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仮面で表情は隠れていたが、それでも動揺はその赤毛の男――リズに伝わっていたらしく、苛立たしそうに舌打ちをされた。
「何度も会っていれば、そりゃあわかるでしょうよ。頭がいいってのは嘘だったんですかねえ」
心臓が忙しく跳ねている。ぐっと拳を握って爪を食い込ませ、痛みで冷静さを取り戻そうとする。
リズ。赤毛の男。リゼルヴィンが、最も信頼を置く相手。
彼の言うように、エグランティーヌとリズは何度も会っている。リゼルヴィンの従者としてリズが付いてくることが多かったからだ。顔は見えずとも、髪の色も目の色も隠していたとしても、わかってしまうものなのかもしれない。あのリゼルヴィンが信頼するくらいだ、十分にあり得る。
意味を失くした仮面だったが、外すわけにもいかず、なんとなく恥ずかしくなる。咳払いを一つ、リズの目を見た。赤みの強い、橙の瞳だ。
「女王としてではなく、リゼルヴィンの友人として、ここに来ました。あなたがリゼルヴィンに信頼されていることは知っています。ギルグッド殿は、それ故に私をここに案内してくれたのでしょう。突然の訪問、ご迷惑になっていましたら、謝ります」
「ご迷惑なので帰ってくれませんか」
「……それは、出来ません」
もう一度、舌打ちをされた。刺繍をしていたらしい手元の布と針を置いて、立ち上がり、リズはエグランティーヌを思い切り睨みつける。
その睨みで殺されるかと本気で思ったほど、鋭い目つきだった。あまりの殺気に、怯んでしまいそうになる。
腰に提げた剣にそっと触れる。これで斬りかかったところで、丸腰のリズには勝てない。そう考えてしまうほど、リズの殺気は凄まじかった。
なんとか体に力を入れて震えないようにする。しばらく視線が交わったまま、無音の時間が過ぎた。
先にその沈黙を破ったのは、リズの方だった。深い溜め息で張り詰めた空気が緩む。
「残念ながら、ワタシに主さまの居場所を訊いたところで、わかりませんよ。ワタシが教えてもらいたいくらいです。大体、主さまがいなくなって、一度も街から出てないんです。どうしてワタシなら知ってると思ったんだか。やっぱりそこのクソ野郎はクソですね」
「知っている可能性が一番高いのは、紛れもなくあなたでしょう。あなたが一番、主さまに信頼されている。私よりも、この街の誰よりも先に、この街の住人となった。そして何より、主さまの、一番最初の契約者です。協力していても、何もおかしくはない。違いますか?」
「その程度のことで他人に協力を乞うような主さまだと、本気で思ってるんです? リゼルヴィンという女は他人を信用出来ない、だからこんな街を作ったと、クソなお前でも理解してると思ってたんですけどねえ。クソはクソですね」
「よくもまあそんな風に言えますねえ。――てめえが知ってるってのはわかってんだよ、さっさと吐きやがれ裏切り者」
「……ほーう?」
ギルグッドの顔に似合わない乱暴な言葉遣いに、リズがゆらりと立ち上がる。収められたはずの殺気が漏れ出し、近くに置かれていた大きめの裁ち鋏に手が伸びた。
明らかにその鋏は武器として使われる。すぐにでも剣を抜けるよう構えながら、ミランダを後ろにかばう。
リズの手が鋏に触れるまであと少し。
指先が触れた。剣を、抜く。
「あっ、思い出した」
そこで、呑気な声が空気を割った。
あまりに場違いな声色に、リズさえも緊張感をそがれて手を引っ込めてしまった。
妙な空気になったのを気にせず、ミランダは言う。
「リズ、あんた、リゼルがいなくなってから一度もここを出てないって言ったけど、そんなことないよ。結構出てってるだろ? 昨日だって出てったじゃないか」
瞬間、リズの表情が険しいものに戻った。素早く鋏が取られ、ミランダへ向けて投げつけられる。咄嗟にミランダを突き飛ばすも、その前に立つエグランティーヌが避けるのは間に合わなかった。
「ぐっ……」
左肩に思い切り突き刺さる。予想よりはるかに深く。少し呻いただけで悲鳴を上げなかったのが不思議なくらいだった。
リズの舌打ちが聞こえる。肩が熱い。仮面で狭まった視界が鬱陶しい。
よりによって右肩、これではうまく剣を振るえない。痛みは熱と共にじわじわと広がっていく。今はまだ耐えられる。だがそう長くは無理だろう。
「まあ、あなたなら、そうするだろうとは思っていました」
ギルグッドはそんなことを言って、リズとの距離を詰めた。店内は狭く、リズに逃げ場はない。けれど、ギルグッドはリズより弱い。常人とは思えない強さを持つギルグッドだが、エグランティーヌには、リズに勝てるようには見えなかった。
「ちょっと、何してんだよ! 攻撃することないだろ! やっぱりあんた、リゼルの居場所がわかるんだね!」
慌ててとりあえずの止血をしながら、ミランダはそう怒りを露にした。
