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物を語る


 藤原香織はとびぃ菜の証言により逮捕され、美汐の殺害を自白したらしい。衝動的な犯行に、罪の意識が耐えられなかったようだ。


 とびぃ菜らに日常が戻り、一時はワイドショーを賑わしていた文豪の妻による殺人事件も下火になった。そんな晩冬のある日。


「よく来てくれたね、とびぃ菜君」


 とびぃ菜はとあるマンションを訪れていた。一人でだ。相手に害意がないのは、物語を読み取っているので『知って』いる。大きな事件があったために顔が変わり、『物語』も変化を始めてはいたが、それは彼の危険性にはなんの関係もないことだった。


「引っ越されたんですね、菅原先生」


 菅原天士。本名は藤原悟ではあるが、未だにとびぃ菜は菅原と呼んでいる。ペンネームの方が呼びやすいというのはとびぃ菜の個人的な能力によるものなのか、それとも物書き業界の通例なのか判然としない。


「あぁ、前の家は手入れが大変なんだ。私一人が掃除して、その上家事育児までするとなると、到底手が足りない。……妻は、よくやってくれていたと思うよ」


 菅原自身の格好も変わっていた。それまでは背広や和服を着ていそうな人物だったのに、今では非常に軽装だ。そしてお茶を出すのも御大だった。


「あ、えぇと、すみません……」


 とりあえず口の中でもごもご言いつつ、目の前に置かれたマグカップになんとなく触れる。そもそもここは客間ではない。リビングダイニングである。テレビのある大きめの部屋の一角におもちゃを片付けるおもちゃ箱があり、そこから離れた場所に食事用と思われる机と椅子のセットがあるのだ。四人ほどが座れるようになっているが、セットされているのは大人用の椅子が二つと、子供用の椅子が一つだけ。キッチンが見えるような造りになっていて、ダイニング机とキッチンの境目の床には自動掃除機が置いてあった。


「君に礼を言おうと思っていたんだ。それなのにこれほど遅くなってしまってすまない。妻の、香織のことだ。礼と、謝罪を。彼女を止めてくれて感謝する。それと同時に、彼女が君を害そうとしたことを謝罪する。許せと言うつもりはないけれど、彼女のしたことが自分勝手な罪だったと思っている、その表明だ」


「はぁ」


 とびぃ菜は曖昧に笑った。とびぃ菜は生きている。助けてくれる人がいて、助けがくるまで耐えられたから。けれど、そうではなかった娘がいた。それを思えば、『生きているから気にしていません』と言うことはできない。菅原は、加害者の夫であると同時に、被害者の父でもあるのだ。どう声をかけるのが正解かなど、とびぃ菜に分かるはずもない。


「引っ越す時に、家の整頓をした。その時に、娘の本棚の奥から、小説が出てきたんだ。少女らしい恋愛小説だった」


 とびぃ菜は反応に迷った。たとえば、である。自分の死後に自分が秘蔵にしていたちょっと後ろめたい本を、家族に見られたいだろうか。とびぃ菜は否である。それが文豪である父親だとしたらなおさらだ。


「あの子は、あんなふわふわとした砂糖菓子みたいな小説が好きなのだと、初めて知ったよ」

 少しだけ安堵の息をつく。この反応では、恐らくTL小説ではなさそうである。まぁそうだろう。だって高校生だもん。


「君の本もあった」

「ぶふぉぉぉっっっ」


 別にお茶を飲んでいたわけでもなかったが、噤んでいた口から唾が飛び散る勢いで声が出た。そうだ、高校三年生は十八歳だった。


「十八歳未満禁止だから、美汐はようやく制限もとけたと喜んで購入したのではないだろうか」

「ぐはっげごっ」

 慌ててとびぃ菜は目の前に置かれていた紅茶に手を伸ばした。淹れたての紅茶は熱かった。


「娘がどうしてそれを好んだのかと思って読んでみたのだが……」

「すんません、もう無理なんで勘弁してください」


 別に己の作品を恥じてはいない。が、それとこれとは話が別である。己の性癖を叩き込んだ作品を平静に語ってほしくはない。いや、こんな文豪に熱く語られても困るのだが。


「確かに私には理解が困難な世界ではあったが、娘が好きなのも分かる。なんというか……世界が、煌びやかだ」

「…………」


 とびぃ菜は沈黙を守った。なんかええ感じに誤解してくれへんかなぁとも思っている。


「私はてっきり、美汐は玲子君が書くような小説が好きなのかと思っていたのだ。人生に対して真面目で、真摯に取り組んでいる、素晴らしい作品だからだ。だがそうではなかった。娘が読みたがっていたのは、もっと夢幻的で、煌びやかな空想の世界だった」


「…………」


 非常に居たたまれない。おかしい。礼と謝罪を受け取りに来たはずなのに、激しい羞恥プレイを強要されているような気がする。


「私は、美汐を分かっていなかった。美汐だけではない。香織もだ。妻が何に悩んでいるのかにさえ、気づいてはいなかった。家族内の関係に悩んでいた香織が、あんな衝動的な行動に出るほど苦悩していたことを、欠片も気づいてやることができなかった。私達は夫婦だったのに」


