2-7
二日連続で開かれた四大貴族会議にレベッカが現れたことは、当然ながら参加者全員の動揺を招いた。リゼルヴィンを刺激するべきではない、ということは誰の目にも明らかであるにも関わらず、最もリゼルヴィンを大切にしようとしている女王が自ら怒りを買う行動を取ったのだ。動揺も困惑も、仕方のないことと言えた。
「あくまで代理です。彼女は『紫の鳥』としての使命のすべてを知っているわけではなく、それを受け継いでもいませんから、当主としては認められません」
「ですが、女王陛下。……いえ、あなたがそう決めたのであれば、それが最善なのでしょう」
リナは何か言いたそうにしたが、そう口にしたきり黙ってしまった。顔は青ざめ、しきりに隣のファウストに目をやっている。
あえて追及はしなかった。今ここで呑み込んだ言葉を問い詰めたところで、吐き出すことはないだろう。母のあからさまな視線を完全に無視するファウストの顔からも、彼が何か言うことはない。ならば時間の無駄だ。ファウストの頑固さは、彼と親しかったアンジェリカからよく聞いている。
レベッカは向けられる視線を少しも気にせず、優雅に微笑んで見せた。
「受け入れられないのは悲しいことですけれど、一生懸命務めさせていただきますわ。わたくしが出来るのは、そうして受け入れていただける日を待ち続けることだけですもの」
あんまり美しく笑うものだから、全員が面食らってしまった。これでこの場にいる全員がわかったはずだ。レベッカが、かつて社交界にいた頃の彼女とは違うということに。
しばらくの沈黙。誰も呼吸していないのではと思うほどのそれに、エグランティーヌも声を出すのを躊躇ってしまった。
そこで、アルベルトが口を開いた。
「私は反対です、女王陛下。彼女は四大貴族としての教育を受けていない。代理であるとしても、この場にいるべきではないでしょう。何より今、リゼルヴィンを刺激するような真似をするなど、正気を疑います。レベッカ殿には、今すぐこの場から出ていかれることを要求します」
淡々とした声色だった。表情もいつもの真面目な顔だ。正当な主張である。
四大貴族はそれぞれ秘密を持っている。お互いに明かすことのない秘密だ。表向きの使命と、裏側の使命があるためであり、それはそれぞれの後継者にしか伝えられない。国王だけがすべてを知っている。
しかし、国王から四大貴族に対し使命に関する口出しをすることはない。四大貴族は王の手足でありながら、独立して国を守る立場でもあるのだ。複雑な関係だが、エンジットはそうやって国を守ってきた。
四大貴族の家族であっても、後継者以外は仕事内容のすべてを伝えられることはない。それほど重大な秘密なのだ。後継者として扱われず、四大貴族として教育されてもいないレベッカが、代理とはいえ勤められるはずがない。ただの「リゼルヴィン家当主代理」であればまだしも、「紫の鳥のリゼルヴィン家当主代理」など、やれるはずもない。
アルベルト以外も、内心そう思っているだろう。ここにいるレベッカとエグランティーヌ以外の人間は、後継者としてそれこそ生まれたときから教育されてきた。エリアスは例外的ではあるが、彼も四大貴族として兄ミハルの身に何かあった場合に備え、厳しい教育を受けてきたはずだ。長い時間をかけて今の仕事をこなせる能力を身につけてきた彼らは、リゼルヴィン家の使命のすべてを知らずとも、それが一朝一夕で身につくものではないことは知っている。
エグランティーヌも、そんなことはわかっている。わかっているが、レベッカを利用すべきだ。リゼルヴィンを救いたいのなら、まずは彼女と接触しなければならない。出来ることならこうやって刺激するのは避けたかったが、レベッカは誰も知らないことを知っている。
それをすべて話すことは憚られた。隠し事をしているリナやファウストのいる前で、不用意に情報を明かすことは出来ない。
「アルベルトさまの言うことは正しいものでしょう。しかし、もう決めたことです。これは私がすべての責任を負います。国王ですから、これだけでなく、すべてを負うことになりますが。とにかく私はレベッカさまをリゼルヴィン家当主代理と認め、この場にいることを許可します。異議は認めません」
横暴だった。アルベルトはあからさまに納得のいかない表情をしている。
これほど強引に物事を進めるエグランティーヌは誰も見たことがなく、エグランティーヌ自身、少しばかり驚いていた。自分がこれだけ強引になれるとは思っていなかった。
「まずはリゼルヴィンと接触しなければなりません。そのためには」
エグランティーヌがそう話し始めたときだった。
「探す必要はないわよ」
