表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 小林マコト
番外編 セブリアン・パレット
110/131

7

 朝になっても路地は薄暗かった。目を覚ましたセブリアンは、自分がひどい格好をしていることに舌打ちをする。ウェルヴィンキンズでもよく殺したり殺されかけたりしてきたが、初めてちゃんと死んだ。これまでは、セブリアンが返り討ちにして終わりだった。殺されるということは、これほど気持ちの悪いことなのだと知る。

 上着は胸に大きな穴が開いているし、それでなくても血が固まってしまっている。セブリアンが倒れていた地面にもあった血だまりも乾燥してしまっていた。うっすらと、あたりに鉄のにおいが漂っている。


「……クソが」


 吐き捨てて、どうするか悩む。こんな格好で大通りには出られない。ギルグッドの姿も偽物すらここにはいない。どうしようもなかった。

 体がだるく、夜になるまでそのまま壁にもたれて座っていることにした。誰か人が来ることはないだろうと油断していたのが悪かったのかもしれない。


「おい、大丈夫か」


 不意にかけられた声にそちらを向けば、どこにでもいるような中年の男がセブリアンを見ていた。


「喧嘩か? それにしても派手に血が出てるじゃねえか。立てるか、怪我は」


 親切な男だ。セブリアンに近寄り、手を貸そうとしている。親切な、とてもありがたく思うべき、善良な男だ。


 それなのに、どうしても、この男を殺したいと思った。


「……触るな。殺すぞ」


 その衝動はとても耐えられるようなものではなかった。

 たった今初めて会った人間に、こんなにも強い殺意を抱いたことはない。人生で一度だけだ。それも、あれは例外としていいだろう。


 セブリアンにとって『殺す』ということは、ただ赤を見るためだけの行為だ。赤が見たいと思うとき以外に、滅多に殺したいと思うことはない。口では殺す殺すと言っていても、本気で殺意を抱いていることなど、ほとんどなかった。


 それなのに。

 それなのに、セブリアンは今、耐えがたい殺意に突き動かされている。


 人を殺す。好きだと思ったことはない。ずっと、いけないことだと思ってきた。

 親切な男は、セブリアンの手の中で簡単に死んだ。そこにセブリアンの意識はない。気付けば殺していた。自分の在り方が、変わったような気がした。


 もっと殺したい。思いたくもないことを、思ってしまう。

 一体どうしてしまったのか、セブリアンにもわからなかった。頭がおかしくなってしまいそうだった。もうずっと、おかしかったけれど。


『殺しなさい』


 ふと、女の声がした。


『あなたが好きなだけ、満足出来るまで。出来ることなら邪魔者をみんな。私が嫌いな彼も、あなたが好きな彼も』


 その女をこそ殺したいと思ったが、辺りを見回しても、女の影はない。


『許すわ。殺しなさい。あなたの心が、満たされるまで――!』


 突然、目の前を眩い光が覆った。あまりの光に目を手で庇い、治まるのを待つ。随分と長らく、そうしていたような気がした。

 瞼に光を感じなくなってから、恐る恐る目を開ける。

 そこは知らない森の中だった。少なくとも、ウェルヴィンキンズを囲む森ではない。確証はないが、なんとなく。慣れ親しんだ森とは違う。


 不気味に静かな森だ。生き物の気配もほとんどない。

 ――だからこそ、明確な殺意に気が付いた。  


 セブリアンめがけて飛んできた何かを咄嗟に避ける。弱々しい月明かりの中、それが何かを的確かつ瞬時に判断することは不可能だった。

 次から次へと同じものが飛んでくる。目が暗がりに慣れてきた頃、それが鎖であることを知った。何本も何本も鎖は飛んでくる。先端に杭のついたそれは木に突き刺さり、セブリアンの動ける範囲が狭まっていく。