 はぁ、と菅原から重いため息が零れた。


「……実を言うと、香織が逮捕された時、私はまず最初にこう思ったのだよ。『蓮のことはどうするのだ』と。蓮のこと、育児や家事。それらをどうするのだと。そう思ってから私は初めて、私がそれらになんの主体性も持たず、ほんの少し協力するだけで父親面をしていたことに気づいたのだ。蓮の好みの味付けも知らなければ、蓮がいつ眠っていつ起きるのが最適なのか、いつ入浴すべきなのかも分かってはいなかった。何が父親なものか。私は香織の温情で、家族に混ぜてもらっていただけの、客人だったのだ。そのことを、気づかせてもらえて感謝している。そして私に父親としてやり直せる機会があることにも、感謝している。美汐にはしてやれなかったことだけが心残りだが……」


 菅原は切なそうに微笑った。


「あの、香織さんはどうされるんですか?」

 ワイドショーでは離婚秒読みと言われていた二人だった。懲役刑が決まったらしい香織を、菅原はどうするつもりでいるのか。


「どう、というのは、離婚するかどうか、ということかね? 離婚するつもりはない。彼女が刑期を終えて出てくる時、彼女が一人で暮らしていけるとは思えない。彼女さえよければ婚姻関係を継続させるし、彼女が嫌がるのならば生活の援助に留めるだろう。大きくなった蓮と会わせてやりたいとも思っている。もちろん、今の蓮には会わせられないが……」


 幼稚園児には、母親が罪を犯したために会えないという物語は辛すぎるだろう。何らかのねつ造をしているのだろうな、ととびぃ菜は思った。


 つまり、この家族の物語は、破壊的なラストを迎えている、というわけではないのだ。菅原はこれからの人生に真摯に向き合おうとしている。そのことが彼の家族によい影響を与えないわけがない。だから、問題は美汐である。


「あの……」

 ついにとびぃ菜は重い口を開いた。これまでの流れがあるからこそようやく開けた口でもある。だが、重いことに変わりはない。


「なんだね?」

「お願いが……あるんです、けど……」


 非常に言いづらい。というかむしろ、許可なんて不要だとも思う。勝手に書けばええやん、バレなきゃええんや、という気持ちもふんだんにある。それでも口にしようと思ったのは、菅原のこれまでの言葉に後押しされたからでもあった。


「断ることはないと思うが、聞こう」

 とびぃ菜はちょうどよい温度になった紅茶で喉を潤してから、菅原の手元を睨みつけて一気に話した。


「美汐さんをモデルにTL小説書かせてください!」

 睨む。沈黙が落ちてもまだ睨む。


「とびぃ菜君……」

「はい」

 返事をしつつも、菅原の手元から目を離しはしない。


「TL小説とは、何かね」

「――そこかい」

 ガクッと肩を揺らしつつ、小声で突っ込んでからとびぃ菜は目を上げた。


「菅原先生が読まれたような、成人向け要素を含む恋愛小説のことで、ティーンズラブというのが正式な名称です。私が今まで書いてきたメインのジャンルでもあります。そのヒロインのモデルを、美汐さんにしたいんです。事件にあって亡くなったヒロインが転生して、素敵な恋愛をして結婚をするというお話を、書きたいんです」


 震える手でプロットを取り出す。内容は、ありふれていると言ってもいいだろう。それほど突飛な流れではない。けれど女子が夢見るような、キラキラした世界を書ける自信はあった。素晴らしくイケメンなのに一途という、女性向けならではの現実離れしたヒーローをカッコ良く書ける自信もある。くっさい台詞の連発なんてお手の物である。


「美汐さんの人生を、ハッピーエンドにしたいんです」


 震えながら差し出したプロットを、菅原は黙って受け取った。そのまま静かにプロットを読み始める。視線が上から下に、再び上から下にと移動する。とびぃ菜はそれを無心で眺めた。

 やがて菅原は紙を机に置いた。眼鏡を外し、目頭を押さえる。


「……いいよ。お願いする。美汐を、幸せにしてやってくれ」

 とびぃ菜はへにゃりと微笑んだ。


「はい、必ず」

「あと、公爵ではなく王子にしなさい。美汐がモデルなんだから」

「……あ~、はい」


「それから、遊び人が一途になるという設定は悪くはないが、そんな男に美汐を任せるつもりはない。もっと堅実な男の方が望ましい」

「えぇと……」

「堅実であっても軍人はいかんぞ。将軍とかはやめてほしい。それから……その、成人向け描写は必須なのだろうか」

 とびぃ菜は予想通りの指摘を受けて腹に力を込めた。


「それは、要ります」

「どうしてだね。恋愛小説としてでも、この話は通用するのではないかね」

 通用するかもしれない。成人向け描写――エロは、不要かもしれない。だが。


「私が書くヒーローは、現実離れした男性です。有能で美形で、さらに地位も権力もある。そんな男性が一途に愛情を捧げるんです。そうなったらそこには、リアリティが不足すると思うんです」