確かに、ミランダの言う通りだ。これはもう、リゼルヴィンの居場所を知っていると言っているようなもの。エグランティーヌも確信した。
「教えて、ください。私はただ、リィゼルに会いたい。それだけです。決して罰しようなどとは、考えていませんから」
切実な言葉だ。もしこれが普通の感情を持つまともな人間だったら、ほとんどが絆されていただろう。
「話すことなんざねえよ」
リズの言葉が乱れた。口の端をにっと持ち上げ、不気味な笑みを浮かべている。
心臓を鷲掴みにされたような圧を感じる。リズの殺意は、リゼルヴィンのものとよく似ている、と冷静な脳の一部がエグランティーヌに伝えた。
「そんなもんで同情なんて誘えるかよ。主さまがどこにいるか? そんなもん自分で捜せ。優秀なんだろ? それくらい出来るはずだ」
「……手掛かりが」
手掛かりが一つもない。そんな状況では、何もわからない。
リゼルヴィンの失踪から、ずっと捜索は続けている。しかし、どんなに調査しても痕跡一つなく、目撃情報もない。リゼルヴィンほどの魔法使いが姿をくらませようとすればそれも当然だろうと、王立魔導師団も動かしてはいる。リナやファウストはそれに同行し、エリアスは諸外国にそれとなく探りを入れ、アルベルトはリゼルヴィンとの思い出ある数少ない場所をたどった。
それでも、未だ一つの手掛かりも見つけられていない。
ならば頼るしかない。悔しいが、リゼルヴィンのことを最も知るのはエグランティーヌではなく、ウェルヴィンキンズの住人たちだ。
リゼルヴィンの不穏な台詞は、普段からよく口にしていたものではある。しかし彼女は、友であるエグランティーヌを訳もなく殺そうとする人ではない。
何か、追い詰められるようなことがあったのだろう。姿を隠していてもリゼルヴィンを追い詰めてくる、何かが。――その心当たりは、エグランティーヌにもある。
だからこそ早く見つけてやらねばならない。思い詰めたリゼルヴィンは何をしでかすかわからない。国のためにも、リゼルヴィンのためにも、止めなければ。
そのためには誰にでも頭を下げるつもりでここに来た。実際にそれをすることは、立場上、どんなに願っても叶わないが。
リズは不機嫌な顔のまま、エグランティーヌを睨む。
「てめえの事情がどうであれ、教えてやる義理はねえだろ」
そもそもてめえにリゼルヴィンは救えねえ、とリズは続ける。
「不自由なく育った責任感の欠片もねえおひめさまには、あれほどの不幸が背負えるはずがねえ。救うってことはなあ、そいつの不幸を肩代わりするってことなんだよ。そんな覚悟はねえだろ。てめえには神話を変えるほどの力はねえ。残念だったな、神にでもなって出直しやがれ」
辛辣な言葉。けれど、エグランティーヌも、それはよくわかっていた。
「神になどなれません。きっと、リィゼルを救えないとは、わかっています。けれど、救おうと力を尽くすことは、無意味だとは思いません。それが自己満足だとしても、思うことは自由だと、リゼルヴィンが教えてくれました」
女王となったその日、リゼルヴィンはエグランティーヌに言った。国を背負うべき人間だとしても、思うことだけは自由だと。例え生き方を定められてしまったとしても、進むべき道を定められてしまったとしても、思うだけなら自由だと。思いの力はそれだけ大きなもの。思うことさえやめてしまえば、何も変わらなくなってしまうのだと。
だから、エグランティーヌはリゼルヴィンを救えると思っている。不可能だと知っていても、きっと出来ると信じている。
盛大に舌打ちをされた。リズは苛立ちに呻き声を上げながら、近くの物を蹴り飛ばす。
「もうめんどくせえ。さっさと失せろ。どうであれ教えらんねえのは確かなんだ。あれに名前をもらった時点で、そう簡単には裏切れねえんだよ」
態度がころころ変わる男だ、と思った。協力的とまではいかないが、先程までの荒々しさはない。
この緩急がエグランティーヌを疲れさせている。刺された傷が燃えるように熱い。毒は塗られていないようだが、それでも痛みで意識が朦朧としてくる。元よりエグランティーヌは、痛みに弱い人間だった。
「この街から出ていけ。ここは完全に封鎖する。誰も出さねえし、誰も入れねえ」
「あなたにそれを決める権利が?」
「ある。ワタシは誰よりも、主さまに信頼されている、そうでしょう? 女王さま」
こちらに向けられたリズの微笑みを目にした瞬間、意識がふっと遠のいた。一瞬のことだった。
はたと気付くと、街の門の前に立っていた。ギルグッドもミランダも、同じように立っている。
どこからかリズの声がした。
「調べたいのなら調べればいい。ですがね、どうせ主さまには会えますよ。もうすぐ、近いうちに」
門の錠が、ガチ、と独りでにかかる。
ぽつりと、ギルグッドの呟きが零れた。
「私まで追い出すなんて、あの人、本当に悪魔ですね」
あれだけ煽っていれば当然だと、エグランティーヌとミランダは思う。