 敵もそれを狙っているようだった。今のところ、セブリアンは姿も見せない敵の望む通りに動いてしまっている。

 やがて、なすすべもなく、セブリアンの動きは完全に封じられた。気付いたときにはすでに遅かったのだ。

 体を縛る鎖から逃れようと、しばらくもがいた。無駄だと知って、それをやめてから、誰かがセブリアンに近付いた。


「お前は誰だ」


 ようやく姿を現した、男とも女ともつかない敵に、党。抵抗などしたくても出来なかった。手足は鎖にからめとられ、もがくたびに戒めは強くなる。力の差は明らかだが、しかし屈したくはなかった。


「誰だ」


 答えない敵に、もう一度問う。

 しかし、やはり答えが返されることはなかった。虚ろな目をしている。恐ろしいほどに。目の前のセブリアンすら、映していなかった。


 不意に、倒せるような気がした。きっと、これに勝てると思った。

 そんなことは不可能だと、普段のセブリアンであれば早々に諦めていただろう。それほど圧倒的な強さが、この敵――『彼』にはあった。魔法を知らない人間ですら、そう知ってしまうはずだ。

 もしもこの『彼』を倒せるとすれば、それが可能なのはリゼルヴィンくらいのものだろう。間違ってもセブリアンのような、無力な一般人が倒せるような相手ではない。


 ――けれど。

 驚くべきことに、セブリアンはこの『彼』を、倒してしまっていた。


 倒せる、と確信した途端、セブリアンを戒めていた鎖が消滅した。何も言わない『彼』も、ここで少し、驚きの色を見せる。セブリアンも同じく驚きはしたが、それは当然のことのようにも思えた。意識せずとも、何を考えずとも、セブリアンは『彼』の殺し方を知っていて、そのために体は勝手に動いていた。


 今この場では、『彼』は殺されるべき者で、セブリアンは殺す者だった。彼にさえ近づいてしまえば、セブリアンが負ける未来などない。

 そして、セブリアンは『彼』を殺した。大した抵抗もせずに、『彼』はセブリアンに首を絞められて死んだ。


 息をせず、動きもしない『彼』に馬乗りになったまま、しばらく自分という存在について考えた。この『彼』を殺せるような人間では、なかったはずだ。


 基本的に、『彼』は脆い。脆いが、永遠に生き続けられる。だから脆さを隠せていた。そんな『彼』は、永遠に死に続けるリゼルヴィンにしか、殺せはしないはずだった。しかし、リゼルヴィンを殺すために作られたセブリアンであれば、本質的にはリゼルヴィンと同じであり、しかしまったく異なる『彼』も殺せる。


 そこでようやく、今になって、セブリアンは思い出した。


 三年前、リゼルヴィンと二度目の出会いを果たしたあの雨の日。

 あの雨の、その前に、セブリアンは作り替えられた。

 リゼルヴィンを殺すためだけに存在する、『アルヴァー=モーリス=トナー』へと。


 思い出せば衝動は強まる。どうしてもリゼルヴィンを殺したくなった。今、あの女はどこにいるのか。どこで何をしているのか。それがわかれば、この『彼』を殺せたセブリアンなら、今まで誰にも殺せなかったリゼルヴィンも殺せるだろう。それが出来れば、どれだけ楽しいだろう。

 これまで朧気だった記憶を取り戻し、セブリアンは、なんとも言えない気持ちになる。


 そこへ、誰かの足音が聞こえて、顔を上げた。


「……セブリアン?」


 聞き慣れた声だった。軽く手を挙げて、答える。

 近付いてきたのは、リゼルヴィンが失踪する少し前から街に帰らなくなった、アリスティドだ。本来なら友との再会を喜ぶべきなのだろうが、今のセブリアンにそんな余裕はなかった。

