騙し騙され
「そこまでだ。」
興奮したセリーナを諌めたのは、エヴァンズ伯爵だった。後ろには長男のマイケルも控えている。
「残念だよ、セリーナ。君がちゃんと僕と向き合ってくれたなら、僕も君を愛そうと思っていたのだがね。」
マイケルは心底残念そうな顔で言った。レスターと同じ黒髪だが、瞳の色は薄茶色だ。整ってはいるが格別に目を引くところのない、良く言えば平均的な悪く言えば平凡な顔立ちのマイケルだったが、その目に光る強い力にクレアは気がついた。
(マイケル様は見かけ通りの方ではないのだわ。)
「あら、そっくり同じ言葉をお返しするわ。お飾りの妻のわたくしにだって矜持はありますわよ。」
セリーナは立ち上がると、マイケルの側まで行った。
「男爵家の調査が終わったよ。君を妻と呼ぶのは今日が最後だ。当座の金は用意してあるから、どこでも君の好きな所へ行くと良いよ。」
「……3年、この家に拘束されていたわけだけど、それなりに楽しかったわ……」
セリーナの伸ばした腕が優しくマイケルの頬を撫でた。その目には熱がこもっているかの様に見えた。
「なんて言うと思ってた?わたくしの気持ちなど、貴方には一生わかるはずもないわ。」
彼女の手はマイケルの頬を打ち、顔を紅潮させたセリーナは振り向きざまに言い捨てた。
「さよなら、エヴァンズ家の皆様。貴方たちみんな大嫌いよ。
ああ、それから、クレアさん、貴女にご忠告差し上げるわ。この家の人たちを信じては駄目よ。利用価値があるから側にいるだけなのよ。
いつか捨てられる日が来るわ。」
*
その後、セリーナは自室に戻り荷物をまとめて出て行った。
夫婦の寝室は使われた事は一度もなく、セリーナの部屋にはドレスが少しと宝石類が残されていた。婚姻時に持参した物だけを持ってセリーナは消えた。
その後、実家の男爵家は取り潰され、父と兄は処刑された。
心を病んだ母とセリーナは平民となったが、ふたりの行方は杳としてしれない。
*
セリーナが捨て台詞と共に去った後で、クレア達はエヴァンズ伯爵から説明を受けた。
セリーナの実家の男爵家がどうやら隣国と繋がっており、禁断の魔道具の密貿易及び、諸々の情報を流しているという噂の真偽を確かめていた。そして彼女を監視して囲い込む為、嫡男のマイケルと結婚させたのだと言う。
男爵令嬢だったとは言え、貴族学院ではその美貌で多数の男子生徒からちやほやされていた。彼女に見つめられると、嫌と言えなくなるのである。彼らは望まれるままに、ドレスや宝石などを買い与えるのだった。
ただ、それらは少し良い程度の物であって、しかも一度貰った相手からは距離を置く様にするなど、彼女なりのルールを決めているようだった。
彼女の存在は婚約者達の間にヒビを入れる様なものではなく、ちょっとした嫉妬の後は愛が深まると言うジンクスまであって、女生徒達も苦々しく思いつつも多目に見ているところがあった。
婚約者の、火遊びとも言えないような余所見を許すのは、貴族の女性たちにとっては作法のようなもので、ましてや何も利益にならない男爵令嬢など相手にする価値もない、とでも思っているかのように。
何故、男子生徒達がセリーナに夢中になるのか?
