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~百二十三の巻~大海様

 『其れと、後一つ、後一つだけ、お尋ねさせて戴いても、宜しゅうござりまするか?』


私が失礼を承知で再度お伺い申し上げると、


『前にも申しました、私達は夫婦になるのです、お知りになりたい事は、何なりとお尋ねください、全てにお答え出来るかどうかは分かりませんがね。』


と又片目を瞑られた。


私は大海様の其のおどけられた仕草を、好ましく思い始めていた。


『其れでは伺わせて戴きまする、大海様のお名を名付けられたのは、陛下にござりまするか?』


『如何にも、私の名を名付けてくだされたのは父上と伺っております、兄上方は、父上を差し置いて、左大臣殿が名付けられた様ですが・・・。』


『やはりそうでござりましたか・・・。』


『珠姫?先程から一体何を申されておいでなのですか?』


『大海様は、お気付きになられておられぬのですか?斯様にご聡明で有らせられますのに・・・。』


人は自身の事には疎いと申しますが、真でござりますのね。


心を打ち解けた気安さで、少しだけ意地悪を申し上げると、


少しご気分を害されたご様子の大海様は、


『私は聡明などとは縁遠い、貴女に恋する唯の男だと何度も申し上げておるではありませんか。』


意地の悪いお言葉など、貴女には似合いません、早く教えてください、と拗ねた様に仰る其のご様子が、私より遥かに大人の男の方に対し失礼かもしれぬが、可愛いと思うてしまうた。


『此れもあくまでも私の推量に過ぎませぬが・・・、』


そう前置きさせて戴いた上で、


『“珊瑚” は美しい海の底で静かに暮らしております、大きく広がる美しい海の底で・・・。』


『つまり陛下は、御自ら常にお傍で守うて差し上げる事が出来ぬお義母上様を、いつか其の広く深い懐で守うて差し上げて欲しいと、其の願いを込められて、“大海”様 と名付けられ、ご自身が叶える事が出来なかった想いを、愛する珊瑚様との間に出来た最愛のご子息で有らせられる大海様に託されたのでは無いでしょうか?』


『あっ、』


『嗚呼・・・、』


『嗚呼!父上、母上、お許しください、私は今の今迄お二人の想いに気付きもせず・・・、』


『大海様、違いまする!!!』


『お義母上様は、ですからお幸せでいらしたのです。』


『陛下にお会い出来ずに、其れは勿論お淋しい日も有られた事でしょう、然れどお義母上様のお傍には、常に大海様がいらした。』


『以前より私もお父様から聞かされておりましたが、私も結納の日に、初めてご尊顔を拝し正直驚きました。』


『大海様は陛下のお若い頃に生き写しだと、皆様口を揃えて申されていらっしゃるそうです。』



◇◇◇◇


 『大海、今宵は冷えます、共に此方(こちら)で休みましょう。』


『大海、梅の花が満開ですよ、一緒に散歩致しましょう。』


『大海、まぁ、斯様なところで何をなされておられるのです、全くやんちゃで、誰か様のお小さい頃に、真に良く似ていらっしゃる。』


(母上!!!)


『大海、大海、私の大切な大海。』


『大海、大海、』



◇◇◇◇


 母上のお声が耳に木霊する。


いつもいつも大海、大海と私の名を呼び、私の傍を決して離れる事の無かった母上。


父上となさりたかった事を、私となされていらしたのですね?


父上と過ごされたかった時を、私と過ごされていらしたのですね?


『お義母上様が、此方(こちら)の墓稜ではなく内裏近くにお眠りになられたいと仰せでしたのは、陛下の御為ばかりでは無く、内裏には大海様もお出ででござります故・・・。』



◇◇◇◇


 『いつ如何なる時も、母は貴方の傍で貴方を見守うております、其れをお忘れにならないでくださりませ。』


(母上・・・、母上が御罷られて(のち)、私はずっと孤独を感じておりました・・・、内裏にも何処にも、私が心許せる人など居られず・・・。)


恐らく、いずれ私が其の様な孤独を感じる事を、母上は見越されていらして、其れ故・・・。


漸く気付いた母上の深い愛にも、今更何も返す術も無く、己の未熟さを悔やみながら、私が言葉を無くしておると、


『大海様、子を想う母の愛とは無償の愛と申しませぬか?私には、まだ子が居る訳ではござりませぬ故、母親の真の想いは解りませぬが、私のお母様も、病に倒れ、ご自身が最早起き上がれぬ状態であられて尚、申されておられたのは私の事ばかりだったと、乳母の春野から何度も聞かされました。』


私も大海様と同じ思いでござります、と申して、私の手に其の白い手をそっと重ねてくれた珠を、私の妻となる人を、強く強く抱き締めた。



◇◇◇◇


 其の後、私達は休憩を終えると、再び頂上の墓碑を目指した。


中腹でも十分に雄大な景色だったが、頂上からの眺めは又格別だった。


『凄い!』


私が感嘆の声を上げると、


『此処迄頑張って登られた甲斐があったでしょう?』


『私も初めて此処を訪れた際には、実はかなり途中で参りましたが、此処迄登り終えたら、其れ迄の辛さは全て消し飛びました。』


墓前に着くと、大海様がお義母上様に話し掛けられた。


『母上、本日は婚約のご報告に参りました。』


『私の妻となる珠にございます、私が初めて生涯を共にしたいと望んだ、唯一人の、大切な姫です。』


『大海様・・・。』


大海様は、隣で手を合わせておる私の手に、ご自身のお手を重ねると、


『母上、漸く先程気付いたのです、父上と母上が私に与えてくだされた深い愛は、私がいつか愛しく思える方と出逢うたら、其の方に、私が父上と母上に戴いた想いと同じ想いを伝えて欲しいという言伝だったのですね。』


『大海様・・・。』


『珠姫、いや、珠。』


『母上の御前で改めて誓います、父上と母上が叶えられなかった穏やかな毎日を、貴女に捧げます。』


『共に喜び、共に悲しみ、共に楽しく歩んで参りましょう。』


『はい。』


『お義母上様、初めてお目に掛かります、珠にござります。』


『大海様と家族となる事、お許し戴きたう存じます、大海様にいつも笑うていらして戴ける様な、明るい柊家を作うて参ります故。』


其の時、一陣の風が私達の周囲を吹き抜け、私の胸元の硬玉が、美しい翠色の光を墓碑に向けて放ち、其の光を受けた墓碑が翠色に染まり、キラキラ眩しき輝きを放ち出した。


お義母上様が、私が大海様の伴侶となる事を許してくだされた。


この時私は、長い間孤独に耐えていらした大海様を幸せにして差し上げたいと、心から願うたのだった。


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