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第二話『お姫さま、竜をやっつけるのまき』


 この作品は、舞さんのホームページ、Arcadiaにも投稿しております。

 http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=original&all=21573&n=0&count=1




 片手に松明を、もう片手に小人の髭を握りながら、オパーレは壁の穴に入っていきました。

 穴の中は、黒い蜜みたいに濃く、どろりとした闇で満たされています。

 手に持った小さな明かりは、夜の海に浮かんだオレンジ色の泡のよう。

 目に見えるのは、足元の石畳みと壁の上に残った蜘蛛の巣の切れはしだけです。

 

 それなのに、太った小人はまるで、目が見えているかのように、すいすいと歩いていきます。

 小人のあとを追い掛けながら、オパーレはこの秘密の抜け穴の道順を覚えようとしました。

しかし、これは上手くいきませんでした。

 というのもこの抜け穴、普通では考えられないような造りになっていたからです。


 まず塔の最上階にいたはずなのに、お姫さま達はいきなり、穴の中の坂道を上に向かってかけのぼったのです。

 右に曲がって左に折れ、らせんの階段をぐるぐる下りたかと思えば、動物の腸のように入り組んだ迷路の中をじぐざぐに進みました。

 そして、足元の石畳みが岩に変わったとき、今まで見たことも聞いたこともないような光景が、オパーレの目の前に広がりました。


 そこは巨大な水晶で出来た洞窟でした。

 六角形の透明な柱が、ヤマアラシの針のようにそこら中から突き出しています。

 水晶の柱は、松明の柔らかい明かりを吸いこんで噛みくだき、何百もの光の破片に変えて、お姫さま達の頭の上に吹きつけました。


 その美しさに見とれているうちに、水晶の洞窟は通り過ぎ、オパーレ達は鉱山の中にいました。

 松明に照らされて輝くのは、母なる大地の腕でまどろみ続ける無垢な鉱石たち。

 岩に挟まれて、光る黄金色の筋に沿って、小人とお姫さまは歩いて行きました。 


 遠い昔に滅びた動物たちの墓場の中を進んだこともありました。

 長い長い年月が、獣たちから肉を洗い去り、骨を石に変えていました。

 空っぽなガイコツたちの目が、今は忘れ去られた世界の歌をお姫さま達に唄いかけます。

 そこでも小人は足を止めることなく、あばら骨で出来た回廊を前に前に進み続けます。

 

 ついに水晶も鉱石も化石もなくなり、音も光も気配もない闇が何千歩も続きました。

 ふとオパーレは、足元の石がじんわりと暖かくなってきたことに気付きました。

 遠くから、嵐のようなごろごろとした音が聞こえてきます。


「さあ、ついたぞ、小さなお姫さま」小人が足を止めました。

「ついたって、どこに?」オパーレは聞きました。

「お前さんがずっと来たがっていたところ、不死身の竜の寝床じゃよ」


 手で触れて見ると、岩が怯えているように震えているのが、分かりました。

 突然、オパーレは悟りました。雷のように大きいけど、これはいびきの音です。

 この壁の向こうに、地震と台風と火山の爆発を合わせたような、途方もない力の塊が眠っているのです。


「こころの準備はいいかな? 引き返すなら、今のうちじゃぞ」

「ここまで来て、引き返すなんてできないわ。早く、竜のいるところへ連れていってよ!」


 小人は洞窟の壁の一部に手をかけると、それを引き戸のように開きました。

 すると岩の隙間から、淡く赤い光と熱が、先を争うように飛び出して来ました。

 お姫さまは首を突っ込んで、中を覗きました。

 すぐに頭をひっこめました。


「大きいわ!」

「そりゃ、竜はでかいもんじゃからのう」

「こんなに大きいなんて聞いてないわ!」

「そりゃ、竜をはっきり見た奴は、ほとんど食われちまったからのう」


 オパーレはもう一度、竜の巣の中を覗いて見ました。

 できればさっきのは見間違いで、竜がちょっと縮んでいないかな、と希望を抱きながら。

 竜は獣のように体を丸め、鳥のように羽根で体を覆いながら、眠っていました。

 赤い鱗はたき火のように壁を照らし、鼻の穴から寝息と一緒に火柱が噴き出しています。

 竜の体は小さな山程もあり、どう見ても、縮んだ様子はありません。

 それどころか、前よりも大きくなったような気がします。

 

