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  作者: 小林マコト
第三部 黒い鳥
118/131

1-5

 アクチュエルの死は、厳重な箝口令が敷かれ、一切外部に洩らすことがないよう、手配された。


 守護女神のうちの一柱がこの国で死んだのだ。事故死ではなく、自死という形で。外交に関わる問題である。国内だけならまだしも、国外に洩れればエンジットの信頼は地に落ち、築き上げた諸国との関係は絶たれることになる。


 宗教、信仰というものの恐ろしさを誰よりも知っているのは、他でもないエンジットの王族なのだ。人の信仰心を利用して国を治めてきた。信仰が争いの火種となることは、よく理解している。

 その場にいた使用人たちは全員処刑した。彼らは皆、国のためならと受け入れた。


 産後のイストワールはといえば、以来一度も子を抱こうとせず、放心した様子で過ごしていた。

 しかし、ある日ふいに自らの旅道具の中からナイフを取り出し、アクチュエルと同じように首を切ろうとした。


 それから、何度か自死を図ったものの、何度も止められてしまった。ただでさえアクチュエルの死を隠しているのに、イストワールにまで死なれてしまっては困る。凶器になるものが手に入らない場所へ、ということで、隠し部屋へ移されることになった。窓も扉もない、魔法で封じられた部屋だ。

 王と子を呪ったことで、イストワールの持つ力は僅かに弱まった。元より大した力はなかったが、簡単な魔法すら見破れず、悔しさに涙した。


 子はシェルナンドと名付けられ、乳母によって育てられる。イストワールにも毎日会わせたが、母であるはずのイストワールは冷めた目でシェルナンドを見るだけで、次第にそれすらしなくなった。名を呼ぶことも、語り掛けることもない。しかし、王が一日に一度は会わせろと命じたため、いっそ会わせない方がましだと思う状況ですら、乳母はシェルナンドを連れて部屋を訪ねるしかなかった。当の国王は、イストワールの顔も見に来なかったのに。


 ナイフは没収されてしまったが、紙とインクはいくらでも与えられた。イストワールは、ひたすらに歴史を書き綴った。本来あるべき自分に戻ろうとした。イストワールはこの世のすべての歴史を綴る者。ありとあらゆるものの過去を知る女。昼も夜もなく、その作業に没頭した。


 いつしかイストワールの存在はごく一部の人間しか知らないものとなり、国を出たことになっていた。


 シェルナンドは数いる王子のうちの一人として、実母たるイストワールの代わりに、乳母と王妃の手によって育てられる。

 先に何人も王子はいた。王の女好きによるもので、エンジットの王族では異例な子沢山だったのだ。シェルナンドは末に近い子で、王位継承権は低いものだった。


 母代わりに王妃とよく行動したが、王妃にも子がいた。彼女はシェルナンドの生まれを知っているため、哀れみで彼と接していたが、決して自らの子と同じようには考えておらず、むしろ危険視していた。

 扱いはごく普通だが、公表されずとも女神の子である。いつ上位に躍り出るかわからない。やはり自らの子に王位を継承させたい王妃としては、手元に置いて常に行動を監視していた方が安心出来たのだ。

 賢いシェルナンドは物心ついた頃から、自身を取り巻くあらゆる思惑をよく理解していた。理由はわからないが、自分の立場は不安定で、指一本動かすだけで良い方にも悪い方にも転がるのだと。王妃に従順でいれば、しばらくは安全だ。


 学問の才能にも、魔法の才能にも恵まれていたシェルナンドは、上手く立ち回って身を守った。幸か不幸か、未来予知の力を持って生まれた彼は、利用出来るものすべてを利用した。王位継承者が多いということは、それだけ野心を持ち他者を蹴落とそうとする者も出てくる。自衛は王族として最も重要な才能の一つだ。絶対の味方のないシェルナンドは、子供とは思えないほど気を張ったまま成長した。


 唯一安らげるのは、実母たるイストワールとの、一日一度の面会の時間だけだった。

 イストワールはシェルナンドが訪れても、目もやらず何かを紙に書き続けている。言葉はなく、抱かれたこともないが、きっとこの人だけは悪意を向けてこないのだろうと信じていた。

