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  作者: 小林マコト
第三部 黒い鳥
124/131

2-4

 ウェルヴィンキンズを訪ね、四大貴族会議を開き、気付けば一睡もしないままエグランティーヌは女王として通常の執務を行っていた。

 半ば無意識のことだ。一日や二日、寝ずにいたところで、エグランティーヌの能力が下がることはない。それでも、今回は精神がやられたのだろう。ミハルに顔色の悪さを指摘され、仕事を中断し大人しく部屋に籠った。


 カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、人払いをして、静かに揺り椅子に座る。

 こんなことをしている場合ではないのに。そうわかってはいるものの、一度こうして一人になると、恐れが体を支配して、縛られているような感覚になる。


 リゼルヴィンを殺させたくはない。けれど、リゼルヴィンはエグランティーヌを殺すと言った。それでも、リゼルヴィンを救わなければ、ならないのだろうか。

 ただ、恐ろしかった。リゼルヴィンの力はよく知っているつもりだ。彼女がその気になれば、今すぐにエグランティーヌを殺せることも。

 魔法の前では、エグランティーヌはあまりに無力だ。そうでなくても力のない人間だというのに。


 ――最も嫌なのは、こうして、悩んでしまうこと。


 友人だと胸を張って言うのなら、悩む必要などないはずだ。リゼルヴィンを心から信頼していれば、彼女は『黒い鳥』ではないと言い張れるはずだ。こうして悩み、彼女を『黒い鳥』だと言ってしまうのは、エグランティーヌがリゼルヴィンを信頼しきれていないから、なのだろう。


 王が『黒い鳥』を信じられなくなったとき、『黒い鳥』は牙を剥く。

 リゼルヴィンが『黒い鳥』になってしまったのは、エグランティーヌのせいなのではないか。


 頭を抱えて縮こまる。どうすればいいのかわからない。どうすれば国にとっても、リゼルヴィンにとっても最良な解決が出来るのか、わからない。考えようとしても頭が働かない。


 ふと、扉が叩かれた。次いでかけられた声はミハルのもので、泣きそうになる。

 部屋に入ってきたミハルは、涙目になったエグランティーヌを見て、どんな言葉をかければいいのか悩むような顔をした。困ったように笑ったその顔が、そんなはずもないのにリゼルヴィンに似ているような気がして、苦しくなる。


「暗い部屋にいると、気が滅入ってしまうよ」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていい。謝る必要はない。そうだろう」


 エグランティーヌの前に屈んで顔を覗き込むミハルは、しっかりと目を見てそう言った。握られた手から伝わる体温に、少しだけ安心する。体の震えは、まだ収まらない。


 ミハルの声は、耳に心地よくて、気を休ませる不思議な声だ。無意識に警戒を解かせるこの声があったから、アダムチーク侯爵として十分な働きが出来たのだろう。その優しい性格と、声と、人の良さそうな表情。エグランティーヌは、ミハルのすべてに救われてきた。


「君はよくやってるよ。僕が言うことではないかもしれないけど、本当に。女王として、この国を正しく導いている。よく頑張ってる。だから、そう自分を責めないでほしい。僕はこの件に関して、誰が悪いというわけでもないと思うんだ」


 誰も悪くない、ということわけでも、ないけれど。


 続けられた言葉に、心の中で同意した。誰が悪いというわけではない。誰もが悪かった。エグランティーヌも、アルベルトも、リゼルヴィンも、他の誰であっても、悪かった。


 もし、何か一つにすべてを押し付けるとしたら、それは過去のエンジット王国そのものに押し付けるしかない。今ここにいるすべての人間は、全員が罪人だ。一人残らず、一度はリゼルヴィンを責めたのだから。責める原因を作ったのは過去のエンジットで、中でも最も悪いのは、やはり王族なのだろう。

 自分に流れる血が汚らわしく思える。誰か一人を悪にして、それで続いていく国は、存在し続けるべきなのだろうか。


 エグランティーヌが悪い方に考えていくのを察したのか、ミハルは苦い顔をした。


「君が今朝の四大貴族会議で何を言ったのか、リナ=クヴェートから聞いたよ。……確かに、国王である君が言うには相応しくない内容だ」


 徐に取り出したのは、いつか見た青い石だった。ミハルは左手でその石を持ち、右手は人差し指を立てて唇の前に持ってきた。確かその石は、リゼルヴィンが創った、部屋の音を外に漏らさないためのものだ。


