2-3
皆、深刻な顔をしていた。カーテンにより外の光は遮られているが、この部屋に灯りは足りている。それなのに、まるで真夜中のような重苦しい空気が流れていた。
四大貴族を呼び出したのは、いつもの場所ではない。王城の隠し部屋の一室である。誰にも知られないよう、四大貴族それぞれが知る隠し通路から入ってもらった。この王城に隠し通路や隠し部屋が多く存在していることは、エグランティーヌも女王となってから知った。誰かから教えてもらったわけでも、記録されているわけでもなく、エグランティーヌ自身が偶然発見したものだ。無数にあると思われるが、エグランティーヌが知るのは両の手で足りるほどしかない。
急ぎだったため、円卓を持ち込むことはできなかった。テーブルは置かず、椅子を円に並べただけの、粗末な会議だ。過去をどれだけ遡っても、四大貴族と王が関わっておいてこれほど粗末なものは見つからないだろう。
椅子は、全部で五つ。空席はない。
リゼルヴィンの姿はない。当然と言える。これは、リゼルヴィンをいかに処理するか話し合うための席だ。椅子は初めから用意されていない。
いつもの口上もないまま、エグランティーヌは言う。
「リゼルヴィンは、私の首を刈るそうです」
事情はすべて行き渡っている。しかし、はっきりとそう告げられて、リナとエリアスは息を呑んだ。アルベルトの表情は変わらず、ファウストは顔を歪める。
女王という立場から、エグランティーヌはリゼルヴィンを処分しなければならない。国のためにはどうしても、そういうことを選ぶしかない。エンジットで一番権力を持っているのに、友人一人すら庇えない。言い表せない無力感に、唇をぐっと噛む。
「……こうなってしまいましたら、もう、仕方がありません。リゼルヴィンは、とても優秀な女性でした。国にとって、有益な。『黒い鳥』でさえ、なければ」
溜め息と共にリナがこぼす。確かにリゼルヴィンは優秀だった。よく働き、成果を上げた。どんな噂を纏おうと、どんな問題を起こそうと、リゼルヴィンが生み出す利益に比べれば些細なことと言えるほどに。
一般にはあまり知られていないが、リゼルヴィンはエンジットの魔法界に大きな進展をもたらした。彼女が編み出した新たな魔法は数知れず、発表した論文は大陸中の魔導師に読まれた。魔法については幼子と揶揄されていたエンジットを引き上げたのは、王立魔法学校の学長カスパールと、大魔法使いリゼルヴィンの二人である。
また、彼女の強さが噂として大陸に流れたことが、周辺諸国を牽制していた。何度か危うい場面もそれなりにあったが、その度にリゼルヴィンがひっそりと活躍していたのだと、ニコラスの残した日記にはっきりと書かれている。ハント・ルーセンとの件も、リゼルヴィンがいなかったら、危なかったかもしれない。
誰に知られずとも、リゼルヴィンは幅広く活躍していた。ひっそりと、それこそ、闇に紛れるように。
彼女が『黒い鳥』でなかったら。きっと、これ以上なく働いてくれていたことだろう。
リナのそんな思いは、エグランティーヌにも伝わった。複雑な顔をしたエリアスも、同じようなことを考えたはずだ。
『黒い鳥』なのだから、仕方がない。
そんな空気が流れたが、アルベルトだけがそれを許さなかった。
「あれは『黒い鳥』ではない。『紫の鳥』だ」
「アルベルトさま……」
「シェルナンド陛下も仰っていただろう。あれは『黒い鳥』ではなく、『紫の鳥』であると。あれ自身そのように動いていた」
冷静な表情、冷静な声で、アルベルトはそう言い切った。リナの不安げな声を構わず、この場の全員を見回した後、まっすぐにエグランティーヌを見ている。
エグランティーヌはリゼルヴィンを庇うつもりでここにいた。こうなってしまえばリゼルヴィンを罰しないわけにはいかない。けれどせめて、命だけは取らない方向に流せたら。それとなく、そういう風にしようと思っていた。
しかし、アルベルトがこんなことを言い出すとは予想していなかった。むしろ、彼は極刑を求めると信じ切っていた。昨夜の彼らしくない様子は多少気になっていたが、少なくともリゼルヴィンの前では正しくあるべきと伝えたつもりだったのだが、伝わっていなかったのか。
リゼルヴィンは排除すべき。それは誰の目にも、明らかなことだとエグランティーヌは思う。
普段のアルベルトなら、即刻リゼルヴィンは殺すべきと主張していただろう。この国にとっては一番正しいことがそれなのだ。『黒い鳥』が王家に反旗を翻したのならば、すぐに排除しなければならない。受け継がれたそのことを、彼が忘れるはずはない。リゼルヴィンもきっと今頃、アルベルトはそう言ったはずだと信じているはずだ。
