第四話『お姫さま、怪物退治にでかけるのまき、うしろ 』
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痩せこけ、苔むした怪物の指が、お姫さまたちの体をさらい、蔦草が這いまわる膝の上に、二人を降ろしました。
その間、オパーレは悲鳴を上げるのも忘れて、怪物の姿に見惚れていました。
お母さまに聞いていた通り、怪物は恐ろしく――
「まるで、森の王さまみたい……」
そして意外にも、美しかったのです。
巨大な枯れ木の玉座に腰かけ、緑のマントをまとい、頭には王冠のような雄牛の角。
静かにこちらを見つめる様には威厳が溢れ、熾火のように燃えるその目には、竜にはなかった深い悲しみと痛みが宿っていました。
「それで……おちびさん、お前は誰だ? 何の用があって、この怪物の森を騒がした?」
遠雷のように響く怪物の声に、オパーレは我を取り戻しました。
と、同時にくすぶっていた負けん気が、またメラメラと燃えあがったのです。
怪物の膝の上をすたすたと歩いて近づき、拳を振り上げ、名乗りを上げます。
「わたしはオパーレ姫! そして、この森へやってきたのは、あんたをやっつけるためよ!」
「ほう、お前が、あのオパーレだって?」怪物は顔をしかめました。「なんとまあ、人はみかけによらないと言うか。でも、良く見るとその可愛いげがなくて、憎たらしいところが、よく似てるような……あ、すまん。別にあいつの悪口を言ったわけじゃないんだ。へそを曲げないでくれ」
「何をぶつぶつ言っているのよ!」無視されたと思ったお姫さまが、怪物の腰を蹴りました。
「ん、気にするな。ちょっと、俺のお姫さまと話をしていたのさ。よく来たな、オパーレ。何もないが、俺の膝のあたりに生えているコケモモでも食べててくれ」
やはり、竜の言った通り、この怪物はちょっと頭がおかしくなっているのでしょうか?
何を言っているのか、さっぱりわかりません。
ますますご機嫌を損ねたお姫さまは、腰に差していた竜のナイフを抜き、怪物につきつけました。
「やい、化け物、これが何か分かる?」
「ふむ、それは……」怪物は顔を少し近づけ、においを嗅ぎました。「竜のやつの鱗か! お前、あいつにあったのか、どうやって、その鱗をむいた?」
「それは、もちろん、わたしが竜をやっつけたからよ!」
お姫さまは得意そうに、ふふんと笑いました。
「化け物、聞くところによると、竜はあんたより強いそうね!」
「まあ、そうだな」怪物はあっさりと認めました。
「つまり、竜をやっつけたこのわたしは、あんたより強いってことよね!」
「まあ、そうなるかもな」
「だったら、大人しくこのわたしに、降参しなさい!」
「わかった。降参しよう」
「無駄な抵抗すると言うのね、それなら……えっ?」
一瞬、オパーレは怪物が言った言葉の意味を、呑み込めませんでした。
怪物が逃げ出した場合、抵抗してきた場合、降参を渋って交渉をしようとした場合、などなど……。
この森に来るまで、相手に会った時に備えて、幾通りも作戦を考えてきました。
でも、こんな風に、いきなり降参してくるとは、思ってもみませんでした。
「あんた、わたしみたいな小さな女の子に、そんなに簡単に降参していいの!」
「だって、お前は俺より強いんだろ?」
「そ、そうだけど……」
「無敵の竜よりも強くて、抵抗しても、無駄なんだろう?」
「そうかもしれないけど、あんた、怪物としての誇りはないのっ?」
「実を言うとな、おちびさん」乾いた唇に浮かぶ、ほろ苦い笑み。「俺は、もうすぐ死ぬんだ」
怪物の微笑みに会わせるように、木々がきしみ、呻き声をあげました。
深い緑色の樹海のどこかで、大きな鳥が翼を広げて、飛び立つ音が聞こえました。
お姫さまは怒っているような、困っているような顔で、怪物を見上げています。