「リアリティが不足するからそういった描写が必要ということかね?」


「はい。普段のヒーローとのギャップが生まれることでようやく、読者はヒーローの息遣いを感じることができると思うんです。彼が生きていて、ヒロインを心から愛しているという現実味を感じることができるんだと、私はそう思っているんです」


 とびぃ菜はじっと菅原を見た。菅原は難しい顔をして考え込んでいる。


「愛されているリアリティがあるからこそ、読者の中で美汐さんは生き続けることができると思うんです。私の力では、そういう描写のない恋愛小説では美汐さんを生かしてあげることができないと思います」

「美汐を、生かす……」


「はい。彼女がハッピーエンドを迎えて笑っているそのままで読者の中に残してあげるには、成人向け描写は必須だと思っています」

「……なるほど……」

 菅原は悩んでいる様子だった。五分かそれ以上の時間黙りこくり、やがて顔を上げた。


「分かった。君がどうしてもと言うならばそれが正しいのだろう。だが、その……あまりに変態的な描写は……」

 菅原の頬が赤い。つられて赤面しつつとびぃ菜は言葉を被せた。


「そ、それは当然常識の範囲内の、キスよりちょっと濃い目の描写に留めるつもりですっ!」

「そ、そうか……キスより濃い目……な、なるほど……」


 なんでこんな話題なんだと己を責めつつ、とびぃ菜は何度も頷いた。ちなみにキスより濃い目というレベルが一致している保証は、どこにもない。


「分かった。君の思うように、美汐を幸せにしてやってくれ。あの子の笑顔を、もう一度見たい」

 とびぃ菜はしっかりと菅原の目を見て頷いた。


「はい……はい。善処します、菅原先生」

 これは渾身の力で、現実には存在し得ないイケメンを書かねばなるまい。道頓堀とびぃ菜、入魂の力作になりそうであった。





 バイトを終え、文の里の自宅に戻って扉を閉め、鍵をかける。それからキッチンで手を洗い、廊下を通って二間ある部屋の、パソコンが置いてある方に入って暖房をつける。暖房が効いてきてからようやくコートを脱ぎ、パソコンの電源を入れる。執筆ソフトが立ち上がり、これまで書いた文章が表示される。


「さて、いよいよここまで来たな」


 とある事件で命を落とした女子高生が、異世界の貴族令嬢として生まれかわる。令嬢には前世の記憶があり、現代日本での豊かなスイーツレシピといった知識を持っている。家族に愛され、長じてからはその国の王子に恋されるが、前世で家族から愛された自覚のなかった令嬢は、愛に消極的だ。自分なんて、と身を引こうとする令嬢を、心からの愛で包んで求婚し、ついに令嬢もそれを受け入れて結婚前のフライング的な情事になだれ込もうとする直前まで書いてある。


 ここからが、TL小説家たるとびぃ菜の腕の見せ所である。どうやって抱くか、が重要なテーマだ。現実離れした理想の王子様にリアリティを持たせる作業が、このエロというシーンの最重要課題である。これまで紳士然としていた端正なイケメンが、恋情を元にどうやってヒロインと結ばれるか。そこに多様性が出るし、ヒーロー達の心情が表れる――と、思っている。


「やっぱりリチャードのエロでは必死感が要るよな」


 穏やかで理性的なリチャードが、何者にも奪われないよう、必死に抱きしめて囲い込むように抱く、というのが彼らしいエロだと思う。キスより濃い目、という制限はあるが、エロエロしい空気感があれば案外どうとでもなるものだ。


 とびぃ菜はキーボードを打ち始める。不幸にして命を奪われた娘が、幸せに愛される。彼女はこの世界では死んだけれど、転生した先ではその生を全うする。


 物を、語る。


 そうあれかしと、物を語ることが物語の原点ではないだろうか。だからとびぃ菜は語る。


 あの日、とびぃ菜は生還した。けれど生還できなかった美汐は、どれほど恐ろしかったことだろう。信じていたはずだ。殺されるほど憎まれているなんて、思ってもいなかっただろう。その恐ろしさ悲しさを抱いて、地面に叩きつけられた美汐。


 とびぃ菜はキーボードを叩く。今書いているこの未来が、彼女の未来を示す予言になれかしと祈り、愛され満たされた未来を書き続ける。死者を送り、祝福するための物語を。







菅原天士

事件後、『爺の育児日記』というコラムを新聞に掲載し、その育児に奮闘する様子が大ヒットする予定。文庫化したコラムを、刑務所に献本している。息子がちょっとずつ成長していくのを、香織さんも大切に読んでいる。育児日記は蓮君が小学校三年生くらいで連載終了し、その後の続きはたった一人のため、一冊だけ同人本化。




最後までお読みくださってありがとうございました!

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