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処刑は国王からなされた。国へ戻ってきた四大貴族のうち、リゼルヴィン家が担当する。
今回、最も動いてくれたのはリゼルヴィン家だった。アルヴァレッドが協力するのだからと早い段階で説得されてくれたのは助かった。提供された兵力はアルヴァレッド一人だったが、それがなければこの勝利はなかっただろう。『断罪』の家系として、王族の罪を細かに暴いてくれたのもよかった。おかげでこうして、シェルナンドだけが城に残る。
王家の者たちの処刑が問題なく終わったところで、正式にシェルナンドが王として立った。国はくたびれていたが、それでもシェルナンドに希望を見た。重なって見える『黄金の獅子』の姿は、明るい未来に繋がっているのだと。
四大貴族と協力して、まずは国の安定に力を入れた。国土を取り返したいのは山々だったが、軍事力は未だ情けない状態だ。いつまでもアルヴァレッドに頼っていては国として自力で立てなくなってしまう。内部の改革を推し進め、国力回復を目指した。
十六になったばかりとは思えない働きを、シェルナンドは周囲に見せつけた。未来予知の力もこの頃には使いこなしており、最良の道を歩んでいた。――国王としては。
「……身内殺し。人でなし。本当に、生まなければよかった。悪魔より酷い」
イストワールは、シェルナンドを受け入れないばかりか、更に拒絶した。
頼まれてこそいないが、身内を殺したのはイストワールが望んでいると思ったからだ。実際、イストワールはかつての王を憎んでいた。イストワールのために殺してやったのだ。イストワールに、喜んでもらうために。
「頭が、おかしくなりそうだ」
「もう十分に、おかしいでしょう」
赤い目がシェルナンドを見る。その目を見ると――狂ってしまいそうだ。
思い出したのは、アルヴァレッドのことだった。アルヴァレッドは、シェルナンドを拒絶せず、心底から信頼してくれていた。自らの秘密を打ち明けてくれるほどに。
国王となった今、シェルナンドに真の味方などない。王妃にも自ら極刑を言い渡してしまった。実母にも拒絶されている。
それでも、アルヴァレッドだけは、味方でいてくれるような気がした。
「いっそ、あなたを殺してしまいたいよ、母上」
イストワールの最大の望みは、シェルナンドが死ぬことだろう。けれどシェルナンドは、今はまだ死にたくない。
ならば、いっそ。いっそイストワールを殺してしまえば。こんなにも苦しむ必要は、なくなるだろう。
しかし、それは出来ない。どこまでもシェルナンドはイストワールに縛られている。イストワールを殺すことも、自分を殺すことも出来ないのなら、せめて自分を慰める人が欲しい。
だから、アルヴァレッドが欲しい。あの暗く地味な、けれど誰よりも美しい女が。
どれほど強く欲したところで、すでにアルヴァレッドは他の男のものだ。相手は彼女を悪魔にした男、つまりは悪魔そのもの。彼女のその力を間近で見れば、悪魔と呼ばれる存在がどれだけ恐ろしいものなのか、子供でもわかる。シェルナンドが手を尽くしたところで、敵うはずがない。
アルヴァレッドがなびくような女にも思えず、力づくで手に入れようとすれば父と同じ最低の人間になってしまう。諦めかけたそのとき――ひらめいてしまった。
作ればいいのだ。アルヴァレッドを。
王族しか知らない秘密を、シェルナンドは知っている。このときほど父の血が流れていることに感謝した日はない。
長い長い計画だった。材料がそろうまでは実験を繰り返し、確実に成功するよう備えた。戦を起こすときにしかアルヴァレッドには会えず、イストワールとの関係も改善されないまま、苦しい日々が続いた。その間に他国の姫を妃に迎えた。反乱を企てた王族の生き残りたちを処刑し、たった二年で王族の血はシェルナンドにしかなく、イストワールには『身内殺しの狂王』と呼ばれた。
ようやく種をまけたのは、即位から約二年後のこと。シェルナンドが十八になる少し前のことだ。
リゼルヴィン家子息アンドレイの妻が第二子を授かった。その知らせを聞いて、シェルナンドはやっとこのときが来たかと喜んだ。ここからが長いとわかっていても、これまでは始まってもいなかった。喜ばないわけがなかった。