「竜に聞いたかもしれないが、俺はもう何年も食事を取っていないんだ。今日は大丈夫だろう。明日も持ちこたえるかもしれん。だが、明後日には、もうこうしてお前さんと話をしていることはない」首のあたりを指で叩いて「その後は、この首を持ちかえるなり、なんなり好きにしてくれ。ま、お前さんに俺の首が持ちあげられたら、の話だがな」
「駄目よ!」お姫さまは声を張り上げました。
「駄目って何が? 俺の首を欲しがっている奴は、山ほどいるが、お前さんほど運のいいやつは他にいないぜ」
「駄目なものは、駄目なのよ!」
小さな胸の中で、荒れ狂うこの感情を、なんと呼べば良いのでしょう。
ここに来るまで、長い長い道のりを越えてきました。
恐ろしい竜に会って、竜をやっつけました。
全ては怪物をやっつけて、お母さまを見返すためだったと思っていました。
今、この時までは……。
だけど、いざ怪物の首を差しだされた時。
オパーレが感じたのは、言葉に出来ない、激しい苛立ちと失望だったのです。
こんなあっけない閉幕のために、ここまで来たわけじゃないのです。
では、今まで旅をしてきた、本当のわけとは――。
とそのとき、ものどかしさに地団太を踏むお姫さまの隣を、小人がすりぬけて行きました。
怪物の前に立ち、金色に光るその瞳を見上げ、にこっと笑ったのです。
「久しぶりだのう、化け物よ、このわしを覚えておるか?」
「お前は……」怪物が驚いたように眼を見開きました。「ペルラの言っていた小人か、今までどこにいた、どこから出てきた?」
「わしはずっとここにおったとも。お前さんが、わしに願い事をしたあのときのようにのう。覚えておるか、怪物よ。谷間の獅子に捧げられた男の子、雌豹の息子よ。
お前がまだ怪物ではなかった頃、鷲の卵を求めて、崖から投げ落とされたことがあったな。そのとき、光と脚を失ったお前は、このわしに願ったのだ、どこか安全な場所に行きたい、この恐ろしい場所から出ていきたい、とな……」
怪物は眼を閉じ、小人の言葉に聞き入っていました。
その顔は、耐え難い、ひどい苦痛をこらえるように、歪んでいました。
やがて、思い出そのものと同じくらい深いため息とともに、言葉を吐きだしたのです。
「覚えている、いや、今思い出したのだ。だけど、お前は『やつ』じゃない。俺の願いをかなえたのは、途方もなく大きな巨人だった。その体は山々をはるかに越えて、背は星よりも高く、眼は月に並んで輝いていた」
「にもかかわらず、わしはここにおる」小人は首を横に振りました。「今、このとき、この姿で、わしが願いを聞き届けた子供たちの最期をみとるためにな」
「もし、お前があの巨人だと言うのならば、そしてまたペルラが見たというあの小人だというのならば……」
怪物は気だるげな様子で、顔を動かし、空を覆う緑の天蓋を見上げました。
複雑に絡み合う枝と葉は分厚く、金糸のように細い陽光を除いて、空から降り注ぐ全てのものを遮っていました。
「叶えて欲しい願いがある。俺はもう長くない。だが最後に、もう一度、月が見たい。明日は満月……俺とペルラが一つになった、あの晩と同じ月を見ながら、死にたいんだ」
「気の毒じゃが」小人は残念そうに言いました。「願い事は一回きり。お前さんたちは、もうその権利を使ってしまったのじゃ」
「そうか……」
怪物は残念そうに溜息をつきました。
まだいま一つ諦めきれないのでしょう。
名残を惜しむように切ない眼差しで、頭上に圧し掛かる自然の天蓋に見つめました。
「叶えてやれば、良いじゃない!」
と、側で二人の会話を聞いていたお姫さまが突然、話に割って入りました。
「最後の願いなんでしょ、なんで叶えてあげないのさ?」
「何を聞いていたんじゃい、おちびの姫さん」小人は顔をしかめました。「願い事は一人に一つだけ、それが決まりなのじゃ」
