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紅玉の騎士クライシスの一日 その一

 クライシスの朝は遅い。

 陽が高くのぼってから寝台から抜け出した彼は、大きくあくびをしながら続き扉の奥へと足を踏み入れた。

 そこにはすでに主人の起床を今か今かと待ちかまえていた侍従が、跪いた状態で待っていた。


「湯浴みの用意はととのっております」


 淡々と告げる低い声に、クライシスは顔をしかめた。


「あ~あ、朝っぱらから、なんで野郎の顔をみなきゃなんないんだろうね。どうせなら、前みたいに色っぽい彼女たちにお世話になりたかったのに」

「不埒な真似を控えればよろしいのでは?」

「わかってないな。オレは、可愛い女の子に囲まれていないと、生きていけない体なの! な~んか興ざめ」


 少し長めの前髪をかき上げたクライシスは、はぁ~と大きくため息を吐いた。

 豊満な肉体を持つ女使用人たちが、薄い衣をまとった姿ですみずみまでお世話をしてくれるのが、彼にとっては至福の時間だったのだ。

 はねた湯に濡れ、薄紅色の肌が薄布越し透け、それをいたずらに触れたときの彼女たちの反応といったら、艶やかな薔薇が恥じらうように震えているかのようだった。

 最初は仕事とばかりに張りついた笑みを浮かべていた彼女たちが、次第にとろけた顔で翻弄される様を間近で見るのも一興。

 それこそが、クライシスの活力だというのに、どこからか噂を聞きつけた藍玉の騎士リゼが、クライシスの周りから女使用人を排除してしまった。

 いわく、神聖な場を穢すな、と。


(あ~あ、やだやだ。だれもかれもが、女王、女王とうるさいったらないね)


 けれど、それも仕方のないことなのかもしれない。だれもが焦がれていた女王が、ようやく見つかったのだから。


「…アホらしい」

「なにかおっしゃいましたか?」

「べっつに~」


 クライシスとて、ようやく主人を得て、なにも思わないわけではない。

 ただ、思い描いていたよりもずっと幼い主人に、どうも触手が動かないのだ。

 それこそ、リゼがきいたら激昂しそうなことを平気で考えたクライシスは、味気ない湯浴みを終えると、朝食を済ませ、部屋を後にした。

 憂さ晴らしをしようと訓練場へ向かう道すがら、懇意の女性が声をかけてきた。


「クライシス様」


 熱のこもった甘い声音とともに、腕に押し付けられる柔らかな胸。

 胸元が大きく開いたドレスから零れ落ちそうなほど大きくまろやかな胸は、クライシスのお気に入りだった。


「どうして、一昨日は来てくださらなかったの?」

「一昨日……?」


 女性との約束を忘れるはずがないと眉をひそめたのは一瞬だった。

 一昨日の晩、エルファーナが倒れたのだ。

 夜遅くまで勉強をしていたせいで、睡眠不足だったらしい。

 いつもは部屋に引きこもっている翠玉の騎士ヴァリスまで駆けつけ、ちょっとした騒ぎになった。

 元よりあまり体の丈夫でないエルファーナを心配し、エルファーナが目覚めるまで八聖騎士はその場を離れることはなかった。


『エルファーナ様の睡眠の妨げになりますので、せめて隣室でお待ちください』


 そう諭す女官たちを無視し、顔色悪く眠るエルファーナを、彼女が目覚めるまで見守っていた。

 このまま目を覚まさなかったらどうしよう…そんな最悪な考えが頭をよぎり、目を離すことなんてできなかったのだ。

 だからこそ、睫毛が微かに震え、ゆっくりと持ち上がったときは、心臓が止まるかと思った。

 ああ、生きていた。

 まだ、生きている。

 大病ではないとわかっていても、喜びと、安堵が一瞬にして駆け巡った。


『どぉしたの……?』


 状況が飲み込めず、きょとんと蜜色の目を瞬かせるエルファーナを、クライシスは瞬きせずに見つめたものだ。


「……知っておりますわ。女王陛下がお倒れになったのでしょ? けれど、女王陛下には、ほかにも付き添う方はいらしても、わたしは一人…。冷たい体を一人寂しく寝台に横たえて……涙が止まりませんでした…んっ」


 可愛いことを言う女性の唇をクライシスが塞いだ。

 潤んでいた双眸が甘く蕩けていく様子を薄目で眺めたクライシスは、何も考えられないように翻弄していく。

 激しくなる口づけに女性の体からふっと力が抜けた。

 それをやすやすと片手で支えたクライシスは、唇を離すと、艶やかに笑んだ。


「今夜、待っている。いいね?」

「は…ぃ」


 真っ赤な顔で頷く彼女の頭を撫でたクライシスは、またね、とその場を後にした。


「おや、お珍しいですね。いつもでしたら、そのまま奥へと消えていたのに」


 主人の不埒なやり取りを眉一つ動かさず眺めていた侍従は、おかしげに喉の奥で笑った。

 なにかを見透かしたような笑いに、クライシスの胸にさざ波が広がる。


「……あいにくと、オレを待っている子猫ちゃんたちが、ほかにもいるからな」

「そういうことにして差し上げましょう」

「何が言いたい?」

「いえ、別に……しいて言うならば、我が主も大差なかったと、安堵しております」


 含んだ物言いに、クライシスの腹の中がカッと熱くなる。


「お前っ」

「貴方様の花たちを愛でるのもよろしいですが、その前に、女王陛下の顔色をご確認されたらどうです? 健気にも、遅くまで勉学に励んでいらっしゃる女王陛下のことがご心配でしょうに。手土産に、甘味でもお持ちになりますか? 甘い焼菓子がお好きとのことでしたよ」

「……っ」


 自分以上に詳しい侍従に、いらだちが募る。


(オレの女王陛下なのにっ)


 感情が弾けた瞬間、クライシスは、ハッとした。

 まるで、嫉妬しているようではないか。

 ……思った以上に囚われていたらしい。

 片手でくしゃりと髪をかき混ぜたクライシスは、どこか生暖かい視線の侍従を無視して、歩みを早めた。


(オレ様のほうが、あの子を喜ばせることができる)


 きっと、それは確信。



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