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  作者: 小林マコト
第三部 黒い鳥
126/131

2-6

 エニーという人物が誰なのか、エグランティーヌは知らない。知らないが、幼い女の子であることは話からわかった。そして、殺せそうもないリゼルヴィンを殺せる力を持っていること、そのためにはエニーも死ななければならないということ、リゼルヴィンは自らを殺すためにエニーを手元に置いていることも。


 不思議には思わなかった。リゼルヴィンは知らない人間に殺されるくらいなら自分で死を選ぶ性質だ。目的のためなら手段を選ばない人間でもある。エニーという小さな女の子を道連れに死ぬということは、特別おかしなこととは思えない。


 それでも、リゼルヴィンはまだ人間だ。まともとは言えなくても、まだ常識を忘れず、良心を持っている。少なくともエグランティーヌはそう信じているし、レベッカもそうだろう。

 幼子の血を絞り、それを飲み干す。そんな化け物のやることをするとは、信じられない。信じられないが、想像出来た。

 あの黒い女が、真っ赤な血を啜る。白い肌に鮮やかな赤が映えるだろう。もとより彼女は赤がよく似合う。その光景は、生々しく、毒々しく、しかし美しいのだ。きっと。


 あまりにそれが想像しやすく、鉄臭ささえ鼻をついた。吐き気がした。


「……そんな死に方をさせちゃいけないわ。だめよ。あの子は、幸せに死ななきゃ、そうじゃないと」


 うわごとのようにレベッカはそう口走り、ぶつぶつと何か呟きながら頭を抱えしゃがみ込む。エグランティーヌたちのことなど忘れてしまったかのように、一人の世界に没頭していた。ギルグッドだけが笑っている。その笑みは喜劇を見る目をしていた。


「……何が面白いんですか」


 どこへも向けられない不安と恐怖が、怒りとなってギルグッドに向かった。

 それすらも、ギルグッドは笑う。


「すべてが面白いんですよ、女王陛下。あなたたちがリゼルヴィンの良心を信じているところも、リゼルヴィンがまだ人間だと思っているところも」

「リィゼルは人間です。よく主と呼ぶ相手をそんな風に言えますね」

「主さまが『黒い鳥』であることは周知の事実でしょう。変えることの出来ない現実です。それをそうと言って何が悪いんです? 少なくとも、主さま自身は何も言いませんよ。あの人が一番、それをわかっていますから」

「だからといって……」

「守り続けることは、必ずしも善ではありませんよ、女王陛下」


 笑顔のまま、ギルグッドの声が鋭くなる。思わず出かけた言葉をぐっと吞み込んでしまった。人懐こいような笑みなのに、迫力があった。

 掴み切れない男だ。計り知れない。どう対応していいのかもわからなければ、本当に信用+してもいいかのすらわからなかった。


 それでも事態の解決の手掛かりはギルグッドが一番持っている。エグランティーヌが一つも持っていないのに対し、ギルグッドは、きっとほとんどを把握している。協力してもらうしか、道はない。


「守り続ければ、守られる側でいることに慣れてしまう。慣れてしまえば弱くなる。守られなくなれば、簡単に死んでしまう。そういう世界に生きてるんですよ、リゼルヴィンという女は。そこのレベッカが選んだ道はある意味正解でした。優しくしてやるより、傷つけてやる方が、リゼルヴィンもやりやすい。憎めばいいだけなんですから。優しくされたら好きになってしまうでしょう。好きになったら殺せなくなるでしょう。殺せなくなったら、リゼルヴィンが『黒い鳥』である意味がなくなってしまう。正解ですよ、きっと。姉妹そろって悪者になりますけどね」

「……それでも、私はリィゼルを救います。救えないと思っていましたが、どんな手段を使っても、リィゼルが幸せになるように動きます。私の力が足りないのなら、足りない分は努力して補います。絶対に、何があっても救ってみせます」


 リゼルヴィンだけが不幸であり続けるのはおかしい。リゼルヴィンの不幸を肯定するギルグッドに対し、強烈な怒りがこみ上げてきて、エグランティーヌはそう宣言した。

 不可能であることは、誰よりもエグランティーヌが知っている。よく理解している。実際、救えないつもりで動いてきた。救えなくとも、救えるかもしれない僅かな可能性に賭けていた。けれど、考え直した。