「だけど、エーラ、君の考えは正しいかもしれない。君について王城へ入ろうと決めたとき、エンジットの歴史を改めて学びなおしたんだ。そこで……いくつか資料が改竄されている痕跡を見つけた。僕が見つけられるってことは、魔法で隠されたものじゃない。しかもリゼルヴィン家に関するものばかりが消されていたんだ。きっと王家にとって、都合の悪いことが、リゼルヴィン家にあるんだよ」

「それは……どの資料ですか。それがあれば、リィゼルを少しでも庇えるかもしれない」

「そう言うと思って、僕の部屋に隠してある。誰かに知られて廃棄されてしまうといけないからね。すぐにでも持ってくるよ。でもその前に、エーラ」


 こちらを見透かすような強い目をして、ミハルがエグランティーヌを見る。いつの間にか、体の震えは収まっていた。

 いつになく真剣な目だ。見たことのないミハルに、少し緊張する。


「君は、女王としては正しいことをするつもりだね。そして、女王ではなく君個人としては、リゼルヴィンを庇おうとしている。それはつまり、失敗したら君が責任を取らなきゃいけないってことだ。全部、どうなってもいいと、覚悟しているんだね?」


 思わず息を呑む。すぐには答えられなかった。まだ、エグランティーヌは迷い、悩んでいる。

 けれど、決めたことがある。迷っていようが、悩んでいようが、リゼルヴィンを信じようと決めた。どれだけリゼルヴィンが怖くとも、友として、傍にいてやろうと決めた。――それを、忘れていた。


「覚悟は、出来ていないかもしれません。でも私は、リィゼルを助けたい。出来る限りの手は尽くしたい。そう、思っています。女王として、間違っていたとしても」


 自分でもどうしてここまでリゼルヴィンを庇いたいのか、わからない。わからないことだらけだが、どうしても庇いたいのだから仕方がない。友人を救うことは悪いことではないはずだし、庇わない方がおかしいだろう。だから、女王としては不可能でも、エグランティーヌという一人の人間としては、庇いたい。


 その答えはミハルの求めていたものだったのか、彼は満足そうに笑った。そして立ち上がり、エグランティーヌを強く抱きしめた。


「君がそうするなら、僕はどこまでも、どんなことでも協力するよ。――君が死ぬときが僕の死ぬときだ。もちろん、そんなことにならないように、力は尽くすよ」

「……ふふ。今その台詞は、不穏すぎますよ」

「はは、そうだね。でもこれくらいがちょうどいい。気楽にいこう。肩の力を入れていたって、変わらないときは変わらないんだ。どうにもならないときは、どうしたってどうにもならない。君はすぐ悪い方に考えるから、そうやって諦めてしまった方が、うまく動けるだろう」

「そうですね。ありがとうございます、ミハルさま。……あなたが夫でよかった。あなたがここまでついてきてくれて、本当によかった。頑張りましょう、共に。どちらも死なないように。リィゼルが殺されないように」

「ああ、頑張ろう」


 そんな場合ではないとわかっていた。ミハルもエグランティーヌも。

 けれどつい、笑ってしまう。エグランティーヌが死ぬとき、ミハルも死んでしまうなら、絶対に死ねない。この人を死なせてはいけない。

 リゼルヴィンだってそうだ。リゼルヴィンは死なせてはいけない人だ。少なくともエグランティーヌにとってはそうだし、今のアルベルトにとってもそうだろう。ミハルだって、リゼルヴィンに親しみを持っている。


 ミハルが協力してくれるなら、どんなことでも出来るような気がした。


「そうと決まればすぐに行動だ。体調はもう大丈夫かい。僕はもう一度、資料を見直して、アルベルト殿に連絡を取るけれど。君は」

「私も動きます。もう大丈夫です。これくらい、父上に折檻されたときに比べれば全然。やるべきことはたくさんありますし、調べるべきことも山積みです。まず、ミランダとキャロル=ギルグッドに改めて話を。今日はもう、女王さまはおしまいにします」

「そうだね。僕の方からついでにアルベルト殿に頼んでおこう。彼の部下には優秀な人間が多いから、何人か借りて宮廷を任せても大丈夫だ。なんてったって『忠義の鳥』の下にいるんだ。裏切りはまずない」