 実母なのだ。王妃が実子に向ける愛情を、イストワールも自分に向けているはずだ。


 まだ子供のシェルナンドは、そう信じて疑わなかった。

 故に、あの日。シェルナンドは深く傷付いてしまったのだ。


 何か特別なことがあったわけではない。ただ、イストワールの口から、自分への想いを語ってほしいと思っただけだった。たった一言でも構わない、言葉が欲しかった。

 正面からそう言えば、初めてイストワールがシェルナンドと目を合わせた。


「わたしの、想い?」


 初めて聞く声だった。落ち着いた、耳によく馴染む声だった。

 銀の髪に赤い瞳の美しい人だ。シェルナンドとは正反対の色を持つ人。

 その人が柔らかく微笑んだものだから、子供だったシェルナンドは、期待してしまった。


「――あなたを生んで、後悔しています」


 なめらかに紡がれた言葉は、子供にはまだ早いもの。残酷な声は甘ったるいのだとシェルナンドは知った。

 口元のきれいな弧から、下品な笑いなど出てこなかった。けれどシェルナンドは、嗤われている、と思った。聞いたこともないはずの笑い声が聞こえて、耳が痛い。


「俺が……嫌いですか」


 絞り出した言葉に、イストワールが首を傾げる。

 どうか否定してくれと願っても、その甘い声は、鋭くシェルナンドを貫く。


「きらいではありませんよ。深く、強く、憎んでいるだけ。あなたを生まなければよかった。わたしは、選択を間違えました」


 あなたさえいなければ、


 その先は聞けなかった。シェルナンドは、イストワールの部屋から飛び出して、二度と近寄れなくなった。

 明確な悪意によって紡がれたイストワールの言葉は、本心であり、彼女の復讐の第一歩である。


 以後シェルナンドは気力というものをなくしてしまう。どうにでもなれと隠してきた才能を発揮し、その黄金の姿もあって、次期国王にとの声が強まった。父である王はそれをはねのけたものの、実際にシェルナンドが最も優れた王子であることは否定出来なかった。


 そこで王は、隣国との戦争にシェルナンドを送り込むことにした。最前線に、である。真に優れた者ならば、そこから生きて帰ることも出来るだろう。我がエンジットを救えるだろう、と。


 王城内は平穏だったが、その頃のエンジットは周辺国に国土のほとんどを削られていた。アクチュエルの件は未だ知られていないものの、王は女神の死による呪いを恐れ、それを誤魔化すためによくわからない無駄な事業を多数始めてしまったのだ。無駄なものなのだから、当然失敗する。税を搾り取れるだけ搾り取られた民の多くが死んだ。自然災害、飢饉もほぼ同時期に発生し、国は大いに荒れていた。


 国の一大事に厄介払いなど、と思いはしたが、当時十五、成人を一年後に控えたシェルナンドとしても、このあたりで一度名をあげておくべきかと考えていたところだ。国を救えば王位に近付ける。このままではどれほど周囲から持ち上げられたとして、王位に就くことなど出来ないだろう。箔をつけるためにも、これはいい機会だと思った。


 戦争を甘く見ていたわけではない。ただ見えていたのだ。この王城へ生きて戻る、自分の姿が。


 人を惹きつける才にすら恵まれていたシェルナンドは、疲弊し軍をやめようとしていた兵たちを一人一人説得し、自ら隊を編成し戦場へ出発した。

 王族を見捨て国外へ逃亡し、持てる財や伝手のすべてを使って民を保護していた四大貴族たちにも、一応は協力を呼び掛けた。王は一切の謝罪もなく、自らの非を認めることはなかったが、それでも協力してほしい、そう頭を下げたが、彼らも彼らで自分たちの精一杯を行っている最中だった。エンジットの滅びは誰の目にも明らかで、せめて民だけでもと必死になっている四大貴族たちは、皆正しかった。


 四大貴族は、『黄金の獅子』の末裔である王族に忠を誓っているが、真に守るべきとしているのはエンジット王国、国そのものなのである。王が『黄金の獅子』として相応しくないと認めれば民を、相応しいと認めれば王を選ぶのが四大貴族だ。どのような形であれ、エンジットという国の存在を証明出来れば良いと考えている。

 断られることは想定内だった。それも見えていた。しかし、協力を要請した、という事実を作っておけば、王位を得たときに役立つだろうと考えたのだ。見えた自分はそれをしなかったが、したらしたで何か変わるだろう、と。


 そして――本当に、未来は変わった。


「今、貸せる手はありません。ですが人を紹介しましょう。彼女が協力してくれるかはわかりませんが、それはあなたの口でなんとかするべきだ。あなたはどうやらよく口が回る。人をその気にさせる力がある。きっと彼女も動かせます」


 当時のリゼルヴィン家当主は、そう言って一人の女に会わせた。

 黒い髪に左右で色の違う瞳を持った、見ようによっては男かと思ってしまいそうな、中性的な顔の女だった。


 右が黒、左が琥珀色の、不思議な雰囲気の瞳だ。醜いところはないが地味な顔で、体つきも細くお世辞にも女性らしいとは言えなかった。表情から心を覗くことは不可能で、笑んでいるのか、それとも無なのか、判断のつきにくい表情で、人を見透かすような視線を向けてくる。歳は、三十にいくかいかないか。どちらかという童顔だ。

 もっと美しい女を多く見てきたシェルナンドだったが、自分でも驚くほど、その女に惹かれた。


 アルヴァレッド、と名乗った女は、存在感が薄くそこにいることすら忘れてしまいそうな、霞のようだった。シェルナンドは珍しく言葉を見つけられず、よく回るはずの口が回らない。

 魔導師であれば、きっとこの女から溢れる魔力がどれほどのものか、どんな未熟者でも理解出来るだろう。それだけアルヴァレッドの持つ魔力は高純度かつ高濃度、そして底を見せないものだった。


 なんとしてもこの女を味方に引き入れなければならない。名乗って以降、一言も発しないアルヴァレッドを懸命に説得した。その説得は三日三晩に及び、四日目の朝にようやくアルヴァレッドが口を開いた。


「いいでしょう。力を貸します。人の争いに手を出すつもりはありませんでしたが、子らのため、加勢しましょう」


 寝ずにひたすら口を回し、言葉を集め、シェルナンドの人生において最も苦痛に満ちた日々だった。アルヴァレッドのその言葉を引き出したシェルナンドは、それから、二日ほど寝込んだ。


