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翡翠の騎士カナリスの苛立ち その一

 頬を染め、なにかを期待するような視線に気づいたとたん、カナリスの気分は降下した。


「あ、あの、カナリス様。庭園までご一緒してもよろしいでしょうか?」


 緊張しているのか、ちょっと上ずった高い声。

 女たらしの紅玉の騎士クライシスによると、小鳥のさえずりらしいが、カナリスにとったら耳障りな音にすぎない。

 茶色の髪を三つ編みにし、清楚な服に身を包んだ彼女は、まるで聖女のような静謐な美しさがあった。

 けれど、カナリスにはなんの感動も思い起こさせない。


「なぜ、アタシがあんたと行かないといけないんだい? だいたい、アタシがこの時間帯に庭園に行くと、だれから訊いたんだろうね。事と次第によっては、個人情報を勝手に喋った輩を処罰しないといけないけど」


 口元に薄く笑みを引き、淡々と告げると、彼女の顔が青ざめて、見る間に双眸が潤んでいった。


「酷い……わたしはただ、」

「ただ、なんだっていうんだい? アタシに好意を抱いた? 迷惑だとは、いっぺんも考えなかったんだ。――あんたは確かに、女王候補だ。だけど、アタシにとったら、ただそれだけの存在」

「……っ」

「あんたがこの宮殿から去れば、ただそれだけの関係さ」


 冷たく言い捨てたカナリスは、もう用はないとばかりに彼女に背を向けると歩き出した。

 苛々する。

 まるで自分が被害者のような傷ついた顔で、優しい言葉を待っている。

 だれもが手を差し伸べると思ったら。大間違いだ。


「あ~あ、カナちゃんは、手ひどく傷つけるのが得意なんだから」


 角を曲がると、壁に背をもたれている男がいた。

 藍色の長めの髪にワインレッドの情熱的な双眸が印象的な美青年は、カナリスのよく知る人物でもあり、嫌いな人物でもある。

 先ほどのカナリスの対応を否定するかのように、やれやれと首を振った彼は、


「いつも言ってるだろ。女性は繊細なんだから、硝子細工のように大切に扱わないとってね」


 そう言って片目を瞑った。


「クライシス……のぞき見は、趣味が悪いんじゃないかい」


 カナリスの双眸が嫌悪もあらわに細まる。


「失敬な。オレ様は、憐れな小鳥が羽を震わせているのを慰めようと」

「はいはい。あんたの博愛主義には恐れ入るよ」

「カナちゃんも、思い人の一人でも作ってみればいいだろ? いい年をして、初恋もまだなんて、笑っちゃうね」

「年中発情期のあんたに言われたくないね。第一、想うのは一人いい」

「ありゃりゃ~、カナちゃんてば頭かたいなぁ。そんなんだと、オレたちの女王様が見つかったときに、苦労するよ。少しは、女慣れしてない……っと、おいおい、力を使うことはないだろ」


 いつの間にか、クライシスの四肢に蔦が絡みついていた。

 翡翠の守護者であるカナリスは、大地の精霊の力を借りている。

 土がなくとも、種さえあれば、こうして力を発揮することができるのだ。


「あんたこそ、群がるバカ女どもに薄っぺらい愛を囁いて、どうなっても知らないから」

「なに、心配しちゃってくれてんの? オレ様のことを?」

「……脳天気な思考でいいねぇ。アタシは、女王の身を案じてるんだよ。あんたのせいで、女王が傷ついたら、タダじゃおかないから」

「相も変わらず、女王様第一主義だこと。その情熱の欠けらを女王候補にも回せばいいのに」

「ふんっ、偽物に対する優しさなんて、あいにく持ち合わせてないんでね」


 嫌みったらしく鼻で笑うと、袖に忍び込ませていた小刀で蔦を切り落としながら、クライシスが深々とため息を吐いた。


「やっぱり、カナちゃんも信じてんだ」

「……」

「一目見てわかるとか、石が教えてくれるって言われているけど、オレ様は信じないね。もしかしたら、その辺の使用人が、女王様かもしれない。あ~あ、先々代のように、後継者を決めてからお亡くなりになれば、こんなややこしい事態にはならなかったのに」


 おっと、失言だったかとぺろりと舌を出したクライシスは、絡みついていた最後の蔦をカナリスに飛ばすと伸びをした。


「さぁ~て、オレ様は、憐れに震える小鳥ちゃんを慰めてこようかな」


 足取り軽く去っていくクライシスを睨めつけていたカナリスは、唇を噛んだ。


(わかるはずなんだっ)


 雪幻の女王が崩御してから十二年の月日が経っていた。

 ただ一人を待ち望むカナリスにとって、その年月はとてつもなく長く感じられた。

 会えないと思えば思うほど、焦がれる気持ちは強くなる。

 彼女の代わりなんて、だれにもなれないのだ。


「カナリス? ああ、よかったですわ。こちらにいらしたのね」


 女にしては少し低めの声に呼び止められた瞬間、カナリスの胃がカッと熱くなった。

 あふれ出る感情のまま睨めつけると、相手はわずかに肩を揺らしたが、去ろうとはしなかった。


「……あなたにお手紙ですわ」

「ふんっ、女装の次は、使用人のまねごとかい?」

「なんとでも。まだ見ぬ女王陛下のお側にいられるのならば、使用人でもなんでもなりますわ」


 雪幻の女王が亡くなってからは、死んだような顔をしていたというのに、今は生き生きと輝いていた。

 それがカナリスの癇に障った。


「――裏切り者」

「……っ」

「他者にしっぽを振る奴なんて、だれが欲しがるだろうね」


 あふれ出る負の感情は止まることなく口をついて出る。

 クライシスに対するよりも、もっと激しい嫌悪と憎悪がハティスに向けられていた。

 一歳しか違わないカナリスとハティス。

 生後まもなく教会に預けられたところはカナリスも同じだったが、唯一違うのは家庭環境だろうか。


(だれにも愛されないアタシとは違う)


 一歳下の彼が雪幻の女王に可愛がられていたのは周知の事実だ。

 それを知らないのは当人たちだけだっただろう。

 本来、女王より年下の者が騎士となることはない。

 それゆえ、次の女王へお仕えするために、教会の奥で密やかに育てられるのが八聖騎士なのだ。

 それをかわいそうだったからという安易な理由で、ハティスに会いに行った雪幻の女王のこともカナリスは快く思っていなかった。

 八聖騎士ならば、想うのは一人でいい。

 心を揺らがせる二人目の存在など不要なのだ。

 それを雪幻の女王は、理解していなかった。

 女王に対する想いの強さを彼女は理解していなかったのだ。


「わたくしは、」


 感情を抑えるようにきゅっと唇を引き結んだハティスは、次の瞬間、ふわりと微笑んだ。


「先の女王様のことは忘れませんわ。あなたになんと言われようと。たとえ八聖騎士であろうと、想うことは自由ですもの。わたくし、これでも忙しい身ですので、失礼いたしますわ。この大陸を守るためには、成すべき事が山ほどありますもの。あなたも、ご自分の殻にばかり閉じこもってばかりいないで、精進なさいな。思うように力をふるえないと、女王様のお役に立てませんわよ」


 カナリスに対してはいつも一歩引いたところのあったハティスに珍しく言い返され、反射的に口を噤んだ。

 裾をなびかせ優雅に去っていく彼をただ見送るしかなかった。


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