~再会~ 鋼鉄の足音
猟友会への訪問を終えたミトは不自由な足を引きづりながら、冷たい風が吹く広場を歩く。
「まったく、ここの老人たちはどうして自分勝手なのかしら」
不満を口にしつつ、一歩一歩進んでいく。
確かに猟友会の集まりを断ったのは先方に非はない。それにつけ上がって、様々な要求をしてくるのが腹立たしくてならない。この土地を開いたのは感謝すべきことだと思うが、いつまでもその権威を奮っているのは女々しいものだ。
ミトは丘の上にたたずむログハウスを見据えて、今後の予定を整理する。
「えっと……帰ったら、お昼ご飯の準備して、掃除して、それから床の修繕も……」
湧き上がる生活の苦労。
特にお昼は教会で勉強をする子供たちが帰ってくる。それまでには、暖かい食事の準備をして迎えなければならない。十数人分の食事を一人で作るとなるとそれだけで重労働だ。
町は静寂。野良猫や野良犬の鳴き声がぽつぽつと聞こえるばかりで、談笑するような賑々しい声はほとんどない。
この町では、女は家で内職、男は近くにある畑や放牧に出かけているのがセオリーとなっている。街中を歩いている人は水汲みや言伝を頼まれた人くらいだろう。
ミトはこの寂れた田舎町の光景を時折切なそうに見ては歩調を早める。思うように動かない右足を引き摺って、この場所に流れ着いたのをつい昨日のように思う。
彼女が物思いに沈みかけたとき、遠くやまびこを連れて鈍重な音が耳の奥へ入り込む。
「……?」
ミトは足を止めて、音の響く方向を向く。
不穏な音のを聞きつけた町の人々も表に出てくるなり、窓を開けて顔を出す。誰もが町の外、ちょうどキャラバンが使う交易ルートで開いた道の向こうに視線を注ぐ。
「あれ、船よね?」
「キャラバンにしては、大きすぎないかしら……」
「見たことない船よ」
ミトの周りから不安な声が上がり、ただただ向かってくる巨大な三隻のバイン・シフを茫然と見るしかなかった。
そして、近づいてくるバイン・シフの旗艦らしい平べったい船に旗が揚がった。
「修道騎士団の船なの?」
ミトは目を細めてはためく旗の紋章を確認してつぶやく。
すると、三隻の船は停止する。ズズズッと残響が空を渡り、やがて唸るような駆動音が地面を駆け巡る。町に用があるにしては距離を取りすぎている。不可解な距離感に、誰もが首をかしげた。
旗艦らしい船を守るように並ぶ二隻が船底を開き、何かを生み落そうとする。不穏な振動が足の裏を伝い、ミトたち町民を震え上がらせる。
瞬間、遠くの空で爆発音が轟いた。背後からだ。
「うわぁあっ!」
ミトは耳をつんざくような爆音に腰砕けになって、前のめりに倒れ込んでしまう。おもてに出てきた人たちも耳を塞いでしゃがみこむなり、驚いたように竦んでいた。
そして、停止した三隻のバイン・シフとは反対方向、町の北側からいくつもの火球が放物線を描いて彼らの頭上を通り過ぎた。冷たい空気が焼け、火の粉と黒煙が舞い散る。
修道騎士団と思しき艦隊に次々と火球は殺到し、手前の土地に着弾。連続する爆音と爆風が町を襲い、町の人々は恐怖のあまりに唖然としてその様子をしばらく眺めていた。
何が起きているのだろう。誰もがそう思い、目の前で焼けていく森林ともうもうと上がる火の手に現実感がない。神様はこのつつましく、貧しく、ひそっりと暮らす人々を嫌ったのだろうか。
焼けた風、喉の奥を苦しめる黒い風が鼻を擽る。
ミトは脳みそまで焼けてしまいそうな気分を味わって、ようやく目の前に広がりだした火の河川に意識がかみ合う。
「は、早くっ! 早く逃げて!! 教会へ避難して!!」
ミトは腰が抜けたまま縋る様に振り返って、立ち尽くす人々に叫んだ。