戸惑いの目をいくら受けても、アルベルトは少しも揺らがなかった。
「あれを排除したところで、問題が増えるだけ。そうでしょう。リゼルヴィン家は誰が継ぎますか。私とあれの間に子はない。あれには後を継がせられるような親類もない。しかし四大貴族は一つも欠けてはならない。あれを殺すのは、生かすより厄介です」
表情こそ変わらないが、アルベルトは必死だった。それはエンジットにおいて間違いであるはずのことなのに、どうしてもリゼルヴィンを死なせたくないような言い方だった。
エグランティーヌはここで、少しだけアルベルトを見直した。
「アルベルトさまの言うことも、一部正しいことでしょう。私もその点はとても心配をしています。リゼルヴィン家は複雑な事情を抱えていますが、その重要性は、はっきりと言いますが四大貴族のどれよりも高いものです。どの家が潰えたとしてエンジットは残り続けるでしょう。しかしリゼルヴィン家が潰えたとき、誰がこの国の悪を背負ってくれますか」
リゼルヴィン家が、『黒い鳥』が、民の不満の向かう先となっている。この国の負の感情を、リゼルヴィンはたった一人で背負っていた。
エンジットはリゼルヴィン家を犠牲にしてここまで続いてきた。王は悪くない、『黒い鳥』が悪いのだとすべてを彼らのせいにして、神話を盾にした。
――自分の国が、そんな風に続いてきたなんて、思ってもなかった。
それに気が付いたとき、どうしようもなく汚らわしいと感じて吐いた。気が付けたのは、つい最近のことだ。
「記録がほとんどなくなってしまっていますから、確かなことは言えません。ですが、私は思うのです。もしかしたら、『黒い鳥』は、我が祖先が作り出したものではないのか、と」
善になるために、悪のすべてを押し付けられるように作られたのが、リゼルヴィンではないのか。
「いけません、陛下。今すぐにその言葉を撤回なさい」
エグランティーヌの震えた声は、リナの厳しい声に貫かれた。
普段のリナとは纏う空気が変わっていた。おっとりとした雰囲気の女性だったはずなのに、とても冷たい目をしている。微笑みもなく、こちらを責めている。
驚いて、つい黙ってしまった。言い返す間を与えず、リナが続ける。
「国の頂点に立つ者として、それは言ってはならない言葉です。この国の在り方を知っているのならばなおのこと。それは民にどう説明なさいますか。神話と王を心から信じてくださっている民に対し、神話は間違いで、王の敵である『黒い鳥』は王自ら作り出した偽物の悪で、それで? 誰が信じましょう。誰が許しましょう」
ずっと正しいと言われ続け、教られ、信じ込まされた上で、本当は誤りだったと告げられる。まして自分たちが負の感情を向け続け、卑しいもの、汚らわしいと唾を吐いてきたものが、何の罪もなく押し付けられた役目をこなしてきただけだと言われたら。
「民の怒りは王へ向かうでしょう。そのとき、王を助ける者はなく、国は容易く滅びます。神代より続いたこの国を破滅へ向かわせるおつもりですか。あなたさまの代で終わらせるおつもりですか。ならばわたくしはここで降ります。『白い鳥』は王を捨て国をも捨てます。自国を滅ぼすような愚かな王は『黄金の獅子』ではありませんから」
ファウストは何も言わない。リナに従うということだろう。リナの目は本気だった。
しばらく無音が続く。どう答えればいいのか、頭が働かない。
リナの言うことは正しかったし、それは認めざるを得なかった。最悪の場合の話だとしても、常に最悪を考えて動かなければならない。そういう立場に、エグランティーヌはある。そして、四大貴族も。
食って掛かったのはアルベルトだった。
「あなたの言うこともわかる。だが、陛下の話もまた正しいのではないか。少なくとも私は、陛下と同意見だ。私たちにとって『黒い鳥』が悪であることはあまりに自然すぎる。しかし一歩引いて考えれば、あれはあまりに不自然だろう」
「不自然だろうが何だろうが、『黒い鳥』が王の手で作られたなど、ありえません。そんなことをすると本気で思っていらっしゃるの? それこそ不自然ではありませんか。不当に悪とされたのなら、何故リゼルヴィン家はこれまで冷たい目で見られることに不満の一つも言わなかったの? 生きづらいはずなのに、何故それを訴えてこなかったの」
「もし我が家がリゼルヴィン家と同じような位置にあり、それが王に命じられたものだとしたら、不満など訴えはしない。あなたも同じはずだ。私たちはそういう風にある。そういう風に教育されている。リゼルヴィン家が静かに耐えていたとしてもおかしくはない」
