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土塀の町でわたしは兄の親友に恋をした。凍る国からの帰還兵はメープルホテルで出会う。  作者: レモン


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第1話 城下町の土塀とお茶の香り

そこは、かつて日本に存在した、最も美しく激動の「異世界」だった。


びわ色の土塀が続く古い城下町。木立に囲まれたもみじの洋館「メープルホテル」


異国が混ざり合う街で びわ色の古都、もみじの洋館


お茶の香りと、西洋の風と、十五年だけ存在した幻のホテル


「兄の親友」へのひたむきな想いを抱えた少女。


凍る大地からの帰還兵を待っていたのは、戦後の光を放つ「メープルホテル」と、変わった故郷、そしてずっと変わらぬびわ色の道だった。

誰を愛し、誰と生き、誰を永遠の記憶に刻むのか。


城下町の四季を背景に、実らない恋と、終わらない友情、そして再生の物語。

最後の一行を読み終えたとき、あなたも「びわ色の道」に立っているはずです。

びわ色の、練り土の土塀がずっと続くその町は、かつて城下町だった。

時代を経ても、変わらない佇まいが、ひっそりと残っている。


初めてその町を訪れた人々は、時間が止まった世界に引き込まれるような錯覚に陥った。突然、何百年も前の世界に足を踏み入れたような気持ちになった。


両側に続く練り壁と、地面が同じ色なので、見上げる空以外はびわ色の世界で、迷路のような道が続く。


話しながら歩く人々の声や音は、土壁の粒子に吸収されて、陽射しだけが満ちた、静かな世界を作っている。


だから、午後の昼下がりなどにその道を歩くと、向こうの曲がり角から、昔の人々がその頃の装束のまま、話をしながら歩いて来て、何事もなく傍を通り過ぎて行くような気がした。


「え、そう? ずっとここにいるから、よくわからない」


美夜美夜(みや)はここで育ってきたので、あまりにも見慣れていて、特に何とも思わない。

地方の小さな町でもあり、京都や奈良のように有名でもないし。


「兄さんがこの町に住むようになって、初めて私もここに来た時はびっくりしたものよ。いつも来る度に、雰囲気のあるところだと思うわ。ここに住みたい」


煎茶の香りたつ茶碗を手に取りながら、シルクの蔦柄のブラウスを着た父の妹の叔母は、美夜に言った。

あたりには、緑茶の茶葉の芳香が、立ち込めている。


美夜の家は明治時代から続く『さくら茶舗』という老舗のお茶屋で、その店の一角にある、樫の木の椅子と無垢材の丸卓に、立ち寄ってくれた叔母が座っている。


店内には、様々な茶葉が、硝子ケースの中に入ってずらりと並んでいて、訪れた客に、祖母や店員が、量り売りをしている。


店の背面の棚には、人が入れるほど大きな茶箱が、沢山並んでいる。


「このお茶も、美味しかったから、これも買って帰りたいわ」


叔母は、立ち上がりながら言った。


叔母は隣のS市から、友人とこの城下町の料亭で、食事をするために今日は来たのだという。美夜のいるさくら茶舗にも寄ってくれたのだ。


S市はかなり大きな地方都市であり、そこで暮らす叔母は華やかな人で、美夜は、叔母に会う度に、都会の空気を感じる。


この城下町のある地域は海にも近く、異国の船も含めて多くの船舶が行き交う海上交通の要衝の港もあって、対岸にあるS市には近い。


美夜自身は、自分の生活はこの古い町で、ごく平凡なものと思っているが、実際は、少し違っているかもしれない。


この土塀の町には、古い神社やお寺がいくつもあるが、町の中心にある、一番古い神社から、赤い路面電車の走る海岸沿いの道のところまでが、門前町と呼ばれ、趣のある、昔からの店屋が沢山並んでいる。


港から運ばれてきた新鮮な魚に、青果屋が軒を並べる市場、乾物、床屋、美容院、ふとん、畳、電気屋、自転車屋、薬屋、歯医者、整骨院、仕立ての店、本屋、金物店、和洋菓子店、洋服屋、貸衣装、呉服屋、文具屋、郵便局、銀行、カフェ、化粧品、バー、旅館、銭湯、お寿司屋、蕎麦屋、花屋、時計貴金属店、手芸屋、もっと色々。


