~百二十四の巻~平凡な幸せ
珠は大海様と出逢い、ご両親のお気の毒な過去のいきさつを伺う中で、毎日何気なく起こる些細で他愛なき出来事の数々、其の中に潜む小さな喜びや悲しみ、其の様な当たり前の日々の営みこそが、私達が生きていく上で如何に大切なのか、漸く理解したのだった。
今、珠には其の全てが愛おしく思えた。
大海様のお母上様も、恐らく其の事に気付いていらしたのだと思う。
其れ故大海様には、ご自身が望んで得られなかった極当たり前の幸せな日常を過ごして欲しいと、願うておられたのではないだろうか?
そして恐らくセイも・・・。
いつの日か来世で再び出逢えたなら、其の時こそ、平凡で何の変哲も無く普通の毎日を共に過ごしてゆきたいと、願うてくれておったのだと今なら解る。
セイと別れて以来、空の青さも、花々の可憐さも、街の噂も、冬の寒さも、何もかもが珠にとってはどうでもよい事だった。
然れど今は其れを感じる事が出来た。
珠の周囲は再び色づき、風が運んでくる隣家の子供達の騒ぎ声と、其れを諫める乳母の声ですら、耳に心地好い。
何故今迄、己の耳に届いて来なかったのか不思議な程の喧騒が、此程身近に有ったのに、珠の耳には一切何も入って来なかったのだった。
(お義母上様、大海様と私は、お二人が望んでいらした普通の幸せを叶えて、共に歩んで参ります。)
(どうか見守うていらしてくださりませ・・・。)
私はこれから前を向き、過去は過去として、大海様の事だけを考えて生きてゆくのだ。
◇◇◇◇
珠が今日に至る迄の感慨に耽っておる間も、花嫁行列は恙無く、大海様が居られる庵を目指して進んでおった。
然うしていよいよ、遠くに庵が望めるという所に差し掛かった時、
「わぁー!」
突然大きな叫び声が上がり、辺りが騒然となった。
何が起こったのか解らぬ私が、輿の戸を開けようとすると、
「姫様、開けてはなりませぬ!」
風矢の鋭い声が遮った。
「笹野!」
風矢が笹野を呼ぶ声は緊迫しておる。
「はい、此方に!」
「輿の傍におれ!」
笹野にそう指示すると、
「はい、何がござりましても、姫様のお傍は離れませぬ。」
「よし!」
「皆の者、姫様のお輿の周囲を固めよ!賊を近付けてはならぬ。」
次に他の護衛に鋭い声で指示した。
「「「はっ!」」」
皆の返事が聞こえた途端、
「曲者だ!曲者だ!」
という怒声があちらこちらから上がった。
「きゃああ!」
其の怒声と共に、随行しておる侍女達の甲高い悲鳴が聞こえる。
「何奴だ?右大臣家の花嫁行列と知っての狼藉か!」
あちらこちらから入り交じった怒声と悲鳴に、辺りの様子がさっぱり掴めぬ。
「笹野!どうしたのです!?何が起こっておるのです!?」
私が居ても立ってもおられずに笹野に問い掛けると、
「はい、姫様!何者かがこのお行列を、襲撃して参りました。」
「賊の数は、此処から見る限りでは、十人程でござります。」
「然れどご心配には及びませぬ、右大臣様が万一に備え、警護には、当家家人の中でも腕の立つ、選りすぐりの剣豪ばかりを随行させておりますれば、程なく全員捕らえられる事でしょう。」
笹野はやはり肝が据わっておった。
斯様な状況でも、いつもと変わらぬ落ち着いた声音だ。
私は今更ながら彼女の度胸に感服し、頼もしい幼なじみが常に傍におってくれる私は、真に果報者だと思うた。
「姫様、様子が分からずにご不安でしょうが、今暫く其のままでいらしてください、絶対外に出てはなりませぬ!宜しいですね?」
風矢の緊張した声に、皆の身が案じられたが、私には何も出来ぬ、私に出来る事は皆の足手まといにならぬ様にする事だけだ。
「ええ!解っております、風矢、気を付けて!」
短くはっきりと応えると、
「承知!」
「殺してはならぬ、生かして捕らえよ!」
風矢の大声が其の場に響いた・・・。




