追いかけてきた男
クレアとレスターは向かいあって座っていた。
ユーイン団長が、君たちは話し合う必要がある、と言って、2人を団長の執務室にそのまま残したのだ。もっとも2人きりではなく、侍女のマリアン嬢が2人の会話が聞こえるか聞こえないかの位置に控えている。
ところがそのマリアンが、「わたくしは控え室に待機いたしますね。アトキンズ様はご無体な事はされませんでしょうから。」と、隣室へと移動してしまい、ふたりきりになってしまった。
気まずい沈黙の時間が、ただ過ぎてゆく。クレアはメイドとしての仕事が気になって仕方ないので、意を決して話を進めることにした。
「あの、、、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
レスターは頷いた。
「アトキンズ伯爵家へはいつ?」
「ああ、君と婚約解消になってすぐだ。元々エヴァンズ家には嫡男がいるから、君のファインズ伯爵家へ婿入りする事になっていた。その為の婚約だった。
その婚約が無くなったので、アトキンズ家へ養子という形で入った。」
「さようでございましたか。」
「アトキンズ家にはひとり娘がいて、義理の妹なのだが、いずれは彼女と結婚して伯爵家を継ぐみたいだがな。」
(え、何だか他人事じゃない?)
レスターは居住まいを正して、クレアを真っ直ぐに見据えている。
「俺は、一方的に婚約破棄してきた元婚約者を探していた。そしてようやく見つけた。」
*
クレアは困惑している。
責めるようなじっとりした目で自分を見つめている男、黒髪で濃紺の瞳に整った顔立ち、均整のとれたすらりとした身体付きの男に見据えられて、困惑していた。
「クレア嬢、どうして婚約解消したんだ?何故俺を頼ってくれなかった?あの頃の俺では頼りないのはわかるが、ひと言も言わずに消えるのは不誠実ではないのか?」
「お待ちください。婚約解消ではなくて、エヴァンズ伯爵様から破棄されたのです。
エヴァンズ伯爵様は、爵位返上の手続きを手助けしてくださいましたが、後見人になるとは仰ってくれませんでした。
その後すぐに婚約破棄の通知が届きました。理由はわたしが平民になったから、だそうです。
どこにわたしが責められる理由があるのでしょうか?」
レスターは黙って聞いていた。
「しかし、君は俺からの手紙に一度も返事をくれなかった。」
「親が決めた政略的な婚約でしたわね。わたしだって…貴方様から手紙の一通も頂いたことがございませんでした。」
「……俺は君に手紙と、それから季節ごとに花を贈ったが、お礼の手紙すら来なかった。」
「いえ、10歳でお会いしたあの日以来、全く何も受け取ってはおりません。」
「変だな。母上に言われてクレア嬢に月に一度は手紙を書いていたのだ。まさか届いていないと?」
「わたしもアトキンズ様の誕生日にはカードをお送り致しましたわ。庭のお花を押し花にして作った栞も一緒に。」
「……受け取っていない。」
クレアとレスターは、初めて知る事実に言葉が出ない。
どうやらお互い送っていた筈の手紙は、彼らの手元には届かなかったようだ。その理由は今となってはわからないが、何らかの意図があって、手紙のやりとりが妨害されていたようである。
「そうか。理由はわからないが手紙は届かなかったんだな。そして、君からの手紙も受け取る事が出来なかった。
ははっ!そうか、俺は嫌われていたわけではなかったか。」
「嫌うも何も、貴方様の事をほとんど知らないのです。
それでも両親の事故の後、何も告げずに消えたことは責められても仕方ない事でした。申し訳ございませんでした。
どうぞ、アトキンズ様の気が済むように罰してくださいませ。」
クレアは立ち上がり深々と頭を下げた。貴族の騎士に対して何か失礼はなかっただろうかと、不安になってきたのである。
「済まない。」
レスターは、一方的に婚約を解消して消えてしまった、謎の元婚約者を探していたことが急に恥ずかしくなった。
未練があったわけではないのだ。ただ、あまりにも自分に興味がない娘に、文句のひとつでも言いたかっただけなのだ。
そして騎士として王都の街中を警備中に、たまたま助けた女性がクレアの乳母、マーサだったのである。
レスターはマーサを知らなかったが、マーサの方はレスターの顔を覚えていた。そして、ついうっかりエヴァンズ様と、つぶやいてしまったのだ。
そこからは早かった。エヴァンズ家の名前が出た事が気になったレスターは、何故それを知っている?とマーサを問い詰めた。
マーサもまた、一向に里帰りして来ないクレアが心配で堪らず、ただ元婚約者だったというだけのレスターに、クレアの現状を喋ってしまったのである。
*
「アトキンズ様が辺境騎士団に慣れるまでの間、お世話をさせていただきますが、今後はこういう形で話すことはご容赦願います。」
「そうだな。悪かった。」
「いえ、こちらこそ、生意気なことを申し上げてしまいました。ご容赦くださいませ。」
クレアは頭を下げると、ではと言って戻ろうとしたが
「クレア嬢!」
「はい。まだ何か?」
「君はもう結婚しているのか?それとも決まった相手がいるとか?」
クレアは何を馬鹿げた事を聞くのだと言いたいところを、ぐっと我慢した。
「この騎士団のメイドになって8年になりました。生きていく為に必死で、結婚など考えたこともございません。」
「つまりクレア嬢は独身という事か。」
頷いて部屋を辞したクレアだが、(何よ、失礼じゃない?行き遅れとでも言いたかったのかしら。)と思った。
本当に交流が無かったので、レスターの事を思い出す事もなかったが、10歳の頃、初めて会った少年に胸がときめいたのは覚えている。
それでも今のレスター・アトキンズは、平民となった自分とは済む世界の違う人なのだ。アトキンズ家へ養子に行ったという事は、ゆくゆくはそこのご令嬢と結ばれるという事なのだ。
(とりあえず仕事なのだから、しばらく補佐役についたら解放してもらおう。アトキンズ様もすぐに気が済むはずだわ。)
そんな事を呑気に考えるクレアだった。
一方、ひとり執務室に残されたレスターは、隣室に控えるマリアンに声をかけた。
「明日から彼女を世話役につけて貰います。メイドの仕事はせずに、直接副団長室へ来るように伝えておいて欲しい。
ああ、衣裳はメイド服のままで良いので。」
マリアンは、承知いたしましたわと返事をした後で、
「アトキンズ副団長がドレスを贈られてはいかがです?」と、魅力的な提案をしてくれたのだった。
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