城下町だったので、武家や華族のような人々の屋敷や別荘が、昔からこの辺りにはあった。

その土地柄のせいで、日用品に始まり、そこそこ高級で、洒落た物を扱っている店も多い。


つまり、門前町を回れば、生活がすべて程良く、整うようになっている。


凝縮された界隈は、店先を歩くだけで楽しく、昼間はいつも賑わっている。

そして夜はとても静かになる。


美夜の家族が営むさくら茶舗も、その門前町にある。

店は表通りに面していて、左隣は和菓子屋で、右隣は呉服屋、通りを挟んで斜め向かいには、銀行と郵便局がある。


高級なお茶まで色々揃っているので、お茶やお煎茶の先生、寺社の用途、贈答まで、この町のほとんどの人が、さくら茶舗に買いに来た。


そして表から見ただけではわからないが、店の奥の敷地は結構広くて、そこに家族の住まいがある。


中庭には紅葉やツツジなど、庭木が植えてあり、蔵があり、池があって、それを囲むように建てられた住まいは、部屋が大小合わせて10室位ある。


隣近所も、大体そういう作りだ。


美夜たちの通う小学校も中学校も、女学校もすぐ近くにある。


毎日、店屋の前を通って通学するので、美夜がさくら茶舗の子供だというこを、みんな知っている。

このように、古くて、活気と便利さが調和して混じり合った、商家の町に住んでいる。


学校から帰れば、店にはいつも人がいる。

店員や、元気な祖母、家には母がいる。

そして、陸という優しい兄が一人いる。


店の入り口には、飾り台があって、硝子越しに、外を往く人々が眺められるようになっている。

中の飾り台には、いつも季節の茶道具が飾られる。

毎月、主に祖母がその飾り付けをしていて、美夜はそれを見るのが、小さい子供の頃から好きだ。


節分の頃には、内側にお多福の顔を描いた、抹茶茶碗が飾られる。


桃の節句の頃には、貝合わせを模して、内側に、百人一首のような絵が描かれた貝殻型の香合や、雛の絵付けの茶碗が、飾られていた。

茶花用の花入れも掛けてある。


今は夏なので、竹籠の花入れと夏草の描かれた平茶碗が飾られている。


このように、量り売りの茶葉だけでなく、茶道具や京都などから取り寄せたお茶請けの菓子類も沢山あった。一部には珈琲豆や紅茶もある。


一年の内で、神社に祭事があるときは、門前町はさらに賑わった。


そして、今年も季節が巡って夏になり、ずっと昔から続けられてきたという、神社の有名な、伝統行事が始まる。


夕方になると、太鼓や笛の練習の音が、近くの家々や土塀に囲まれた路地に、流れてくる。


その夏、美夜は15歳だった。


「おばあちゃん、今日も暑いね」


美夜が言うと、祖母が厚みのある硝子の抹茶茶碗に、氷を入れた冷たい抹茶を、立ててくれた。そして言った。


「もう、浴衣に着替えるかね?」


美夜はすでに、母に髪を結ってもらっている。


肩位までのあまり長くない髪だったが、何とかまとめて、大きめのリボンの髪飾りを付けている。

それは浴衣を買った呉服店で、母と一緒に行って、自分で選んで買ったものだ。


「美夜、今日はどうして浴衣に? この間、みんなで揃って行く時は着ようとしなかったのに」


と、祖母は言う。


「うん……何となく」


と、美夜は言ったが、自分の中で、理由は分かっている。

彼女は、朝から2種類の浴衣や帯を出してもらっていて、どちらを着るか、まだ決められない。

髪飾りも巾着も、浴衣に合わせて2種類、買ってもらっている。


「美夜、早く決めなさい」


母が言う。


「陸もそろそろ帰って来るだろうから」


今夜は、兄の陸たちと一緒に、夏祭りにいくことにしている。

兄と、兄の友人の隼人と行くのだ。

いつものように、ついて行くだけだったけれど。


二人は美夜にとって、とても素敵な男性だ。

兄の陸は、頭が良く、穏やかな優しい性格で、美夜は兄と仲がいい。

祖母と母は、店の仕事があるし、父の謙次郎は、付き合いが多く、あまり家にいない。


父は、美夜たちにとっては、楽しく優しい父でもある。


さくら茶舗の仕事もしているが、趣味が多く、特に写真に凝っている。

最新の写真機を購入しては持ち歩き、催し事や外出のときは、いつも人や風景を写しているので、現像した写真が家には沢山ある。

家の二室は、そんな父の道具でいっぱいだ。


その頃の門前町の個人商店の店主達は、父だけでなく、個性的な人が沢山居て、皆割と裕福だった。


外出の多い父、忙しい母だったので、美夜は、子供の頃からずっと、兄のあとをついてまわってきた。

だから、その友人の隼人と一緒にいることも多くなる。


兄の親友の隼人は、同じ町にある、大きなお寺の次男坊だ。

普通は、妹が付いて来るのを、うるさく思ったりされるのだろうが、中学生の美夜が、陸について行っても、隼人は、ちびだと馬鹿にしたり、邪魔にすることもなく、兄と同じように、普通に対等に接してくれた。


茶舗に来た隼人に、美夜が飲み物を渡したり、小さなことをしてあげると、隼人は美夜を見て、必ず


「ありがとう」


と言う。


隼人は、祖母に対しても、もちろん丁寧だったし、自分より小さい者に対しても、誰に対しても態度が変わらない。


美夜にとって、隼人は兄の親友であり、自分を対等に扱ってくれる年上の異性だった。


陸と隼人は美夜が大好きな、二人なのだ。

だから、今日も夏祭りに行くのを、とても楽しみにしていた。

美夜は、薄い桃色のあやめのような花の柄の浴衣を着せてもらい、ふたりを待つことにした。

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