 そしてついに前線へ出向き、そこに残されたわずかな兵たちを束ねた。すでに敗北は見えており、皆絶望の最中、逃げられるところもないからと戦っているだけだった。


 シェルナンドはまず、これまで戦い続けてきた彼らを休ませた。自ら率いてきた少数の兵士たちを出させ、徹底的に拠点の守りのみをさせた。そしてアルヴァレッドを彼らの中には入れず、たった一人で、迫りくる敵軍の相手をさせた。

 落ちたも同然のエンジット相手に、隣国もそう多くの兵力をつぎ込んだりはしない。アルヴァレッド一人の戦力がどれくらいなのか、知りはしなかったが、シェルナンドには確信があった。


 この女の前に、人の力など無力だと。


 事実、彼女はたった一人で敵を撤退に追い込んだ。腕慣らし程度の力しか出していないというのに。

 最初から壊滅させよとは命じなかったため、彼女の手抜きのおかげで敵兵力は半数近くも残されていた。それでよかった。ここでアルヴァレッドの力のすべてを見せつけ、全力で叩きにかかられてしまっても困る。こちらに残された戦力といえる戦力はアルヴァレッドしかなく、彼女が倒されることはないだろうが、万が一、一時だけでも彼女を抑え指揮を執るシェルナンドのみを狙われたら、盾にもなれない兵士たちでは負けるに決まっている。アルヴァレッドはシェルナンド個人についていて、エンジットについているわけではないのだから、そうなれば指揮を執るものはなくなりそのまま攻め落とされるだろう。


 そうならないためには、アルヴァレッドの真の力を隠しておき、こちらの兵力の回復を待った方がいいと、シェルナンドは考えていた。

 力を貸すと言った以上、アルヴァレッドはシェルナンドに従順で、命じられた以上の成果を上げつつ、シェルナンドの望まぬ行動を取ることはなかった。彼の考えに賛同出来なければしつこく納得のいく説明を求めたが、一度納得してしまえばその後は何も言わず従った。超人じみた体力で、昼は戦い夜は不寝番を買って出た。疲れを見せず、常にあの何を考えているのかわからない顔をしていた。口数の多い方ではなかったが、気配りは上手く、挫けそうな兵士を見つけては話を聞いて励ましてやっていた。


 激しい戦いではあったが、その中でアルヴァレッドの存在は兵士たちの希望となっているようだった。見事な采配を振るうシェルナンドも、兵たちの精神の拠り所となった。

 すべてが上手くいったわけではなく、アルヴァレッドがいなければエンジットは負けていた。シェルナンドだけがそこにいても勝てなかったが、もしアルヴァレッドだけがそこにいたとすれば、きっと勝っていた。


 不思議と悔しくはなかった。アルヴァレッドは、それだけの力を持っていた。

 アルヴァレッドとはよく話をした。口数の少ない彼女だったが、質問にはしっかりと答える。声をかければ自然に返してくれる。機会を見つけては、シェルナンドは彼女に質問をしたし、他愛もない話もした。

 そうしている間に、彼女は表情が変わらないのではなく、表情を変えないのだと理解した。意識して変えないようにしているのだ、と。


 鉄というにはあまりに柔らかい無の表情だが、それくらいの強度があった。どんな話をしていても彼女は変わらず、しかし不快感を与えなかった。

 それを、はがしてやりたいと思った。アルヴァレッド本来の表情が見たい、と。シェルナンドが感じた限りでは、彼女はきっとよく表情が変わるたちだ。感情の起伏が激しい方であるのを、必死で抑えつけているように見える。上手く隠された、彼女自身の感情が知りたかった。


 シェルナンドはその育った環境から、真に心を許したと言える人間は存在しない。信じていた母にも拒絶された。

 だからこそ、アルヴァレッドが心を開き始めたのを感じたときは――この女こそ、自分を理解しきれる唯一だと思った。


 アルヴァレッドはシェルナンドに取り入ろうとはせず、裏がなかった。力を貸す代わりにエンジットに住む許可が欲しいとは言われたが、それだけ。それ以外には金も何も求めなかった。何か与えてやろうかと言ってもただ首を横に振るだけ。欲の少ない女だと思った。

 不寝番をしていたアルヴァレッドに付き添ったりと、地道な好感度稼ぎはそう長く続ける必要がなく、アルヴァレッドはシェルナンドが思っている以上に単純な女だった。

 気遣われる、ということに慣れていないようで、こちらが驚いてしまうほど懐いた。


 壁はいつの間にか失せ、友のような間柄になったとき。

 シェルナンドは、アルヴァレッドの身の上を尋ねた。


「……何故?」


 鋭い、冷たい声だった。まるで出会ったときのような。

 動揺を見せてはならないと感じた。ただ、友として、分かり合えた者として、知っておきたい。悪意はなく、ただ知れるだけでいいのだと、シェルナンドは言った。事実それだけでシェルナンドは満足出来る。彼女の秘密を知る、それが目的だった。知ったところで悪用する気もない。


 ややあって、アルヴァレッドは張り詰めた空気を解いた。大きく息を吸って、吐いて、微笑む。


「いいでしょう。お話します。とても、つまらない話ですけれど」


 腰掛けて、夜空を見上げながら、アルヴァレッドは淡々と話し始めた。隣に座って、黙ってその声を聞く。


 自分はこの大陸に生まれた者ではない。海の向こうの国、きっと世界で最も魔法が発展していて、それ故に魔法を弱体化させた魔術が普及している国で生まれた。そこでもエンジットと同じように『魔術師』と『魔法使い』の区別があり、アルヴァレッドは後者であった。


