壱の22.いんちき霊媒師
「東京に着いたら、すぐに新しい家を探そう。今、父さんの住んでるところ、ちょっと狭いんだ」
「……」
「学校の制服を買わなきゃな。体操着もだ。夏服も冬服も。卒業までの半年しか着られないから、新しい服のまま卒業式を迎えられるぞ」
「……」
「私服の学校もいっぱいある。どこに転校するか選び放題だ。転校する学校を決めてから、通いやすい家を探すか」
「……」
「高校だってたくさんある。好きなところに行けばいい」
「……」
「いい塾もそろってる。高校受験くらいなら、父さんにでも教えられるぞ」
アパートを出発してから、なにを話しかけても瑠奈は返事をしない。うんとも言わないし、うなずくこともない。なにかを考え込んでいるようだ。おれは、しばらくおとなしくしておくことにした。
「あんなに簡単に母さんが許してくれるとは思わなかった」
長い沈黙の後、瑠奈が口を開いた。
「母さんのことはもう忘れろ」
「……」
「島のことも、友だちのことも、あおいちゃんのことも」
――比嘉のことも――
一番忘れさせなければならない相手の名を、おれは口にできなかった。
おれは情けなかった。これまでなにもしてやれなかったばかりか、今、どうしてやればいいのかさえ分からない。これからなにをしてやれるのか、なにをしてやるべきかも、おれは確たる自信を持てない。
「母さん、寂しいだろうな」
「母さんには、あおいちゃんがいる。瑠奈には父さんがいる。それでいいじゃないか」
「あおい、本当は母さんの子じゃないんだ」
「えっ」
絶句した。全ての常識が、がらがらと音を立て崩れ落ちたかのように感じた。どうすれば常識を復旧させられるのか、おれには分からない。
「どういうことだ」
「母さんが産んだんじゃないんだよ。本当のママがどこのだれなのか、瑠奈は知らない」
「腹を痛めて産んだって、母さん言ってたぞ」
「それ、うそだよ。母さん、一度もお腹が大きくなったことも、入院したこともないもん」
夕香里と瑠奈が生まれた病院の前を二日前に通りがかった時、あおいの出生について瑠奈が口をつぐんだことをおれは思い出した。
「あおいちゃんはどこから来たんだ」
「比嘉さんが連れてきた。あおい、まだよちよち歩きだった。母さんは、友だちにもじいちゃんばあちゃんにも、あおいのことを自分の子って言い張ってる。うそだってみんな知ってるのに」
あおいの存在を知らされてからおれは、大切なことを確かめていなかったと気付いた。
「おまえたちの籍はどうなってるんだ」
「せき?」
「戸籍だよ。瑠奈の今の名字はなんだ」
「ずっと金城」
夕香里の旧姓だ。
「母さんは」
「金城だと思うんだけど。違うのかな」
「あおいちゃんは」
「比嘉だと思う」
「玄関の扉の上の、外した表札にはなんて書いてあった」
「比嘉、金城って並んで。比嘉が先だった」
なんてことだ。おれはこの二日間、世界中からだまされ、それを信じさせられていたのかと、目が回りだした。なにかの衝撃で、車を走らせている道路が地割れするのではないかと思った。
「あおいちゃんは、おまえの妹じゃないってことか」
「法律的にどうなっているのか分からない。でも、血のつながりはないよ」
夕香里にとってたった一人の大切な娘をおれは奪い去ろうとしているのだと思い知らされた。
「母さんはどうしてそこまでしてあおいちゃんのことを」
「まだ小さくて、男親には育てられないからだよ。それに、霊媒師に言われた」
「霊媒師だって。そんなものに母さんははまってるのか」
「違うよ。初めて行ったんだと思う。瑠奈もあおいも連れてかれた」
「どうして」
「比嘉さんに体を触られて嫌だって瑠奈が母さんに話したから」
瑠奈にそのことを思い出させるべきではない。おれは十分に分かっている。だけど、事の真相を確かめないわけにはいかなかった。
「霊媒師はなんて言ったんだ」
「母さんに、あなたの業だって。瑠奈は三歳の時、魂をどこかに落っことしてるんだって。瑠奈と母さんが父さんを置いて家を出た時の年だよ」
「霊媒師が言い当てたのか」
「絶対に違うよ。その霊媒師、母さんの友だちが紹介してくれたんだ。友だちは母さんのことも瑠奈のこともよく知ってるから、先に霊媒師に話してるはず。でも、母さんは霊媒師のことを信じてる」
「あおいちゃんのパパを追い出せってことも、霊媒師が言ったのか」
「ううん、そうじゃない。霊媒師に会いに行った時は、もう追い出してた。母さん、あおいを抱え込むことになって悩んだんだと思う。でも、霊媒師に言われなくても自分で育てるつもりだったんじゃないかな」
「業ってなんだ。瑠奈には、業の意味は難しいかな」
「母さんが父さんから瑠奈を引き離したことだよ。瑠奈は父さんと離れるべきじゃなかったから、魂を落とした。魂を落としたから、嫌な目に遭った。母さんには業があるから、瑠奈が父さんから引き離された時の年と同じ、自分の子でもないあおいを一人で育てることになった。瑠奈の解釈だけどね」
「瑠奈を父さんに連れて行かれるとかそういうことは、霊媒師はなにか言ってたか」
「覚えてない。でも、母さんが許してくれたのは、業の話を信じたからっていうのが大きいと思う」
「落っことした魂はどうなった」
「取り戻すためのおまじないみたいなの、やってもらった。それでもう戻ったって。どうせいんちきだよ」
全ての謎が解けた。
◇ ◇ ◇
(「弐の1.水が冷たくて泣きそう」に続く)