「でも、あんた、魔法使いには二つも願い事を叶えてあげたじゃない!」
「あの魔法使いは、特別なのじゃよ」
「なら、もう一つ特別を増やしても良いじゃない!」
「そう、ほいほい増やしとたら、特別なものも特別じゃなくなるじゃろうが!」
さあ、口喧嘩をしたことのある人なら、お分かりでしょう。
怒っているとき、口にする言葉も、容易に人を傷つける凶器となるのです。
しゃべればしゃべるほど、顔も頭も真っ赤になり、投げつける言葉は鋭さと数を増し、最後には自分自身をも傷つけるのです。
そして、オパーレは怒っていました。
いまいち、得体の知れない小人に、自分の運命を振り回す正体不明の力に、とてもとても怒っていたのです。
「ケチンボ!」ついにお姫さまは言ってしまいました。
「な、なんじゃと、このわしがケチンボじゃというのかっ?」
「そうよ、ケチンボじゃなきゃ、何なのさ。あんたはお願いを叶えてくれる魔法の小人なんでしょ? それなのに、一番お願いを叶えて欲しいときに、なんで何もしてくれないの」
「何でも叶えておるわけではない、それにわしが直接、願い事を叶えておるわけでもない。わしはその者の望みに到る道筋と方法を教えて、ちょっと手を貸しておるだけなのじゃ」
「それがケチなんじゃないの! お母さまが言っていたわ、世の中には、願い事をかなえるふりをして、そのお願いを捻じ曲げて、人を騙してたり、笑ったり、魂を盗んだりする性悪の妖精や魔物がいるって……おまえがそうなんでしょ。このケチンボのでぶっちょネズミ!」
「な、なんということを」小人は怒るというよりも、呆然としているように見えました。「わしは今までそんなことを言われたことは一度もないぞ!」
「お望みなら、何度でも言ってやるわよ!」
小人は、言葉も出ずにお姫さまを「うぬぬぬ」と睨みつけました。
お姫さまもお姫さまで、負けずに「ぐぬぬぬ」と睨みかえします。
二人はしばらくの間、そうやって火花が出るほど、激しく睨みあっていました。
やがて、どちらともなく、ぷいっと眼をそらし、小人は怪物の膝の方へすたすたと歩いていき、お姫さまは怪物の足の付け根で、それぞれ座り込み、黙り込んでしまいました。
さて、このとき、二人の間に漂う、息苦しい沈黙を最初に破ったのは怪物でした。
小人とお姫さまの口喧嘩にじっと耳を傾けていた怪物は、二人が黙ったのを見計らって、指先でオパーレを突っつき、話しかけたのです。
「なあ、おちびさん」
「わたしはおちびさんじゃないわ、オパーレよ」まだプリプリ怒っているようです。
「じゃあ、オパーレ。俺のために怒ってくれたのは嬉しいが、正直、いま何が起こっているのか、さっぱりわからないんだ。お前がなぜ、怪物や竜を退治することになったのか、教えてくれないか?」
「聞きたい?」オパーレは手足をもじもじさせて、言いました。
「ああ、ぜひ聞きたいね」怪物はにっこり笑って、言いました。
そして、お城の一室から、怪物の森に到るまでの長い物語を始まったのです。
オパーレは手や足を振り回し、小さな体全部を使って、怪物に話しかけました。
小さな小さな自分が生まれた時のことを話しました。
優しいけど乱暴で、怒りっぽい上に過保護な女王さまのことを話しました。
そして、犬に変えられたお父さまと猫に変えられた爺やのこと、茨に囲まれた塔にとじこめられたこと、小人と出会って逃げ出したこと、竜退治のこと、魔法使いのことを次々に話しました。
怪物は良い耳を持っていました。
また、人の話を聞くことに慣れているようでした。
オパーレが話をしている間、怪物はお姫さまと一緒になって、分からずやのお母さまに怒り、犬なってしまったお父さまの身の上を嘆き、竜の間抜けぶりに腹を抱えて笑いました。「ははは、実に竜の奴らしいな。いやあ、その場にいなくて残念だったぜ!」
冒険物語は長く楽しく続きましたが、ついにお話のタネが尽きるときがやってきました。