 さて、困りました。

 オパーレはちょっと無謀なお姫さまですが、決してお馬鹿な女の子ではありません。

 あんな馬鹿でかいケダモノと戦って勝ち目がないことぐらい、すぐにわかりました。

 お姫さまは背負い袋をひっくり返し、その中身を確認しながら、うんうん唸りました。

 そして、鋭い光を放つナイフを手に取って、小人に聞きました。


「ねえ、あの竜のお腹の中に入って、これで突っついてやるというのはどうかしら?」

「なかなか良いアイディアじゃのう。じゃがやるときは、わし抜きで頼むぞ」


 オパーレはナイフを放り出して、また唸り始めました。

もしかしたら、竜のお腹に潜りこんで、ちくちく攻めると言うのは、あまり良いアイディアじゃないのかもしれません。

なにしろ、あの竜の口ときたら、小さな女の子どころか、牛の背中に乗った大人の男が、頭の上ににわとりを乗せながら楽に出入りできるぐらい大きいのです。


きっと今まで、同じようなことを思いついた騎士や勇者がいっぱいいたはずです。

そして竜が気持ちよく寝ているところを見ると、その人達はみんな、うんちになってしまったのでしょう。

と、そのとき、雷に打たれたような勢いでお姫さまが立ちあがりました!

びっくりして跳び上がる小人をしり目に、地面に広げていた物をどんどん背負い袋に詰め込んで行きます。


「ひょっとして家に帰る気なったのかのう?」おそるおそる小人が聞きました。

「帰る? あの塔の上に? 冗談じゃないわ! あの竜だって生き物よ。どんな生き物だって弱点の一つぐらいあるはずだわ」

「じゃが、お前さん、その弱点を知っておるのか?」疑い深そうに言いました。

「もちろん、知らないわよ。だから、あの竜に聞きに行くのよ」


 荷物をしょい直しながら、オパーレは小人ににっこりと微笑みかけました。

それはお城にいたころ、ひとめ見ただけで、猫は逃げ出し犬はお腹を見せ、召使いたちは取り乱してお坊さまは神に祈り、婆やは気を失ってお父さまは倒れた婆やの頭に素早くクッションを当てながら、さて今度はお城の修理にどのぐらいお金がかかるやらと計算を始めるような、そんな笑顔でした。

ぞっとして逃げ出そうとした小人を捕まえて、オパーレは言いました。


「怖がらないでよ、あたしに良い考えがあるわ」




 ◆  ◆  ◆




 いやがる小人を説き伏せて、お姫さまは眠りこける竜の方に向かって歩き出しました。

最初は抜き足差し足で忍び寄りましたが、すぐにこれは無駄だとわかりました。

と言うのも、近づくにつれて、竜のいびきは大きくなり、最後には太鼓やシンバルで武装した楽隊が全力で演奏しても聞こえないほど凄まじくなったからです。

オパーレは大股でずんずん前に進み、あっと言う間に竜の鼻先に辿り着きました。


 さあ、ここから先は苦労して持って来た登山道具の出番です。

お姫さま達は鼻から吹き出す火の玉を避けながら、竜の鼻すじの坂を歩きました。

 でこぼこの鱗に指をかけ、ほっぺの斜面を這いあがりました。

そして、ぴったり閉じた瞼の段差に座って一休み。

 目から耳まで続くこめかみの崖を登れば、そこはもう目的地、洞窟のように大きくて深い……竜の耳の穴です。


「暗くて狭くて、なんておっとろしいところじゃ!」黒々と大きな口を開ける穴を見て、小人は体を震わせました。

「そう? ここって暗くて狭くて、さいこーじゃない?」しかし、お姫さまは逆に喜び勇んで耳の中に入っていきました。


 竜の耳の中は暖かく湿っていて、まるで本物の鍾乳洞のように黒い毛が色んなところに生えていました。

 その毛むくじゃらの道は長く続きましたが、最後には大きな行き止まりに突き当たりました。


「はっ、鼓膜じゃ! わしの思った通りじゃ。竜の脳みそをそのナイフでちくちくやろうという作戦のようじゃが、これ以上先には行けんぞ。さあ、あきらめて家に戻る時間じゃ」

