~弾劾~ 無根拠な不安
〔エクセンプラール〕でミトは朝もまだ明けきらない薄明の時分に目を覚ました。
山の寒さは薄い布きれで防ぎきれるものではなく、厚手の寝間着で身を守っていても同じことであった。
「ん――。ん?」
ミトは目ヤニを指先で払いながら、重い体を起こす。
まどろみも寒さの前では数分と持たず、彼女の意識は冴えわたる冷気のように明瞭となっていく。
「寒いのに……」
それからうんと腕を伸ばし、背筋を伸ばして自分に喝を入れる。力を抜くころにはぼんやりした感覚は薄れ、足先と指先の冷たさに辟易する。
「早く暖房だけでも直したいけど……」
手を合わせて、息を吹きかけながら壁にかかっている伝声管に目を走らせる。
艦長室には艦橋や見張り台、機関室などに直通する伝声管が通っている。いつ何時緊急事態が起きるかわからない。状況判断を迫られれば、彼女はこの艦の行く先を瞬時にくださなければならない。
ミトは見張り台の伝声管に身体ごと移動して、そのふたを開ける。
「見張り役、何か変わったことはあった?」
彼女の問いかけに見張り役の呆けた声が伝声管から零れた。
「ああ、特に異常なし……。朝靄があるくらいか……」
「そう。柾たちからの連絡とかは?」
「とくには――、ないな。うぅ、寒い」
ミトは見張り役の震えた声に憂いたが、備え付けの武骨な時計を見る。
交代時間までまだまだある。しっかりと引継ぎがされていれば、彼は一時間ほどの勤務である。だが、この寒さの中で一時間じっとしているのも厳しいのは彼女でもわかることだ。
暖かいお茶の一つでも渡したいところであるが、今は節約中である。彼らに携行させているのは、魔法瓶に入ったお湯のみである。それも雪を溶かして湯煎しただけのものである。
逼迫している以上個々人への甘えは控えなければならない。
「交代まで耐えてちょうだい」
「ああ……」
返事を聞いてひとまずミトは肩の力を抜いた。
何もないのならば、それに越したことはない。今は船にいる全員が神経質になっている。動力を制限されて、冷たい山のただなかで足止めを食らっているのだ。
ミトも疲労感からそういう幻聴や錯覚をしているのではないか、と疑念を抱いてもいる。
「少し疲れているのかしら……」
ミトはそう結論付けて、ゆっくりと体を横にする。
寝付けないでも体の疲れを取るためには横になっているのが一番だと思った。
「柾たち、大丈夫かしら……。凍えてなければ、いいのだけど……」
頭の中では出ていったきり帰ってこない三人を思った。
一日艦を離れているのが珍しくなっていない近頃であるが、極寒の山の中に女の子たちだけというのは心配はいつもの倍である。
「あのアーデル・ヴァッヘに頼りっきりになってるとろくなことにもなりかねないし」
ミトはいつも持ち出されていく〔アル・ガイア〕のことの懸念していた。
〔アル・ガイア〕は高性能だ。それゆえに自堕落になっていたりしないかと思う。人が人と関わることで成長していくように、機械もまた人に何らかの影響を強く与えている。
これはミト・ハルルスタンの持論である。
「あの人の様にならなければいいけど――」
彼女の脳裏に懐かしい一人の男がよぎった。
その男のことを思うと、動かなくなった右足が痺れたように震えた気がした。
* * *
夜明けよりも早く停泊しているバイン・シフが唸りを上げて照明をつけだす。
渓谷にこだまする機械の音はすぐに山々に響き、照明は暗い朝を昼間のように照らす。船のエンジンにはすでに火が入っているらしく、関節部からは湯気が立ち上り始める。
その揺蕩う影が村に落ちて、照明の日差しが家屋の雪を溶かし始めた。
「なんだか騒がしくなってきちゃったわね」
「うん……」
目を覚ましたフォノと結子は納屋のドアの隙間から外の様子を窺う。
昨日の昼間は閑散としていた村であったが、寄宿村ともなればその生活リズムが朝を中心に回っているというのも頷けることである。
納屋にいる羊たちは外の機械音に苛立った寝息を上げている。
「あのさ、こんな時に言うのも何なんだけど」
「何――」
フォノはまだ寝ぼけている結子の声に耳を傾けながら、目の端で納屋に近づいてくる人影にぎょっとした。
フォノはとっさにドアを閉めて、背を預けながらするすると屈みこむ。結子もしゃがんでぼんやりした目で彼女を見る。
「はぁ、それで何?」
「うん。あたし、変な夢を見てね」
「夢の話?」
こんな時に、とフォノは肩をすくめながらドアのむこうから聞こえる足音と話し声に意識を向ける。ドアに耳を当てて傍に寄り添う結子を頭の片隅に意識する。
「白い雪原と黒い山肌と、星空と……。寒くて、お腹がすいて、今にも倒れそうな気分があって」
「あぁ、そういう現実味がある夢ってあるわ――」
フォノは話半分で、結子の寝ぼけた夢物語になんら違和感を覚えなかった。
「今日見た夢もそんな感じだった」
「それで山を一つ越えて見えた景色がすごくて……」
「シッ。結子、ちょっと静かにして」
結子に注意して、フォノはドアのむこうから聞こえる話し声に耳を傾ける。
「他の部隊は?」
「すでに移動を開始している」
機械音に交じって男たちの声が微かに聞こえる。
フォノの耳はそんな声さえも聞き取り、状況を見極めようと頭が働いていた。
