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逃亡と挑発

 地下の独房でステファンと向き合ったいたシェイラが見たのは、流れる赤い血だった。


 護衛がシェイラを切る寸前に、気配に気付いていたステファンがシェイラを突き飛ばし、対象を見失った護衛の剣はステファンの腕を切った。主に害を成した事に一瞬怯んだ護衛を、ステファンは思い切り蹴飛ばす。


「何をするつもりだ?」

 ゾッとするほどの低い声で護衛を問い詰めるステファンの左腕からは血が流れている。


 護衛の男は奥歯を噛み締めて、仕込んでいた即効性の毒をあおった。ステファンの目の前で男は倒れ込んだ。


「ステファン様っ!血が……」

 シェイラは真っ青な顔でステファンに近寄った。傷を確認すると、粗末なベッドからカバーを外して引き裂いてステファンの左腕を縛った。


「早く!医者を呼んで診てもらって。毒が塗ってあるかもしれない。」


 ステファンは黙ってシェイラの手を取った。


「シェイラ、君がどんな秘密を抱えているのか俺に教える気があるなら、逃げろ、そして生きろ。」

 シェイラは驚きで目を見開いた。


 懐から小さな袋を取り出したステファンはそれをシェイラに渡した。

「金と連絡先が入ってる。信頼できる者を手配してある。身を隠せ。どうやら君は大公家(うち)以外からも狙われているらしい。」


 驚きに目を見張るシェイラだったが、素直にステファンの言葉に従う事にして、その場から逃げ出したのだった。



 クレアとマリアンは王都見学と称して、街歩きを楽しんでいた。付き添うのはレスターと護衛騎士2名、そして侍女のソニアである。ソニアは王都出身なのでとても良い案内人だ。


 もともと王都に住んでいたクレアにとっては懐かしい場所も、辺境出身のマリアンにとってはどこも珍しく、行く先々で足を止め買い物をして、漸く歩き疲れた身体を休める為に入ったカフェでのことだった。


「あら、クレア様ではなくて?」


 声をかけて来たのは、レスターの兄マイケルの妻、セリーナだった。

 ゴールディング大公家の夜会で失敗してしまったセリーナは、早々に退場させられた。その後の噂を聞かないので、離縁される事もなくエヴァンズ家の嫁を務めているのだろう。


「義姉殿。何かご用か?」

 レスターがクレアとセリーナの間にすっと割って入った。

「いえね、姿をお見かけしたものですから。」


 セリーナは辺境伯夫人であるマリアンに丁寧な挨拶をすると、気を利かせたマリアンが、自分は先に帰るが、クレアとレスターは2人でごゆっくりどうぞと勧めてくれた。

 セリーナは近くでその様子をじっと見ていた。


「せっかくですもの。クレア様、我が家にいらっしゃいませんこと?お義父様も喜びますわ。」


 その言葉に嘘は感じられない。夜会ではあれほどクレアをこき下ろしたセリーナだが、意外と良い人なのかもしれないとクレアは思いかけたが、レスターは渋い顔をして首を横に振った。


「あら、狭量な人ね。貴方の実家なのに、愛しい女性を連れてくるのを躊躇うのは何故かしら?何か都合の悪い事でも?」


「そうですわね。レスター様、せっかくお誘いくださったセリーナ様に失礼ですよ。それにエヴァンズ伯爵がいらっしゃるのなら是非ともお会いしたいです。」


「ほらね、レスター。貴方、頑固なのよ。

 ではクレア様、うちの馬車を待たせてるのでどうぞいらして。」




 エヴァンズ伯爵家は王都の中心から少し外れたところにあり、馬車では1時間ほどの距離になる。

 

 クレアは婚約が整った時に一度だけ屋敷を訪れた事があるが、あまり覚えてはいない。レスターも17の歳にアトキンズ家に養子にやられた後は、寄り付く事もなかった。


 久しぶりに訪れた実家は飾り気のない質素な佇まいで、レスターの亡くなった母親が見立てた調度品は姿を消してしまっていた。


(なんの温かみもない無機質なこの屋敷を見たら、母上は泣くだろうな。)


