~百一の巻~ 条件
私の言葉を受けて、笹野が再び、跪いて床に額を擦り付けたまま、
「誠に申し訳ござりませんでした、私が愚かでござりました、風矢様の御子などという詰まらぬ話に惑わされ、己を見失うておりました。」
「仕方ありませぬ、恋を知る女人なら誰しも笹野と一緒です、私とて同様の話を突然聞かされたら、同じ様に惑わされ、同じ様な泥沼に嵌まってしまうた事でしょう、ですからもう顔を上げて、済んでしまうた事は最早致し方無いのですから。」
「姫様・・・、」
「笹野、唯一つ、此れだけは約束して欲しいのです。」
「今後もし又何か有ったら、必ず私に話す事、如何なる些細な事でも構いませぬ、決して一人で悩まずに相談する事、私達は乳姉妹、此迄もずっと其の様にして共に過ごしてきたではありませぬか。」
「姫様!申し訳ござりませぬ!」
「もう良いと申したでしょう?其れより、此れからの事を考えねばなりませぬ、其の書状には何と?」
「はい、本来なら姦通罪は極刑、現行犯をこのまま役人に引き渡す事など容易いが、風矢様が右大臣家の家人と知り、思い止まった。」
「斯様な醜聞を公にしても、両家にとって良いところなど無い、此処は穏便に収めた方が今後の両家の関係を鑑みてもお互いにとって得策の筈、と示談の条件を提示してこられたのでござります。」
「条件?」
「はい・・・、」
「笹野?如何しました?条件とは何なのです?」
「はい、姫様お一人で・・・、姫様お一人で!左大臣家の朱雀の別宅迄、風矢様を迎えに来いと、然すれば、風矢様は[明朝]釈放すると!!!」
「私が?」
「はい、罠にござります、禎親様のお考えは火を見るより明らか!!!」
「こ、今宵、ひ、姫様の事を・・・!」
「そ、そうして力ずくで既成事実を作り、其のまま姫様との婚姻を、強引に押し進める腹積りなのに相違ござりませぬ!!!」
「・・・」
「姫様、ご心配には及びませぬ、左大臣家の別宅には私が参ります、私と姫様は同い年にて、恐れながら御衣装だけお貸し戴ければ、闇に紛れてしまえば恐らく気付かれずに済みましょう。」
「笹野!何を戯けた事を申すのですか!然も貴女は身重の身、其の様な危ない目に遭わせる訳にはゆきませぬ、其の様な事をしたら、私は二度と風矢に会わせる顔がありませぬ!」
「私の事でしたらお気になさらずとも大丈夫でござります、此れしきの事でへこたれたりなど致しませぬ!元はと申せば私共夫婦がもっとしっかりしておれば、斯様な事にはならずとも済んだのです。」
「大丈夫な訳有りますか!申したばかりでしょう?貴女はたった一人の私の大切な姉妹なのですよ!!!」
「姫様・・・、勿体なきお言葉、有り難く存じます、然れど最早時も無く、右大臣様ご不在の折、他に手立てなど・・・、」
「あっ、そうです!大海皇子様にご相談申し上げれば、然すれば-」
「ならぬ。」
「姫様?然れど!」
「この件、皇子様にお知らせする事、決してなりませぬ、此れは我が右大臣家の問題、皇子様には決してご迷惑お掛けせぬ様に。」
「皇子様は其れでなくとも、今、志摩姫様の問題にて、お心を痛めていらっしゃいます、此れ以上余計な事でお煩わせなどしたくありませぬ。」
「姫様・・・、申し訳ござりませぬ、私共が至りませず、斯様なご迷惑を!」
「もう良いと申したでしょう?二度と詫びを申したら許しませぬ。」
「其れに私の方こそ心配には及びませぬ、風矢が謀られたというのであれば、大丈夫、其れを覆す証さえ有ればよいだけの事です。」
「姫様?」
「先ず急ぎ役所に赴き、調べて来て欲しい事が有るのです、誰かに使いを!」
「役所、でござりまするか?姫様、いったい何を?」
「其れは・・・、――の、―――を、―――きて―――のです。」
「姫様!!!」
「畏まりました、直ちに!」
「誰かぁ、ある~!」
「お呼びでしょうか?」
「大至急役所に行き、この件につき調べて来て欲しい。」
「はい、承りました、直ちに参ります。」
侍女を役所に走らせると、私は笹野に問うた。
「女人の店は朱雀往路の東市場の近くと申しましたね?」
「はい、私は行った事はござりませぬが、だいたいの場所は分かります。」
「確かあの辺り一帯は、当家出入りの桔梗屋殿が世話役として取り仕切っておられる筈。」
「はい、其れ故、私も何度か足を運んでおり、だいたいは存じておるのです。」
「風矢様も其れ故に其の店に通う様になったと申されておられました。」
「そうですか・・・。」
私は此迄の話を頭の中で整理する事に暫し集中した。
「恐らく其の女人も禎親様の計略に嵌められたに違いありませぬ、姦通罪の嫌疑等、女人にとっても寝耳に水の話の筈、禎親様からは、御子を風矢の子として認めさせさえすれば、都を離れても、何処かで又店を開き、親子で倹しく暮らせる程度の世話はしてやる、然し、もし逆らうのなら、子を使い己を謀ったとして断罪に処する、とでも脅されておったのではないかと思うのです。」
「故に其の女人は心ならずも風矢を騙した・・・。」
「さ、然れど!其の言葉も又、女人を騙す為の策略だった!という事でござりまするか!」
「ええ・・・、禎親様にとって其の親子は邪魔でしか無い存在、利用出来るだけ利用したら、初めから切り捨てる魂胆だったと思います。」
「其れでは今其の親子は、如何しておるのでしょうか?」
「今はまだ姦通の罪を風矢に擦り付ける為の大切な駒です、他に移送する時など無かった筈ですし、恐らく逃げられぬ様に店に監禁されておるのではないかと思うのですが・・・。」
「姫様、桔梗屋殿にご協力願うては如何でしょう?」
「ええ、私もそう思うておりました。」
「笹野、私達にも時が余り有りませぬ、取り急ぎ此れからの手筈を整えておかねばなりませぬ。」
私は意を決し、ご協力願うべく立ち上がった。
「お母上様にご相談に参ります、笹野も一緒に来てください。」
私は先振れを向かわせると、笹野を伴い、此れ迄余り訪れる事の無かった、お母上様達がいらっしゃる母屋へ、急ぎ向かうた。




