第8話「帝国の雷鳴と王国の黄昏」
ガルディナ帝国の宣戦布告。
その報は雷鳴のようにリンドブルム王国を震撼させた。
帝国はかねてより領土問題で対立していた国境地帯の砦をリンドブルム側が不当に占拠していると主張。
それを口実に大軍を国境線へと差し向けたのだ。
その数、実に五万。
対するリンドブルム王国が国境防衛のためにかき集められた兵力は、わずか一万五千にすぎなかった。
王都は未曾有の国難にパニック状態に陥った。
老王フリードリヒ三世は病床にあり、もはや采配を振るう力はない。
国政の実権を握る第一王子ジークハルトは勇ましく開戦を叫んだものの、具体的な戦略など何も持ち合わせていなかった。
「案ずるな! 我がリンドブルムの騎士の勇猛さをもってすれば、帝国の蛮族など物の数ではないわ!」
ジークハルトは玉座の間でそう豪語し、貴族たちを鼓舞した。
彼が頼りとするのは、重厚な甲冑に身を固めた騎士たちの個人としての武勇だけだった。
時代遅れの騎士道精神にすがり、数の差も装備の差も精神論で乗り切れると本気で信じているのだ。
第二王子クラウスをはじめとする他の兄たちも互いに責任をなすりつけ合い、足を引っ張り合うばかりで王国は全く一枚岩になれていなかった。
『愚か者どもめ……』
テルフォードでその報を受けたアルスは、吐き捨てるように心の中でつぶやいた。
彼はエミリアやゴードン、そして警邏隊の隊長などを集め、緊急の対策会議を開いていた。
壁に貼られた地図には帝国軍の進路が赤い線で示されている。
帝国軍は圧倒的な兵力で国境の砦を次々と陥落させ、破竹の勢いで王国の心臓部へと迫りつつあった。
「王国軍の主力は、カサンドラ平原で帝国軍を迎え撃つ構えのようです。ですが……」
エミリアが厳しい表情で報告する。
「ですが、戦況は絶望的、でしょうな」
ゴードンが腕を組んでうなる。
彼は商人として帝国の事情にも詳しかった。
「帝国の軍隊は、厳しい規律で統制され、兵士一人一人がよく訓練されていると聞きます。指揮官の命令一下、一糸乱れぬ動きで集団戦術を展開する。我々の、手柄欲しさにバラバラに突撃する騎士様たちでは、到底太刀打ちできますまい」
ゴードンの予測は数日後に最悪の形で現実のものとなった。
カサンドラ平原の会戦。
リンドブルム王国軍は帝国軍の巧みな包囲戦術の前に、なすすべもなく大敗を喫した。
総大将を務めたジークハルトはわずかな手勢と共に命からがら戦場を離脱。
一万五千の兵の半数以上が死傷あるいは捕虜となり、王国軍は事実上壊滅した。
この敗北は王国の命運に決定的な影を落とした。
王都への道を開いてしまったのだ。
人々は帝国の襲来に怯え、王都からは富裕層の逃亡が相次いだ。
王国の権威は失墜し、もはや国としての体をなしていなかった。
ジークハルトは敗戦の責任を部下の将軍たちに押し付け、王宮に閉じこもってしまった。
彼にはもうこの事態を収拾する力も、気力も残されていなかった。
まさに王国の黄昏だった。
テルフォードの代官の館にも重苦しい空気が漂っていた。
王国の崩壊はもはや時間の問題に思われた。
「アルス様、我々も……逃げる準備をすべきでは?」
ゴードンがおそるおそる口を開いた。
彼の言うことも無理はない。
テルフォードは帝国軍の進路上からは少し外れているが、王都が陥落すればいずれ戦火に巻き込まれるのは必至だ。
だが、アルスは静かに首を振った。
その瞳には諦めの色など微塵もなかった。
「逃げない。ここで、我々が帝国を止める」
「なっ……!?」
その場にいた全員がアルスの言葉に耳を疑った。
「無茶です、アルス様! 帝国軍は五万、いや、カサンドラで勝利し、さらに勢いづいているでしょう! 我々の警邏隊など、わずか数百名。赤子同然です!」
警邏隊の隊長が悲鳴に近い声を上げる。
だがアルスの決意は揺らがなかった。
「兵の数ではない。戦は、やり方次第だ。それに、我々には……切り札がある」
アルスは立ち上がるとバルツの工房へと向かった。
そこにはアルスの命令でこの一年間、密かに準備されてきた新しい武器が眠っていた。
工房の武器庫の扉が開かれると、そこに整然と並べられていたのは剣でも槍でもない、見慣れない鉄の棒だった。
それはマスケット銃。
火薬の力で鉛の弾を撃ち出す、原始的ながらもこの世界の戦争の常識を覆す威力を持った銃器だった。
アルスが前世の知識を元に設計し、バルツがその製造法を確立したテルフォードだけの秘密兵器だ。
さらにその奥には、より小型で軽量化された大砲も数門並んでいた。
従来の巨大で移動も困難な鋳鉄製の大砲とは違い、青銅で作られたこれらの大砲は馬で容易に牽引でき、装填速度も格段に速い。
「こ、これは……」
初めて見る兵器の数々にエミリアたちが息をのむ。
「我々は、テルフォードの民と共に、義勇軍を組織する。そして、この新しい武器で、帝国軍を迎え撃つ」
アルスの声は静かだったが、絶対的な自信に満ちていた。
彼はこの日のために教育を施し、街を豊かにし、民からの信頼を得てきたのだ。
テルフォードの民はもはや無気力な農民ではない。
自分たちの手で未来を切り拓く力を持った市民へと成長している。
彼らならきっと共に戦ってくれるはずだ。
「テルフォードの防衛線を、帝国軍の進路上にある、古城砦『黒鷲城』に設定する。あそこは、三方を険しい崖に囲まれた天然の要害。少数の兵で、大軍を食い止めるにはうってつけの場所だ」
アルスは地図を指し示しながら淀みなく作戦を説明していく。
その姿はもはやただの地方代官ではなかった。
国家の存亡を一身に背負い、歴史を動かさんとする一人の司令官の姿だった。
「王国が黄昏を迎えるというのなら、我々が、新しい時代の夜明けを告げる光となろう。テルフォードの、いや、リンドブルムの民の底力を、帝国に見せつけてやる」
アルスの宣言に、最初は戸惑っていた側近たちの顔にも次第に決意の色が宿っていった。
絶望的な状況の中で彼らの主君だけが確かな勝利への道筋を見据えている。
その確信が彼らに再び立ち上がる勇気を与えた。
王国の運命を賭けたアルスの壮大な戦いが、今始まろうとしていた。




