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第二話『天と地の間で』

この作品は、舞さんのホームページ、Arcadiaにも投稿しております。

http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=original&all=21573&n=0&count=1

 険しい山にある巣穴に帰った後、竜は少しの間、魔法使いの言ったことを考えておりました。

 身体をひねり、尻尾をひねり、頭もひねって、とっておきの呪文の謎を解こうとしました。

 しかし、いくら考えても、あのとき、魔法使いがささやいた言葉の意味は、わかりませんでした。


 さて、さきほど『少し』という言葉を使いましたが、それは竜の時間で『少し』という意味でした。

 竜は、人間とはことなる時間の中に住んでいます。

 人間の人生の川は狭く、その流れは速い、しかしの竜の川は人の何倍も広く、その流れはきわめてゆるやかでした。

 だから、竜にとってはほんの『少しの時間』でも、人間にとっては幾日、あるいは幾週間もの時間が流れていました。


 人の時間で一月ほど悩んだでしょうか。

 ふと竜は、自分がまったく魔法使いのところに行っていないことに気がつきました。


「なぞなぞの答えなど、謎掛けした本人に聞けばいいじゃないか。やれやれ、魔法使いの言葉を気にして、馬鹿を見たぜ」


 きっとあいつ、俺に会えなくて、さびしい思いをしているぞ!

 そう考えると、もう居ても立ってもいられません。

 一刻も早く、魔法使いに会いたくなった竜は、さっきまで夢中で考えていた呪文の謎を頭の隅に放り捨てると、巣穴から矢のように飛び出しました。

 夢中で翼を動かすうちに、足元に広がる大地は溶けるような速さで通り過ぎ、あっという間に魔法使いの家まで到着しました。


「魔法使い、魔法使い、今日も俺はやって来たぞ!」

 

 魔法使いが、いつも座っていた椅子の前に降り立って、大声で叫びました。

 しかし、クッションの破れた椅子の上に誰もはいませんでした。

 

「はて? 久しぶりに畑仕事でもしたくなったのかな?」


 若いころ、魔法使いが耕していた畑のところに行きました。

 しかし、荒れ放題になっていた畑には、誰もいませんでした。


「家の中にいるのか?」


 大きな身体をかがめて、小さな家の中を覗き込みました。

 しかし、家の中にあるのはほこりをかぶった机だけで、やはり誰もいませんでした。

 

 家の門の前で、竜は首をかしげました。

 これは魔法使いの考えた新しい遊びなのでしょうか?

 それにしても、あの破れたクッションや荒れ放題の畑、ほこりをかぶった家具が気になります。

 きれい好きな主が、家を汚れたままにしておくはずはないのに……。


 魔法使いの姿を求めて、家の裏に回ったときに、竜はついに『それ』を見つけました。

 それは、石の板を乗せた小さな土山のように見えました。

 石板の上には、あのミミズがのたくったような文字とか言うしろものが、刻まれていました。

 竜には、それが何なのかは分かりませんでした。文字を読むことができなかったのです。

 しかし、その土の山と石板を見ているうちに、たとえようも無くいやな気持ちに囚われました。


 自分でも何かわからないものから、逃れるために、竜はかけ出しました。

 のしかかるような山の影に背を向け、空っぽの家に背を向け、石の上に書かれた言葉に背を向けて。

 もう何十年も足を運んだことの無い村を目指し、その村に住んでいる一人の青年を探しました。

 ずっと魔法使いの世話をしていた彼なら、いなくなった魔法使いの行方を知っていると思ったからです。


 気の毒なのは、何も知らない青年でした。

 朝の畑仕事をしているときに、突然大きな影が日の光を遮り、爪の生えた手で掴みあげられたかと思うと、目の前に恐ろしい竜の顔が広がっていたのです。

 

「おい、お前、魔法使いはどこへ行ったんだ!!」


 青年がかろうじて気絶しなかったのは、人並みに外れてのんきな性格と日ごろから竜を見慣れていたおかげでした。

 しかし、その青年も血走った竜の目を見た瞬間、恐怖のあまり、あやうく答えと一緒に自分の舌をかみそうになりました。

 

 「あ、あのお方はもうお亡くなりになりましただ! 先月の朝、おらが裏庭で冷たくなっているあの方を見つけて……それから、みんなで一緒に死んだ魔法使いさまを埋めてさしあげたんですだ!」

 「なんだとっ!!」


 亡くなる? 死ぬ?