「姉上やジルにも秘密裏に連絡をしておきます。あちらに火の粉が飛んでしまってはいけませんから」


 もう一度、強く抱き合って、勇気をもらった。部屋を出ていくミハルの背を見送って、服を着替える。

 女王らしくない質素な服。上質な生地を使ってはいるが、流行遅れで機能性重視の、地味な格好だ。腰に剣を提げ、仮面を懐に入れ、ひっそりと出ていく。誰にも見つからないように。王城のことは、エグランティーヌが一番知っているのだ。人の目のない時間、場所も、把握している。


 ミランダはリゼルヴィンの友人であり、エグランティーヌの友人でもある。リゼルヴィンを介して知り合った。リゼルヴィンもエグランティーヌも、ミランダの人柄が好きで、よく集まってお茶会をしたくらいには仲が良かった。


 だから、きっとリゼルヴィンはミランダに手を出さない。そう信じているものの、万が一のことを考えて王城で保護している。隠し部屋のうちの一室を貸し出して、数人の信頼出来る使用人に世話を任せた。

 何故かキャロル=ギルグッドも保護を求めてきて、一人で生き残れそうな気がしたものの、求められたので仕方なくミランダの隣の部屋を貸した。並んで部屋があってよかったと心底設計者に感謝した。


 上手く誰にも見つからずに隠し部屋まで辿り着き、ミランダの部屋に入る。

 ミランダは、寝台で丸くなって寝ていた。話を聞くつもりだったが、寝ているところを起こすのは申し訳ない。珍しい寝顔を眺めながら、この人も絶対に殺させないようにしなければ、と決意したとき、ふと声がかけられた。


「ウェルヴィンキンズでの昼夜逆転生活に、体が慣れてしまったんでしょう。この調子だと、夕方まで起きないと思いますよ」

「……何故、ミランダの部屋に入ってきているんですか、ギルグッド殿」

「ご婦人が寝ている間に、誰かが来た気配がしたので。女王陛下でしたら、そう心配することもありませんでしたね」

「当然です。ここは王城、しかもほとんど知られていない隠し部屋です。私以外の誰が来ますか。使用人たちは声をかけてから入ってくるでしょう」

「貴族の生活は不慣れでして。勉強になりました」


 胡散臭い男だと思った。キャロル=ギルグッドは、見た目こそいいものの、冷静になってみてみれば、掴みどころがなく嘘くさくて、そう簡単に信用してはいけない男だった。ウェルヴィンキンズを訪ねている間はそれなりに頼もしく思えたものの、ミランダの警戒の仕方や、その言動から、エグランティーヌもこの男を警戒することにしている。


 そもそも、リゼルヴィンの下にいた男だ。リズと対立しているようだが、それだけで完全に信用するわけにはいかない。何か目的があってエグランティーヌに近づいたようにしか考えられないし、実際、そうなのだろう。ギルグッドは、惜しみなく情報を開示しているようだが、実のところ肝心なことは何も言わない。


 ミランダを起こしてしまっては申し訳ないので、隣のギルグッドの部屋に行く。エグランティーヌが全力を出してギルグッドを倒そうと試みても、ギルグッドには敵わないだろう。それくらいの力の差が二人の間にはあった。油断は出来ない。部屋に入っても、扉近くから動かないようにした。


 それにしても、ギルグッドの髪は素晴らしい金をしている。ぎらぎらと眩しく輝く金髪は、王族であると言われても信じてしまうだろう。――エグランティーヌが欲しかった色だ。


「ミランダが寝ていてくれてちょうどよかった。女王陛下、あなたにお話ししたいことがあります」


 扉から動かないエグランティーヌに、ギルグッドはそう言った

 何を考えているのか、まったく読み取れない微かな笑みを浮かべながら。


「にわかには信じ難いでしょうが、真の味方は敵の中にいます。我が主リゼルヴィンの姉、レベッカ=リゼルヴィンがそれです」

「まさか」


 何を言い出すかと思えば、本当に信じ難い話だった。


 レベッカ=リゼルヴィン。直接の関わりは数回しかない。しかし、彼女の噂ならよく知っている。

 華やかな容姿に、快活な性格。誰に対しても気さくで、アンジェリカのように人の目をよく惹き、ジルヴェンヴォードのように他者の庇護欲を掻き立てる、リゼルヴィンとの血の繋がりを疑ってしまうほど、正反対な女性。


 レベッカはリゼルヴィンを嫌ってはいないが、リゼルヴィンはレベッカを嫌っている。性格が正反対な二人は、異常に仲良くなるか、異常に仲が悪くなるかの二つに分かれる。リゼルヴィンとレベッカは後者だった。

