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011「英国式」※ツカサ視点

「やっぱり、ここに居た。常にスマホの電源を入れて持ち歩いておいてくださいねと、あれほど言ってるのに」

 カフェのカウンター席でレモンティーを左手に置き、黙々とノートパソコンを打鍵するツカサに対し、彼と同い年でストレートパンツとセットアップになっているグレーのレディーススーツを着た女が、彼の顔の前にスマホの画面を近付けながら声を掛けた。ツカサは、その不在着信欄に表示された「参藤」の文字を認めると、彼女の手からスマホを受け取りながら言う。

「アパートに寄って来たのか。執筆中に電話が鳴ると、翻訳半ばで思考が途切れるから嫌なんだと、何度も言ったはずだけど?」

「もう。ああ言えばこう言う。――すみません。カモミールティー、お願いします」

 女は、不満げにツカサの左隣に座ると、すぐに笑顔に切り替えて右を向き、左手を挙げ、カウンターの向こうにいるマスターに注文した。その手の薬指には、シンプルなデザインのシルバーの指輪が輝きを放っている。

「それで、今日は何の用なのさ? この前に受け取った原稿なら、この通り、翻訳作業の真っ最中だよ」

 ツカサがパソコンのディスプレイから目を離さず、パチパチと小気味良くキーボードを叩きながら言うと、女は膝の上にカバンを置き、中から角型二号の茶封筒を取り出して、袋の口に八の字に掛けてある紐を解きながら言う。

「ティーエム先生の訳著を精読されたファンの皆さまから、熱のこもったお便りが届いてましてね。ここで読み上げましょうか?」

 皮肉めいた口調でに女が言うと、ツカサはキーを叩く手を止めて女のほうを向き、彼女の手から封筒を抜き取りながら言う。

「おおかた、僕の翻訳のここがおかしいと指摘したものなんだろう? これが終わったら、目を通すよ」

 そう言うとツカサは、足元にある籐で編まれた荷物籠に封筒を落し入れ、執筆を再開する。女は足元に屈み、同じ籠の空いてるスペースにカバンを入れる。そして顔を上げ、ガラス製のティーポットとカップ、それからひっくり返したばかりの砂時計が自分の前に置かれるのを見てとると、マスターに軽く会釈した。

「毎度毎度、ご苦労さまなことよ。そこまで言うなら、自分で一から訳してみなさいって話じゃない」

 蜂の腰のようにくびれたオリフィスを、青く輝く砂粒が重力に従って通過し、下方に小さな砂山を築くのを眺めつつ、女は溜め息まじりに言った。ツカサは、軽くヘヘッと笑いながら言う。

「そんなこと言ったって、言い返す詭弁は、いくらでもあるだろう。――我々は卵を産んだことはないが」

「卵が腐ってるかは判断できる、でしょう。水掛け論ね」

「そう。だから、こういう場合は、下手に取り合わず、何も言わないのが最良策なんだよ。そうしたら、向こうが勝手に矛先を変えるから」

「根本的な解決になってないけどね。――そろそろ、飲み頃かしら」

 そう言いながら、女はティーポットを持ち上げ、ユラユラと涼やかに若草色の茶葉を揺らしつつ、静かに淡いリーフグリーンの液体をティーカップへ注いでいく。ツカサは、カップに残ったレモンティーを飲み干すと、カップの底を覗き込みながら沈思する。

――飲んだら帰れよ、と言ったら拗ねるだろうか。でも、早くオフィスに帰さないと、夫でもある編集主任が飛んでくるからなあ。こちらには、もう何も疚しいことはないんだけど。

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