「……そして、わたしはここにきたのよ」とお姫さまは話を結びました。
「そうか、なるほど。どうしてお前たちがここまできたのか、よくわかったよ」と、怪物は頷きました。「でも、今の話を聞いた限りじゃ、お前、ちゃんとあの小人に謝っておいた方がいいと思うぞ」
「どうしてよ……」お姫さまは不満そうです。
「オパーレ、お前は賢い。だから、自分が言いすぎたことは、もうわかっているだろ。あの小人が何者かわからないが、悪い奴じゃないことだけは確かだ。
たった一つきりだったが、あいつは俺や俺のお姫さまの願い事をかなえてくれた。お前の願いだってちゃんと叶えただろ。俺たちを騙したりしなかったし、あざ笑いもしなかった。第一、お前、あの小人抜きでどうやってお城へ帰るつもりなんだ?」
「でも、あいつ、わたしの言うこと聞いてくれるかな?」ちらりと小人の方を見ました。
「聞いてくれるさ。お前が、ちゃんと心の底から謝ればな」
そしてもう一回、勇気づけるように指先で、お姫さまの背中を押したのです。
怪物に促されるまま、オパーレは立ち上がって、小人のほうに歩いて行きました。
「ねえ?」と声をかけました。小人は「ふん」と鼻を鳴らして、お尻をもぞもぞ動かし、お姫様に背を向けました。
ちょっと落ち込みました。でも、挫けませんでした。
なぜなら、こう言う時にどうすればいいのか、教育係の爺やが、教えてくれたからです。
それは爺やが、爺やのお師匠さまから習ったと言う、由緒正しい魔法の言葉でした。
まず背筋を伸ばします。
大きく息を吸って吐きます。
腰は申し訳ない心をあらわすように、きっちり曲げて45度。
謝罪の言葉は大きく「ごめんなさい!」
自分のどこが悪かったのかはっきりと「さっきは言いすぎたわ。あんな酷い事を言うつもりはなかったのに」
誰に何をしてほしいのか、分かりやすく「でも、あなたの力を貸してほしいの。わたし、あの怪物の願いを叶えてあげたいの、自分でも何故だかわからないけど、あのまま死なせたくないのよ」
最後の締めの言葉には心をこめて「だから、お願い、助けて!」
お姫さまの大きな声が、びんびんと森の中に響きました。
幅の広い葉っぱが一枚、その声に答えるかのように、空から舞い降りてきました。
小人はずっと押し黙っていましたが、葉っぱの一枚が鼻の上に落ちると、ついに観念したように息を吐いて、お姫さまのほうに向きなおりました。
ふっくらとした手を伸ばし、「こっちにおいで」と差し招きます。
誘われるままに、オパーレが近寄ってくると、小人はお姫さまの頭に掌を乗せて、言いました。
「良いかい……おちびの姫さまや。魔法は言葉から生まれ、言葉は心から生まれる。しかるに、望みはその心を動かす動力、全ての魔法と呪いの源泉なのじゃよ。
だから、本当の願い事は、軽々しく口にして良いものではないし、同じように受け取ってもいけないものなのじゃよ。わしの言っておる意味がわかるかな?」
「ううん」とお姫さまは首を振りました。
「そうか、では一つ例をあげるとしようかのう。むかしむかし、わしは世界一高い山の上で、一人の女の子に会った。ルビーを、くしで梳いたような、それはそれは美しい紅い髪をした子じゃった。その子の願いは、お姫さまになること。わしはその願いをかなえる方法を教えたあげたのじゃ」
「その子は幸せになれたの?」
「いいや、その女の子は、望み通り、お姫さまになり、王さまのお嫁さんになり、自分もお姫さまのお母さまになった。だが、あの子がその短い人生で、幸せだと感じたときは、一時もなかった。
なぜなら、その女の子は間違ったお願いをしたのじゃ。あの子の本当の望みとは、美しく、強い自分を誰かに見てもらい、褒めてもらうこと。ただそれだけじゃった。だが、偽りのドレスで自分を飾り、宝石と冠で顔を隠した結果、誰にもあの子の本当の姿が見えなくなってしもうた。そのとき、あの子の願いは全て絶望に変わり、望みは呪いとなって、今も自分の子供たちを苦しめておる」