「何言っているの。あたしの作戦はまだ始まったばっかりよ」


 オパーレは背負い袋から取り出した頑丈な登山用のロープを取り出しました。

 片方を特に太くしっかりした耳毛に巻きつけました。

 そして、もう片方を自分と小人の体に巻きつけました。


「やめてくれ、わしの中身が出ちまう!」小人が悲鳴を上げました。

「駄目よ、ここでちゃんと縛りつけないとあとが大変よ!」お姫さまは、かまわずぎゅうぎゅう締めあげます。

「なあ、おちびの姫さま、そろそろ何をするつもりなのか教えてくれんかのう?」ぽってりしたお腹に食い込んだ縄を見て、悲しげな声で小人が言いました。

「あたしがこれから何をするつもりかって? そりゃもちろん……」


 お姫さまは耳の穴の行き止まり、ピンク色の壁のような竜の鼓膜の前に立ちました。


「……こうするのよ」


 そして、小さな足を大きく振りかぶって、


「――起きろおおお!!」


 鼓膜を思いっきり蹴っ飛ばしました!!




 ◆  ◆  ◆




 さて、小さな生き物たちが自分の体の上を歩いたり登ったり潜りこんだりしている間、不死身の竜はすばらしい夢を見ていました。

その夢の中で、竜は体の半分が牛でもう半分が豚、魚の尻尾を生やして鳥の手羽先をつけた生き物を追い掛けていました。

 文字通り夢のように美味しそうなその生き物は、お花畑の中を走りながら、『さあ、わたしを食べてごらん』と竜に笑いかけます。

 

 竜は滝のような涎を垂らしながら、その『トリブタウシザカナ』を捕まえました。

 だけど、まさに御馳走を口に運ぶとうしたそのとき。

 いきなり空から凄まじい勢いで隕石が落ちてきて、竜の頭にぶつかったのです!

 しかも、その隕石は竜の耳元で叫びました。


『――起きろおおお!!』


 あわてて跳び起きました。

 そして冷水を浴びた猫みたいに、背中の鱗を逆立てながら、辺りを見渡しました。

 しかし誰もいません。


「なんだ、夢か……」


 ほっと息をついたのもつかの間。

 またしても、夢の中で聞いたあの隕石の声が竜の耳の中で響き渡りました。


『いいや、わたしは夢ではないぞ』

「誰だお前! せっかくのいい夢を邪魔しやがって、出てきやがれ!」


 竜は大きな目をさらに大きく見開いて、洞窟の中を捜しました。

 火のように燃える眼は、どんな小さな岩の影も見逃しませんでした。

 しかし見つかりません。声はどこからともなく聞こえてきます。


『いくら探しても見つからないぞ。わたしはお前の頭の中にいるのだ!』

「俺の頭ん中だと……」


 はっとして竜は両手で耳をふさぎました。

 果たして、声の言った通り、耳の奥から邪悪な笑い声が聞こえてくるではありませんか!