聞き慣れた、聞こえるはずのない声が部屋に響いた。
誰もが息を呑む。彼女が魔法を使えるということを、忘れていたわけではない。魔法は身近と言えば身近だが、使えない者にとってはまだまだ遠いものだ。
声だけが、響く。
「この女をリゼルヴィンと認めるのね。私の、私だけの『リゼルヴィン』だったのに」
「リィゼル違う、違うよ、聞いてこれは」
「何が違うっていうの、エーラ。私を殺すんでしょう。受けてたつわ、私を殺してごらんなさいな」
どこから見ているのかわからず、部屋を見回しながら必死に弁解する。救いたいだけなのだと、それだけは伝えたかった。姿が見えないのが苦しい。
リナとファウストは目を閉じて声を出さず口だけを動かし、何か魔法を使っているらしかった。おそらく部屋に流し込まれた魔力を辿ろうとしているのだろう。
クヴェートの二人がリゼルヴィンの居場所を突き止めてくれたら、それ以上のことはない。見透かされるのを覚悟で時間を稼がなければ。そうは思うのに、引き止められるような言葉は思いつかず、声が出なかった。
アルベルトが立ち上がり、彼女の名前を呼ぶ。
「リゼルヴィン」
静かだが、微かに揺らぎのある声だった。エグランティーヌはアルベルトの顔を見た。
赤い、赤い目だ。夕陽のように真っ赤な目だった。
「どこにいる。こんなことをして許されると思っているのか」
何か違和感を覚えて、アルベルトをじっと見る。ここ最近のアルベルトはどうもおかしいと感じていたが、そのおかしさともまた違った。
まるで、三年前のような。
「今すぐ戻れ」
「戻ったところで許されるわけじゃないでしょう」
許されるつもりもないけれど。
声が遠のいていく。切なさも滲んでいたリゼルヴィンの声に、どうしようもなくアルベルトが恨めしくなった。
「リィゼル! 戻ってきて、お願い、今なら間に合うから! 私たちしか知らないから! 今ならまだ、まだリィゼルを殺さなくて済む!」
切実な叫びは届かない。完全に静まり返った部屋に、リゼルヴィンの気配はなかった。
あの声色から、リゼルヴィンがすでに戻る気がないのだと、確かに思い知らされた。彼女は死ぬつもりなのだ。『黒い鳥』として、国を滅ぼして。呼吸が苦しくなって、エグランティーヌはしばらく息を止めた。必死で冷静さを取り戻そうとした。
ふと円卓の上を見る。微かに、不自然な光が瞬いた。そして光は卓上を滑り、メッセージが綴られる。
『黒い鳥はいずれ死ぬ。死ななければ黒くはない。死なない紫の鳥は、黒い鳥になれるのか』
『黄金に支配された鳥。ひとでなしは死ぬまでひとになれない。死んだらひとには戻れない』
筆跡はリゼルヴィンのものだった。見慣れた文字に、彼女が訴えたいことを読み取ろうとしたものの、エグランティーヌにはわからない。
不可解なその言葉を、アルベルトはじっと見つめていた。
その目の色は、先程とはまた違っている。
夕陽のように鮮やかな赤ではない。茶色が強く出た色だ。そして、表情も変わっている。あれほど冷たい顔をしていたのに、今は後悔が滲む顔だった。
苦い顔をしたファウストが言う。
「魔法であれを追うことは不可能です。あれは今、あらゆる魔法を遮断している。追いはしましたが、まったく違う場所に飛ばされます。魔力の無駄です」
「……わかりました」
魔法においてリゼルヴィンに勝てる者は、この国には存在しない。唯一期待されているファウストが不可能だと言うのならばそうなのだろう。自分の足で探し出すしかない。溜め息が漏れそうになった。
明らかな宣戦布告。自分だけの前で言ってくれたらなかったことに出来たのに、とエグランティーヌは思う。リゼルヴィンがどれだけ自分を疑っているか、思い知らされた。
だからといって、エグランティーヌはリゼルヴィンを見殺しにしたい、とは思えない。友人だった日々を思い出せば、そんな風に切り捨てることなど出来なくなる。リゼルヴィンがどう感じているかはわからないが、エグランティーヌは、まだ彼女と友人関係にあると信じている。
友人を殺せ、と命じることは人間として最低だと感じているものの、国王という立場上、命じざるを得ない。今彼女の居場所がわかれば、誰よりも先に接触して、説得して、逃がしてやれるかと思ったのに。
「あの子は賢いから。そう簡単には見つかりませんよ」
澄ました顔でレベッカはそんなことを口にした。妹を誇りに思っている顔だった。この場にふさわしくない、姉として、とても美しい表情だった。
女王としての頭に切り替えて、『黒い鳥』を殺すことに集中する。
その、個人と女王との思考の間で、ふと思う。
そもそもリゼルヴィンは私のことを信用していないのに、私が心から信じられるはずがない、と。