 むかし、気ままに大暴れまわっていたとき、そんな言葉をたくさん聞いたような気がします。

 でも、今までその意味について、考えたことは一度もありませんでした。


 「死ぬとは何だ? 死んだ人間はどこへ行くんだ?」

 「知りませんですだ! おらぁはそんな難しいことはわかりませんですだ! でも、村の神殿にいる偉いお坊様なら、何か知っているかも……」


 可哀想に、青年は怯えて、もう返事をするどころか息をするのもやっとでした。

 これ以上、聞いても、もう無駄のようです。

 竜は、魔法使いの世話をしてくれた例に、鱗を飾っていた宝石を一つ青年に与えると、今度は村の神殿を目指して、猛烈な勢いで走り始めました。



 ◆  ◆  ◆



 さて、魔法使いが住んでいた村には、古い神殿があり、その神殿には僧侶がひとり住んでおりました。

 この僧侶は、竜がはじめてこの辺りを襲ったときに祈りを上げ、その祈りが役立たずであったために、国を追われそうになった坊主の一人でした。

 そのために、僧侶は自分の代わりに英雄になった魔法使いが憎くてたまりませんでした。

 

 僧侶に言わせれば、自分が敬われないのも、神殿のお布施が少ないのも、すべて魔法使いのせいでした。

 だから、魔法使いが死んだ後、この僧侶は悲しむどころか、大喜びしました。

 僧侶は村人たちを神殿に集め、呼びかけました。

 

 「賢明にして善良なる我が兄弟たちよ。(ここで村人が頷きます) あの憎むべき竜が、わしらの国を襲ったとき、今は亡き魔法使いがわしらを救ってくれた。(再び、村人が頷きます) っと、今まで言われておった。しかし、兄弟たちよ、何かおかしいとは思わんかね?(村人たちが首を傾げました)。何故、あの竜が襲ってきたとき、都合よく魔法使いが通りかかったのだ? あのとき、一番得をしたのは誰なのか? 一番よい畑を手に入れ、一番美しい家を手に入れたのは?」


 僧侶は村人たちの目を覗き込み、疑いを知らないその心に小さな疑問が芽生えるのを見つけました。


「長い間、わしらは魔法使いがこの村を守っていると思っていた。だが、あの魔法使いの家に通っている兄弟の話では――残念ながら、そのものはこの集いに来ていないが――魔法使いは、竜を犬のように飼い慣らしておったというではないか!(村人たちがざわめきはじめました) おお、兄弟たちよ! わしも、魔法使いを疑いたくないのだ。かくも長い間、わしらの良き隣人であったものを疑いたくはないのだ。しかし、おかしいではないか? 魔法使いが死んだ今、なぜ竜は襲ってこない?(ざわめきが、大きくなりました) なぜ畑を焼き、家畜を奪い、我が兄弟らを悩まそうとしないのだ?」


 村人たちの間で動揺が病気のように広まっていくのを見て、僧侶は心の中でせせら笑いました。

 今こそはこの日のために鍛えてあげた弁舌をふるい、魔法使いが独占していた尊敬を我が物にするチャンスです。


 「兄弟たちよ。今こそ告げよう。お前たちは騙されておったのだ! あのペテン師で嘘つきの魔法使いに! 妖術師は、地獄に落ちた! しかし、わしと我が神がおられる限り、あの竜を恐れる必要は……」


 そのとき、神殿が水に濡れた獣のように身震いしました。

 僧侶は、口の中に飛び込んだ天井のしっくいを吐き出し、説法を邪魔した無粋な地震を罵りました。

 と、僧侶は村人たちの視線が、自分の方を向いていないことに気づきました。

 村人たちは神殿の窓を見つめていました。

 窓の外にある巨大な竜の目を。


 甲高い悲鳴を上げると、僧侶は村人たちを押しのけ、一人だけで逃げようとしました。

 しかし、竜は前足で神殿の壁を突き破ると、やすやすと僧侶を捕らえ、外に引きずり出しました。


「おい、坊主、地獄とはどこにある? どうすればそこへ行ける?」

「じ、地獄とは地の底にある燃え盛る監獄です、偉大な獣よ! あなたの邪魔をした愚かな魔法使いは、そこで永遠の苦しみを味わっているのです!」僧侶は必死に、竜におべっかを使おうとしました。