『わたしは地獄からやってきた小鬼だ。さあ、竜よ、お前の弱点をわたしに教えるのだ。でないと酷い目に会わせてやるぞ!』

「小鬼だか何だか知らないが、俺におどしは効かないぜ」竜はふんっと鼻から火と煙を吹き出して「俺は不死身の竜だ。酷い目に会わせるだって? 俺にぎゃあ、と悲鳴を上げさせることができたら、褒めてやってもいいぜ」

『ほほう、そうか……』竜の頭の中で、声がにやっと笑いました。『それでは竜よ。外に出てみろ。そこで水たまりか池を覗くんだ。面白いものが見れるぞ』


 変な声の言った通り、竜は洞窟の外に出ました。

 水草の浮いた池を見つけ、その鏡のような水面を覗き込みました。

 すると自分の耳の穴から小さな白い手が突き出ているのが、見えたではありませんか。

 その手は何か黒い塊を掴んでいました。

 爪を伸ばして捕まえようとしましたが、白い手は黒い塊と一緒に素早く引っ込みました。

 そして頭の中から聞こえる、とびっきり、おどろおどろしい響き、


『今お前が見たのは地獄の馬ふんだ。良いか、わたしの言う通りにしいないと……』




『――お前ののうみそに、このうんちをぶつけるぞ!』



 

 ぎゃああああああっと竜は悲鳴を上げました。

 何と言う恐ろしい脅しなのでしょう!

 これに較べれば、騎士や勇者たちが使う、首を切るとか、心臓を抉るとか、ありきたりな脅しなど物の数にも入りません。

 

 竜は頭を揺すって叩いて、なんとか小鬼を頭から追い出そうとしました。

 そのたびに耳の奥で、何かがぶつかる音と一緒に『ぎゃあ』とか『ぐえ』と言ったような呻き声は聞こえて来ました。

 しかし、小鬼本人はまるで『頭の中に縛り付けられている』みたいに、どうやっても叩きだすことが出来ません。

 やけくそになった竜は鼻をつまんで、叫びました。


「おい、馬鹿なことは止めろ。その馬ふんを置いて、すぐに出てくるんだ。さもないと鼻をつまんだまま、火を噴くぞ! そしたら、耳から火が飛び出して、お前なんか真っ黒焦げだ!」

『やってみろ!』ところが、頭の中の小鬼はちっともひるみません。『そしたら、地獄の馬ふんも焼けて、お前の脳みそににおいが染み付くぞ! お前は永遠に地獄の臭いをかぎ続けるんだ!』


 ああ、これぞ悪鬼のおこない、邪悪のきわみと言うものです。

 今度こそ、竜は自分の耳の奥にいる声の主が、地獄の出身であることを確信しました。


 さて、竜が頭を抱えて七転八倒していたとき、一人の運の悪い騎士がやってきました。

 光り輝く鎧を身につけたこの騎士は、竜の姿を見るなり、槍を構え、声高に名乗りを上げました。


「やあやあ、遠くの者は音に聞き、近くの者は目にも見よ! 我こそは世に名高き岩の騎士、サー・ロックンロールなり、国々を乱す悪しき竜よ、いまこそお前の首を切って、心臓を……」

「いやっかましい、俺は今死ぬほど忙しんだ!」


 名乗りを最後まで聞きもせず、竜は尻尾でぱしーんっと騎士を跳ね飛ばしました。

 哀れな岩の騎士は石ころのように山の斜面を転がり落ちたのです。

 馬はどこかに逃げ失せて、ピカピカだった鎧はボロボロに。

 おまけに兜がへこんで頭から抜けなくなりました。

 

 押したり引いたり、叩いたり、騎士どのはなんとか兜を脱ごうと必死になりました。

 しかし、泣いて喚いても、兜はがっちり大事な頭をくわえこんで、ビクともしません。

 このまま、拙者は餓えて死ぬのだろうか、こんな情けない姿のままで!