 生家は貴族、伯爵位にあった。歴史ある名家で、姉が一人。その姉が、現在のリゼルヴィン夫人である。

 姉妹共にエンジットへやってきたのではなく、姉の結婚後しばらくしてから渡ってきた。


「今になっても、真実がどんなものだったのか、わかりません。確かなことは、私の結婚が決まって、式の前日に家が燃やされたということだけ。私個人を狙ったものでしたが、家は全焼、両親も、使用人も、みな燃えてしまいました。殺されるはずだった私だけが生き残りましたが、命を狙われているとわかっていて、生きているぞと声を上げることは出来ませんでした。結局、死んだことになって、我が家はなくなってしまいました。ちょうど、ある人から逃げなければならなくなったので、そのままにして、姉を頼ってここまで来ました。家を見捨てたんです。最低ですね、私」


 姉との関係は、良くはなかったが悪くもなかった。明るく華やかな姉と、暗く地味な妹では他者からの扱いも違った。それでも、姉以外に頼れる人はなく、海を渡り、リゼルヴィン家へ辿り着いた。


「事情を話すと、姉は私を叱りはしましたが、全力で守ると言ってくれました。義兄も私を受け入れてくださって、ウェルヴィンキンズの森に小屋まで建ててくれたので、そこで暮らしていました。とはいえ、最近まで眠っていたのですが。エンジットが乱れてからは、私どももつれて国を出てくださって、本当に、姉と義兄には頭が上がりません」


 そこまで話して、アルヴァレッドは口を閉じた。これですべてだということだろう。

 しかし、シェルナンドは満足しなかった。アルヴァレッドは、まだ何か隠している。聞かれたくないから話さないのだとわかっていても、シェルナンドはアルヴァレッドのすべてを知りたかった。


「それですべてですか」

「ええ。つまらない人生でしょう」

「何か、隠していますね」


 直球でそう言ってみれば、アルヴァレッドが苦く笑った。


「やっぱり、わかりますよね」


 誤魔化すのは苦手なんです。その言葉に、そうだろうなと思った。嘘が下手なのだろう。

 だから、シェルナンドはアルヴァレッドに惹かれたのだろう。きっと、裏切らないから。


「本当の話をすると――私、悪魔なんです。元人間の」


 真面目な顔でそんなことを言うアルヴァレッドに、シェルナンドは何も言えなかった。

 仕方のないことだった。エンジットでは、悪魔なんてものは架空の存在とされている。物語の中にしかないものだ。そんなものが存在するなんて、思いもしない。けれどアルヴァレッドは、悪魔は実在すると言う。自分自身がその証明だと。


「私が死んだことにされて、そのまま逃げてきたのは、自分が悪魔になっていくことを知ったからです。当時の私の魔力は他者の影響を受けやすくて、悪魔の魔力を身近に受け続けたことで、変化してしまったんです。それに、私は――私は、妊娠していたので。子どもの父親であり、私を悪魔にした人から逃げて、ここに辿り着きました。その人とは、今はもう、和解したんですけど。悪魔である私から生まれた、人である子どもは、姉に託しました。共には生きられませんから」


 子を生むまでは人間でいられた。けれど生んでしまったら、真に悪魔となってしまった。


 笑ったアルヴァレッドの言葉に、シェルナンドは少なからず衝撃を受けていた。

 二十五、六の女だ。エンジットではほとんどの女性が結婚している。他国の貴族もそんなものだろう。アルヴァレッドに相手がいたとしても、不思議ではない。


 ただ、アルヴァレッドはまったく所帯じみていなかった。子がいるようには思えなかった。子とは共に暮らしていないようだが、女は見かけによらないのだと知った。


「それで、この国に住む許可が欲しいと」

「ええ。今まで隠れて住み続けてきましたが、そろそろ、ちゃんと国からの許しを得たいと思って。次期国王と噂される人と共に戦うのであれば、それだけいただいておこうと思ったんです」

「なるほど。私が国王になる可能性は低いものですが、必ず手配してみせましょう」


 憎からず思っている相手だ。アルヴァレッドが家庭を持っているとわかったところで、そう答える以外になかった。

 と、そこでシェルナンドは、一つ疑問を見つけた。


「随分と、年の離れた姉妹なんですね」


 リゼルヴィン夫人は今年で確か四十五歳になるはずだ。まだまだ若々しく様々な活動を行っているとはいえ、アルヴァレッドが見た目通り二十五あたりだとすれば、大体二十ほど離れていることになる。

 力の強い魔法使いは、最も魔力が高まった歳で老いが止まることも多々ある。アルヴァレッドの力の大きさはよく知っているが、疑問は素直に口から滑り出た。


「悪魔になった時点で、私の老いは止まりましたから。そう見えても仕方ありませんね。姉とは、本当は二つ違いなんですよ。二十六で悪魔になったから……十七年ほど、姉とは離れてしまいましたね」