「アルベルトさま、あなたは何故そうもリゼルヴィンを庇いたがるの。正しさを見失っているわ。あなたはとても正しい人だったのに」
「妻を庇って何が悪い」
今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな険悪な空気だった。どちらも言葉が強くなっている。エグランティーヌが止めに入ろうとしたそのとき、リナがアルベルトの頬を張り倒した。
「妻だろうが罪人は罪人です! 正気に戻りなさい!」
リナがこれほど怒りを露わにするのは初めてだった。少なくともエグランティーヌは、こんなリナを知らない。
勢いで叩いてしまったのか、リナも一瞬驚いたような顔をした。しかし構わず叫ぶ。
「リゼルヴィンが『黒い鳥』ならば、排除することが我々の使命です! それを、妻だからなんてくだらない理由で庇う人がありますか! そんな気持ちでいるなら今すぐここを出ていきなさい! 四大貴族として相応しくありません!」
誰も口を挟めなかった。ファウストだけが、小さく鼻で笑う。
二人ともまともな状態ではないと感じた。リナはこれほど『黒い鳥』に嫌悪を示したことはなく、アルベルトがこれほどリゼルヴィンを庇ったことはない。
アルベルトは痛がる素振りも見せず、いたって冷静に答える。
「妻を庇うのは自然なことでは? あなたこそ、あまりに冷静ではない。何故そこまであれを殺したがる」
「何故? 『黒い鳥』だからに決まっているではありませんか。これまでもそうしてきたでしょう」
「あれが『黒い鳥』になった証拠は一体どこにある。そこまで頑なになる理由が、私にはわからない」
「女王陛下を害すと宣言したのです。『黒い鳥』と認められるでしょう」
「お二人とも落ち着いてください。どちらも冷静さを欠いていますよ。リナさまも、アルベルトさまも」
そして私も、と小さく付け足す。エグランティーヌ自身、冷静とは言い難い。
リナの言う通りだ。『黒い鳥』は必ず排除すべき。そう、わかっている。たとえリゼルヴィンとどんな関係を持っていたとしても、『黒い鳥』だとしたら、そうすべきだ。ここにいる全員がわかっているだろう。
その上でエグランティーヌもリゼルヴィンを庇おうとしている。これを冷静とは言い難い。
「……リゼルヴィンが『黒い鳥』かどうか、本当のところは、私にも判断がついていません。けれどこうなった以上、『黒い鳥』として扱うべきでしょう。ならば、やるべきことも、自ずと……」
アルベルトの顔は、見られない。リゼルヴィンのことを考えるように言ったのはエグランティーヌだというのに、結局、女王としての自分はリゼルヴィンを追い詰める方しか選べない。
庇うつもりでここにいたのに、やはり、庇えなかった。立場に左右されている。情けない。
「私とリゼルヴィン……いえ、私とリィゼルは、友人関係にあります。本来ならば友を裏切るようなことなのでしょう。私は彼女の味方でいると言ったのに、こうして、彼女を罰する方を選ばなければならない。彼女にも事情があってこうなっているのだと思っているのに、彼女を選べない。今もまだ、迷っています。こんなことなら女王になどならなければよかったと」
「陛下、ですからそのようなことは」
「リナ=クヴェート。あなたの言うことは正しい。国王として、このようなことを言ってはならないとはわかっています。けれど……彼女は私にそれを許しました。女王であれ、思うことだけは自由だと言ってくれました。それがどれだけ私を救ったことか。私は皆が思うほど優秀ではありません。リィゼルだけがそれを許しました。だから本当は……本当は、リィゼルを殺せだなんて、命じたくはないんです。それだけは、わかっていてください」
声はいっそう震えている。女王エグランティーヌとしては、友を切り捨てるしかない。
アルベルトはどんな顔をしているだろう。こちらを軽蔑しているだろうか。リゼルヴィンを一番傷つけたアルベルトに軽蔑されるほどのことをしたら、きっと一番悪いのはエグランティーヌになる。笑ってしまいそうだった。
一度、大きく息をして、ぐっと唇を噛み、顔を上げる。
「会議など本来不要でした。――命じます。『黒い鳥』の排除のため、各々持てる力をすべて発揮なさい」
アルベルトは苦しそうな顔をしている。きっと自分も同じような顔をしているだろう。
エリアスは不安を隠しきれていないし、ファウストはまったく気にしていないような目をしている。
リナだけが、四大貴族の顔をしていた。真面目に、重々しく頷いた。




