その二
しかし。
群がってくる女たちをなだめ、華麗に誘いを断りながら、街へおりたクライシスは、小一時間ほどその場で唸っていた。
「……恐れながら、我が主に申し上げます。このままでは、日が暮れてしまいます」
「うるさいっ。わかっているさ、そんなことは」
女性への贈り物を選ぶことなんて、息をするよりも簡単なことだ。
そう思っていた。
なのに、いざ、エルファーナへの贈り物を考えると、なかなか決まらなかった。
あの子のことだから、どんなものでもきっと顔をくしゃくしゃにして、またはあの美しい蜜色の目を蕩けさせて喜んでくれるだろう。
けれど、それではダメなのだ。
もっと、喜んでもらえるものを与えたい。
ほかにはない唯一のものを……。
「たかだか焼き菓子ごときに、そう悩まなくとも……」
呆れ混じりの言葉が背後から聞こえてくる。
女と見れば見境ないクライシスが、たったひとりの少女に翻弄されているのが面白いのか、何故かついてきた侍従は、陽が傾いてきた空を見上げて、やれやれと肩をすくめていた。
流行りの焼き菓子店らしく、若い子で賑わう店内には、甘い匂いが漂っていた。
そんな中、長い間、陳列された焼き菓子を真剣な顔で見つめるクライシスは、悪目立ちしていた。
だが、色男のクライシスがさらなる客寄せとなっていることに気づいた店主は、急かすことなく、椅子まで用意する高待遇だ。
だれも、ここにいるのが、名高い紅玉の騎士であると気づいた様子はない。
「あのぉ」
ふと、可憐な声に、どれにしようか悩みこんでいたクライシスは、我に返った。
「彼女への贈り物ですか?」
勇気を出して声をかけてきたらしい少女の後ろには、小さな歓声をあげながらこちらを見ている可愛らしい格好の少女たちがいた。
さらりと髪をかきあげたクライシスは、にっこりと微笑んだ。
きゃーと歓声が大きくなる。
「ま、そんなところかな」
「そう、ですか……」
目に見えてしゅんと肩を落とす少女の顎に手をやったクライシスは、その顔を覗き込んだ。
「罪な子だね。そんな顔されたら、君ともっと早く出会えていたら……なんて考えるだろ」
「そ、……そんな……」
「はい、そこまでです」
甘くなりそうな雰囲気をぶった切ったのは、無表情の侍従だった。
「あ、店主。今焼きあがったものをすべて包んで下さい。包装は可愛くお願いします」
「あ、あいよっ」
侍従の静かな威圧に飲まれたのか、ほかの客をほっぽって、袋に入れはじめた。
「さ、そろそろ帰りますよ。今なら、お茶の時間帯にもちょうどいいですね」
「お前っ」
「なにか?」
うっすらと冷笑を浮かべた侍従は、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「これくらいの知識を仕入れるのは当然のことでしょう。ここのは、焼き立てが一番美味しいのですよ」
完全なクライシスの敗北だった。
このためだけに、クライシスが悩んでいたのを放置していたのだろう。
「敬愛を抱いているのは、貴方様達だけではないんですからね。重々お忘れなく」
「クライシス!」
小鳥がさえずるような可憐な声を聞いた瞬間、鼓動がひときわ大きく跳ねた。
ぴたりと歩みを止め振り返れば、ぱたぱたと駆け寄ってくるエルファーナの姿があった。
あんなに急いだら転んでしまう、と眉をひそめたそのとき、エルファーナの体が傾いだ。
「エルファーナ……ッ」
考えるよりも体が先に動いていた。
床につく寸前ですくい上げると、ほっと一息ついた。
(……まったく、目が離せない子だな)
羽のように軽い体をそのまま片腕に乗せると、軽く周囲に視線を走らせた。
いつものお目付け役たちはいないらしい。
エルファーナを一人にさせたことへのいらだちが募る。
いくら安全とはいえ、心に闇を潜ませる者は少なくない。何か遭ってからでは遅いのだ。この子は、そこらにいる娘とは違う。この世界の女王であり、自分の唯一にして無二の主人なのだから。
「ありがとう、クライシス」
「随分お転婆な子猫ちゃんだね。そんなにオレ様に会いたかったのかな?」
茶化すように言えば、エルファーナは、無邪気に、うんと答えた。
「あのね、お菓子、ありがとう。とってもおいしかったの。クライシスが買ってきてくれたって聞いて……どうしても、お礼が言いたくて……」
「そんなの、明日でもよかったのに……」
「だって、この気持ち、すぐに届けなきゃって思って! まだ、あったかくてね、サクッとして、ふわっとしてて……とっても、とってもおいしかったのよ」
蜜色の目を輝かせるエルファーナに、クライシスの胸もあたたかくなった。
功績は侍従のものかもしれないが、あえて教えてやる必要はない。
今、このときだけは、クライシスだけのものだ。
この小さな存在に触れている時間が、宝物のように感じられた。
「そうか……。なら、また買ってきてあげよう」
「いいの?」
「エルファーナが頑張っているご褒美だ」
「ふふふ……うれしい。みんな、やさしいのね。エルファーナはとっても幸せよ。とっても、とっても幸せだから、もっと頑張るの。みんなももっと幸せになれるように」
無邪気な宣言に、クライシスの胸が締め付けられた。
(……駄目だ、可愛すぎる……)
穢れをしらない素直で純粋な主人。
だからこそ、惹きつけられる。
まっさらな彼女を自分色に染め上げたら、この上ない満足を得られるだろう。だれにも見られないよう閉じ込めて、自分だけのものに……。
「はい、不埒な考えはそこまでです」
いつの間に現れたのか、無表情の侍従は、やすやすとエルファーナを奪っていった。
「女王陛下、許可なく御身に触れたことをお許しください」
「ううん、平気よ」
「女官が探しておりましたよ」
「! 大変……戻らないと。勝手に来てしまったの」
「では、私がお送りいたします」
オレが、と口を開きかけたクライシスを冷笑で封じた侍従は、固まる彼を置いてエルファーナを連れて行ってしまった。
(アイツ、あんな性格だったっけ?)
どうやら、変わり始めているのは自分だけではないらしい。
それは悪い変化ではなかった。
だれもかれもがエルファーナを中心に変わっていくのだろう。
「……早く、大きくなりな」
そしたら、もう、逃がさない。
真綿にくるむように、
籠の中の小鳥のように、
大事にしよう。
今はただ、愛でるだけ。
そして、知らず知らずのうちに、依存させてしまえばいい。
「クライシスさまぁ」
砂糖菓子のように甘ったるい声で呼ばれ、仄暗い光を一瞬で消し去ったクライシスは、艶やかな笑みを敷いた。
「どうしたの? 可愛い小鳥ちゃん」
(まぁ、厄介な相手はゴロゴロいるけどね)
保護者面のリゼをはじめ、エルファーナを自分だけにするには、越えていかなければいけないものが多すぎる。
けれど、それもまた恋愛の醍醐味だ。
いや、
きっと、これは、甘酸っぱい恋愛とは呼べないのかもしれない。
――執着
それが相応しい。
綺麗事ではいられない感情は、これまでだれにも抱いたことのないもので、――だからこそ渇望する。
(楽しくなってきたじゃん)
高揚感に身を包んだクライシスは、すり寄ってきた女の腰を抱き寄せると、小さく笑った。