「そうか……ありがとうよ。だが、魔法使いの悪口を言ったのは許さん!」


 竜は僧侶を神殿の煙突に突っ込むと、猛然と地面を掘り始めました。

 目指すは地の底の底、魔法使いがいるという灼熱の地獄です。  

 


 ◆  ◆  ◆



 柔らかな土の層の下にあったのは、石となった太古の獣の骨でした。

 その石の墓場を通り過ぎると、次に辿り着いたのは金属と岩のまだら模様。

 硬い岩を掘り抜くと、今度は赤い溶岩が噴出しました。

 溶岩の血潮を潜り抜けた先に、地獄と呼ばれる世界がありました。


 地獄ではすべてが真紅に染まっています。

 とうとう流れるのは溶けた岩の大河、その輝きに照らし出された岩山は崩れたルビーの塊のよう。

 赤く煮えたぎる世界を、人のように見える無数の影がさまよっていました。


 と、その地獄の喧騒が、もっと大きな騒音によって破られました。

 人間の顔のようにも見える天井が崩れ、その穴の中から、巨大な獣が姿を現したのです。

 竜は地獄の河に降り立ち、右往左往する人影を蹴散らしながら、大声で咆えました。


「魔法使い、魔法使い、どこにいる!」


 そのとき、地獄の支配者である、山羊の蹄と角を持った巨大な悪魔が、現れました。

 悪魔は天井にあいた大穴、滅茶苦茶にされた自分の家を見るや、怒りのあまり大きく身震いしました。


「おのれ! 俺の地獄で暴れまわっているのは、どこのどいつだ!」


 そして、まさに大暴れしている竜を見つけたのです。

 真っ黒な悪魔と赤い竜は、お互いを見るなり、挨拶の一つもなしに飛び掛り、戦い始めました。

 その戦いのなんと凄まじかったことでしょう。

 溶岩の河は大津波を起こして岩の街を飲み込み、天井からぶら下がっていた石のつららは砕けて、地獄の大地に鋭い槍の雨を降らせました。


 二匹の戦いの余波は、さらに地上に及び、さまざまな天変地異を起こしました。

 海は沸き立ち、波の下にいる鯨たちを驚かせました。

 眠っていた火山の幾つかがたたき起こされ、驚いた拍子に火と煙を吹き上げました。


 竜と悪魔は、互いに牙で噛み付き、爪で掻き毟り、炎を吐きかけ、黒と赤の竜巻となって荒れ狂いました。

 戦いは何時間も続きましたが、ついに悪魔が少しずつ押され始めました。

 このままでは、力負けすると気づいた悪魔は、慌てて飛び離れると、


「おい、ちょっと待て! お前、何をしに地獄までやって来たんだ?」

「俺は魔法使いを探しに来た! 地上にいる坊主が、魔法使いは地獄にいるといったのだっ」


 悪魔は酸の唾を吐いて、余計なことを口にした坊主を呪いました。

 (ちょうどそのとき、煙突からようやく引っ張り出された僧侶が足を滑らせ、またしても煙突の中に落ちました)

 熱で柔らかくなった岩に腰掛け、竜に話しかけました。


「なるほど、つまりお前は死んだ人間を探しに、こんな地の底まで来たわけだ。そういうやつは、珍しくない。しかし、ここは地の熱と人の罪が集まるところだ。お前の探している魔法使いとやらは、誰か他の人間のものを盗んだことはあるか? 無垢な命を殺めたことはあるか? 自分の罪を死ぬほど後悔していたか?」

「いや……」と、竜は戸惑ったように呟きました。「魔法使いは誰かのものを盗んだことはないし、誰かを殺したこともない。俺はあいつが、後悔しているところを見たことがない」


 悪魔は鮫のような牙をむいて笑いました。

 その笑い声は、ハイエナの雄たけびに良く似ていました。


「なら、そいつは地獄にいない。そんな善人だったら、天使どものいる天界にでも行って探すんだな」

「天界には、どうやって行けば良い?」

「地上に出て、空を飛べ。まっすぐ飛べば、そのうちに辿り着けるだろうよ。わかったなら、はやく出て行ってくれ。それから、もう天井を壊すんじゃ……」


 竜は悪魔の言葉を最後まで聞かずに、矢のように地獄を飛び出しました。

 悪魔はためいきをついて、角の生えた頭を抱えました。

 


