのかもしれない。
いずれにしろ──ハリエットは領主館の私室で目を覚ました。三日火の夜番から、明けて当日の聖燭祭本番までずっと気を張っていたから、その後の沐浴ではついうとうとして、溺れそうになったことは侍従長には内緒だ。リラが用意してくれた蜂蜜酒を少し飲んだきり、そのままコテンと眠ってしまった。
ゆっくり身を起こすと、その場でうーんと伸びをする。やりきった感がすごい。
低地諸邦に古くから伝わる箱型寝台は、多くがニッチのように壁をくり抜いて造りつけた両開きのクローゼットのような構造になっている。ちょっとした隠れ家のような寝所には小さな書棚もあり、ひとたび外に出れば否応なく耳目を集めるハリエットのような聖女にとって、人心地つける貴重な場所だ。
壁龕の燭台に火をつけて、畳まれた号外を広げる。目の粗い紙に転写された聖燭祭の聖槍や民衆の表情は、贅沢なことに色つきの版だった。この手の撮って出しのタブロイドにしては、破格の仕上がりである。
ふふ、と、小さく笑いがこぼれた。昨日の午後、母や師とともに魔女の館から引き上げていった友人たちは、去り際に真面目くさった顔で、
──印象操作してくるわ。
と、言った。
タブロイド紙をはじめとする娯楽媒体にとって、トレンレーツ商会のような大興行主は大口のパトロンである。なんでも言いなりに書いてくれるわけではないれけど、面白いネタを持ち込めばいいように料理してくれるのだと言っていた。周辺の諸邦、こと民衆の熱烈な支持を集めた構図を先に流布しておけば、市井の顔色を意外なほど気にしている教会中枢への強い牽制になるだろう。
明日にはカタリナが父政務官の学友である市参事を訪ね、「世間話」として話した儀式の様子がクオリティペーパーの一面を飾るのだそうだ。箱入りの仔犬のような顔をして、相変わらず見事な根回しの手腕である。ほんと、持つべきものは事情通の友人。
ざら紙を元通りたたみ、寝台の背に造りつけられた小さな書棚に戻す。カーテンを開けると、暗い部屋に暖炉の炭が赤々と燃えているのが見えた。熾火の匂いが、換気口を通り抜けてくる夜気に乗って鼻腔をくすぐる。衣擦れのように乾いた、微かな風切り音。
寝台の脇に、背の高い小卓がそっと佇んでいた。目を覚ました時食べられるように、簡単な軽食が支度されている。見慣れない石製の盆。蓋つきの片手鍋、小さな素焼きの酒壺と錫杯。デザートと思しき小鉢は、保温のためか手編みの帽子がかぶせてある。
ふっと笑みがこぼれた。こういう遊び心は、堅物の侍従長よりリラの心尽くしかもしれないと思う。かわいい。
鍋の蓋を空けると、レモンバームの香りが湯気とともにふわっとたちのぼった。蓋も把手も充分に余熱を帯びて、まるでできたてのように温かい。
──これは……何?
状態固定の魔法が効いているとも思えないけれど。不思議に思いながら手にとったスプーンも、ほんのり温もっていることに気づいた。
器全体が──熱を持っている?
食器類が載せられた盆をしげしげと眺めた。見たところ何の変哲もない、石灰質の石を削り出しただけの、何の変哲もない盆に見える。
知らない技術だった。薄暗い部屋の中で、素早く鑑定のルーンを書く。すぐに魔法に頼らず一度は検討してみなさいと、師匠には口をすっぱくして言われていたけれど、今日のところはさすがに、疲れきっているから許してほしい。
「……玄武石」
指先を伝わってきた識別情報に、完全に意表を突かれた。思わず声に出して読み上げる。
玄武石──火山由来の特殊魔石。石齢は8年。主に湯舟の保温や冬の野営の簡易暖房に使われる恒温生物だ。耐久年数は長く、だいたい5、6年で熱を放たなくなり熱器具としての役目を終える──。
「──おいしい……」
とろみのある白いスープの具は蕪だった。程よい塩気に柑橘の香りが混じり、喉の奥を抜けていく。ため息のような声が、少女の薄い唇をすり抜けぽつりと落ちた。蓋を開けてしばらく経った今も、スープはまだ充分に温かい。温水による床暖房や大浴場など、玄武石の利用が他領より盛んなへーゼ領育ちにも初耳だけれど──老いた玄武石には、能動的な発熱をやめてなお、強い保温効果があるということなのかもしれない。
「会いたいなあ」
声に出してみると、言葉どおりの気持ちがどっと押し寄せた。こんなものまで作っていたと聞いたことはないけれど、きっとコーネリアスの魔道具だと思う。彼のことだから、まだ生きている魔石が廃棄されるのを、ずっと忍びなく思っていたのかもしれない。原材料から設計思想まで、ただ優しさにあふれている。「熱は保てるんだけど、冷気は保てないんだよな」と、完全に納得していないことをつけ加える姿まで見えるようだ。
ちょっとだけ泣きそうになった。まだたった3日なのに、傍にいないことが本当にさびしい。ほんのふた月前まで、当たり前のように違う場所に帰っていたことがもう信じられない。
でも──思ったより平気だ。色んな人に助けてもらって、彼がいなくても戦えた。大切な人だから、依存したくない。
寝台の書架から、分厚い地図本を取り出して開いてみる。厳しい革張りの、周辺地理や街道・宿場・関所などを整理した実用書だ。エルトゥヒト州から南西に伸びる経済圏を集約したページには、隣接するホルフェーン伯領にいたる主要な経路がまとめられている。
確か──転移門などの短縮手段は特に使わず、ヘーゼから正式な使節を派遣したことを知らしめるため、主要な街道を通っていくのだと父に聞いている。ホルフェーンの側からしたら内々に済ませたい話ではあるのだろうが、そこまでの譲歩はしない、と。
ヘーゼの市街地からほとんど一本道を西へまっすぐ進み、陶器とビール交易の宿場町アウデで一泊したのち、そのまま道なりに北海沿岸まで抜けた先にあるホルフェーンの宮廷地へ向かう──のだったか。3日前の昼過ぎに領主館を発った一団は今頃、あの辺り一帯の治世を一任されたクラウディア3世と、一両日程度に及ぶ折衝を繰り広げているはずだ。
──お父様のことだから、心配はいらないだろうけど。
端々の少し掠れた地図を指で撫でた。2色刷りの贅沢な中域地図。友人たちが画策したという新聞は、彼らのもとまで届くだろうか。
エルトゥヒト─アウデ─エーラフガング
玄武石初出回
https://ncode.syosetu.com/n7462km/43




