第26話 北境の女提督は氷海より冷たい
北境軍港ノルドレイヴは、港というより砦だった。
氷混じりの風、灰色の海、甲板を叩く軍靴の音。出迎えた女提督セレーネ・フロストガルドは、銀灰の髪をきっちり束ねた三十二歳の軍人で、最初の視線だけで人を凍らせられそうだった。
「女公爵。あなたが東部の商人を囲い込んだ張本人ですか」
「囲い込んだ覚えはないわ」
「なら、あなたの名義で流れた補給命令を説明していただける?」
差し出された命令書には、たしかにヴェルノワ家の署名があった。もちろん偽物だ。北境艦隊の食糧と火薬を、反乱鎮圧名目で内陸へ横流しさせる指示。これが実行されれば、艦隊は補給切れで座礁し、セレーネは職務怠慢か謀反の罪を着せられる。
鏡が赤く光る。
【失敗時分岐 北境女提督、軍法会議にて失脚】
私は命令書を裏返した。紙質は王都軍務局のものに似ているが、繊維が粗い。北で作られた模造紙だ。
「この署名は偽物。けれど、あなたが疑うのは当然ね」
「疑うしかないのです。私はこれまで何度も“都合のいい女司令官”にさせられかけた」
言葉は冷たい。でも怒りより、長く続いた諦めの匂いがする。
セレーネは私へ背を向け、凍った港を見た。
「三日後、北航路の補給船が入る。それが落ちれば終わりです」
「なら守る」
「簡単に言うのね」
「簡単じゃないから来たの」
彼女は少しだけ振り向き、初めて私を“王都の飾り”ではなく人として見た。
「……艦に乗りなさい。嘘かどうか、海で見ます」
北境の女提督は、氷海より冷たい。けれどたぶん、その冷たさは自分の艦を沈めないためのものだ。




