この道が続く先には
その声に私は泣きそうになった。
まさか。
「君も君だ。相変わらず一人で何でもしようとしすぎだ」
こんな状況なのに、私は嬉しかった。助けに来てくれたんだ。
なにより、そこにいてくれた。
どんな顔をして会おうか悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。あんなにグダグダ悩む必要なんてなかったんだ。
私の腕をつかんでいる男は、いないと思っていた私の上司と、もう一人の男に怯んだのか、舌打ちだけして何も言わず、私の腕を離してどこかへ去った。
「すまない、由良。怪我はしてない?」
佐々木先輩は心配そうに声を掛けてくれた。少しむっとした雰囲気が隣から漂ってきたが、佐々木先輩はそれを丸ごと無視して、私の肩についていた埃を取ってくれた。
「はぁ。あの男は三栄大学の伴野助教だな。まさか、こんな衆人環視の中でやってくれたな」
隣にいた男性がそう言う。佐々木先輩は頷き、
「ああ。ここ最近、伴野の悪名が聞こえていないから落ち着いたんだ、と思っていたが。ま、三栄と言えば、大杉学部長がうちの顧客だから、俺から直接、報告上げておくわ」
と言って、人混みの中へ歩き出した。
「そうそう。今更だけれど、こちらが由良に合わせたかった顧客だ。知っているだろう? あとは君たちに任せる」
数歩進んだ後、佐々木先輩は振り返り、そう言い、今度は歩みを止めずに人混みの中に紛れ込んだ。
取り残された私たちはどうかって?
…………。
………………。
…………………………。
気まずい。
非常に気まずいんですけれど。
いやぁ。
私がいろいろ選択間違ったおかげで、こうなっているんじゃないかって分かっているだけに、私から声かけづらいんですけれど、ね!
「――――オヒサシブリデス」
あはは。片言になっちゃったけれど、良いよね? うん。知ーらないっと。
「ああ。久しぶりだな」
男性――政幸先生は相変わらずの無表情だったが、声はあの時、あのパーティーで聞いた少し熱を帯びたものだった。私はそのことに少しだけホッとした。
「外に行くか」
その提案に私は、はい、と迷いもなく頷いた。
幸いなことに、交流会は盛況で、誰にもとがめられずに交流会の会場を出た私たちは、近くにあるアトリウムに向かった。地上十六階のそこは、夜景がとても綺麗で、誰もいないのでとても静かだった。
「ずっと探していた」
夜景も水に私を見つめながら開口一番、政幸先生はそう言った。あまり感情がこもっていなさそうに見える言葉だったが、私はそれだけでも嬉しかった。
「一年前、母がお前を解雇した時、引き留めようかと思ったが、あの人の意図が分かっていただけに、それができなかった」
政幸先生の告白に、私は首を傾げる。奥様――江美子様が言い渡した解雇の意図とはどういうことか、理解できなかった。
「あの人は試したんだ、お前を」
「今までのバイトは勝手に惚れ込んだ挙句、母が解雇を言い渡すと、どうしても残ろうと狙って、“もう好きなにならない”って言い出すもんだから、質が悪かった。だが、お前だけは違った」
政幸先生は淡々とそう言った。
「お前は何も持たずに去った。あの街からも、な。母もお前の行動には驚いていたし、後悔していた。自分の言葉でお前を追い詰めてしまったんだと。
お前が去った後、しばらく、俺はなんにもできなかった。だが、しばらくしてから、見つけられるものだって、何もしないのでは見つけられないことに気付いた。俺はあらゆる手を使ってお前を探したが、それでも見つからなかった。
だが、去年の暮れに佐々木と会った時、興味深い新人がいるっていうから、どんな奴だろうかと思って聞いてたら、お前だったんだ。本当に偶然だよ。それと同時にすんなりと見つけられたことに、拍子抜けした。こんな近くにいたんだってな」
それを聞いた私は驚いた。佐々木先輩はずいぶん前から、政幸先生と私のことを知っていたんだ。
「俺は今もまだ、お前のことが好きだ。お前はどうだ?」
政幸先生の二回目の告白に、私は少しだけ驚いた。
「もしかして佐々木のことが好きなのか?」
いじわるそうな笑みを浮かべる政幸先生。ご家族以外にはほぼ常に無表情を貫いているので、どんな理由であろうとも何かしらの感情が表に出ているのは貴重だ。
だが、その質問はずるい。私はこうやって付いてきているのに。
「好きです、私も。昔も今もずっと、政幸先生のことが好きです」
私は心を込めてそう言った。だが、私の言葉に政幸先生は少し微妙な顔をした。
何故?
「『先生』じゃないだろ?」
私の疑問を読み取ったのか、政幸先生はそう言う。
ああ、そう言うことか。
私はもうすでにアルバイトの歯科助手ではない。だから、『先生』とつけて呼ぶのはおかしいのか。
私は嬉しくて高ぶる気持ちを、深呼吸して落ち着かせた。
「好きです、政幸さん」
そう言うや否や、暖かなぬくもりに包まれた。
「ああ。これからも、よろしく」
その声はどこまでも気持ちよかった。
はい。こちらこそ。
私は泣きながら、そう言った。
一週間後。
挨拶というか報告のために、私は再び鹿野家に来ていた。もうすでに、政幸さんから大先生と奥様に話は通してあるらしいし、奥様も五年前、私を雇い始めた時から政幸さんが私を好きだったということを、知っていたらしく、私さえ了承すれば問題ない、と考えていたということらしいので、結婚自体に問題自体はなかった。だが、一応、私も当事者なので、直接報告をしたいと思ったのだ。
一年ぶりに訪れたその場所は、あの時と全く変わっていなかった。
で、私は玄関先で三十分くらい、入るのをためらっていた。
うん。やっぱり、ああ言ったもののねぇ。
あの日は、お酒は入っていなかったはずなんだけれど、あの場のノリで言えたというか。
どういう風にお二方に会えばいいんですかぁ。
色々考え頭を抱えようとした瞬間、玄関の扉が開いた。
「あら」
その人は私を見て、目を丸くした。私もその人が出てくるとは思わなかったものだから、驚いて、一瞬固まってしまった。
「おかえりなさい、由良さん――――いいえ、美香さん」
その人の微笑みは綺麗だった。あの時の言葉がなかったかのように、私を温かく迎え入れてくれた。
私も一年間の空白の時間がなかったように、これからもよろしくお願いします、と奥様に頭を下げた。
それから半年後、私は政幸さんと結婚した。
まあ、各所に報告をした時、いろいろやっかみを言われたが、素知らぬ顔をしておいた。
大先生や奥様、政幸さんもそれについて何も言わないところ見ると、正しい選択だったんだろう、多分。
ちなみに、結婚した時に働いていたバイトちゃんにもパッと出の人間だと思われたみたいで、すっごい嫌そうな顔をされたが、奥様に事情を説明されたときの顔は見物だった。
そして、就職した医療機器メーカーはそれから三年後に退職し、鹿野政則、鹿野政幸両先生の助手兼受付として再び、ナース服を着た。
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