4
「流石に城ん中には入れねえな」
荷馬車の御者台に乗り込みながら、ギルグッドに言う。顔以外は見事に小綺麗な行商人に見せているギルグッドは、そうでしょうねえ、と間延びした声で返事をした。
「お城は大切なところですからね。正面もどこも見張りがあるのは当然です。正規の手順でも上手くはいかないでしょう。困りましたねえ、私だけならなんとかなるかもしれませんけど」
「お前ほんと何者だよ」
「キャロル=ギルグッド。それ以外の何者でもありませんよ。主さまなら、こう言うでしょうね」
「そうかよ」
言いながら、ギルグッドはゆっくりと馬車を走らせた。次の目的地はそう遠くない。
リゼルヴィンにとって、王城はともすればウェルヴィンキンズより思い出深い場所だろう。何かしらの手掛かりがあるのはほぼ確実だが、中に入れないのなら無意味だ。
『あの城には、この娘の想いが溢れています。残念ですね、手掛かりは未だゼロですね』
「……うるせえよ。なんで出てきた」
『あなたが私の不在を寂しがったから』
「ふざけたこと言ってると殺すぞ」
『殺せるものなら、どうぞ。この国一番の魔法使いたる私を、殺せるのなら』
澄まし顔でセブリアンの膝の上に座る偽物に重みはない。あの部屋で見たときより少し成長したリゼルヴィンの姿をしている。十四か、十五だっただろうか。このリゼルヴィンは。
見下ろすセブリアンの視線に気付いた偽物は、やはりリゼルヴィンが絶対に出来ないはずの笑顔を見せた。にこり、と。誰も見たことのない笑顔を。
『私が言うのもなんですけど』
「次はなんだ、変なこと言ったら落とすぞ」
『変、ではないと思います。お隣の方が、変人を見る生ぬるい目を向けていらっしゃいますよと、言いたくて』
言われて初めて気付く。隣のギルグッドを見ると、偽物が言った通りの目をしていた。
「……忘れろ、ギルグッド」
「あなたがそれを望むなら。……誰かいるんです? そこに」
正直に話すべきか悩む。偽物は、そんなセブリアンを嗤っているように見えた。
ウェルヴィンキンズの住人にまともな人間などいない。けれど限りなくまともに近い者や、一応の常識に沿って生きている者もいる。ギルグッドはやっていることこそ変態そのものだが、後者に含まれる人間だ。共感を得られるはずはなく、最悪の場合は理解すら得られない。
『言ってもいいと思いますよ。これからのことを考えても』
「消えるつもりはねえのかよ」
『あなたが満たされるまで、消えませんよ』
「そうかよ……」
まともに相手をするべきではない。そうわかっていても、話しかけられる以上、相手をしないではいられない自分がいる。
この偽物はリゼルヴィンの姿をしているのだ。リゼルヴィンが言わなさそうなことを言い、リゼルヴィンが出来ない笑顔をする、偽物だ。けれど姿も声もリゼルヴィンのもので、ふとした言葉はリゼルヴィンを強く彷彿させる。無視するなど、セブリアンには出来なかった。
どうしても偽物と会話をしてしまうのだから、ギルグッドには話してしまった方が今後は楽にいられるだろう。偽物の言葉に従うようだったが、仕方がない。
「俺の膝の上に、十五くらいのリルの姿をした偽物がいる」
「――なるほど」
ちら、とギルグッドはセブリアンの膝の上の偽物に目を向けた。
特別驚いた様子もない。しかし、偽物の方が、体を震わせながらセブリアンの服を掴み、恐怖を見せた。
『この人……私が、見えています。そんなこと、あり得ないのに』
ほんのわずかな時間、一瞬のうちに、目が合って、確かにこちらを見て笑ったのだと、偽物は言う。
「そんなに怯えるくらいなら、大人しくしていろ」
ギルグッドの口調が変わった。けれど表情はそのままで、セブリアンですらぞくりと背筋が泡立ってしまうほど、不気味な雰囲気を放っている。
「貴様が出る幕はない。害を成さぬ限り見逃してやるが、邪魔をするようなら容赦はせん。貴様とて命は惜しかろう」
『……あなたは、あの男と繋がりを持つ者ですね』
多少落ち着いたらしい偽物は、なおも震えが止まらないらしい。ギルグッドを睨みつけてはいるものの、セブリアンのシャツに皺がつくほど握り続けている。
『私の敵、許してはならないものの一つ。何のつもりです、殺せばいいでしょう。あの男なら私を見つけたその場でそうするはずです』
「貴様を殺して何になる。それでことが好転するならばまだしも、何一つ変わらんと知って殺すは愚者のやることだ。そも、今の貴様は無力だろう。無力をねじ伏せるなどつまらん」
『……あなたも殺す。絶対に。私は私の敵を許しはしない』