 ◆  ◆  ◆



 溶岩を潜り、金属を掘り、石の墓場を通り過ぎて、竜は再び地上に飛び出しました。

 そして、身体に溶岩の雫をこびりつかせたまま、一直線に空を目指しました。

 雲を突き破り、天の青を一直線に貫き、高く高く、そしてまた高く。


 昇りつめるつれ 空気は薄くなり、驚くほどの冷気に溶岩が凍りついて石になりました。

 これには、さすがの竜も最初は戸惑いました。

 しかし、やがて不死身の身体が天界に慣れ、息苦しさも寒さも、気にならなくなりました。

 空はもう青くありません。天は濃い藍色を経て、いまや漆黒に染まっています。


 黒豹の毛皮よりも滑らかなその生地の上に、星々の宝石が圧倒的な光を放っています。

 その宝石の中でひと際明るく輝くのは、月の円盤、竜はついに天界に辿り着いたのです。

 角から、星の光すら覆い隠すほどの雷光を発して、竜は叫びました。


「魔法使い、魔法使い、どこにいる!」


 すると、天界の住人、透明な翅の持ち主である天使たちがやってきました。

 

「天界の静寂を破る、不届きものはだれですかっ?」


 天使たちは、清らかな世界に似合わぬ野蛮な獣を見ると、嫌悪も露わに顔を隠しました。

 そして、星屑を掴むと、稲妻に変えて竜に投げつけました。

 しかし、竜が巨大な翼をひとあおぎすると、稲妻は石に打ちつける雨粒のようにすべて弾かれました。


 続いて、天使たちは星を編んで、大きな網を作り、侵入者を包み込もうとしました。

 だが、竜がその長大な尻尾を振るうと、網は破れて、星々は燃えながら、地上に落ちてしまいました。

 天使たちは怯えて、お互いの身体を抱き寄せ、竜に問いかけました。


「お前は何者ですか? 何をしにこの天の宮にのぼってきたのですか?」

「俺は魔法使いを探しに来た。地獄の悪魔が、魔法使いはここにいると言ったのだ」


 竜の返答に、天使たちはほっと一息ついて、


「なるほど、おまえは死んだ人間を探しているのですね。そうやってここまで来たものは、お前が始めてではありません。しかし、ここは星の光と人の夢が宿る場所です。あなたが探しているものは、人よりも天を愛し、言葉よりも祈りや歌を好み、夜道で地上よりも空の星を仰ぎ見るような人間でしたか?」

「いや」と竜は途方に暮れたように言いました。「魔法使いは、いつでも友だちを大切にしていた。あいつは歌が好きだったが、それ以上に誰かと話すことが好きだった。そして、いつも地上の話ばかりをしていた」


 天使たちは手をつなぎ、頬を寄せ、哀れみに満ちた目で竜を見つめました。


「残念ながら、お前の探している人間は、ここにはいません。彼の愛した地上を探した方が、良いでしょう」


 その言葉を聞くと、竜は絶望の雄叫びを上げ、巨大な流れ星となって地上に戻りました。

 竜の嘆きを耳にした天使たちは、哀しげに吐息を漏らしました。

 その息は銀のチリとなり、漆黒の夜空に広がり、新しい星の種となりました。

 


 ◆  ◆  ◆



 竜は天使の言葉に従い、魔法使いを求めて、地上をさまよいました。

 翼を震わせ、風を追いかけ、追い越して、地の果ての果てまでも。

 木陰の下、石の下、街の中に森の中、果てしない砂漠に底知れない海。


 いったい世界を何周したことでしょうか?

 ふいにある考えが、竜の頭と心臓を貫きました。

 その思い付きのあまりの鋭さ、残酷さに、打ちひしがれ、地面にたたき落とされました。

 

 竜はやっと気付きました。

 魔法使いは、もういないのです。

 天の上にも、地の底にも、木陰の下にも石の下にも、森にも街にも砂漠にも海にも。


 もう魔法使いと勝負をすることはできません。

 触れることも、その姿を見ることも、その匂いをかぐこともできません。

 話を聞いてもらうことも、話しかけてもらうことも。

 あの優しい声で、世界の秘密を教えてもらうことはできなくなったのです。

 もう二度と、二度と魔法使いには会えないのです。


 身をよじり、鱗をかきむしり、背をそらして月に悲しみの炎を吐きかけました。

 長い、長いときをかけて、不死の竜はようやく



 ……『死』というものを理解したのです。

 

 





最終話につづく


 

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