15.言いがかり
後ろを振り返るとそこには鮮やかなローズピンクのドレスを着た令嬢が睨みつけるような視線で私を見ていた。どこかで見たことがあるようなと首を傾げた。そうだ、先日オリス様と一緒にいるところを見たマイヤー子爵令嬢だ。初対面で名乗り合うこともせずに放たれた言葉にどう対応しようか迷う。出来れば無視してしまいたいが。
「何とか言ったらどうなの? あなたオリス様とお似合いの私に嫉妬して、うちの商会の宰相補佐室の出入りをやめるよう宰相様を唆したでしょう。最低だわ!」
彼女は随分思い込みが激しいようだ。それに私はもちろんそんなことをしていない。というかオリス様との仲を誤解はしたが解決したので今は嫉妬はしていない。冷静に考えれば一伯爵令嬢が宰相補佐室の出入り業者を決める権限などあるはずがない。出入りが止められるには問題を起こしたなどの理由があるはずだ。私はその件について心当たりはあるがそれをこの場で言うのは得策ではないと思った。上手くはぐらかせないかなと困った様に笑みを浮かべて軽く首を振った。このタイプの女性は反論すると増々エスカレートしそうな気がする。すると後ろから一人の令嬢がスッと近寄ってきて、マイヤー子爵令嬢の隣に立った。
「こんばんは。ボンノ伯爵令嬢。私はビュルクナー伯爵家の娘、ヨハナと申します。失礼ながらマイヤー子爵令嬢との会話が耳に入り、私も一言言わせて頂きたくお声をかけさせて頂きました」
年の頃はマイヤー子爵令嬢と同じ頃だろう。私より三歳くらい年下だった気がする。少しつり目の気の強そうな印象だ。たぶん近くで待機してタイミングを見計らってきたに違いない。マイヤー子爵令嬢のご友人のようだ。きっと彼女の援護に来たのだろう。
「こんばんは。ビュルクナー伯爵令嬢。何でしょうか?」
「一個人の我儘で宰相補佐室への出入りの業者の変更を宰相様に頼むのはいかがなものかと思いますわ。我が家もマイヤー商会と取引しております。商売はその下にいる商品を提供する卸業者の運命も担っています。一人の令嬢の我儘で多くの人々の生活が脅かされてしまいます。そのことはご承知でいらっしゃるのですか?」
そこまで言われてしまったら濁す訳にもいかない。周辺でたくさんの貴族がこの話を聞いている。反論しなければエルシャだけではなく家族やラモンおじ様、何よりもオリス様にご迷惑が掛かってしまう。マイヤー子爵令嬢は味方の加勢に口角を上げエルシャを見ている。可愛い顔をしているのに台無しだなと思う。
「ビュルクナー伯爵令嬢、何か誤解があるようです。私はドムス公爵様に何かを頼んだことはありません。出入りする商会が変更になったことは今知りました。そもそもこの件に関しまして私が口を出すような立場にありません。それにドムス公爵様は公平な方です。私ごときの言葉で唆されることはありません。お二人の言葉は私だけでなくドムス公爵様をも侮辱することになります。そのことにお気づきですか?」
ビュルクナー伯爵令嬢はサッと顔を青ざめさせた。私の我儘を聞く愚かな宰相だと失言したことに気付いたようだ。
「も、申し訳ございません。ボンノ伯爵令嬢のおっしゃる通り何か誤解があったようです。お詫びいたしますわ」
即座に謝罪を返してくれて私は心でほっと息を吐いた。ビュルクナー伯爵令嬢は話の分かる方のようだ。出来れば大ごとにはしたくない。
「謝罪を受け入れます。分かって頂けて良かったです。ところでビュルクナー伯爵令嬢のイヤリングはビュルクナー領の品ですよね? とても素晴らしい真珠ですね。大粒で輝きが美しいです。国内で真珠を求めるならビュルクナー産を選べば間違いないと言われるほどですもの」
気まずい雰囲気を取り払うように話題を変えた。
ビュルクナー伯爵令嬢は伏せていた顔を上げるとエルシャの目を見つめそして破顔した。
「まあ、気付いていただけましたか? そうなんです。我が領地は真珠の産地で品質には自信を持っています。このイヤリングは父が誕生日にくれたものなのです。領主の娘なら相応しいものを身につけなさいと言ってくれて。みなさん、宝石の輝きに惹かれてしまうのも分かりますが、真珠も素晴らしいのです。その良さを広めていきたいと思っています」
「ええ、私も真珠は素晴らしいと思っています。実は十六歳の誕生日にドムス公爵夫人からビュルクナー産の真珠のネックレスとイヤリングを贈って頂きました。とても素晴らしい品物です。公爵夫人は宝石も大切ですけど真珠はどんな時にでも相応しくその身を引き立ててくれるものだから惜しまず一級品を持っていなさいと、そう言って贈って下さったのです」
ダニエラおば様がわざわざビュルクナー領まで行って私のために選んで下さった素晴らしい真珠のネックレスとイヤリングだ。いつ見てもうっとりしてしまう。いつも家族やドムス家のお祝い事の特別な時に身につけている。今度夜会でもつけて行こう。それをつけると自分が素敵な淑女になれた気がしてしまう、そんな真珠だ。
「なんて嬉しいことなんでしょう! ドムス公爵夫人が我が領の真珠を一級品と思って下さっていると聞いて感激しました。何よりもボンノ伯爵令嬢が品物を見ただけで産地を見極められた慧眼に驚いています。それに我が領の特産品を知っていてくれたことも本当に嬉しく思います。ありがとうございます」
国内の貴族の特産品についてはダニエラおば様に叩き込まれている。もし、自分の立場だったら、相手が自領のことを知っていてくれれば好感を抱く。それに話題のきっかけにもなり社交にも活かせると教えて下さった。
私とビュルクナー伯爵令嬢が微笑みあい和やかな雰囲気になったと思ったら、そこに尖った声が割り込んできた。
「ちょっと、ヨハナ! なんで破談令嬢に丸め込まれているのよ。役に立たないわね。それならお父様に言って、もうビュルクナー産の真珠の取り扱いをやめるように言うから!」
その一方的な言葉にビュルクナー伯爵令嬢は目を細め背筋を伸ばして堂々と言い返す。
「どうぞ、お好きに。マイヤー子爵令嬢。あなたはボンノ伯爵令嬢に失礼すぎますわ。婚約解消の件はボンノ伯爵令嬢には責任がないことくらい誰だって理解できることです。それにマイヤー商会の宰相補佐室の出入りに関しては私もあなたの言葉を鵜呑みにしたことを後悔しています。片方の意見だけで物事を決めつけるなどいけないことでしたわ」
若いのにとてもしっかりした物言いをするビュルクナー伯爵令嬢に好感を抱いた。それに私の婚約解消についてエルシャに責任がないと明言してくれたのは家族やラモンおじ様たち以外で初めてだった。こんな状況なのに嬉しくなる。
マイヤー子爵令嬢は味方がいなくなったことを悟るとエルシャをすごい形相で睨んだ。そして近くのテーブルからワイングラスを手に取るとエルシャにかけようと腕を振った。
「あんたなんて大っ嫌い!!」




