第5話「王都の策謀と見えざる手」
テルフォードのガラスが海路という新たな販路を得たことで、ジークハルト第一王子の目論見は完全に外れた。
彼が設定した高額な通行税は自分自身の支配する街道の価値を暴落させただけで、テルフォードにはほとんど打撃を与えられなかった。
むしろジークハルトの器の小ささを露呈する結果となり、彼の派閥に属する商人たちからの信頼を損なうことになった。
王都の社交界では、辺境で成功を収める第五王子アルスと、それに嫉妬して見苦しい妨害をする第一王子ジークハルトの噂が面白おかしく囁かれていた。
「あのアルスとかいう弟、なかなかやるではないか」
「それに比べてジークハルト様は……」
こうした声は、ジークハルトのプライドを深く傷つけた。
彼は今まで虫けら同然に扱ってきた弟にしてやられたという事実に我慢ならなかった。
「小賢しい真似を……! あの小僧、絶対に許さん!」
ジークハルトの執務室で、怒号が響き渡った。
彼は次の手を打つことにした。
今度はもっと直接的で、陰湿なやり方だ。
彼は腹心の部下に命じ、テルフォードの評判を貶めるための工作を始めた。
王都に、テルフォードのガラスは呪われた製法で作られており、所有者に不幸をもたらすという根拠のない噂が流され始めた。
さらにゴードンの商会が取引する相手に対し、テルフォードと関わる者は第一王子派からの不利益を覚悟せよという圧力がかけられた。
経済的な妨害から、情報戦と政治的圧力へ。
ジークハルトの攻撃はより本格的なものになっていた。
その報告は、すぐにテルフォードのアルスのもとへも届いた。
「ふむ、今度は風評被害と圧力か。兄上も、いよいよ本気になってきたな」
アルスはゴードンからの報告書を読みながら冷静につぶやいた。
彼の隣には、いつの間にか彼の右腕として行政を取り仕切るようになっていた若き女性官僚エミリア・クラインフェルトが控えていた。
エミリアは元々は王都の中央官庁に勤める下級貴族だった。
しかし腐敗した貴族社会と非効率な行政に絶望し、野に下ろうとしていたところをテルフォードの噂を聞きつけ、自らアルスに仕官を申し出てきた才媛だ。
その的確な分析力と事務処理能力は、今やテルフォードの運営に欠かせないものとなっていた。
「アルス様、このままでは、ゴードン殿の商売に支障が出ます。何か対策を打たねば」
エミリアが心配そうな顔で進言する。
アルスは頷き、静かに言った。
「もちろんだ。だが、正面から反論しても効果は薄い。噂というものは、否定すればするほど広まるものだからな。こういう時は、もっと大きな、別の話題で上書きしてやるのが一番だ」
アルスは一枚の羊皮紙をエミリアに手渡した。
そこには驚くべき計画が記されていた。
「これは……活版印刷、ですか?」
エミリアが目を見開く。
その設計図には金属製の活字を組み合わせて版を作り、インクを塗って紙に押し付けることで同じ文章を大量に印刷する技術の原理が描かれていた。
この世界にも木版印刷の技術は存在するが、版木を彫るのに手間がかかり大量生産には向いていない。
金属活字を使ったこの方法は、まさに革命的だった。
「バルツに、この活字と印刷機を作らせる。そして、我々自身が情報の発信源となるのだ」
アルスの狙いは二つあった。
一つは安価な書物を作り、民衆の識字率を上げ、教育を普及させること。
そしてもう一つは新聞のような定期刊行物を発行し、王都の世論を自分たちに有利な方向へ誘導することだった。
『情報戦には、情報で対抗する。兄上が土俵に上がってきたというのなら、その土俵ごとひっくり返してやるまでだ』
バルツはまたしてもアルスが持ち込んだ奇妙な機械の設計図に頭を抱えながらも、職人魂を燃やして活版印刷機の開発に取り組んだ。
数ヵ月後、テルフォードの工房で王国初の活版印刷機が産声を上げた。
アルスはまず手始めに簡単な計算ドリルや民話を集めた子供向けの本を印刷させ、テルフォードに新設した簡易な学校で教材として使い始めた。
読み書きのできる親が子供に本を読んで聞かせる。
そんな光景がテルフォードのあちこちで見られるようになった。
そしてアルスは満を持して、週刊の新聞『テルフォード通信』を発行した。
ゴードンの持つ販売網を使い、王都でも安価で販売させた。
その内容は巧みだった。
ジークハルトへの直接的な批判は一切せず、代わりにテルフォードの発展の様子や、ガラス製品がいかに人々の生活を豊かにしているかといった明るいニュースを中心に掲載した。
また王国の農業政策の問題点を指摘するような、専門家による論評も載せた。
そしてその紙面の片隅に、こういった短い記事を紛れ込ませた。
「王都の某有力貴族、ガラス製品がもたらす富を独占するため、根拠のない噂を流しているとの情報。民の豊かさよりも、自らの利益を優先する姿勢に、民衆からは失望の声も」
個人名は一切出していない。
だが王都の事情に詳しい者なら、誰のことを指しているかは一目瞭然だった。
『テルフォード通信』はその目新しさと情報の速さから、王都で爆発的な人気を博した。
人々は今まで貴族たちに独占されていた情報が手軽に手に入ることに熱狂した。
そして世論はゆっくりと、しかし確実にアルスに有利な方向へと傾いていった。
人々は辺境で次々と新しい事業を成功させる若い王子に称賛の声を送り、その邪魔をする古い権力者を冷ややかな目で見るようになった。
ジークハルトが流した呪いのガラスの噂はいつの間にか立ち消え、『テルフォード通信』が報じる新たなニュースの渦に飲み込まれていった。
ジークハルトは自分の執務室で『テルフォード通信』を握りつぶし、怒りに体を震わせていた。
「おのれ、アルス……! 俺の土俵で相撲を取るどころか、新しい土俵を勝手に作りおった!」
彼は自分が情報という見えざる手によってじわじわと追い詰められていることに、ようやく気づき始めていた。
だが、すでに流れはアルスに傾きつつあった。
アルスはテルフォードの執務室で最新号の『テルフォード通信』に目を通しながら、静かにつぶやいた。
「兄上、これが新しい時代の戦い方ですよ」
彼の視線はもはや王都の兄ではなく、その先にある王国の、そして大陸全体の未来を見据えていた。




