混沌
短いです。
「ここは危険よ。着いてきて」
シェイラはクレアに声を掛けた。彼女は黒い髪をシルクハットに押し込み、黒いスーツを纏って一見すると細身の男性にしか見えないが、何度か対峙しているクレアには、目の前の人物がシェイラだとすぐにわかった。
「待って。貴女を信用してもよい証拠はあるの?貴女はまたわたしを攫おうとしているのではないかと疑ってしまうわ」
「そんな悠長な事を言っている時間は無いの。わたしは自由と父の名誉の回復と引き換えに貴女達の身を守ると約束したわ。
貴女の面倒臭い保護者達を黙らせるためには、貴女や辺境伯夫人の髪の毛一本でも損なうわけにはいかないのよ」
クレアは一瞬躊躇したが、ホール内部に広がる煙に危機感を感じて、シェイラの提案に乗ることにした。マリアンの手を握りしめて、大丈夫ですよ、必ず閣下が助けに来てくださいますから、と安心させるように小声で囁いた。
(彼女をどこまで信用してよいかわからない。気を抜いては駄目よ)
クレアとマリアンはシェイラの後をついて進んだ。
ホール内は煙に巻かれて視界が狭まっている。客達は扉の外へと逃げようとしているが、シェイラが2人を連れて行こうとするのは、ホールの片隅で、衝立に隠された裏には小さな隠し扉があった。
「ここは給仕用の緊急出入り口なのよ。ほら、我儘を言う馬鹿な貴族っているでしょう?そいつらに対応する為に作られているの。さあ、入って」
「まさかと思うけど転移陣があるとかじゃないでしょうね?」
「あら、鋭いのね」
シェイラに続いて扉をくぐり抜けた瞬間、クレアは空間が歪むのを感じた。眩暈がする。しかし、マリアンを守らねばならない。マリアンを抱きしめていたのはほんの数秒だろうか、ふと身体に感じた圧迫感から解放されて周囲を見ると、そこは良く知った場所だった。
バタバタと使用人達が走ってくる音が聞こえてくる。
「奥様!クレア様!」
そこは、王都のランバート辺境伯のタウンハウスだった。
*
「じゃあ、わたしは行くわね。あちらでは今頃大変なことになっている筈だから。最後まで見届けないと」
「待って!わたしも連れて行って欲しい」
「……無事に帰ってきたのに何を言ってるのかしら。辺境伯との契約は、レディ2人を無事に屋敷に送り届けることなの。それを反故にすれば報奨金が貰えないのよね」
シェイラは困った様子で言い放った。
「お金?わかったわ。わたしに出来るだけの額を払う。だからっ!」
クレアは最後まで言う事が出来なかった。近寄ってきたシェイラに顎を持ち上げられたのだ。
「貴女、本気?死ぬかもしれないのよ」
「これから真実が暴かれるのでしょう?ファインズの両親と、それからわたしをこの世に産んでくれたアリア王太子妃様、いえ、お母様の死の真相を知りたいのよ!」
シェイラの黒い瞳と、クレアの赤い瞳が見つめあったのは一瞬。
「ほんと、厄介なお嬢さんよね、貴女って。
貴女がどうなろうとわたしには関係ないけれど、恨まれるのは困るわ」
「大丈夫よ。死なないから」
クレアは微笑み、手に手を取り合った娘2人は、再び転移陣の中に吸い込まれていった。
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