 クレアとレスターは応接室へと案内された。セリーナが、直ぐに戻ると言い残して部屋を出ると、執事とメイドがお茶を運んできた。

 レスターを子どもの頃から知る執事は、嬉しそうである。

実にご立派になられた、と感慨深げな執事に

「父上、兄上はご在宅なのか?」とレスターは尋ねた。


「旦那様は王城ですが、そろそろお戻りになられるかと。マイケル様は10日ほど仕事でお留守でございます。」


「そうか、兄上は忙しくしているのだな。

 それで、義姉上はずっとこの屋敷で、おとなしくしているのか?」


 執事の顔色が若干青くなった気がする。

「昼間はほとんどいらっしゃいません。どちらへお出かけか私共は存じ上げません。侍女も付けずに出かけてしまわれますので。」


「野放しだな。」


「あら、野放しの何処が悪くて?レスターに迷惑をかけてはいないでしょう?」

 先ほどより露出の多いドレスに着替えたセリーナが応接室に入ってきた。きつい香水の香りにクレアは咽せ返りそうになる。


「お前たち、もういいわよ。お義父様がお戻りになるまで、わたくしがこの人たちのお相手をするから。」




 セリーナは値踏みをするように目を細めて、クレアを眺めている。


(居心地が悪いわ。)


「クレア様はどうしてご結婚なさらないの?」

 セリーナは取り繕いもせず、ずけずけと、棘のある言葉を投げつけてきた。淑女としてあるまじき態度だ。


「ご縁がなく婚約者もおりませんの。この先も独り身の予定ですわ。」

 クレアは内心憤慨していたが、この歳で未婚なのは事実なので、心を鎮めて笑顔で答えた。


「まあ、そうですの。わたくしはてっきり、うちの義弟レスターと良い仲で、再び婚約をして、元の鞘に収まるのかと思っていましたわ。レスターは有望株ですものね。この人が欲しい女性はおおいのに、うまくやったわね。」


「義姉上、クレア嬢に失礼な事を言う様なら、俺にも考えがある。」


 レスターの険悪な表情を無視してセリーナは楽しげに話を続けた。


「わたくしね、貴族学院で憧れの人がいたのよ。その方に何度もアピールしたけど、全く見向きもされなかった。借金を抱える男爵家の娘だから相手にされないと思ったのよ。

 それで悔しいから、その方のお兄様と結婚したの。そう、貴方の兄のマイケルと。

 世界で一番好きな人とは結ばれないと言うでしょう?」


 セリーナの発言にクレアは言葉を失った。


(レスターが好きだけど相手にしてくれないから、マイケル様と結婚したと?何を言ってるの、この人は?)


 思わずレスターを見れば、憎々しげな表情でセリーナを睨みつけていた。


「今の発言、兄上に報告する。もちろん父上にも。

 どのような理由であれ、兄上を大事に出来ない配偶者は要らない。」


「あらあ、お義父様……ジョージ様はご存知よ。わたしが一番好きなのはレスターで、二番目は、そうねぇ、ジョージ様かしら。あの方、強面なのに案外優しい方なのよ。マイケルは真面目だけが取り柄のつまらない男なの。いっその事、ジョージ様の後妻になればよかったわねえ。」


「貴様っ!」

 レスターの体からゆらゆらと陽炎のように揺れる力が見える。彼は魔力持ちなのだ。クレアはレスターの魔力がどのようなものか知っている訳ではなかったが、何か良くない事が起こりそうで、必死になってレスターを止めた。


「やめて、レスター様。相手にしてはなりません。セリーナ様は貴方を挑発してるだけなのよ!」


「クレア様は案外賢いのね。男性の心理はわからなくとも、魔力持ちの扱いはわかっているつもりなの?愚かね。」


「愚かなのは、貴女よ!何故、ご主人を蔑ろにするの?

 夜会でお会いしたマイケル様は貴女の事を大切にしていらっしゃったわ。」


「わかったような口を利かないでくれる?マイケルはわたくしを愛しているわけではないわ。

 どちらかと言えば、わたくしを監視するために結婚したのよ。エヴァンズ家の男達は、みんなそう。

 利用価値があるから、或いは危険人物だから、そんな理由で結婚したり婚約したりするのよ。

 貴女も早く目を覚ますと良いわ、クレア・ファインズ!」


 






お読みいただきありがとうございます。


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