「ということは、あなたの子もそのくらいですか」

「……ええ。今年で、そのくらいです」

「リゼルヴィン家のご子息も十七になりますね。……まさか」


 ありえない考えだとは思ったが、シェルナンドの頭に、拭いきれない疑惑が浮かび上がる。

 仲睦まじいリゼルヴィン夫婦が四年もの間、子供に恵まれなかったのは有名な話だ。ようやく子を授かったときの喜びようは、周囲を巻き込んだほどだったと言われている。


 アルヴァレッドはあからさまに動揺していた。自らを落ち着けるように深い呼吸を繰り返して――シェルナンドに頭を下げた。


「申し訳ありません、シェルナンド殿下。殿下には、すべてお話しします。ですからどうか、どうかこのことは、秘密にしておいてほしいのです。許されざることと、私も姉も、義兄もよく知ってはおります。ですが、こうするしか」


 あくまで部外者として、多少は考えているだろうが身分すらあまり気にせず、好きなように振る舞う彼女が平伏して許しを乞うている。

 疑惑は肯定されたのだろう。そうでなければ、アルヴァレッドがここまでするはずはない。


 シェルナンドが考えたのはこうだ。


 子の出来ないリゼルヴィン夫妻のもとに、子を抱えたアルヴァレッドが訪れる。生んだところで悪魔となる自分では育てられないと感じたアルヴァレッドは、姉に子を託すことにした。このままでは後継のないままになってしまうと考えた姉は、託された子を自分の子だと偽り、夫と共に大きな秘密を抱えた。


 まさにその通りだと、アルヴァレッドはいう。義兄は子供の作れない体で、こうするのが最善に思えてしまったのだと。


「つまり――リゼルヴィン家の血は、すでに途絶えたということですか」

「……はい」

「それは……困りますね。国には『紫の鳥』の血が必要です。このことが公になれば、リゼルヴィン家は四大貴族としての地位を失うことになるでしょう。これまで血を絶やさぬよう、本家筋を守り続けたのは伝統を守るため。子息のないまま養子を迎えることも、養子が当主となることも許されませんでした。何よりリゼルヴィン家は、『黒い鳥』を生む血です。もし今後、『黒い鳥』が生まれなければ……」


 生まれても困るが生まれなくても困る。それが『黒い鳥』だ。もしこのことで『黒い鳥』が生まれなくなれば、民は喜ぶだろうが、万が一のときに奇跡をもたらす者がなくなってしまう。


「もし、『黒い鳥』が必要となれば……。そのときは、私がなります。あらゆる手段を用いて、この国を救ってみせます。ですからどうか、見逃してください。許されないとはわかっていますが、どうか」


 地面に平伏し、額を土で汚しながら、涙の混じった声で言うアルヴァレッドに、国に関わる者として相応しくない思いがシェルナンドを埋め尽くした。

 この女を自分のものにしたい。どんな手を使っても。この弱みを握って、許されないことを許してやれば、逆らわないだろう。


 そんな思いを知られたら、きっとアルヴァレッドはシェルナンドから逃げてしまう。ぐっと堪えて、無理に優しく微笑んだ。


「わかりました。私からは絶対に洩らさないと約束しましょう。他から洩れてしまえば、どうすることも出来ませんが」

「ありがとうございます。知られてしまったのがあなたで、本当によかった」


 困ったように笑う顔が、眩しく見えた。


 欲しいな、と思う。この女が欲しいと。

 手に入らないことは、わかっていたけれど。


「ところで、アルヴァレッド。そろそろあなたの名前が知りたいのですが」

「今更なことですね。でも、いいでしょう。お教えします」


 シェルナンドは一つの仮説を立てて、アルヴァレッドの言葉を待った。

 そして――


「リゼルヴィン=アルヴァレッド。それが、私の名前です」


 ――その仮説は、証明されてしまった。


 以後、シェルナンドは出し渋っていたリゼルヴィンの力を存分に振るわせ、たった一日、たった一人で敵軍を壊滅させた。長引いた一つの戦争を、アルヴァレッド一人で終わらせたのだ。

 最も称賛されるべきはアルヴァレッドを味方に引き入れたシェルナンドとされ、王都は久々の勝利に沸いた。

 盛大な宴が催された。状況が状況なので大したことはないものだったが、それでも今、この国がやるべきでないことだった。金がなくて困っているのに、以前と変わらず金を使い続ける王族には呆れてしまう。


「そなたならばやってくれると思っていたわ、我が息子よ。流石は女神の子と言うべきか。あのときイストワールを選んでいて正解だった。冴えない女神の呪いなど誰が恐れるか」

「陛下、そんなことを言っては……」

「事実、こうして息子は帰ってきた。愚鈍なアクチュエルの子であれば死んでいたはずだ。誰か、イストワールをここに。あやつも喜ぶだろう。久々に出してやれ」


 宴の最中、王がそんなことを言い出した。勝利に気を良くし、すでにたくさんの酒を飲み酔っているのだろう。まだ始まって間もないというのに。しかし、今夜ばかりは仕方ないのかもしれない。意味のわからないことを言う王に、張り付けた笑顔で対応した。王妃だけが王を諫めていた。


 今夜の主役というべきシェルナンドだったが、イストワールを呼びに行く役目を買って出た。誰も名乗り出なかったから、というのもある。今この城で、イストワールの存在を覚えている者は少ない。シェルナンドが生まれてから一度も表に出ていないのだ。