その腹の子に、細工をした。一度死に、また生きるような。用意した魔力を強制的に埋め込んで、名前を奪った。
そうして生まれた子は、アルヴァレッドによく似ていた。彼女のように左右違う色の瞳ではなかったが、黒い髪に、琥珀の瞳の女児だった。
長いその話は、アルベルトから言葉を奪うには十分すぎた。
まるで物語でも読んでいるかのような。現実にあり得る話には思えなかった。
「こうして生まれたのが、今のリゼルヴィンです。彼女は一人の女性を元に、そこへ近付くために作られました」
美しい青年は顔色一つ変えず、淡々と話していた。そこに痛みも、哀れみすら窺えない。
すでに昼を過ぎている。話の序盤に長くなると察して王城には休むと伝えてあった。優秀な部下たちがアルベルトの穴を埋めてくれているだろう。
メルキオールが話したことが真実だとすれば、リゼルヴィン家の血は途絶え、王の血には女神の血が混ざっていることになる。信じがたい話だ。
何より――
「――リゼルヴィンは、『黒い鳥』になれないはずだ」
リゼルヴィン家の血を引いていないということは、そういうことだ。呪われた血は途絶えた。『黒い鳥』は、もう生まれない。
そのはずだが、リゼルヴィンの様子からすると、心底自分は『黒い鳥』だと信じている。そんな血はもう存在しないのだと教えられていないのだろう。
「呪われているのは、血ではないようです。私から詳しくは言えません。ただ一つ言えるのは、リゼルヴィンはまさしく『黒い鳥』になり得るということだけです」
「血ではない? ならば――そうか」
代々受け継がれ、『黒い鳥』に共通するもの。
それが血でないとするなら、残るものはただ一つだけだ。
「――『リゼルヴィン』。この名こそが、呪われている。違いますか」
エンジットの歴史は頭に入っている。流石に細かなところまでは覚えていないが、歴代の『黒い鳥』についてはすべて知っている。
そのすべてに、名前がない。どの資料にも『リゼルヴィン』としか記録されていなかった。ずっと記録の不備か、反逆者の名を後世に残さないためだと思い込んできたが、今の、アルベルトの妻である生きているリゼルヴィンにすら、家名はあっても名前がない。
リゼルヴィンが当主となるまで、どのように名乗っていたか。確かリゼルヴィンはずっと、「リゼルヴィン家の次女」と名乗り、当主となってからは家名のみを名乗っている。魔法使いは軽々しく名を教えてはいけないのだと理由づけてはいるが、同じ魔法使いであるファウスト=クヴェートはごく普通だ。隠している素振りも見せない。
魔導師が名を明かさないのは、もう昔の話だという。今どきは名を知られたところでたいしたことにはならないのだと。だから、隠す必要はないのだ。基礎しか学んでいないアルベルトですら知っている。リゼルヴィンが知らないはずはないだろう。これまで魔法使いは別なのかと思っていたが、違うのかもしれない。
メルキオールは否定も肯定もしなかった。ただ笑みを深める。それが、最大の肯定だった。
「メルキオール殿。何故、これほど深いところまで、他国より訪れたあなたが知っているのですか。歴史を学んだはずの私さえ知らない、記録とまったく違うものを」
「歴史とは、権力者の都合のいいように改竄されていくものです。何一つ偽りのない歴史を知るのはイストワールのみ。私が語ったのは、すべて真実ですよ。他でもない当事者である、歴史を綴るイストワールに教えられた話ですから」
ちょっとした知り合いなのだと、メルキオールは言った。シェルナンドの誘いに応じたのは、元々はイストワールを救い出すためだったのだと。結局まんまと罠にはめられ、逆らえなくなってしまったのだが。
「カスパールではなく、私かバルタザールだったら、こんなことにはならなかったでしょう。ああ、バルタザールとは、カスパールの中にいる私たちの友のことです。カスパールはもう弱っていますから、勝てるものにも勝てなくなっているのです。私たちの骨を呑んだ程度の罪で苦しむなど、あの偏屈爺はどこへ行ったんだか。まあ……本当は誰が誰の骨を呑んだかなんて、もうわかりませんが。とにかく、老人の失敗です。許す他ありません。カスパールが動けない以上、私が出て、お話しすべきだと思いました。受け入れがたい話でしょうが、どうしようもない事実です」
