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土塀の町でわたしは兄の親友に恋をした。凍る国からの帰還兵はメープルホテルで出会う。  作者: レモン


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第7話  隼人は陸のために動いた

陸と美夜の父親で、さくら茶舗の主人である佐倉昭一郎は、あまり店にいない。

彼は、社交と写真撮影などの趣味に忙しい。


店頭は、ほとんど祖母と母が担当している。

父は、店にはあまり居ない代わりに、色々な活動に参加していて、社交的で面倒見が良い。顔が広くて気さくな人柄なので、さくら茶舗の販路が多くなることにも貢献している。


「父さんが、今年の開港祭の特別招待券をもらっていて、連れて行ってくれるそうだ。せっかくだから、みんなで行かないか?

戦争の影響で、今回で中止になるかもしれないよ」


ある日陸が、いつものようにさくら茶舗にいる、美夜と隼人にそう声をかけた。


開港祭というのは、この港町の開港を記念して、毎年開催されるお祭りだ。

祝祭行事なので、賑やかな市が立ち並び、音楽会などが催される。


その中で今回、父が出席する予定のものは、一般の催しとは違って、招待客のみが参加できるというものだ。


その特別な催しは、港のそばに建つ、瀟酒な建物で開かれる。

それは明治時代に、外国の有名な建築家が設計して、建てられたものだという。

普段、誰もが簡単に入れる場所ではない。


そして、その特別招待会は、その中の一番豪華な広間で、元は華族階級の人々を中心に開催されていたものだった。

参加者は、地域の名士や、紳士淑女といった人々で、これまでは、着飾った華やかな人たちの、社交場のようなものだ。

豪華な広間で音楽会などがあり、華麗な会食も合わせて行なわれるのだと聞いている。


戦争が始まってからは、士気を高揚するような歌や楽曲、戦地への贈り物の寄付などが、色んな催しの主旨になっているので、これまでのように華美なことは出来ないだろう。


開港祭全体が、そうした戦時色のあるものになっているし、以前よりずっと質素なものだろう。でなければ、開催の許可も下りない。

それでも、招待客は、普段は入れない場所で、遠来のゲストの歌を鑑賞することができるし、実際、有名な歌手が来る予定になっている。


従来どうりであれば、そこで食事会も開かれる。

娯楽が少なくなっている最近では、それでも、貴重な催しと言えた。


《そうだ》


美夜は、思いついて兄に提案した。


「陸兄さん、私より、碧伊さんを誘ったら? 今度お茶を買いに来てくれた時にでも」


自分のような子供や、兄と隼人が一緒に行くよりも、これこそ、碧伊さんのような若い女性の方がもっと適任だし、喜びそうだと思う。

碧伊さんは着ているものもおしゃれだし、ぴったりだ。

こういう時代ではあるが、人々が多く集まる社交場なのだ。


この催しは、皆が行けるわけではない。家族連れや子供でも行ける夏祭りに誘うより、ずっと洒落ている。


碧伊さんと兄が出席したら、きっと素敵だと美夜は思う。

みんなの注目を集めそうだ。


「それは、いいな」


陸に誘われたものの、あまり興味がなさそうだった隼人も賛成した。

隼人は、弓道大会や剣道大会に参加する方が向いている。


「でもなあ。次はいつ、碧伊さんが店に来るかわからないし」


陸が言う。


兄妹が、ふたりで、どうしようかと話をしているのを、隼人はそばで聞いていた。彼は陸が好きだったので、できれば力になりたいと思う。

それで、彼は自分にできることをすることにした。


隼人の父の寺のそばには、修道館という、子供から大人までを対象に、武芸の向上を目的とした剣道や弓道などの道場があり、隼人も子供の頃から、道場に通っている。


寺の境内と道場の敷地は繋がっているので、季節によって、桜や紅葉の樹々が土塀を背に道場の周りまで続いていた。


隼人は子供の頃から、長く続けているので、上級者クラスの中でも格上だった。

後輩や女子部の指導を、師範の代わりにすることもあり、門下生の顔を知っている。


週に一度、女子部の練習もやっていて、碧伊も弓道部に来ていた。

ちょうどあさって、土曜日に、隼人達上級者の稽古の前に、女子部の練習があるので、彼女が来ていれば招待状を渡すことができる。


そうすれば、開港祭に十分間に合うだろう。


「陸が手紙と、招待状を用意してくれたら、自分が土曜日に、渡すことくらいできるよ」