 正直に言えば、まだ少しイストワールが恐ろしい。「生まなければよかった」と言ったあの母の顔は、忘れたことがない。

 それでも、国に勝利をもたらした今なら、立派になったと褒めてくれるかもしれない。生んでよかったと、言ってくれるかもしれない。若いシェルナンドは、期待していた。裏切られることになるだろうと、覚悟も出来ていたけれど。


 地下牢の奥、ただの壁に見える隠し扉をくぐり、イストワールのいる部屋へ。ここはリゼルヴィン領ウェルヴィンキンズへ通じる、王家の人間だけが教えられる隠し通路でもある。イストワールを逃がさないため封印が施されているから、今はどこにも通じていないが。


 部屋の扉を二度叩く。返事はない。声をかけてから、ゆっくりと扉を開いた。

 中には、以前から少しも変わっていない母がいた。銀の髪の美しい女だ。こちらに目を向けることなく、ひたすらに何かを紙に書いている。


「母上、陛下がお呼びです。今夜は部屋を出ても良いと」


 言葉をかけても、返ってくるものはない。すでに心が折れそうだと感じながら、なおも口は動いた。


「私が、戦争に勝ったのです。生きて帰るだけでなく、国に勝利をもたらしたのです。もちろん私だけの力ではありませんが。私についてきてくれた兵士たちや、何より、アルヴァレッドという女性がいてこその勝利です。母上にも、いつかアルヴァレッドを紹介したい。彼女はとても強いのです。それこそ……悪魔のように」


 あの戦いがどんなものだったのか、聞かれてもいないのに喋らずにはいられなかった。

 きっと彼女を知ってもらいたいからではなく、褒められたかったから喋っていた。よくやったと、一言でいいから欲しかった。結局、そんなささやかな願いさえ叶わなかったけれど。


「……母上」


 これが最後だと思いながら、声をかける。しばらく、無言。

 やはりこの人は自分に興味などなく、迷惑にすら思っているのだろう。


 部屋を出ようとした、そのときだった。


「戦争とは、むなしいものです」


 こちらを見ず、手も止めず、イストワールはそんなことを言い出した。


「ただ、人を殺すためのもの。人を殺せば英雄になれる場所。皆、善だと信じて悪を為すところ。そんなところから、あなたは帰ってきてしまった。悲しい話ですね」


 驚いてドアノブから手を放し、母を見る。母は独り言のように、続けた。


「悪魔の女を従えて、いい気になっているようですね。大したこともしていないのに、わたしがあなたを認める? そんなこと、あるはずないでしょう。馬鹿らしい。わたしがあなたの父に何をされたのかも知らないで、よく生きていられますね」

「母上……」

「そんな風に呼ばないでいただけますか。わたしはあなたの母になど、なりたくなかったんです。わたしがあなたを生まなければ、アクチュエルは生きていられたはずでしょう。あなたの父がわたしを選ばなければ、無理に汚さなければ。あなたの父が、アクチュエルを選んでいれば。こんなことにはならなかったはずなのに。わたしたちは、まだ、三人で、旅を続けられたはずなのに」

「母上、一体なんの話をしているんです」

「あなたの父に聞けばいいでしょう。わたしはここから出ません。国から出してくれるというのならば話は別ですが。早く出て行きなさい。あなたの存在を感じることすら不愉快です」


 強く言い切られ、慌てて部屋を出た。逆らうことを許さない声だった。


 広間へ戻り、酔った父に自らの生まれについて尋ねた。アクチュエルとは誰か、一体何があったのか。尋ねた途端、機嫌よく酔っていた王は青ざめた顔をして自室へ引っ込んでしまった。人々はまだ騒いでいる。これはかなり遅くまで宴は続くだろうと、シェルナンドも自室へ戻ることにする。気分は、とても悪かった。


 そこを、王妃に呼び止められた。彼女の自室へ招かれたので、ついていくことにする。シェルナンドはまだ十五、成人を迎えていないため、彼女の部屋に入ることを許された。使用人たちも多く入ってきたが。


 王妃はシェルナンドにすべてを話した。守護女神たちのこと、イストワールのこと、アクチュエルのこと、シェルナンドが生まれた日のこと。彼女が知っている限りのすべてを。

 何かの作り話を聞いているようだった。作り話にしても嘘くさくてつまらない。そんなことが現実に起きたなど、信じられるはずもなかった。


 それでも、よほどのことがない限り嘘を吐かない王妃だ。作り話をするにしても、もっとまともなものを作るはず。そう考えると、信じる他なかった。


 王妃がシェルナンドに愛情を持っているのかはわからない。あくまで、このシェルナンドを手元に置いて、自らの子の邪魔にならないようにしているだけだということは、シェルナンドにもわかっている。

 けれど王妃は優しかった。彼女の子らと同じようにとはいかないが、十分にシェルナンドを守ってやっていた。それも、シェルナンドはわかっている。王妃は立派な人だ。国母となる女として、これ以上ないほど。


「この話を聞いて、苦しんでも無理はないでしょう。王族であることが嫌になることも、理解出来ます。もし、あなたが王族で居続けたくないと言うのなら、わたくしが手配しましょう。陛下はもう、あなたを手放そうとはしないはずですから」


