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沈む島



ゴン!と頭に受けた衝撃で目が覚める。



「いったぁぁぁぁ〜…!」



「え、何」と、とっさに身を起こしてあたりを見回すと、海と夕日と石碑が目に入った。



ああ、ここはいつもの場所ね。えーと……



側頭部が鈍く痛む寝起きの頭で何とか今の状況を考えると、どうやら海を見ていたらいつの間にか眠ってしまっていて、船を漕いだ所で石碑に頭をぶつけたといったところか。



「ノアの夢……いつも見るけど、今日はまたずいぶん昔のことだったわね…」



最近見た中で一番鮮明で、場面ごとの感情もその時のままだった。



夢のせいなのか、それともぶつけた頭の痛みのせいなのかは分からないが、頬を伝っていた涙をぎゅっとぬぐう。


ゆっくりと深呼吸をすると、潮のにおいが鼻いっぱいに広がった。




「はー、こんな外で寝れるなんて私も結構図太くなったわ。

それにしても頭痛い……」




アルテはまだズキズキする頭をさすりつつ、元凶である石碑を睨んだ。

これも全部こいつのせい(・・・・・・)だ。



「…ノア、あんたちょっと起こし方乱暴じゃない?」



まったく、とアルテが睨む視線の先、石碑の正面に深く掘られた「ノア・ダルト」の文字が、夕日に照らされてくっきりと浮かび上がっている。


その彫られた名前を見ていたら、なんとなくだがノアに「バーカ!」と言われたような気がして、だいぶムカついたのでさらに睨みをきつくし、



「くっそ~……仮にも嫁に対してなんつー仕打ち……」



腹いせにコツンと石碑―――ノアの墓を叩いた。



その瞬間、石碑から伝わってきたのは冷たい感触で、夢の中で指切りした時のノアの手の暖かさを比べてしまい、思わずまた泣きそうになる。



バカね、石とノアを比べるなんて。



つい沈みかけた気持ちをぶんぶんと頭を振って切り替え、「よいしょ」とおもむろに立ち上がって石碑を見降ろした。



……これは墓といっても形式的なもので、本来骨を納めるところは空だ。ノアの骨はない。



骨はノアがいなくなってから何カ月もたった後、渦潮を越えられるぐらいの強風が吹く場所で、アルテが風に乗せて撒いたから。



この島では墓に骨を入れるのが一般的なため、周りに強く反対されたが、なんとか一生懸命説き伏せて散骨にしてもらった。


本当はアルテもノアを手放したくはなかったけれど、あいつは誰よりも島の外に出たがっていたから、墓の狭いところに押し込めておくよりも多分こっちを望むと思った。



―――空も、飛べるし。一緒にという約束は叶えられなかったけど。



だから全て撒き終わって、空っぽになった骨壷を見ても、アルテはなぜか不思議と寂しくはなかった。





その後、骨がないなら、墓を作る必要もないのでは?と何人かに言われたが、そこは散骨同様アルテのわがままを押し通し、ノアが1番好きだったこの場所に石碑をたててもらった。



島が沈む時、ノアを少しでもそばに感じられるものがあれば、怖くなくなるような気がしたからだ。


あと、この石碑という目印があれば、きっとノアが迎えに来て、一緒に島の外に連れて行ってくれるはず。そう思って。









あの日、ノアが死んでから6年が経った。つまり島が沈むといわれている10年まであと1年。


水位はアルテの予想通り止まることなく着々と上がり続け、低地の家はどんどん飲み込まれている。

ここから見える景色もだいぶ変わってしまった。



誰かが、海面の上昇に伴ってもしかしたら渦潮も消えるのでは?と言っていたが、今のところその気配は一切なく、相変わらず海で強く渦巻いたままだ。



流行病は今も存在している。しかしどうやら感染するのは抗体を持っていない人だけで、生まれつき抗体がある人は感染しないようだと研究の結果、判明したらしい。

島に現在生き残っている人は抗体がある人。


それはアルテにはあって、ノアにはなかった。



だが今生き残っている抗体がある人も、どうせ島が沈めば死んでしまう。

だからバルダ夫妻のように島を出ようとする人は後を絶たないのだ。




あと1年。様々な人の思いをのせて、無情に、でも確実に島は沈む。



――――そしてアルテは、その時を待っている。今度こそノアと島を出る時を。



死ぬのは怖くなかった。1番怖かったのはノアを失う事だったから。










立ち上がって遠く、海の向こうを見つめていたアルテは再度石碑の前に腰を下ろし、「私の最新の研究結果、教えてあげるわ。」とささやく。

空を飛ぶことは諦めたけれど、島と大陸の正確な位置をつかむ研究はまだ続けていた。



「あんた北の方って言ってたけど、実際島があんのは北東。距離もだいたい出てる。でも確実じゃないからまだ調べる必要があるわね。

で、大陸はその北東の方角と、あと一つ南に。って言っても、ノアはもう知ってるでしょ?」



その頃はまだ確信を持てていなかったが、ノアの骨はその方角に撒いたのだから。



「知らなかったら見ておくこと。

ノア、あんた私より先に島の外に出てんだから、後からちゃんと私連れて案内しなさいよね。

中途半端なガイドだったら殴るわよ?……今度こそ、約束!」



ビシッと指を石碑に突きつけて、アルテは微笑んだ。

「お前はまた勝手に」というノアの声が聞こえてきそうだが、これぐらいは許してほしい。



私は6年間待ったのだから。そしてあと1年、島が沈む日を待たなければいけないのだから。



何秒か経った後、突きつけた指を下ろしてアルテは立ち上がり「また来るわね。」と笑顔で石碑に声をかけた。



次は2日後。ノアの誕生日に。明日はその準備だ。



ノアの好きなものを持って来てやろうとあれこれ考えながら、踵を返して夕日に照らされた元の道を帰って行く。



その後ろで、木々が潮風に吹かれて、まるで意思を持っているかのようにざわざわと揺れた。

森の道を必死に下るアルテが、それに気付くことはなかったが。








ーー波の音がする。

命を飲み込む、波の音。





崖のはるか下では海がごぷりと音をたて、わずかに海面に出ていた岩を今度こそ完全に喰らい尽くし、満足そうに波打った。






--島が沈んでゆく。ゆっくりと、でも急速に。

そこに住まう命と、色々な思い、全てを飲み込んで。




沈んでゆく。




波の音がして。潮の匂いがして。

風が吹いて、木々が揺れてーー



あの島は、確かに、ここにあった。



そして、彼らも、確かにここにいた。



――今はもう誰も知らない、昔々の物語。

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