 昔はそれなりに仲が良かったとも聞くが、今は見る影もない。リゼルヴィンとの数えきれない会話の中でレベッカの名が出ることもほとんどなく、出たとしてもそっけない台詞ばかりだった。


 そんなレベッカが味方であるはずは、普通に考えれば、あり得ない。

 こちらの考えを見透かしたように、ギルグッドは軽く笑った。


「私も初めはそう思いましたよ。でも、彼女はあまりに賢い。賢さを隠すことがあまりに上手い。そんな人には、話を聞いてみないことにはわかりませんよ」

「失礼なことを言いますが、彼女はそう賢く見えない女性でしょう。少なくとも私にはそう見えました。人間的な魅力があることは充分に理解出来ますが、賢いとは……。彼女はリゼルヴィンの敵ではない、リゼルヴィンを害するつもりはないということはわかりますが、味方とまでは言えないはずです」

「ええ、ですから今から、それを確かめに行きませんか」


 返事に詰まった。ギルグッドは、エグランティーヌが言われた通りに確かめに行くことを確信している。言いなりになるべきか、突っぱねてしまうべきか悩んだ。

 しかし、人のことは本人に聞いてみなければわからないことも多い。すぐに悩むのをやめて、行きましょう、と答える。今この状況では、最も手掛かりに近いギルグッドを信じるしかない。


 人に見つからないよう、隠し通路を通って外に出る。この城は隠された場所が多いですね、とギルグッドが言った。確かにそうだと思う。ここまで隠し通路や隠し部屋があるということは、何か意図があったのだろう。そうでなければ、これほど多くは作らないはずだ。城というものには隠し通路はつきものだが、これだけあるのは少々異常と言える。


 主に使用人が使う廊下に出て、その出入り口から外へ出る。ギルグッドを建物の影に待機させ、厩に行って二頭用意させた。エグランティーヌが普段可愛がっている馬ではない。馬丁は困惑した表情を見せたが、微笑んで誰にも言わないように頼む。女王にそう頼まれてしまえば、よっぽど口が軽く忠誠心のない人間でなければ誰にも言わないだろう。信じていますよ、と念を押して、ギルグッドのもとへ戻る。

 街へ出てしまえばエグランティーヌの顔をよく知る人間も減る。出来る限りの速さで人の少ない道を選び、リゼルヴィン家の街屋敷へ向かった。


 急な訪問だったが、出てきた侍女がギルグッドの知り合いだったらしく、すぐにレベッカに取り次ぎ、部屋へ案内してくれた。


 数年ぶりに見るレベッカは、エグランティーヌの記憶にある姿と驚くほど変わらなかった。


「ようこそいらっしゃいました、エグランティーヌ女王陛下。お久しぶりです。ご挨拶に伺わず、申し訳ありません」

「いえ、ご無事で何よりです、レベッカさま」

「ありがとうございます、陛下。リゼルが見つけてくださったから、あの子には感謝してもしきれません」


 柔らかく笑んだレベッカのその言葉に嘘は見えない。心底からリゼルヴィンに感謝しているようだった。

 レベッカはリゼルヴィンを嫌ってはいない、それは確かだった。アンジェリカがエグランティーヌに対して姉として接するのと同じように、レベッカもまたリゼルヴィンの姉そのものだ。


 なんとなく、リゼルヴィンがレベッカを苦手としている理由がわかったような気がした。アンジェリカは、姉として立派で、妹として好きだが、一緒にいるとどこか窮屈に感じてしまう。きっとリゼルヴィンも、そう感じていたのかもしれない。


「今日は、あの子のことで、来たのでしょう」


 微笑みはそのままに、レベッカから切り出された。

 促されてソファに座り、向かいにレベッカも腰を下ろす。ギルグッドがごく自然にエグランティーヌの隣に座ったため、反射的にちょっと端に寄ってしまった。

 侍女はお茶を人数分置いて、部屋の外へ出ていく。三人だけになって、ふう、とレベッカが息を吐いた。


「陛下には隠し事をしない、と誓いましょう」


 胸に手をそっと当て、そう言ったきり、しばらくレベッカは沈黙する。

 唇だけを動かして何か言った後、手をどける。エグランティーヌをまっすぐに見つめた。


「単刀直入に言いましょう。もう、今のリゼルヴィンは止まりません。止められません。誰であっても」


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