 騎士どのが絶望の淵に沈もうとしていたそのとき……。

 清水のように柔らかな声が、鉄板の隙間から耳の中に滑りこみました。


「もし、騎士どの、難渋しているご様子だが、手をお貸しましょうか?」


 岩の騎士に声をかけたのは、魔法使いでした。

 この魔法使いは毎朝、平和な王国を襲う竜と戦い、人々の平和を守ってきました。

 ところが今日にかぎって、いつもすぐに飛んでくる竜が、いくら待ってもやってきません。

 様子を見にやって来て魔法使いは、兜を脱ごうと苦心惨憺しているサー・ロックロールを見つけたというわけなのです。

 

 騎士どのは兜の隙間から、聞くも哀れな声で助けを求めました。

 それを聞いた魔法使いはうなずき、ベコベコになった兜に手を触れ、金属の声で話しかけました。


「兜よ。深く地の底で生を受け、熱と金床を良心に持つ、鋼鉄よ。そこな騎士どのの頭を放してやってくれぬか。このままでは騎士どのが気の毒だし、お前も腹を壊すぞ」


 すると今まで何をしても、がんとして動かなかった兜があっさり騎士どのの頭を吐きだしました。

 サー・ロックンロールは汗まみれの頭を撫でて、魔法使いに礼を言いました。


「いやあ、酷い目に会ったよ。一生このままかと思った」騎士どのは溜息をつきました。

『まったくだ』と手の中の兜が魔法使いに話しかけました。『あんたからも、この男に言ってくれよ。せめて一週間に一回ぐらい、髪を洗ってくれって』


 岩の騎士と別れた後、魔法使いは竜の姿を求めて山を登り続けました。

 そして池のほとりで、頭を抱えて泣いている竜を見つけました。


「どうしたのだ、竜よ。何を泣いておるのだ」穏かな優しい声で聞きました。

「助けてくれ、魔法使い!」竜は犬のように顔を魔法使いの体にこすりつけました。「地獄からやってきた悪い鬼が、頭の中に入ったんだ! そいつが俺の弱点を教えろっておどすんだよ。さもないと脳みそに地獄の馬ふんをぶつけるんだと! おまけに『トゲトゲガミガミムシ』を頭の中に放して、一生眠れないようにしてやるって……俺の弱点なんて、俺だって知らないのに」

「ふむ、なるほど、地獄の鬼とな」


 魔法使いは竜の耳の穴の当たりを見上げました。

 うっすらと虹色に光る白い頭と長いひげがぴゅっと引っ込むのが見えました。


「それから、『トゲトゲガミガミムシ』ねえ……」


 何とか笑いださないようにするのが一苦労でした。

 口元を押さえながら、魔法使いは竜の耳から覗くキラキラした眼に話しかけました。


「あー……その地獄の鬼どの? 今聞いての通り、この竜には弱点などない。これ以上、この哀れな獣をいじめるのは無益だと思うのだが、どうだろうか?」

『わたしは遠い道のりをやってきたのだ』恐ろしげな声がしました。『手ぶらでは帰れぬ!』

「ふむ、それはごもっとも。ところで私は魔法使いであり、いささか魔法の心得があります。何かお望みのものはおありですかな? もし、この竜をお許しくださるのなら――何でも、とはもうしませんが――私に出来る限りの手助けをして差し上げるが、いかがでしょうか?」

『少し待て!』


 可愛らしい足音がして、虹色に光る眼が耳の奥に消えて行きました。

 しばらくすると、竜が(彼にしては)小さな声で魔法使いにささやきかけました。


「おい、頭の中でひそひそ内緒話の声がするぜ。あいつら、二人以上いるみたいだ!」


 魔法使いは何も話さず、ただ静かにという風に竜の鼻を撫でました。

 さらに少し待つと、あの小さいが力強い眼差しが闇の中から戻ってきました。


『おい、魔法使い、お前は動物に変えられた人間を戻すもとに戻すことは出来るか?』

「お安いご用……ですが、私は今、この地を離れることができない身。かわりに良いものを差し上げよう」


 そう言って、魔法使いは懐に手を入れ、透明なガラスのビンを取り出しました。

 ビンの中に入っていたのは水のようにも、また泡のようにも見える不思議な物体。

 真昼の太陽の光を浴びて、七色にきらめいております。


「さて、この世界の果てには山の王とも言うべき巨大な山があり、その山の上には太古の混沌をたたえた泉がございます。その泉の水にはあらゆる魔法を溶かし、呪いを消し去る力があります。そしてこれは、私が自らの手で組んできた泉の混沌。もし、竜を解放してくだされば、ビンごとお渡しいたしましょう」

