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009「在室中」※シゲル視点

「頼むよ、一橋。この通り」

「どの通りなんだよ、壱関(いちのせき)

 シゲルと、彼と同い年の男が、応接セットに向かい合わせに座っている。そして、シゲルの向かい側に座る男は、両手の平を合わせて頭上に掲げ、シゲルを拝むようなポーズをとっている。男の首からは、壱関という名札が下がっている。

――まったく。緊急事態だというから、昼食も摂らずに研究室に来てみれば。

「だいたい君は、昔から安請け合いしすぎだ。二つ返事で引き受けていれば、どこかでシワ寄せがくるに決まってるじゃないか。自業自得だね」

 眉間に皺を寄せながら、シゲルが呆れ半分に冷たく言うと、男は憐れみを誘うような情けない声で言う。

「そこを頼みますよ、一橋大明神さま。一回だけで良いからさ」

「学会発表のため休講にします、ということでは駄目なのか? 僕らが学生の頃には、よくあっただろう」

 シゲルが心底面倒臭そうに言うと、男は眉根を寄せながら困ったように言う。

「まあな。でも、今は昔の話だ。こっちでは、まだその手が通用するけど、女子大のほうは駄目なんだよ。高い学費を払って娘を預けてるんだから、しっかり勉強させてくれって、保護者が五月蠅いんだとさ。ちゃんとした代わりを立てないと、教務部が抗議の電話で鳴りやまなくなるらしい。なあ、頼むよ」

「わかった。今回だけは、引き受けよう。ただし、これからはダブルブッキングさせないように」

 やれやれといった様子でシゲルが承諾すると、男はニコッと屈託ない笑みを浮かべながら言う。

「サンキュー。やっぱり、持つべきものは友だな」

――調子の良い奴め。ときどき何かとやらかすけど、何故か憎めないから困る。

「それにしても、もう大学生だというのに、過保護な親だな。猫可愛がりしすぎては、甘っちょろい人間にしか育たないというのに」

 ローテーブルから湯呑みを持ち上げながらシゲルが言うと、男は近くに置いていた風呂敷包みを解きながら言う。

「独身者らしい意見だね。いざ自分の娘を持ったら、変わるだろうよ。――後ろから、割り箸を取ってくれ。二膳な」

 男は、包みの中にある重箱の蓋を開けながら、シゲルの背後にある棚を指さして言った。シゲルは、その指先から推測される延長線上に視線を走らせ、ファンシーな動物の描かれたカップに無造作に入れられた使い捨て食器類を見つけると、個包装されたスプーンやフォークをよけつつ、爪楊枝の同封された割り箸を二膳引き抜き、ローテーブルに置く。そして、そのうち一膳の封を切りながら言う。

「八歳だったか、九歳だったか。たしか、もう小学生だったな」

「ああ。おかげさまで、順調に育ってるよ。妻に似た、沈魚落雁の美人さ」

 男が、手早く割り箸を取り出して割り、裏返した蓋の上に重箱の中身を半分ずつ移しながら調子よく言うと、シゲルは、口の端をわずかにニヤリと吊り上げつつ、からかうような調子で言う。

「親の欲目じゃないか? 半分は、君の遺伝子が入っているんだろう?」

「何だよ。俺がブサイクだって言いたいのか? 言っておくけど、俺を選んだのは彼女のほうだからな」

 頬を膨らませ、口を尖らせながら不満げに男が言うと、シゲルは、不器用に割り箸をパキッと割りながら言う。

「僕がカリフォルニアへ留学に行かなかったら、違ったかもしれないだろう。――バランスの悪い割れかただな」

「まだ言ってる。もう過去の恋は諦めろよ。仮定の話は、ドラマの中でだけ成立するんだぜ、一橋。――いただきます」

 そう言うと男は、重箱の中から卵焼きをつまんで口に運ぶ。シゲルは、その健啖ぶりを眺めつつ、里芋の煮物に箸を伸ばす。

――こうしてたら、ああしてれば、なんて考え出したらキリが無いか。あのときは研究成果を上げようと必死だったし、早く教授になりたかったからなあ。壱関は、准教授のままでも気楽に構えていられるみたいだけど、僕には、そんな能天気な真似はできないし。


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