 この、アリスティドでさえ、殺したくてたまらない。


 まともでいようと耐え続けることに意味を見出せなくなって、セブリアンは諦めて認めることにした。自分は狂っている、と。


「お前、どこ行ってたんだ」


 セブリアンの問いに、アリスティドはむっとして反発した。


「今はそれどころじゃないだろ。お前の下の……男? どっちか知らないけど、そいつは誰なんだ。殺したんだろ、処理を――」

「いいから答えろ。お前、どこにいた。何をしていた」


 返ってくる答えの中に、リゼルヴィンの名があればいいと思った。何か一つでも、リゼルヴィンの居場所を突き止める手掛かりがあれば、この友であった男は見逃してやってもいいと。

 セブリアンの剣幕に押されたらしく、アリスティドはおずおずと答える。


「主さまの命で、ハント・ルーセンのほうに。そうだ、主さまがいなくなったってのは本当か? というか、ここはどこなんだ。俺はハント・ルーセンの、ルノー・スタチナの屋敷にいたのに」

「リゼルヴィンは何か言っていたか。どこに行くとか、何をするとか」

「特別なことは何も。お前の方がよく知ってるんじゃないのか? 俺はずっと、ハント・ルーセンにいたんだ。主さまが失踪したのも、最近知ったくらいだ」


 ベラベラ喋るアリスティドを睨む。黙らせて、大きく溜め息を吐いた。

 余計なことは何一つ必要ない。リゼルヴィンの居場所さえわかれば、それでいいのだ。セブリアンの頭の中は今、リゼルヴィンを殺したいという衝動で溢れている。友をも殺したいと思ってしまっている。殺すためだけの存在として作り替えられてしまったのだから、仕方ない。


 もう二度と会えないと思っていた。アリスティドが、そう呟く。


「まさか、俺を疑ってるんじゃないだろうな? 俺が主さまに命じられたのは、ハント・ルーセンに生き、ルノー・スタチナを監視することだ。短ければ、ルノー・スタチナが死ぬまで。その後は状況に応じて指示を受けるつもりだった。向こうの国について以来、主さまとは連絡が取れないままで、今に至る。俺は何も知らないんだ」

「疑ってねえよ。お前なんかがリゼルヴィンを捕まえられるもんか。知らねえなら黙れ。役立たずの話は聞きたくもねえよ」

「なっ……」


 セブリアンのあんまりな言い方は、アリスティドでなくても言われたら腹が立つだろう。顔を真っ赤にして、アリスティドは珍しく、声を荒げた。


「なんなんだ、その言い方は! さっきから大人しく聞いていれば! 知らせた方がいいだろうと思って教えてやってるのに、俺が何か悪いことでもしたか!」

「喚くのをやめろ。お前が役立たずなのは事実だ。いつだって俺がいなきゃなんにも出来ねえ情けない男だった。そうだろ?」

「お前はいつもそう言うがな! 俺だってお前の頼みをたくさん引き受けてきただろう。その都度お前のために叶えてやろうと必死だった! お前が呟いた、たった一言のために、俺は自分のことだって投げ出して必死になって叶えてやったんだ! お前が俺を友と呼んでくれたから!」


 セブリアンの奥はとても冷えていて、自分でも、何故そんな風にアリスティドを傷つけるようなことを言ってしまっているのか、わからなかった。

 わからなかったが、無性に苛立ってしまうのだ。冷えているのに、感情が昂ってセブリアン自身にも制御出来ない。暴走しだしている。思い出してみれば、アリスティドの好意すらすべて腹立たしい。


「俺が頼んじゃいないことだって勝手にしただろ。それはお前が悪い。そうだろ? なあ? 俺はな、確かにお前を友と呼びはしたが、お前を認めたわけじゃねえ。誰がそんなこと言った。勝手にいいように解釈するんじゃねえよ。鬱陶しい。俺はお前がいなくたって生きていけるんだ。お前と違ってな」


 セブリアンにとってアリスティドは親友とでも言うべき相手であり、最も気を許せる相手ではあるが、何故だろう。殺さなければならないような気がしてくる。

 度々、こうやってぶつかるときがあった。何度も衝突してきた。根本的にセブリアンとアリスティドは気が合わないのかもしれない。そうでなければ、こんなにも腹が立つはずがない。互いに、共にいれば苛立ってどうしようもない。