「何故、私に」
「先程から、何故、ばかりですね。仕方ありませんか。あなたは特別だからですよ。あなたに、ほとんどの魔法は効きません。リゼルヴィンの魔法でさえも。もちろん例外はありますが、リゼルヴィンの魔法は、あなたの前ではまったくの無力です。それがどうしてかは、言わずともわかるでしょう。それがある限り、あなたはリゼルヴィンを救えますよ」
救おうと思えば。付け足された言葉は、アルベルトがリゼルヴィンを救うことはない、と伝えていた。
賢王シェルナンドの真実に、どう向き合えばいいのだろう。リゼルヴィンの境遇に、何を思えば。どこから手を付ければいいのか考えて――やめた。
そもそもこの真実は、他の誰にも知られていない。アルベルトが黙っていればいい。賢王は賢王のまま、黒い鳥は黒い鳥のままでいられる。
これまでもそうしてきたはずだ。国の害となるなら排除するものの、そうでないならある程度見逃してきた。真実より、虚偽の方が誰も傷付かずに済むこともある。
国を守るためなら嘘も吐くし、人を騙すことも殺すことも覚悟している。四大貴族というものは、表で語られるほど清く正しいものではない。国のためになんでもすると誓った、言ってしまえば頭のおかしな連中だ。アルベルトはこれまで大きな罪を犯したことはないが、他の家もそうとは限らない。リゼルヴィンなんかは、たくさん罪を重ねてきたことだろう。そういう家系なのだから、仕方がない。
酷い頭痛がした。頭を抱えて、大きな溜め息を吐く。らしくない様子にメルキオールは何も言わずにいてくれて、それにむしろ腹が立った。これほどの爆弾を投げつけておきながら、美しい澄まし顔でカップに口をつけているのだ。他人の痛みはどうでもいいのか。
思考が乱暴になっていくのを感じて、一旦、聞いたことを忘れることにした。冷静でないときに何を考えても無駄だ。
「カスパールは、リゼルヴィンに救われてほしいと思っています。彼がそう願うのなら、私たちもその手助けをするつもりです。彼は動けませんから。ですが、リゼルヴィンが人の世において悪となるのなら、私たちは立場上、リゼルヴィンと敵対せねばなりません。あなたもあなたで、面倒なものに手足を絡めとられているでしょう。どうしてもあなたは、国を優先してしまう。自分よりも、誰よりも、何よりも国を選ぶ。いっそ四大貴族などない方がいい国になれるかもしれませんね。善と悪を作り出して、対立させて、そんなことでしか保てない国に本当の幸せなどありませんよ。現に、あなたもリゼルヴィンも、とても不幸だ」
不幸。自分は不幸か。考えて、メルキオールの言葉は正しくないと感じた。不愉快だった。
アルベルトは不幸だと感じたことはない。国のために動くのは、四大貴族のあるべき姿だ。そう教えられてきた。特別不幸なことなど何もなかった。
そう思って、ふと気付く。
リゼルヴィンはずっと、不幸ではないと言っていた。『黒い鳥』と囁かれ、人にどれほど冷たい目を向けられようと、不幸ではないと。
きっとそれは、そうあることが当然だったからではないか。アルベルトが四大貴族として生きることに不幸を感じないように、リゼルヴィンは『黒い鳥』として生きることに不幸を感じていない。むしろ幸せだと、ずっと言っていた。それは本心からの言葉だったのだろう。
アルベルトはようやく、自分やリゼルヴィンが不幸だと言われた意味を理解した。
そのようにしか生きられないから。自我など、ほとんどないに等しい。目的のために生きている。目的のためだけにしか、生きられない。
見る人から見れば不幸だろう。実際、アルベルトも少し、リゼルヴィンは不幸だと感じていた。
けれど、リゼルヴィンは、一度もアルベルトにそんな目を向けなかった。不幸だと決めつけることはなかった。
ああ、また、後悔している。リゼルヴィンのことを、考えてやれていなかった。
彼女がもし『黒い鳥』となって、国に害を及ぼしたとして、アルベルトはすぐに国を選ぶだろう。迷うことはあれ、リゼルヴィンを選ぶことはない。
だが、そうなったとしても、次に会ったときには謝らなければ。出来れば許されたい。離縁しても、良好な関係を築いていきたいのだ。それが出来たら、それ以上の幸せはない。
まだ、『黒い鳥』になるほど、リゼルヴィンは絶望していないはずだから。