「やってみるがいい。殺したければ殺せ」
とても綺麗な笑顔を作って、それをギルグッドは偽物に向けた。裏のない笑みだ。少年のように邪気のないものだった。
偽物は顔を悔しさに歪め、しばらくギルグッドに恨みを込めた鋭いまなざしを向けていた。すぐに興味を失った、否、もとより偽物に興味のなかったギルグッドが顔を前に向けなおした辺りで舌打ちをし、セブリアンから手を離して、偽物は霧散する。
ギルグッドは偽物が消えたことにすら気を向けなかった。前を向き続け、笑みも崩さなかった。
セブリアンはずっと、ギルグッドを怪しいやつだとは思っていた。金髪も碧眼も、増えたとはいえまだまだ少ない王家の色だ。もともとエンジットの人間ではないセブリアンですら、初対面では王族の一人かと思ってしまったほどに素晴らしい色をしている。ぎらぎらと目を惹く金髪は太陽と比喩しても過言ではなく、海とまではいかない湖のような青い目は静かだ。ただの庶民とは思えない、不思議な雰囲気を纏っている。
「お前は何者なんだよ……」
思わず同じ質問をしてしまった。
ギルグッドの表情は変わらない。
「先程言った通りですよ。私は私以外ではない。ただのキャロル=ギルグッドです」
「そうじゃねえよお前、さっきの口調はなんだ。お前の素はあんなんじゃないだろ」
先程のギルグッドの口調は、彼がウェルヴィンキンズに来てから一度もしなかったものだ。まれに見せる素は、もっと乱暴で、セブリアンのものに近い。決してあんな、誰かを思い出させるような口調では、なかった。
「私のことが知りたいのなら、話してあげますよ。ですがまずは、主さまの最大の敵に会いましょう」
近付くリゼルヴィンの街屋敷を愛で示し、ギルグッドはそうかわした。
町並みはそれまでと比べるまでもなく、ある意味で異様な空気が流れている。いわゆる高級住宅街、セブリアンにとってリゼルヴィンを抜きにしたら縁遠い場所だ。滅多なことでは着たりしない。リゼルヴィンがいなくなってからはなおさら、訪れることはなかった。
街屋敷は随分と雰囲気が変わって見えた。何もリゼルヴィンがいた頃と代わってはいない。しかし、セブリアンの知っている場所ではないように見える。
「セブリアンさま、ギルグッドさまっ!」
扉を叩いて出てきたのは、疲れを滲ませたメリアだった。思いつめた顔はセブリアンたちを見た途端にほぐれ、大きな目がじわじわ濡れていく。
「久し振りにウェルヴィンキンズの人に会えた……! なんでずっと来てくれなかったんですかー! さみしかったのに誰も来てくれないから、わたしもうだめになりそうだったんですよ!」
こらえきれなくなったメリアの目からついに涙が零れ、わっと泣き始めてしまった。ギルグッドが、優しく抱きしめて宥める。
一人、街屋敷に残されたメリアが孤独を感じるのも無理はない。むしろよく耐えてくれたくらいだ。あの女は、代理になったのをいいことに好き勝手やっているのだから。
「でも、どうしてこんなところに?」
「主さまを探すために来たんですよ。何か手がかりがないかと思いまして。メリア、主さまの部屋に案内してもらっても?」
「ええと、じゃあ、こっそり。ついて来てください」
レベッカに見つからないように気を付けながら、リゼルヴィンの部屋へ向かう。
細かな部分がところどころ変えられた街屋敷は、リゼルヴィンの影を少しずつ消されていっているように思えた。これからもっとレベッカの趣味に染められていくのだろう。すでに使用人はレベッカによって揃えられた者ばかりになっている。メリアが残っているのが不思議なくらいだ。リゼルヴィンに任されていた管理人は自ら屋敷を離れ、今はもう生きているのか死んでいるのかすらわからない。
ウェルヴィンキンズと同じく、リゼルヴィンの部屋は一見ごく普通の部屋だ。しかしセブリアンは、ここにあらゆる魔法道具が隠されていることを知っている。それを調べることは、出来ないが。
本棚をセブリアンが、机をギルグッドが調べる。あまり時間はかけられない。怪しいところだけを漁ったが、めぼしいものはなかった。
「お待ちください、レベッカさま!」
「いやよ! 誰が来ているの!? 私は何も許可してないわ!」
「お待ちくださいっ! まって、そこは今――!」
セブリアンとギルグッドは同時に溜息を吐いた。レベッカの高い声に、メリアが可哀相に思える。
高貴な身分とは思えない乱暴なドアの開け方をしたレベッカは、リゼルヴィンの部屋にいるはずのないセブリアンたちを見て、いっそう目を吊り上げた。寝衣のままの姿に、セブリアンも眉を顰める。本当に、この馬鹿な女はリゼルヴィンの姉なのか。