『でも……』戸惑いつつ語り掛けてくる声には、もう恐ろしい響きなど少しもありません。『わたしが外に出たら、そこの竜が一口でわたしたちを食べたりするんじゃない?』

「では、こう致しましょう」


 魔法使いは竜の目を見て、優しげな声で言いました。


 「竜よ。ここが潮時だとは思わないか? ここで大人しく身を引き、降参すれば、お前はこの厄介ごとから、永遠に解放されるんだよ」

「わかったよ」竜は弱々しい声でうなづきました。「降参する。俺の負けだ。もうお前が外に出ても食べたりしない。もう何でも良いから、はやく勘弁してくれよ」


 その途端、竜の耳の穴からまずはキラキラした髪の毛の女の子が、続いて太った小人が次々に飛び出したではありません。

 魔法使いは両手を広げ、笑いながら、或いは悲鳴を上げながら、落ちてくる二人を受け止めました。

 

「へえ、わたしのお父さまほどじゃないけど、貴方なかなかハンサムじゃない」相手の顔をまじまじと見ながらオパーレは言いました。

「光栄に存じます、姫さま」魔法使いはにっこり笑って、お辞儀をしました。

「なんなら、わたしのほっぺにキスをしてもいいのよ?」

「では、お言葉に甘えまして……」


 自分の頭の中から、何かが飛び出したとわかったとき、竜は目を閉じ、耳をふさぎました。

 邪悪な小鬼がどんな恐ろしい姿をしているか、わかったものではありません。

 ひょっとして、うっかり見ただけで、目が飛び出してしまうかも!


 ところが、耳をふさいで指の隙間からこぼれるのは、おぞましい雄叫びじゃなくて、可愛らしいクスクス笑いじゃありませんか。

 いったいどうなっているんだ?

 ついに好奇心に負けた竜は目蓋をあけました。

 そして目をひん剥きました。


「な、なんだ、お前は、さっきの小鬼はどこへ行った! 地獄の馬糞はどうした!」

「お前が言っている、その馬のうんちってこれのこと?」


 オパーレはにやりと笑って、大きなチョコクッキーをよく見えるように、かかげて見せました。

 現実と事実が、目と耳から入って、竜の脳みそでがちんっとぶつかり、火花を吹きました。


「お、俺はチョコレートクッキーを持った女の子に降参したのか!?」

「ええ、それも普通よりずっと小さい女の子によ」おお、オパーレの笑顔の意地悪なことと言ったら!

「あ、あんまりだあ。こんなの、酷すぎる……」


 自分の強さが自慢だっただけに、よっぽどショックだったのでしょう。

 お姫さまの言葉と笑顔にノックアウトさせられた竜は、その場でくらくらとよろめいた挙句、お山の斜面に頭をぶつけてひっくり返ってしまいました。

 さすがにちょっとかわいそうになったオパーレは、魔法使いの腕から下りて、てくてく竜の近くまで歩いていきました。

 ランチに持ってきた大きなチョコクッキーを真っ二つに割ると、その半分を竜の口の中に押し込んだのです。


「どう、美味しいでしょ? わたしのお母さま、料理上手なのよ」

「むにゃむにゃ、うめえ……こりゃ、あれだな。俺が前に食べたお姫さまと同じ味だ」


 ああ、竜の余計な一言に、隣でお昼ご飯を始めようとしていたオパーレの手が止まりました。

 そりゃ、どんな美味しそうなクッキーでも、自分と同じ味がすると言われたら、食べられませんよね?