隼人は言った。


「手紙だって?」


陸は、慌てている。


「簡単に、集合場所と時間と、お前の名前、書いといて」


「それ位だったら、書くけど」


陸は言った。


土曜日、隼人は女子部が終わる時間に間に合うよう、早めに修道館に行った。

発案者の美夜も、一緒に来ている。


美夜が、さくら茶舗の娘で陸の妹だということは、店に何回も来ている碧伊さんは知っているはずだ。店先に居る時に、美夜も何度か会ったことがある。


隼人が、1人で話しかけるより、妹のような女の子を連れている方が、安心されて話しやすいと、兄達も思ったようだ。


女子部の終了時間が来て、稽古場の扉が開き、何人かが出てきた後、碧伊の姿も現れた。


長身の碧伊が姿勢良く、扉を開けて、道場に入ったり、出たりするとき、何か凛とした空気が漂う。

道場で、袴姿で立つ碧伊の姿も美しく、門下生たちの目を惹いていた。


これまで、隼人も師範が休みの時、代わりに、碧伊に指導をしたことはあったが、それは皆にしていることと同じで、個人的に話をしたことはない。


その隼人が、今日は待っていて声をかけたので、碧伊は少し意外そうに、立ち止まって、こちらを見た。


隼人は碧伊の前にさっさと歩いて行き、真っ直ぐ立って言った。


「あの、実は今度、開港祭があるけど、その特別招待券を、さくら茶舗の人から預かってるんだ。良かったら、一緒に行かないかと……」


碧伊はじっと、隼人を見上げていたが、


「開港祭のあの、招待客の催し?」


と、少しびっくりしたように、聞き返してきた。


隼人が頷く。


「行ったことはある?」


碧伊は、首を振って言った。


「いいえ」


そして、


「それは、いつ?」


と、聞いてきた。

碧伊は、自分が誘われたことに対しては、全く驚く様子はない。ごく淡々としている。むしろ、内容を訊ねてくる。


彼女は今まで、このように、色々話しかけられたり、誘われたりしてきたのだろうな、と隼人は思った。


「次の日曜日。今年で中止になるかもしれないらしい」


彼女は、納得したように頷いた。


「そうね、ありがとう」


それから、少しして言った。


「行ってみよう……かな」


隼人はほっとしたと同時に、逆にびっくりもした。 

碧伊がすんなりと、了承することは、滅多にないらしいと聞く。

こんなにた易く了承してくれるとは。


《良かった…》


隼人は心の底から思った。

すぐに、陸の喜ぶ顔が浮かんで、嬉しくなった。


「じゃあ、この封筒の中に、時間とか書いてあるから、確認してくれる?」


碧伊は、また平然と封筒を受け取った。手紙を差し出されることにも慣れているのだろう。


そして、手紙を読むと、怪訝そうな顔をした。


「えっと、これ、さくら茶舗の陸さんから?」


「うん。いつもお茶を買いに来てくれるからその時に、と言ってたんだけど、お店に来た時じゃ遅くなるから、道場のある日なら早く渡せると思って、俺が預かったんだ」


「そう…」


碧伊が今度は、視線を落として、考え込んでいる。


「あの」


と、碧伊は言った。


「何?」


彼女は、穏やかだが、言いにくそうに言った。


「私、やっぱり、もしかしたら、その日、行けないかも知れない。」


「え? 」


「用事があったのを、思い出したの。だから、あの、一応、返しておいた方が。ごめんなさい。どうもありがとう」


急に、成り行きが変わったので、ちょっとショックを受けた隼人は、考えを巡らして言った。


「あの、もしかして、陸と一緒に行ったら、和史が何か言う?」


碧伊は首を振った。


「和史くんは、何も言わない。そういう人じゃない。すごくいい友だちだから」


そうして、碧伊は申し訳なさそうに言った。


「ほんとにごめんなさい。さくら茶舗の人にありがとうって言ってね。

また、お茶を買いに行きます」


そして、まだ納得がいかない様子の隼人に、封筒を返しながら、小さな声で、困ったように言った。


「私、誘ってくれたのは、あなただと、勝手に勘違いしてたので」


「は?」


碧伊は、そう言って、隼人と、離れたところで、ポカンとして立っている美夜にも、丁寧に頭を下げて、帰って行った。


隼人は、ひとりため息をつく。


陸には、碧伊さんの都合がつかなかったと言うしかない。


多分、離れた所に居る美夜には、聞こえていなかったはずだ。


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