「あなたたち、一体何をしているの! 屋敷に入る許可をした覚えはないわよ」
「お前の許可なんていらねえよ、ここはリゼルヴィンの屋敷だろ」
「私だってリゼルヴィンだわ。あの子のいない今、代理は私よ」
「代理? 代理をやってるつもりなのか? これが?」
セブリアンは鼻で笑った。頭に血が上っていくのがわかる。こうなったら、自分でもどうしようもない。口から何か嫌なものが吐き出されるような気がした。
「ちゃんとした代理だったら、俺らも勝手にはしなかっただろうよ。お前、好き勝手してんだろ。使用人のほとんどを解雇して、屋敷ん中も変えて、リゼルヴィンが守ってきたもん捨てんのが代理の役割か? お前がこの前ウェルヴィンキンズに寄越した男も、運営に力を尽くすって無駄に努力しようとしてんのはいいが、街のこと何も知らねえから嫌な方向に突っ走ってる。あいつが、リルが大事にしてきたもんを、全部なくすつもりかよ!」
意外にもレベッカは、怒鳴り散らすセブリアンの目を真っ直ぐに見ていた。返す声も、冷たい。
「それが私の役目よ。誰に向かってそんな口をきいているの。早く出ていきなさい。さもなければ、街からも追放するわよ」
「ああ、ああ! お望み通り出てってやるよ! お前の顔なんざこれ以上見たくねえからなあ!」
「ちょっと、セブリアンさん!」
ギルグッドの制止も、セブリアンには届かなかった。こうなったセブリアンには何も届かない。わたわたするメリアに追わないよう言って、ギルグッドは溜息を吐いた。
レベッカがそれに、くすりと笑う。
「あなたはあっち側の人間でしょう? 文句、言わないの? まあ、あるんならあるで出て行ってもらうけど。正当な不満で、冷静に話し合いが出来るなら意見を許すわよ?」
落ち着き払ったレベッカはそう言った。はじめの気が立った様子からは想像出来ないほどで、ギルグッドも笑みを深める。
「私は特別な不満があるわけではありませんよ。大変ですね、支配を受ける者は、支配する者の気持ちを理解しようともしませんから」
「あら、あなた……。そう、そうなの、リゼル、あなた……本当に運が悪いのね」
レベッカも息を吐き、纏う空気を変えた。ここにいないリゼルヴィンに、何か話しかけてから、ギルグッドを見る。
「ここで何をしていたの? どうせ、リゼルを探す手がかりを求めて、とかでしょうけど」
「その通りです。ここなら何かあるかと思いまして」
「何もないわよ。まったく、あの子は本当に慕われてたのね。損な役を引き受けちゃったわ」
話について来れていないメリアに、仕事に戻るよう言って、その背を見送ってからレベッカは深く頭を下げた。自分より下の身分であるはずの、ギルグッドに対して。
それに、ギルグッドは目を細める。口元の笑みは、いつもより怪しく、不気味だった。
「なるほど、やはりそうでしたか」
「――ほんと、頭いいのね。きっとあなたが思っている通り。あなたが何者か知らないけど、私がこうしてるのを、当然のように受けるその態度。それで、大体予想はつくわ」
「では、私に協力してくれますか」
「それは無理ね。私が頭を下げているのは、まだ死ぬわけにはいかないからよ。あなたが何をしたいかなんて知らないけど、もう手遅れ。何も変えられないわ。残念だけど」
「そうですか。まあ、構いませんよ。一つだけ聞かせてもらいましょう」
何故、そうするのか。
ギルグッドが問うのはそれだけだった。顔を上げたレベッカの目には、強い意志が宿っている。そして口元は、引きつりながらも弧を描いていた。声も、震えている。
「――あの子をこれ以上、不幸にしないためよ」
*
私は結婚するらしい。話を聞かされたのは、もうやめられなくなってからだった。
結婚にいい気はしない。昔のことがあるから。相手もあまり、よくはない。私はどうであれ、誰であれ構わないけど、相手は――アルベルト=メイナードさまは、私のことをよく思っていないはずだ。そんな人に私を押し付けるなんてことは、出来ない。私はただでさえ不安定な位置にいる。今後、どうなっていくのか、予測も出来ない。名門メイナードの人望ある彼の立場を悪くしてしまうかもしれないというのは、あまりにも申し訳ない。
知ってからしばらく、忙しさで話も出来なかったけれど、今日は必ず話をしなければ。もう戻れない。それでも、この結婚を受け入れた彼の意図を理解し、私が何か、何者であるかを説明しなければ。そうでないと、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまう。