「馬鹿な子!」
小人のお話に怒りながら、オパーレは胸が悲しみで煮えたぎるのを感じました。
「本当に馬鹿な子、わたしがその子の側にいたら、顔をひっぱたいて眼を覚ましてあげたのに、お母さまにお願いして、悪い呪いを全部解いてあげたのに……」
「そうなったかもしれんのう」オパーレの頭を撫でながら、小人は言いました。「ああ、そうなるかもしれのう」
お姫さまの頭から手を離すと、小人は再び怪物の方に向かって歩き出しました。
「さて、小難しい話しは、置いておいて、次の冒険の話をしようかのう。ああ、待て待て、(また口を挟もうとしたお姫さまを止めて)人の話は最後まで聞かんかい。良いかい、おちびの姫さま、この森を西の方向へずぅっと言ったところに、『おそろし谷』と呼ばれるところがおる。
その谷の底には、『月酔い草』と呼ばれる植物が生えておるのじゃ。実は、この草は天から落ちた月の欠片でのう。月明かりを吸って百年に一度、花咲き、その美しさはまさに地上の満月、花の蜜には失われた活力を取り戻し、過去の記憶をよみがえらせる力があるのじゃ」
「ひょっとして……」話の筋が読めてきた、オパーレが目を輝かせました。
「そう、その『月酔い草』が花開く時と言うのが、まさに明日の晩なのじゃ」
「それって、すごいじゃない!」
これこそ、一石二鳥というものです。
もし、その花を手に入れることができれば、怪物の願いを叶えたことになりますし、花の蜜で死にかけた怪物を蘇らせることもできるかもしれません。
しかし、早くも走り出そうとしたお姫さまを、当の怪物が押しとどめました。
「おい、ちょっと待て。小人、お前が言っている『おそろし谷』って、妖怪がわんさかいる、あの谷のことか?」
「そうじゃよ」と小人が言いました。
「なんで、そのことを早く言わないのさ」とお姫さまが言いました。
「そりゃ、お前さんが、人の話を最後まで聞かないからじゃよ」小人はちょっと責めるような目で、オパーレを見ました。「今度はよく聞くんじゃぞ、『おそろし谷』は、流れ星や星屑を引き寄せる不思議な力があるのじゃ。たまに落ちてくる星屑を食べた動物は妖怪に変わり、今では谷間にはネズミ穴のなかのネズミより、たくさんの妖しいものがおるのじゃ」
「今まで、その谷に下りて『月酔い草』を取ってきた人っていないの」ネズミと聞いて、お姫さまは震え上がりました。
「二人おるのう、『雄々しいアルデ』と『麗しのペルタ』と言う勇者たちじゃ。『雄々しいアルデ』は自慢の剣を持って、谷を下り、寄せてくる妖怪たちをつぎつぎに切り伏せたのじゃ」
「それで、アルデは『月酔い草』を取ることが出来たの!」
「うんにゃ、妖怪の数は果てしなく、ついに『雄々しいアルデ』は力尽きて、妖怪に食べられたのじゃ。その話を聞いた『麗しのペルタ』は竪琴を持って、谷を降りた。素晴らしい演奏に妖怪たちは、うっとりしてペルタを通したのじゃが……」
「その人も駄目だったのね」
「うむ、『月酔い草』を摘むとき、どうして竪琴から指を放さなくてはならんかのう。演奏が止まったその瞬間、『麗しのペルタ』は『麗しの夕食』になってしまったわけじゃ」
「つまり、今まで誰も『月酔い草』を摘むことが出来なかったの?」
「つまりは、まあそういうことじゃ」
お姫さまは動物みたいに唸りながら、怪物の膝の上をぐるぐる回り始めました。
何か、何か良い方法があるはずなのです。
さっきから、頭の片隅に、アイディアっぽいものが浮かんでいるのですが。
臆病な生き物みたいに捕まえようとするたびに、奥に引っ込んでしまうのです。
ようし、それなら……。
えいやっ、とお姫さまはいきなり逆立ちを始めました!
