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第16話 雨の血追い

オルンの外套から、雨水がぼたぼたと床に落ちていた。


「北の街道で、王都筋の馬車が襲われた」


オルンが言った。


「さっき、護衛らしい男が一人、村の手前まで這ってきた。

馬車が襲われた。灰色の外套の術師がいる。女主人を森へ逃がした。ゲラルトを頼れ、と言って死んだ」


ゲラルトの眉が動いた。


「俺の名を出したのか」


ゲラルトは吐き捨てるように言った。


アイシャが不安そうに薬箱を抱える。


「その女の人は、まだ森に?」


「分からん」


オルンは首を振った。


「だから確認に行く。生きていれば拾う。死んでいれば、せめて追っ手が村に来る前に状況を知る」


「自警団で行け」


「術師相手に、普通の自警団を夜の森へ入れたら死ぬ。だが放っておけば、追っ手は村に来るかもしれん。

逃げた女が本当にお前を頼っているなら、なおさらだ」


オルンは一歩だけ頭を下げた。


「頼む、ゲラルト。剣を貸してくれ」


「俺は自警団じゃねえ」


「知ってる」


「王都筋の面倒は嫌いだ」


「俺も嫌いだ」


「じゃあ帰れ」


「酒を奢る」


「俺の命は酒一杯か」


「一樽」


「安い」


「二樽」


「値段の問題じゃねえ」


ゲラルトはそう言いながら、壁に立てかけていた大剣を取った。


行く気だ。


オルンもそれが分かったらしく、少しだけ息を吐いた。


「恩に着る」


ゲラルトは俺を見た。


「小僧、火掻き棒を持て」


「俺も行くんですか」


「お前は術の線に妙な勘が利く。罠を見る目くらいにはなる」


「褒めてます?」


「道具としてはな」


ひどい。


けれど、言い返せなかった。


俺は炉の横に立ててあった火掻き棒を掴んだ。


以前のただの鉄パイプとは違う。


ゲラルトが打ち直し、芯の奥に細い“道”を通した棒だ。握ると、手のひらではなく腹の奥が少しだけざわつく。


「アイシャ、お前は薬箱を持て。離れるな」


「はい」


カピは工房の隅に立っていた。


相変わらず棒立ちだ。


俺が視線を向けると、短く言った。


『雨。観察、鈍ります』


「分かった」


便利だが、万能じゃない。


それを昨日知ったばかりだった。


俺たちはロガの柵を出た。


夜の雨は強かった。


泥は靴にまとわりつき、灯りは雨粒に砕かれて、ほんの数歩先しか照らさない。


街道の曲がり角に、馬車は横倒しになっていた。


上等な馬車だった。


いや、上等だったもの、だ。


車輪は割れ、扉は外れ、側面には焼け焦げた跡がある。荷箱は荒らされていない。銀の飾り金具も残っている。


ただ、旗だけが裂かれていた。


「物盗りじゃねえな」


ゲラルトが言った。


馬車の周りには死体があった。


どの死体にも、雨で薄まった血がまとわりついていた。俺は息を浅くした。鉄錆びた匂いが鼻の奥にこびりつく。


アイシャは唇を噛んでいたが、すぐに膝をついて一人ずつ確認した。


「……全員、亡くなってます」


「だろうな」


ゲラルトは馬車の内側を覗いた。


座席には、白い布の切れ端と、女物らしい靴が片方だけ残っていた。


「女は逃げた」


オルンが低く言った。


馬車の向こう側、森の入り口へ向かって血の跡が続いている。


だが、それは妙だった。


雨の中でも分かるくらい、血が滴っている。


まるで誰かが血を吸わせた布を、わざと引きずったように。


ゲラルトも同じことを思ったらしい。


「これは囮かも知れねえ」


「囮?」


「こんな均等に血が落ちてるのは怪しいな。腕のいい護衛がいたんだろうな。自分か誰かの血を使って、追っ手の目を東へ引いた」


淡い赤い筋が、その血跡の上に薄く浮かんでいた。


血そのものではない。


術が血の跡をなぞっているのだ。


「血追いだ」


ゲラルトが言った。


「追っ手はこれを見て追った。だが、見えやすい跡ほど疑え」


俺は異様な気配を感じ、馬車の反対側へ回った。


泥の中に、血痕と小さな足跡があった。


『非常に「濃い」血です』


カピが言った。


確かに血から腹の底に響くような圧迫感を感じる。


足跡はすぐに消えている。


街道脇の雨水が流れ込む、古い水抜きの溝。


人が通る道ではない。


泥と落ち葉で半分埋まり、低い茨に隠れている。


「ゲラルトさん、こっち」


ゲラルトは溝を見て、舌打ちした。


「炭焼き道の古い水抜きだ。今は誰も使わねえ」


「追っ手は?」


「分からねえが普通は見落とす。王都育ちのお嬢が、こんな泥の溝を這うとは思わねえからな」


そう言って、ゲラルトは森の入り口に刺さっていた白い骨の杭を指差した。


杭には細い模様が刻まれていた。


雨に濡れて、淡く光っている。


「襲撃したやつらは最初からここを狩場にしてやがる」


「最初から?」


「襲ってから罠を張ったんじゃねえ。馬車をこの場所で止め、森へ逃げる道に罠を置いていた。」


俺は喉が乾くのを感じた。


計画された襲撃。


行き当たりばったりの野盗じゃない。


「でも、女の人は罠のある道じゃなくて、溝に落ちた」


「護衛が押し込んだのか、自分で転げたのかは知らん。だがそれで追っ手の目を誤魔化せたかも知れねえ」


「どうしますか?」


「あっちの怪しい血痕が本人のものなら今頃もう追いつかれてくたばってる。こっちの水抜き溝から辿るぞ。

オルンはここに残れ、何かあったら音を鳴らせ」


ゲラルトは大剣を握り直した。


「急ぐぞ。囮がばれたら、連中は血眼で探してる頃だろう」


俺たちは古い水抜き溝に沿って森へ入った。


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