落ち着いて、彼に指定された教会の前に立つ。案内されて中に入れば、礼拝堂のステンドグラスが陽光を受けて見事な色を落としていた。ここはこの国で最も位の高い教会で、空気に含まれた清浄な魔力は、私の穢れを拒絶している。こういう場所は、本来なら私が立ち入ってはならないのに。
「来たか」
声にまで厳格さを滲ませる男性に、少し肩が跳ねてしまう。振り返ればそこにアルベルトさまがいらして、落ち着いて、と胸の中で自分に言い聞かせながら礼をとる。
「待っていた。もう明日の準備はほとんど出来ている。あとはリゼルヴィン、あなたの用意だけだ」
「ありがとうございます、アルベルトさま。あの、明日になる前に、少し、お話をさせていただけませんか」
「式についてならあなたが心配することはない。こちらで恙なく進めている」
「いえ、この婚姻についてのお話です。式はすべてそちらにお任せしておりますので、心配はしておりません。私もお手伝い出来ることがありましたら、是非させていただくつもりですが……。この婚姻について、アルベルトさまとお話がしたいのです。今日中であれば、いつでも構いません。急で申し訳ありませんが、お時間、いただけませんか」
「……わかった。今夜、我が家でよろしいか」
「もちろんです。ありがとうございます」
彼は私の返事を聞いて、すぐに背を向けて行ってしまった。多忙な人だ。これからきっと、何かやらなければならないことでもあるのだろう。
教会に勤める人は、私にあまりいい目を向けない。ここでもそうだ。私が足を踏み入れることを嫌がっている。表には、笑顔しかないけれど。
案内されたのは控室で、気の強そうな修道女から、メイナード家で働いているという初老の女性に変わった。彼女は全く嫌悪のない微笑みを浮かべている。
「明日。身の回りのご支度をお手伝いさせていただきます、カリナと申します。
「あ……よろしく、お願いします」
ここまで敵意のない人は初めてで、戸惑ってしまう。もしかしたらこの人も私をよく思っていないのかもしれないけれど、そうだとしても、こんなに自然に見せられる人は初めてだ。
明日、私が着る予定のドレスを、今になって見せられた。シンプルで、とても品のあるウェディングドレスだった。アルベルトさまが自らご用意されたのですよ、とカリナさんが言う。
「せめて一度でも奥さまにお見せして、ご意見をいただくべきと考えていらしたようですが、お忙しく叶わなかったのです。お見せ出来ないかわりにと、アルベルトさまがご自分で何度も確かめていらっしゃいました」
「そう、ですか。私などのために」
「アルベルトさまはお優しい方です。きっと奥さまのことも、大切にしてくださいます」
もしそうなら、申し訳なさが増してしまう。巻き込んでしまうのは私だから。
そんな言葉を飲み込んで、笑ってみせた。うまく笑えたかは、わからないけれど。
アルベルトさまは私より六つ年上ではあるけれど、四大貴族の当主としての年数は、私の方が二年ほど上だ。四大貴族としての身の振り方を教えるのは私の役目だったのに、教えるまでもなく彼は自分でわかっていた。彼は、芯から四大貴族の一員だったのだ。何もわからなかった私とは違って。それがなんとなく、同じ四大貴族として誇らしくもあり、自分が情けなくもあったのを思い出す。
あらゆる方向に対し、彼は立派としか言いようがない。そんな人と一緒になり、隣に立つのが、私であっていいはずはないのに。
確認を終えて、アルベルトさまの街屋敷へと向かう。覚悟はしていたけれど、式の準備はずいぶんと時間がかかるらしい。明日も昼からなのに、私たちは朝からずっと準備がある。今日で覚えるべきことが多くて、本番に失敗してしまわないか心配だ。
この頃は日が沈むのも早くなって、着く頃には一応は夜、と言えるほど暗くなっていた。出迎えた侍従に応接間に案内され、一人で大人しく待つ。恥ずかしい話だけれど、私はまだ、近くに置く人間を雇っていない。家計のために、数人を残して使用人たちに暇を出してそのままなのだ。あれから家も持ち直した。そろそろ、何人か新しい人を見つけなければ。
四大貴族としての使命も、我が家が独自に行っている事業についても、街の運営についても、なんとか上手く動いてきた。どれも安定してきたから、人に任せるのもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ノックの後に、扉が開かれた。
「待たせてしまったな、申し訳ない」