「のう、おちびの姫さん、何やっとるのかわからんが、かぼちゃパンツが丸見えじゃぞ?」恐る恐る小人が聞きました。
「ちょっと、待って、お父さまがアイディアが浮かびそうなときは、こうしなさいって言ったから、むむむ、きたきたきたわ―――!」
ぴょこっと逆立ちをやめると、今度は猛烈な勢いで怪物の体を登り始めました。
真っ黒な毛皮から垂れさがる蔦をぐいぐい引っ張りながら、聞きました。
「ねえ、怪物、『おそろし谷』にはお前より怖くて、でっかい化け物はいるの?」
「いいや、あそこにいるのは、小さくてよわっちい奴らばかりさ。俺が元気だったころは、よく竜と一緒に出かけて、苛めてやったから、みんな、死ぬほど俺たちを怖がっているぜ」
「そう、それは好都合ね。ところで、お前の髪の毛をもらいたいんだけど、良いかしら?」
「べつに構わないが、どうして?」
「あとで教えてあげる」
しゃべっているうちに、ついに怪物の肩まで上り詰めました。
オパーレは背負い袋の中から、ナイフを取り出して、怪物の髪に切りつけてみました。
真っ黒なたてがみは、鋼鉄のナイフを跳ね返し、刃こぼれさせました。
つぎに竜の鱗でできたナイフで切って見ました。
すると、今度は野菜を切るようなざっくりした手ごたえと共に、一束の真っ黒な毛がオパーレの手の中に残りました。
その髪の毛を見て、満足げにうなずきながら、お姫さまは言いました。
「怪物、あんたはさっき、わたしに首をくれてやっても良いって言ったよね」
「ああ、死んだ後で、と言う条件付きでな」
「じゃあ、もし『月酔い草』を取ってきて、あんたを助けたら、わたしの家来になりなさい!」
「なんだって、どうしてそうなるんだっ?」と戸惑ったように怪物が言いました。
「首に較べたら、家来なんて小さな事じゃない? それに『月酔い草』を持って帰ったら、わたしはあんたの命の恩人になるのよ」
考えれば考えるほど、これは実に良いアイディアのように思えました。
怪物を殺すことよりも、生け捕りにする方がはるかに難しいのです。
そして、生け捕りにするよりも家来にした方が、お母さまを見返すことができると言うものです。
鼻息も荒く、お姫さまは怪物に詰め寄ります。
「さあ、早く答えて、どうするの?」
「俺がお前の家来になって、一緒に城に帰るねえ」怪物は困ったような声で、言いました。「確かに、その方がお前のおふくろさんの度肝を抜けそうだし、面白そうだが……お前の言っていることは、一つ矛盾しているぜ、お姫さま、どうやって怪物で一杯の谷から、『月酔い草』を持って帰るつもりなんだ?」
「あら、それなら大丈夫よ」
お姫さまは、にっこり笑って言いました。
「わたしに良い考えがあるんだから!」
第五話『お姫さま、恐ろし谷をくだるのまき、うえ 』に続く
土曜日に体調を崩したせいで、更新が一日延びちゃいました(がく)
ところで、本文の中で、小人が話している女の子は、「あの人」のことです。
(これで、誰だかわかるかな?)
作者的にはお気に入りのキャラで、いずれに、彼女を主人公にしたスピンオフを書いて見たいのですが、
果たして需要があるのかな……(遠い眼)