 衝突の後、しばらく時間を置けば、どちらも頭が冷えて元通りになる。


『――それは、あなたの甘えでしょう?』


 また、頭の中で女の声が響いた。落ち着いた、低く、少し深い声だ。リゼルヴィンの、陰鬱な声。


『あなたはずっとそうやって、他人に甘えてきた。周りに迷惑をかけて、でも、傷ついたからって自分だけは逃げて。自分だけを正当化して。あなたのお友達、かわいそうね?』

「……黙れ」

『傷ついたなら、全面的に、傷つけた相手が悪いの? それはそうよね、あなたの中では、あなたの敵はみーんな悪者だものね。人間ってそんなものよね。それなら、ずっと孤独でいてしまえばいいのに。そうすれば、あなたを傷つける人なんて、いなくなるじゃない』

「黙れ」

『それだって嫌なんでしょう? わがままね。甘いわ。本当に。孤独でいれば、かわいそうな人間でいれば、周りのみんなは甘やかしてくれるものね。不幸はとっても心地がいいものね。わかるわ。私も同じよ。でも、あなた、あなたを本当に想ってくれているお友達さえ敵だと言うの? いいのよ、私は、嫌われても。むしろ嫌いなさい。あなたが楽になるのなら。けれど、ほら、目の前のあの子。あの子はあなたをずっと大切に思ってる。私よりずっと。あなたも、あの子を大切にしてあげるべきじゃないの? それくらいも出来ないの? 無力なのは、あなたの方じゃない』

「黙れっ!」


 頭が割れそうなくらいに痛い。女の声が、リゼルヴィンの声が、セブリアンは責め立てる。これだから殺したいのだ。あの女は他人の気分を害するのがとんでもなく上手い。セブリアンを不愉快にする。

 リゼルヴィンはセブリアンより恵まれていた。セブリアンには、初めから親などいなかったのに。存在するだけでありがたいはずなのに、幼いリゼルヴィンは、親に愛されたいなどと言って一度だけ泣いた。それもセブリアンの前で。あのとき、それがどれだけセブリアンを苛立たせたか。どれだけセブリアンに惨めな思いをさせたか。


 あの女は悪だ。不幸を喜んでいるのは一体どちらだか。セブリアンの方が、不幸なのに。

 それなのに何故、あの女は救われて、セブリアンは救われないのか。


「死ね、殺してやる! 出てこいリゼルヴィン! 俺が殺してやる! さっさと出てこい!」


 最早セブリアンの目にアリスティドは映っていない。叫んでは周囲を見回し、また叫ぶ。


 おかしくなったとしか思えないその様子に、アリスティドは怒りを忘れて止めにかかる。アリスティドには、セブリアンが聞いたリゼルヴィンの声は聞こえていない。何がどうしたのかもわからずに、とにかく暴れるセブリアンを押さえつけようとした。


「殺してやる、見てろ、殺してやるからな! こうして! なあ! 死ね!」

「やめろセブリアン! やめてくれ、一体どうしたんだ!」

「触るなっ! 俺はリゼルヴィンを殺すんだ! 離せ殺すぞ!」


 隠し持っていたナイフを振り回し、アリスティドがそれを避けた瞬間にその腕の中から逃げ出した。セブリアンは明らかに錯乱している。

 そこか、と叫んではナイフを地面に突き刺す。尋常ではない、異様な光景だった。どんなにアリスティドが呼びかけても、正気を取り戻しはしない。

 ふと動きを止め、セブリアンがアリスティドを見る。目は虚ろだった。虚ろだったが――真っ赤に燃えていた。

 そんな目をしていただろうか。いつの間にか、髪も赤く染まっている。


 その目にたじろぎ、思わず逃げてしまいそうになった。セブリアンが、にやりと笑う。


「――見つけたぞ、リゼルヴィン」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