「ザゼット団長はすでに艦隊に戻られている。あとは――」
「必要な物資をこちらで回収、だな。間に合うのか?」
「月がまだあんなに高いところにある。俺たちが出る分には問題なかろう」
「だが、ささっと引き上げよう。下手をして巻き込まれるのは御免だ」
足音が遠ざかっていくのを見計らって、フォノはドアを少し開いてあたりの様子を確認する。
「騎士団が引き上げてく? それにあの言い方……」
外を見れば、ちょうど照明の光に向かっていく二つの影法師。
フォノは息をのみながら、二人の後を追おうかと半身をドアの外に出した。
「艦隊って――、まさかっ」
そこまで言って脳裏に夢のことがよぎった。
結子が口にしていた光景が思い浮かび、白い山のむこうに広がっていたあまりにも不釣合いな俯瞰の景色。
「鋼鉄の城塞……っ。けど、夢」
フォノは口元に手を添える。
信じればいいのだろうか。夢の光景を。そして、友人と同じ夢を見たという偶然がそれだけに終わらないことを感じていいのだろうか。
気持ちは複雑に揺れて、洪水の様に頭の中は収まりきらない感情と考えで乱れていた。
すると、背後から機械の足音が近づいてきた。
「フォノっ」
「その声、柾――っ」
フォノは光源とは逆の方へ体を向ける。
そこにはバイン・アウトーに跨った柾の姿があった。
「柾?」
そこに寝ぼけ眼の結子も顔を出す。
バイン・アウトーは二人の目の前で停車し、柾は二人をせかした。
「乗って!」
「村を出るの?」
フォノの言葉に柾は反応せず、明かりの方向と月の位置を確認する。
「結子も乗って!」
柾の後ろについたフォノは結子のサポートをしながら、バイン・アウトーの立ち上がりに驚く。
「急に動かさないで。結子、ほら、腰に手をやって」
「聖騎士団が変な動きをしてる。ここじゃもう、星も見えない……」
柾は船から発せられる光で空は紫煙に巻かれたようにくすんで見える。強すぎる光が夜明け前の星々を一層弱々しくして、隠してしまっている。
え、とフォノは結子の腕を自分の腰に抱かせながら惚けた声を漏らす。
「どうして?」
「わからない……。けど、ここに来るまでに本隊が引き上げるのを見た」
柾はバイン・アウトーに喝を入れるようにしてスロットルをふかし、車体を反転させる。
「時間がないのっ」
振り落とされまいとフォノが二人の合間で身をこわばらる。結子も眠気が吹っ飛んだのかフォノの腰を強く抱きしめた。
「本隊? 何かあるの?」
結子が頭を振って意識をはっきりさせつつ、問いただした。
「それに時間って、根拠は――」
フォノもその疑問を抱いていたが、続く言葉は柾の氷のように冷たい体の感触で遮られてしまった。
「冷たいっ。柾、大丈夫なの?」
「わからないよ。南下していったから、ミトさんたちの方にちょっかいをかける感じじゃないけど――」
柾は今一度停泊するバイン・シフの明かりを振り返って確認し、暗がりの続く峠道に視線を移した。
フォノの心配する声が外的な理由だと思ったし、修道騎士団の動きはこれまでになくあっさりとしている。後腐れがない、というべきか。勤勉な性格を持つ組織にしてはこの村での動きは無味乾燥だ。
「あの巨大な要塞……。ただの張りぼてじゃないのかも」
「要塞って、それって山の窪地にできたバイン・シフの?」
「なんでわかるの?」
柾は驚きながら、バイン・アウトーを走らせた。
車体はギイギイと軋んだ音を立てながら凍り付いた地面をける。柾の悴んだ手でスロットルが回されるたびに電流が巡り、縮こまっていたサスペンションのスプリングが熱で和らぎ弾性を維持する。
そのサスペンションの沈み具合にフォノは違和感を覚えながら、ぎゅっと柾のお腹を締め付けた。
「寝てるときにそういう夢を見たのよ。結子も」
「本当?」
「うん。もしかしたら、アクセサリの機能、かも」
結子は後方確認をしつつ答えた。
彼女にはそれが確信であった。
今まさに離れていく停泊所の明かりのむこうに、瞳の中に映る拡張現実がマーキングを見える。その方位が柾が来た方角であるとわかるのは、拡張現実のテキストログから読み取れる。
もちろん、その情報は瞬時に柾とフォノの目にも共有された。
「ぞっとするわ。こういうの」
「あたしの見ていた景色を二人は夢の中で見ていた……。いいんだか、悪いんだか……」
柾は左手に見えてきた峠道に車体をむけながら、もやもやした感覚に包まれていた。
しかし、と今は頭を振ってそのことを端に追いやった。
「けど、今はあの建物――」
柾はスロットルを絞ってバイン・アウトーを加速させた。
彼女たちの目が決定的な悪を見出したわけではない。その耳が不穏な噂を聞いたわけではない。すべては彼女たちが悪いほうへ想像力を働かせてしまった結果かもしれない。
それでも彼女たちのいこうとする先には鋼鉄の城塞。
不安は膨れ上がり、余裕もなくなっていた。
身体も、心も、この極寒の土地で擦り減って限界に達しようとしている。そうでなくともこれまでの旅路の疲れは日に日に彼女たちを蝕んでいた。
三人が信頼できるのは、〔アル・ガイア〕という強大な力。その力が柾たちを掴んで離さない。
それが滅びに繋がっていくのだと幼い彼女たちにはわかるはずもない。