 我が子の地位を危ぶんでか、それとも本当にシェルナンドを思いやってのことなのか。

 どちらであっても、どうでもよかった。


「――王妃陛下。お心遣い、痛み入ります。ですが、ご心配には及びません。一つ、成すべきことが出来ましたから。それを成すまで、私はここを離れられません」


 久々に、未来を見た。アルヴァレッドと共にいたときは使わなかった、ずっと保身のために使ってきた力だ。

 これからは保身などに興味はない。他人を支配するために使うのだ。


 王妃は眉をひそめてシェルナンドを見た。怯えさせないように、にっこりと笑って見せる。


「ご安心を。皆が幸せになるような、素敵な考えがあるのです。今はまだ、秘密ですが」


 それだけ言って、彼女の部屋を出た。


 特別な胎から生まれた。そのことがシェルナンドに不思議な力を与えたような気分だった。知る前と何も変わらないのに、知ってからは体が軽い。やりたいことが、たくさん出来た。


 ――見えた未来は、シェルナンドが玉座に座している光景。

 王になろう。父を殺して。母を苦しめた父と、その地を受け継ぐ者たちを殺さなければ。

 そうしたら、イストワールが笑いかけてくれる未来が、見えるはずだ。


 幸いと言うべきか、エンジットは今、危機に瀕している。たった一度の戦いに勝っただけでは少しも先に進んでいない。むしろ今回勝ってしまったことで、国土を奪った国々が一気に攻め込んでくる可能性もある。

 国内だって穏やかさとは程遠い。もし、シェルナンドが反乱を計画し、協力者を募ったら。いくらでも人は集まるだろう。


 自室で大陸の地図とエンジットの地図を広げ、現在の状況を書き込んでいく。まずは国土を少しでも取り返さなければ。兵を集め、アルヴァレッドを使えばいい。アルヴァレッドは一人で十分戦える。一度に二つの戦いを起こしても、二手に分かれればさばけるだろう。負ける未来は、見えていない。


 あと半年でシェルナンドは成人を迎える。王は未だ健康で、それ故に害となっている。半年で出来る限り人を集め、国土を少しでも取り返し――王を倒す。慈雨感はない。とにかく早く国王にならなければ。民がまだ、動けるうちに。国がこの大陸の地図に残っているうちに。


 早くて十年もあれば国土は取り返せる。国王となったら、まずは隣国ハント・ルーセンに協力を申し出よう。ハント・ルーセンは長年他国の植民地とされ、現在は独立の動きもあるがなかなか上手くいかないでいる。他に協力している余裕など本来ならあるはずもないのだが、あちらの国は海を持つ。海外貿易をやらせれば、取引上手な国民性を活かせるだろう。エンジットを優先させる約束を取り付けられれば、こちらの経済も対策の方法が増える。


 そこまで見えて、頭痛がした。これほど集中したことはなかったからだろう。やろうと思えばなんでも容易く出来てしまうシェルナンドは、どんなものに対しても、集中して努力をするということがなかった。

 無理にまた未来を見ようとしても、ぼやけてよく見えず、また頭痛だけでなく吐き気にも襲われた。これ以上は不可能。そう判断して、散らかした机の上を片付けてから寝台に倒れる。すぐに、意識は溶けてなくなった。


 翌朝からシェルナンドの戦いは始まった。まずアルヴァレッドを訪ね、国を救いたいのだと嘘を吐いて協力を取り付けた。協力者を集めるのも、始めは上手くいかなかったが、四大貴族を味方につけてからは早かった。彼らの私兵たちはエンジットの民を助けるために動かされていたが、他国との戦争の際には貸し出すと約束された。四大貴族により他国へのがれた民らも、彼らが協力するならと後方支援に回ってくれた。


 半年のうちに、最も多く国土を奪っていった国との戦いに勝ち、奪われた分を取り返した。民の信頼も得て、ついに王と向かい合うときが来た。


 その日はシェルナンドの誕生祭が行われる予定だった。戦争に金を使っているのだから不要だと、シェルナンド本人がやめさせた。

 シェルナンドは、戦場で誕生の日を迎える。――王族たちは、そう信じていた。


 深夜。シェルナンドは軍を従え王城に突入した。少数ながら未だ王に忠誠を誓う者たちが反抗したが、数で圧倒していた。数人の部下を従え、シェルナンドは王の寝室へ向かった。

 一応は王族、国王である。身を守る術は知っていた。王が剣を握った。だが、戦場に身を置き、時に前線に立ち魔法も剣も振るって戦ったシェルナンドに勝てるはずもない。すぐに取り押さえられ、広間に引きずり出された。


 他の王家の者たちも、兵士に捕らえられ広間に集まっていた。数多くいる側室たちさえ。王妃も例外ではない。いないのは、イストワールだけだった。

 近衛兵たちもそこにいた。シェルナンド自ら選んだ新たな国を担う者たちも、四大貴族の当主たちもわざわざ外国から戻ってきていた。彼らを認めた瞬間、王は自分を助けるよう叫んだ。しかし、誰も動かない。