「うえ……あんた、なんてこと言うのよ!おかげでお母さまのクッキーが食べられなくなったじゃない!」


 怒ったお姫さまは、竜の頭をげしげし蹴りつけました。

 ですが、大きさが違いすぎて、蟻に突っつかれたほども効きやしません。

 少しだけ仕返しに成功した竜は、鼻歌を歌いながら、クッキーを美味い美味いと味わいました。

 食欲のなくなったオパーレはぷりぷり怒りながら、クッキーを背負い袋の中にしまい込みます。


 と、お姫さまは魔法使いがあの年寄りの小人と話しているところを見かけました。

 魔法使いは、小人の前で腰をかがめ、頭を深く下げました。

 お城の騎士たちがオパーレのお母さまにするように、うやうやしい声で言いました。


「この世でもっとも大きく、また誰よりも小さな方よ。再びお会いできたことを光栄に存じます」

「魔法使いよ」深く染み入るような声で小人が言いました。「混沌の泉で生まれ変わったことにより、お前は再び、わしに願い事を言う権利が与えられた。これはこの世で、お前と竜だけに許された特権じゃ。何か、わしに頼みたいことはあるかね?」

「私の願いは唯一つ」顔を上げ、小人を見ました。「かつて私を導いたように、あなたさまが、あの子を導いてくださること、それだけでございます」


 オパーレは、彼女にしては珍しく、静かにそのやり取りを見つめていました。

 魔法使いと小人の間には、他の人間が口を挟んではいけないような、不思議な雰囲気があったのです。

 そのとき、誰かがちょいちょいと、オパーレに触れてきました。

 振り返ってみると、竜がひっくり返ったまま、口に生えた髭の先で背中を突っついているではありませんか。


「おい、おちびさんよ、魔法使いはさっきから、何一人でぶつぶつ言ってるんだ?」

「何って、わたしの小人と話をしているに決まっているじゃない?」オパーレは聞き返します。

「小人だって?」


 竜は目を凝らして、魔法使いたちのほうを見ました。

 竜の目は大きくて、鋭くて、風に舞うほこりだって見逃しません。

 しかし……。


「何を言っているんだ。あそこにいるのは魔法使いだけだ。小人なんてどこにもいないぞ」

「そんな、それじゃ、あんた……」


 驚いて、オパーレはもう一度、魔法使いたちのほうをよく見ようとしました。

 小人がそこにいました。

 お姫さまの目の前に、お鼻とお鼻がくっつきそうなほど近くに。


 オパーレは悲鳴を上げて飛び退きました。

 壁みたいに大きな竜の顔に張り付きました。

 小人は笑いながら、その様子を見ておりました。

 白いひげに覆われた口の前に人差し指を立てて、しーと言いました。


「その子は、まだこのわしを見るべきときが、来ておらんのだ。だから、わしが見えておらんのさ」

「あ、あなたは何なの?」震えながら、お姫さまは聞きました。

「わしはお前さんの願いを叶える小人じゃよ。だから、そんなに怯えんでくれ。なんなら、このまま、お城に連れて帰ってもいいんじゃぞ?」


 普通の女の子なら、ここで泣いて怖がって、もうお家へ帰してください、と言ったことでしょう。

 でも、オパーレはつま先から頭のてっぺんまで、普通の女の子じゃなかったのです。

 怖がるどころか、小さな胸の中で真っ赤なハートが、火をあげて燃え上がりました。


「冗談じゃないわ! わたしの冒険はまだ始まったばかりよ。こんなところで帰ってたまるもんですか!」

「ほう、いい意気込みだのう。じゃあ、お次はどこへ行くんじゃ?」ちょっと楽しそうに小人が言いました。

「決まっているじゃない」

 

 オパーレは胸を張って、小人の前に立ちました。

 やる気がありあまって、お鼻から竜に見たいに湯気が飛び出しそうです。

 

「竜はもうやっつけたわ。お次は、お母さまやみんなを怖がらせてきた、あの人食いの怪物の番よ!」


 まだまだ終わらない小さなお姫さまの大冒険。

 はてさて、お次はどうなりますことやら。

 


 

 第三話『お姫さま、怪物退治にでかけるのまき』に続く




なんというか、もう申し訳ありません。

更新すると言ったときに更新できないし、皆様のご期待を裏切ってばかりで。

ほんとにもう何をしているのやら……

でも、今月中に完結させると言う目標を目指して、できるだけのことをやっていきます、はい。

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