ep.14 呪いを溶かすシロツメクサ
あったかもしれないハッピーエンド
手応えは、あまりにも軽かった。
私の振るった聖剣が、魔王の放った黒炎の剣を粉々に打ち砕く。
無防備に晒された魔王の胸元へ、私は一切の躊躇なく、全力の魔力を込めた一撃を突き出した。
「――――ッ!」
ドシュッ、と。
肉を裂き、骨を断ち、心臓を貫く嫌な感触が、剣の柄を通じて私の両手に伝わってくる。
白銀の刃は、魔王の漆黒の鎧を易々と貫通し、その背中まで突き抜けていた。
溢れ出したどす黒い返り血が、私の顔や純白の装束を容赦なく汚していく。
だけど、私は瞬き一つしなかった。ただ、目標を確実に破壊したという達成感だけが、冷え切った頭の片隅に記録される。
「……あ、が…………っ」
魔王の口から、掠れた声が漏れる。
先程までの威圧感はどこへ行ったのか、バケモノの体は力なく折れ曲がり、私の肩にぐったりと預けられた。
私は突き刺した剣をさらに深く押し込み、確実にトドメを刺そうとした。
その時。
至近距離で放たれた聖剣の浄化の光に耐えきれず、魔王の顔を覆っていた『骨の仮面』に、ピキピキと無数の亀裂が走った。
パリン、と。
乾いた音を立てて、魔王の仮面が粉々に砕け散った。
そこから現れたのは、悍ましい怪物の素顔なんかじゃなかった。
柔らかそうな茶色の髪。涙に濡れた、優しい琥珀色の瞳。
それは、私のよく知る、ある少女の顔。
(……アル、ティナ……?)
脳の奥底で、忘れかけていた名前が激しく脈打つ。
しかし、私の手に握られた『聖剣』が、冷たい光を放ってそれに抗った。
『迷うな。それは偽りだ。バケモノが親友の顔を奪ったのだ』
頭の中に響く無機質な声。
そうだ、これは偽物。私を惑わすための罠だ。私はこのバケモノを殺して、仇を討たなければならない。
聖剣の力に従い、私は心臓に突き刺した剣をさらに深く押し込もうとした。
――その時。
私の左手の薬指で、枯れ果てていた『シロツメクサの指輪』が、ふわりと温かな緑色の光を放った。
「え……?」
指輪から溢れ出した優しい光が、私の腕を伝い、聖剣の冷たい白銀の光を弾き飛ばしていく。
同時に、魔王――アルティナの首元からも、対になる同じ指輪がこぼれ落ち、緑色の光で共鳴し始めた。
『る、み……え……。完璧、だ……よ……』
血を流し、苦痛に歪みながらも、私に向けて微笑む彼女。
その顔を見た瞬間、私の頭を覆っていた「分厚い氷」が、ガシャンと音を立てて砕け散った。
一緒に花冠を作った日のこと。
アップルタルトを頬張って、二人で笑い合った匂い。
そして、「君が泥を被る必要なんてないよ」と、私を抱きしめてくれた、あの夜の痛いくらいに強い温もり。
「……アル、ティナ……?」
全部、思い出した。
魔王がアルティナを食い殺したんじゃない。
アルティナが、私を戦場の恐怖から守るために、私を英雄にするために、自分から嫌われ者の『魔王』になってくれていたんだ。
「ああ……あああっ! 違う、私は……私は何てことを……ッ!」
ガチャン! と、私は悲鳴を上げて聖剣を床に放り投げた。
持ち主の意志を失った聖剣は、魔王城の冷たい床に落ちた瞬間、その光を完全に失い、ただの鉄の塊へと変わった。
「アルティナ! ごめんなさい、私……私……!」
私は血だまりの中に崩れ落ち、心臓を貫かれて倒れ伏すアルティナを、強く、強く抱きしめた。
私のせいで。私が、あんな冷たい剣に心を預けてしまったせいで、一番大切な人を殺しかけてしまった。
「……ルミエ。どうして、剣を……捨てる、の……」
アルティナは、虚ろな目で私を見つめ、弱々しく手を伸ばした。
「私を、殺して……。そうすれば、ルミエは……完璧な英雄に……」
「バカッ!!」
私は、大粒の涙をボロボロとこぼしながら、彼女の胸元に顔を押し付けた。
「英雄になんて、ならなくていい! アルティナがいない世界で平和になったって、何の意味もないじゃない! 私の帰る場所は、アルティナの隣だけなんだから……ッ!!」
私の叫びに、アルティナの瞳から、張り詰めていた糸が切れたように大粒の涙が溢れ出した。
「ルミ、エ……っ。ごめん、ごめんね……。私、君の心を壊してまで……間違ったこと、してた……っ」
私は首を横に振り、急いで自分の魔力を彼女の傷口に流し込んだ。
魔王の瘴気と、勇者の浄化の光。本来なら反発し合うはずの二つの力が、シロツメクサの指輪の共鳴によって優しく溶け合い、アルティナの致命傷をゆっくりと塞いでいく。
――それから、数ヶ月後。
王都は「勇者が魔王と相打ちになり、世界を救った」という美談に沸き返っていた。
魔王城跡地には、二人の偉大な犠牲を悼む立派な石碑が建てられたらしい。
だが、その真実は。
人間の国からも、魔族の領土からも遠く離れた、地図にも載っていない辺境の小さな村にあった。
「ルミエ! アップルタルト、焼けたよー!」
小さなログハウスの窓から、エプロン姿のアルティナが顔を出す。
背中の黒い翼も、禍々しい仮面もない。彼女はただの村娘としての、穏やかな笑顔を取り戻していた。
「今行く! 洗濯物、干し終わったところだから!」
私も、純白の鎧ではなく、動きやすい麻のワンピース姿で駆け寄る。
あの日、私たちは聖剣と魔王の鎧を城の最深部に捨て、二人で手を取って逃げ出したのだ。
世界を救う義務も、悪役を演じる呪縛も、すべて捨てて。
焼き立てのタルトの甘い匂いが、小さな部屋に満ちている。
私たちは向かい合って座り、紅茶の入ったマグカップを合わせた。
「んーっ! やっぱりアルティナのタルトが、世界で一番美味しい!」
「ふふ、ルミエが美味しいって言ってくれるのが、私にとって一番の魔法だからね」
アルティナが、優しく目を細めて私の頭を撫でる。
テーブルの上で重なり合った私たちの左手には、あの不格好な『シロツメクサの指輪』が、今も色褪せることなく、青々とした命の光を宿していた。
もう、魔王も勇者もいない。
ただ、日向の中で笑い合う、二人の少女がいるだけ。
私たちだけの、小さくて、完璧なハッピーエンドがここにあった。