 絶対にリゼルヴィンを救う。友人として。


 睨みつけたギルグッドは、エグランティーヌを笑っていた。エグランティーヌにギルグッドは殺せない。ただただ忌々しい存在に見えて、憎しみすら生まれた。


「そんなことが出来ますか。女王であるあなたに」

「女王になる以前からリィゼルの友人です。それに、女王という立場だからこそ、出来ることもあります」

「そうですか。では私もそれに協力しましょう。私の持つ情報を明け渡すと宣言しますよ」

「すべての情報を、と言い直しなさい」

「ばれましたか。残念ですがそれは出来ません。すべての情報を明け渡してしまえば、私の立場も危うくなりますからね。安心してください、あなたの敵ではありませんよ」

「では、私はあなたを信用しません。ですが協力はしていただきます。それでよろしいですね」

「ええ、もちろん。信用のない男ですが、どうぞ存分にお使いください。期待には応えてみせますよ」


 エグランティーヌは右手をギルグッドに差し出した。彼は迷いなくエグランティーヌの手を取り、契約がなされた。魔法も何もない、ただの口約束だが、互いへの信用もないためそれで充分だった。


 じっとその様子を見ていたレベッカは、二人の握手に深い溜め息を吐いて、エグランティーヌの前に平伏した。床に額をつけ、この時代のこの身分の女性がするにはあまりにも屈辱的な格好に、エグランティーヌは慌てた。しかしレベッカ本人は少しも気にせず、冷静な声でこう言った。


「エグランティーヌ女王陛下、我が妹リゼルヴィンと友人関係にある陛下にとって、わたくしは許しがたい存在でしょう。しかし、ほんのわずかな期間で構いません、わたくしをリゼルヴィン侯爵家当主代理として、正式に認めてくださいませ。そうすればリゼルヴィンは怒り、身を隠すことも忘れて私を殺しに来るでしょう。私としても動きやすくなります。ご存知の通り貴族の世界から逃げ、まともに教育も受けていない身ですが、リゼルヴィンを救うため、命すら捨てる覚悟であることは本当です。あの子を不幸にし続ける、その方針は変えられませんが、どうか……」


 冷たくなれ。熱を持つな。感情を切り離し、今ここにある現実を俯瞰して見よ。あらゆる方面からも見つめ直せ。無駄な情報は捨て、ただ冷たく、薄く強い膜を張れ。


 いつか父から言われた言葉を思い出し、自分に言い聞かせながらレベッカを見下ろした。レベッカが冷静ならば、エグランティーヌも冷静でなければならない。慌てたが、体の芯はすぐに冷めた。

 この女は信用出来ない。ギルグッドもそうだ。思えば誰もが信用には値しない。誰もが嘘を吐き、誰もが現状を正しく把握出来ていない。ならば、誰も信用してはならない。他者から与えられる情報の真偽は自らが判断しなければ。


「……わかりました」


 信用ならない女だ。今から自分が救おうとしている相手を、不幸にしようとしている女だ。

 それでも認めざるを得なかった。認めるべきだった。リゼルヴィンを救うには、まずリゼルヴィンに会わなければならない。今は、リゼルヴィンを誘い出せるならどんな方法であれ試してみなければ。


「認めましょう。今ここで、レベッカ=リゼルヴィン、あなたを『紫の鳥』リゼルヴィン侯爵家当主として正式に任命します。よく励むように。重大な役割ですよ」

「……感謝いたします、女王陛下。すべてが終われば、この命、陛下に捧げると誓いましょう。リゼルヴィンに奪われなければ」


 顔を上げたレベッカは、美しく笑った。まさに花が咲いたような笑みだったが、その裏には悲壮な覚悟があることを、エグランティーヌはもう見逃せない。


 彼女は死ぬつもりなのだ。リゼルヴィンの憎しみを自分だけに集めて、姉さえ死ねばいいのだと思い込ませて、自分一人だけ殺されてすべてを終わらせるつもりなのだ。だからこの女は、エグランティーヌに信用されていないとわかっていても、それを得ようとはしない。どうせ死ぬのだ、どうせリゼルヴィンのためにしか動くつもりはないのだと、そう考えているから。


 エグランティーヌは何も言わなかった。そうだとわかったところで、エグランティーヌから言えることはなかったからだ。


 もう戻れない。今後、きっと後悔するときが来るだろう。今だって指先が震えている。怖くてたまらない。

 すぐにでも発言を取り消して、安全な場所で、何もかもを忘れてしまいたかった。けれどそんなことは不可能だ。エグランティーヌは自分で「リゼルヴィンを救う」と宣言してしまあったのだから。

 リゼルヴィンは、この国を壊そうとしている。エグランティーヌを殺す可能性もある。そんな人を救わなければいけないのか。まだ、葛藤はある。それでも。


「……救いますよ。絶対に」


 半ば自分に言い聞かせるように、改めて口にした。


「明日、早朝に四大貴族会議を開きます。正式な知らせは後ほど。レベッカ=リゼルヴィン、必ず出席するように。そこであなたの顔見せを行います。今後についても話し合いますから、絶対に遅れないように」


 レベッカは神妙に頷いた。ギルグッドだけが、やはり笑っていた。


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