~百二十二の巻~お義母上様
都を一望出来る、代々の皇族の方々が眠られておられる皇家の墓所。
其処には入られたく無いと申されていらしたお義母上様。
此方からは確かに都は一望出来るけれど、内裏は遥か彼方に霞んで見えるだけ。
お義母上様は陛下の少しでもお近くに在りたいと仰っていらした。
『私の様な者が差し出がましい事ではござりまするが、私にもお義母上様のお気持ちは、少しだけ解る気が致しまする。』
『此方の墓所には、お義母上様以外のお妃様方も皆様入られるのでござりましょう?』
『お義母上様は陛下のお傍にお一人で、お休みになられたかったのではござりませんでしょうか?』
『一人で?』
『はい、御罷られた後の世で迄、皆様と陛下の寵を争う事が無き様、お一人でひっそりと、陛下をお見守りになられたかったのだと存じます。』
『・・・』
『確かに母上は、常に他の皆様にご遠慮なされておいででしたが・・・。』
そう申されると大海様は、遠い目をなされて、静かに語り出された。
◇◇◇◇
『母上が入内なされた時には、既にご正妃様と第二皇子の母君が奥にお出でだったと聞き及んでおります。』
『母上の方が第二皇子の母君より身分は上でしたが、あちら様は母上よりご年長で有らせられましたし、何より先に輿入れなされてお出ででした、然も後ろ楯は左大臣家・・・。』
『左大臣家?』
『はい、左大臣殿の一族が権力を欲しておられるのは、何も今に始まった事ではありません。』
『先代の左大臣殿、つまり現左大臣殿の父君は、己の妹を、当時まだ皇太子で有らせられた父上に入内させる為に、あれやこれや画策なさり、帝に圧力をかけて、とうとう己のどす黒い野望を成就させました。』
『然れど、肝心の世継ぎがなかなか出来ず、其れに業を煮やした左大臣殿は、当時一族に他に年頃の姫が居られなかった為、有ろう事か、妹であるご正妃様の側仕えとして参内させておった侍女を、父上の寝所に送り込んだのです。』
『勿論ご正妃様はご承知の上です。』
『ご正妃様も兄の左大臣殿同様、煌びやかな宮中の暮らしにしか興味が有りませんでしたから、己で無くとも、息のかかった者が世継ぎを産みさえすれば、其れで良かったのですよ。』
『皮肉にも其の直後、ご正妃様の懐妊が判明した訳ですが・・・、結局時期を少し前後して御二方共に皇子を授かり、ご正妃様の皇子が、退位された帝に代わり即位された父上の皇太子となられたのです。』
『然れど皇太子殿下は、生まれつきご病弱な体質で有らせられた為、第二妃の身分が低い事もあり、己の地盤が揺らぐのを恐れた左大臣殿は、更なる手段として、母上に目を付けました。』
其処で言葉を切られて大海様は、哀しげに瞳を揺らされた。
そうして溜め息を一つ吐かれると、
『父上と母上は幼なじみでいらしたのですよ、何の約束も交わされてはおられなかった様ですが、お互いに想い合っておられたのです。』
『左大臣殿は己が二人を引き裂いておきながら、今度は中立だった母上の実家を利用して、母上を入内させたのです。』
大海様は其処で又言葉を切られ、唇を噛み締め、中空の一点を見つめていらした。
其れはまるで其の場所に、お義母上様の幻影をご覧になられておられるかの様だった。
『母上はいつも部屋の裏窓から、父上がお通り遊ばされるのを密かにお見送りになられておられました、他の方の部屋からお帰りになられる父上の後ろ姿を。』
『父上も左大臣家に気兼ねされて、いや、今思えば母上に危害が加えられぬ様に思われていらしたのかもしれませんが、母上の元にお出でになられるのは、七日に一度程でした。』
『其れでも父上がお出での際には、いつも明るく振る舞われておいでで、私も幼いながらに、父上にご無理を申すまいと心に誓うておりました。』