彼女には何か魅了の様な力があったと思われた。実際、エヴァンズ伯爵の調査によると、セリーナがいつもつけているブレスレットに、魅了の力が込められていたのである。そしてそれは内乱状態の続く隣国からもたらされた物だった。
貴族学院では相手を見つけられず、すっかり形を潜めていたセリーナだったが、ある夜会で、憧れていたレスターの兄であるマイケル・エヴァンズと知り合った。
その頃のセリーナの実家は対外的には、借金を抱えて没落寸前を装っていたが、実際は隣国との密貿易でかなりの額の資金を蓄えており、一家で隣国へ移住する事を計画していた。
手土産はセリーナが収集してきた、有力貴族の隠された醜聞である。セリーナの次のターゲットは、エヴァンズ家だった。
距離を縮めようとするセリーナの意図を正しく理解したマイケルは、逆に彼女を監視するために結婚する事にした。困窮している実家を援助するという名目で、男爵家の経営にも口を出せる。
なかなか尻尾を出さない男爵家だったが、遂に裏が取れたので、密かに捕縛を済ませた。セリーナに関しては、父の指示で魅了のブレスレットをつけ、ターゲットの男子生徒と仲良くなっただけで、本人は無関係であるとマイケルが報告した。
セリーナは何故か、マイケルには魅力の力を使おうとはしなかってのである。
「という訳でね、セリーナとは監視のために結婚したのだよ。
見栄えの良くない男が夫になって悲しいと、彼女は文句ばかりでね。」
クレアはマイケルの言葉を聞きながら考えていた。
(だけど、言葉と裏腹にマイケル様の表情は苦しげだわ。本当はセリーナ様のことを愛してらしたのではないのかしら?)
3年といえば長い時間である。その間、セリーナはこの屋敷で何を思っていたのだろう。愛してくれぬ人と形だけの夫婦でいるなんて。
「寂しくて辛い事だわ。」
小さな、聞こえるか聞こえないかのような声で呟いたクレアの言葉に、レスターは胸が苦しい。
(俺は、何年も婚約者のクレアを放ったらかしにして、知らん顔で、彼女が1人になってしまった時も慰める言葉すらかけてやれなかった。どれだけ心細かっただろうか。)
クレアを幸せにしたい、出来れば自分の手で。
(今更、こんな思いをぶつけてもクレアには迷惑かもしれないとわかっている。
ましてや、陛下の妹殿下の忘れ形見、隣国の王女として認められたなら、俺の手の届かない存在になってしまう。)
レスターの葛藤を知らないクレアは、エヴァンズ伯爵の説明が終わると、待ち構えていた様に尋ねた。
「エヴァンズ伯爵様、わたしの両親の死の真相を知りたいのです。それに、レスター様との婚約者としての交流を邪魔していたのは、わたしが隣国と関わりがあるからなのですか?」
「いずれクレア嬢、いえクレア殿下には話さねばならないと思っておりました。
まずは息災でおられる事に安堵しております。
ファインズ伯爵夫妻亡き後、陛下は辺境の地へ、貴女様をお預けになることにしました。ランバート殿の庇護があるとはいえ、きな臭くなりつつあった為、レスターを送り込んで正解だったかと。」
「……わたしは、エヴァンズ伯爵様のお力添えで平民になった筈でした。その覚悟をもって辺境での仕事を懸命に務めて参りました。
ですが、そこには偽りがありました。そして、両親は実の親ではない事を知ったのです。
もし、わたしのせいで、あの優しかった両親が命を落としたとしたなら、わたしは何を持って償えば良いのかわかりません。」
「クレア殿下。そう、先走るものではありませんぞ。
まず、ファインズ伯爵ですが、生きておられる。」
「えっ!それは本当なのですか!?」
「死んだ事になっている方が動きやすいのでね。元気ですよ。たまに、クレア殿下に会いたいと溢すくらいでして。」
みるみる間に瞳に涙が溢れてくる。嗚咽が止まらない。
父と母が生きているのだと知り、クレアは衝撃と喜びで涙を止める事ができない。
背中を優しくさすりながら、レスターは父に鋭い視線を向けた。
「それで、俺とクレア…殿下の婚約が形ばかりのもので、交流させなかった意図は?」
「そんなものは決まっているだろう?お前が殿下に夢中になっても、殿下の婿にはなれないからだよ。クレア殿下をお守りするために、ファインズ夫妻と策を練ったのだ。貴族学院にも通わせず、深層の令嬢として姿を表さずにいれば、余計な詮索をされることもあるまい?
お前との婚約はクレア殿下から目を逸らし周りを欺く為の偽装であるから、交流など必要なかったのだよ。」
何となく予想していた事とはいえ、父親から真実を知らされたレスターはがっくり項垂れた。
そんなレスターを憐れむように、兄のマイケルは肩をひとつ、ポンと叩くのだった。
お読みいただきありがとうございます。
定刻にアップしたいと思いつつ、夏休みが思いの外多忙で、なかなか進められずにおりますが、お付き合い頂けますと嬉しいです。