とにかく逃げなければ死んでしまう。幸いというべきか、攻撃されているのは修道騎士団だ。少なくとも彼らは自らの聖域と定める教会への攻撃はしない。攻撃しているのがどのような組織かなどわからない。だが、明らかに修道騎士団を目の敵にしての砲撃と言えた。
教会は安全だ。そんな思考を持ったのはいつぶりかも思い出せない。
過去の記憶に駆られて、ミトは大きく手を振って叫び続ける。
「逃げてっ! とにかく、教会へ!!」
ミトの声を耳にした町民たちが青ざめた表情を浮かべて、徐々に戸惑うような足取りから必死な駆け足になって丘の上にある教会へと急いだ。
阿鼻叫喚。老いも若きも一目散に走りだす。子を持つ大人はその手を引いて、しかし、大きくなる人の混乱にはぐれて泣きじゃくる子供もいる。もはや、自分を守るので手一杯な状況だった。
今度は町の南側から接近する艦隊の砲撃が丘の向こうにいるだろう相手に向かっていく。
ミトはどうにか足に力を入れて立ち上がり、背後から迫る人の流れに踏まれないようにする。彼女の耳が人々の狂乱する声以外のもっと鈍重で腹の底に響く音を聞いた。
「何……、今度は?」
逃げようとする足が止まって、反射的に黒煙のカーテンと炎を絨毯の方を見た。
ズゥン……、ズゥン……、ズゥン……、ズゥン……。
土を踏みしめる鋼鉄の音。軋み上がる金属の甲高い叫び。黒煙を振り払って、その巨大な影が炎を踏みしめて現れる。
〔AW〕、アーデル・ヴァッヘの最軽量歩兵機体。
俗にポーン級と称される〔カヴァレリー・ポーン〕六機が戦列をなして突き進む。甲冑のような武骨な装甲を身にまとい、不格好な体型は鋼鉄の塊と連想させる。その手に持つのは、長柄の戦斧、片手斧、片手剣に盾、マスケット銃を思わせるカノン砲と様々なバリエーションをしていた。
ミトは炎の中で揺らめく巨大な黒い影、〔カヴァレリー・ポーン〕におびえながら、それらに背を向けて教会へと急ぐ。背後からくる強大な足音に今にも心が踏みつぶされてしまいそうだ。
そして、飛び交う火球の着弾が町に近づいているのを耳鳴りの中で感じた。体を飲み込む熱気。頭上から舞い落ちる火花が服を焦がす。
息せき切って移動するミトだったが、ついには人の流れから取り残されてしまう。前を行く人たちはミトのことなど気にする余裕もなく走り去っていく。虚しさと理不尽な憤りを抱きながらも、ミトは諦めずに前に進む。
「帰らなきゃ、誰があの子たちを守るのよ……っ」
教会にいるだろう子供たちを思い、彼女は必死に足を動かす。
次の瞬間、家屋の崩れる音が響いた。音という音の判別がつかなくなった耳でも、舞い跳ぶ角材を見たら誰だって気付く。
「あ、ああっ!」
ミトたちは地鳴りとうねるような地震に足を取られてよろけてしまう。
ぱらぱらと落ちていく瓦礫。そして、壊れた家々の合間からは巨大なシルエットが嫌でも目に飛び込んできた。
「何、こんなに接近していたの!?」
驚愕。
それは〔カヴァレリー・ポーン〕に似た機体だった。不格好で甲冑を着込んだまでは同じだが、頭部や肩が丸みのあるものになっており、見たこともない紋章を刻んでいた。
雄々しき獅子に茨が絡みついた紋章は奇怪な印象を人々に刻みつける。
いつの間にこの町へと侵入したのか。十五メートルはあろう巨体が唸りを上げて、大股で歩いている。
ミトはその鋼鉄の脚が揺るがす地面を前のめりになりながらも進み続ける。
何事もないと思っていた一日は、一瞬にして恐怖の渦中に変貌した。心拍数が上がりっぱなしで、肺は巻き上がる煙を吸い込んで苦しくなる。
蒼穹の空はやがて爆音と機械の起こす重低音が呼び込んだかのように、暗く黒く紅蓮の色をちりばめならがら真っ黒に染まっていく。