『故に、母上が病に倒れられた折には、酷く己を責めたものです、何故父上に母上のお淋しさをきちんとお伝えしておかなかったのかと、其れが出来たのは、この世で私唯一人だったのですから!!!』
大海様はやり場の無い怒りをぶつけるかの如く、声を荒げ唇を噛み締められた。
『結局・・・、母上は最期迄・・・、父上に傍に居て欲しいとは申されませんでした・・・。』
荒げられた声は、無念と後悔が入り混じった、ぽつりぽつりと紡がれる力の無い弱々しい声へと変わり、やがて其のお声さえも消え入りそうだった・・・。
『つかぬ事をお伺い致しまするが、お義母上様のお名前は、もしや “珊瑚”様、 ではありませぬか?』
『・・・』
唐突な私の無遠慮な質問に、過去の辛い記憶に心を荒げていらした大海様は、訝しげな瞳を隠そうともせずに、
『如何にも、母上のお名は、 “珊瑚” ですが・・・、』
其れは、日頃の穏やかな大海様からは想像もつかぬ程、投げ遣りな物言いだった。
私は己の発言の気遣いの無さに恥じ入り、
『ご不快な物言いをしてしまいまして申し訳ござりませんでした。』
どうぞお許しくださりませと大海様に頭を下げた。
すると大海様は慌てられたご様子で、
『いえ私の方こそ、声を荒げてしまい申し訳ありませんでした、どうぞ頭を上げてください、お見苦しいところをお見せしてしまいました。』
『もう私と添うのがお嫌になられてしまわれましたか?』
『もし後悔なされておいででも、申し訳ありませんが、貴女を放して差し上げるつもりはありませんよ。』
もう結納も取り交わしてしまいましたしね、と片目を瞑られておどけて仰る大海様は、もういつもの大海様だった。
『其れにしても、よくご存知でしたね、ひっそりとお過ごしになられておられました故、余り知る者は居らぬのですが・・・。』
『いえ・・・、実を申しますと、書いてござりまして・・・、もしやと思い当たりました。』
『はっ?書いて?母上のお名がですか?』
一体何処に?とあのご聡明な大海様がしきりに首をかしげていらっしゃるのが、大変失礼ながら、何とも愉快だった。
『此方に、でござります。』
私は大海様から求婚された際に頂戴した、あの硬玉の首飾りを手に取って、大海様の目の前に翳して差し上げた。
『はっ?この玉に母上のお名が?』
『はい、本当に明るい陽の下で無いと分からぬ程の小さき文字が刻まれておりまする。』
『実は余りに美しい色合いの硬玉故、陽に翳して何度も何度も拝見させて戴いておったのです。』
『そうしておる内に、此方に何か刻まれておる事に気が付いたのです。』
私は大海様に文字を指し示してご覧戴いて、
『大海様はこの事をご存知でいらっしゃるのか、ずっと気になっておりましたが、お伺いする機会が無く、今日に至りました・・・、やはりお気付きになられてはいらっしゃらなかったのですね。』
『はい、全く知りませんでした、この玉に母上のお名が刻まれておるなど・・・。』
『恐らく私が女子故、気付く事が出来たのだと思います、女子は皆、斯様に美しい玉が、好きでござります故。』
私がそう申し上げてにっこりと微笑むと、
『はははは、成る程、確かにそうかもしれませんね。』
と、大海様は楽しげに笑われた。
『其れで、この刻まれた文字がお義母上様のお名前だと致しますと、此れは私の勝手な推量でござりまするが、この硬玉の勾玉は、陛下がお義母上様に贈られた品なのではないかと、思い至ったのです・・・。』
私の言葉に大海様は笑みを消して、手に取った勾玉をまじまじと見つめていらっしゃる。
『昔、然る御方が申されておられました。』
『身に付ける品をどなたかに贈るという事は、常に傍に居る事の出来ぬ其のお相手の方を、離れておる時も守うて欲しいという願いと想いが、其の品に込められておるのだそうです。』
『この玉には、陛下のお義母上様への想いが込められておるのだと存じます。』