 すでにエンジットは、シェルナンドを王と認めていた。


 用意は出来ている。深夜ではあるが、すぐさま裁判が行われた。皆、指定された席に座り、普段の手順通りに進められた。


 まずは側室たちから。彼女たちは大した悪さをしていたわけでもなく、ある意味では王の被害者だ。他国から来た者は祖国に帰され、他の者は王都からの追放が言い渡された。

 王女たち。続いた敗戦によりほとんどが他国に引き渡されている。残っていたのはたった一人で、生まれたばかりの赤子だった。母である側室と共に国へ帰されることとなる。

 王子たちは酷いものだった。位の高い者ほどやらかし放題で、賄賂を受け取った者や、最悪なことに他国に情報を流していた者さえいた。王子のうち一人を除いて、全員極刑。残った一人は病弱で何も罪はないのだが、生涯幽閉とされた。


 王妃の番である。シェルナンドにとって、唯一味方と呼べた人。心からの味方ではなかっただろうが、守ってくれていた人だ。


 彼女は罪を持たない。彼女だけはずっと正しくあり続けた。国が乱れてなおエンジットが沈まなかったのは、彼女一人が正しく国を導こうと奮闘していたからだった。何もしていないようで、一人、戦い続けていたのだと知れたのは、王家の罪をすべて暴いたリゼルヴィン家の報告があったからだ。


 そのため四大貴族は皆、王妃だけは極刑を避けるようシェルナンドに進言した。裁判とはいえ、ほとんど次期国王であるシェルナンドの一存で罰が決まる。シェルナンドは熟考の末、罰なしとはいかないが命を奪うわけにもいかないと結論付け、彼女の息子と共に生涯幽閉を決定した。


 そう言い渡そうとしたとき、王妃が静かに口を開いた。


「わたくしは、シェルナンド=ヴェラール=エンジットの暗殺を企てていました」


 広間がざわめきに包まれる。まさか、王妃が。王妃がシェルナンドを守っていたのだと誰もが知っている。そんなはずはないと、信じる者はなかった。


 しかし、シェルナンドだけは冷静だった。知っていたからだ。


 王妃がシェルナンドを殺そうと目論んでいることは、シェルナンドが一番知っていた。彼女はとても賢い女だ。他人に洩らさず、自分一人でシェルナンドを殺そうとしていた。

 あの日、シェルナンドにその生まれを語ってやった日から。


 この場にいる誰もが、シェルナンドが国を救うためにこうして身内を処刑しようとしているのだと信じている。ただ殺したいから殺すのだと知らずに。

 ただ一人、王妃だけがシェルナンドの目的を知っている。


 あの日から王妃はシェルナンドが動く理由を悟っていた。我が子でなくとも長い間近くにいたのだから、考えること、感じることの少しは理解出来る。だから、王妃は王妃で国と王家を守るために、シェルナンドを殺そうとした。

 結局、こうしてシェルナンドが勝ってしまった。黙っていてやっていたのに、王妃は自ら死のうとしている。


 それは、絶望からではない。罪を犯した王家の一員として、殺人を犯そうとした罪人として、当然だと思ったからそうするのだ。王妃となった時点で覚悟していたのだろう。夫である国王が死ぬときは、自らも死ぬときだと。

 ならば、その覚悟に応えてやらねば。シェルナンドもまた事実を口にした。確かに、王妃には何度か殺されそうになった。これまで自分を守り続けてくれた恩があるから、黙っていたのだと。


 王妃の極刑が決定される。少し安心したような顔をした瞬間を、シェルナンドは見逃さなかった。


 そんな王妃とは正反対に、王は無実を訴えた。これは女神の呪いだ、この血があれば、『黄金の獅子』の末裔である自分だけは救われるはずだと情けなく喚いた。皆が失望で物も言えなくなっていると、王妃の声が響いた。


「いい加減になさい、この愚か者! あなたそれでも国王ですか! 何をぐだぐだぐだぐだ、泣いて喚いて許しがもらえるのは生まれたばかりの赤子だけです。大の大人が、それも国王がそんな姿を晒しても何も変わりっこないでしょう! シェルナンドさまがいらっしゃらなかったら、この国を滅ぼしていたのはあなたなのですよ! だいたいあなたの女癖の悪さで十六年前の悲劇が起こったんです。わたくしは何度も諫めましたよね。全部あなたが悪い、自業自得です! それを何ですか、せめて最後くらい国王としてどっしり構えて死を受け入れなさいな、みっともない!」


 ものすごい剣幕の王妃に、あっけにとられて誰も何も言えなかった。王や、シェルナンドですら。

 これほど王妃が声を荒げたことは過去に一度もなく、予想だにしない出来事だった。言い足りないらしくこめかみを指でぐりぐり押しながら、ああもう、これだからこの人は、なんて呟いている。


「最後のわがままを言わせていただいてよろしいでしょうか。この人は極刑で構いません。殺して首を鳥の餌にでもしてやってくださいな。ああ、それだと鳥が可哀想ですね。やっぱり捨ててください。ただ、その瞬間まで、この人と一緒にいさせてください。同じ牢に入れてほしいとは言いません。ただ、その隣に」


 おかしなことを言う女だ。つい、シェルナンドは声を上げて笑ってしまった。


「望み通りにしましょう。あなたはとても、強い人だ」

「感謝いたします、シェルナンド。そして――これまでのこと、謝罪いたします。ごめんなさい」


 何を謝るのか。まだ幼い自分を守っていたのは、あなたではないか。真実を隠さず、秘密を教えてくれたのも。


 身内を殺すことに抵抗はない。けれど、この女は、救ってやってもよかったかもしれない。そう思った。

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