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  作者: 小林マコト
番外編 セブリアン・パレット
105/131

2

 ギルグッドは心底不思議そうに、こてんと首を傾けた。いい歳した男がそんなことをしているというのに、顔だけはいいものだから、女はこんな仕草も可愛く思ってしまうのだと誰かが言っていたような気がする。


「どうしてです? あなたは主さまと仲が良かったでしょう。捜したくはないんですか?」

「どうしてってお前、俺がここを離れるわけにはいかねえだろ」


 セブリアンが門を離れたら、外に出て行けるようになってしまう。リゼルヴィンのいない今、外でやらかす者が出てきたら大変だ。門番というのは、この街で最も重要な仕事と言える。

 まともに眠れなくなって久しいセブリアンだが、それをあまり損や苦と思わないのは、ひとえに門番をやっているからだ。朝も夜もなく見張っているのに眠る暇などない。決して健康とは言えず、体に疲れが溜まったりもするが、契約により死なない。むしろ職務を全う出来てありがたいくらいに思っている。


「俺の代わりがいるんならまだしも、門番やってんのは俺だけだ。どこにも行けねえだろうが、こんな状態じゃ」

「代わりがいないんじゃなくて、代わりを作らないだけでしょう? それなら、誰かに頼めばいいだけじゃないですか」

「それ以上ふざけたことを言うんなら最後まで殺すぞ」


 明確な殺意を持って睨みつければ、ギルグッドは何か理解した風で、少し間を置いて口を開いた。


「失礼しました。発言を取り消しましょう。あなたの仕事はあなただけのもので、代わりなどいません。私がどうかしていました」


 けれど、とギルグッドは続ける。


「あなたがいなければ、主さまを探し出すことなんて不可能なんです。ジュリアーナもいない今、あなた以外にはいないんです」

「……知らん。リズにでも声をかけろ。あいつの方が役立つだろ、こういうときは」

「断られました。ですから、あとはあなたしかいません。あなたはこの街の誰よりも主さまのことを知っているでしょう。私たちの知らない主さまを知っているあなたなら、多少、主さまの行動の仕方もわかるかと思いまして」


 ギルグッドはどうしてもセブリアンを連れ出したいらしい。溜め息を吐きながら、その期待を煩わしく思う。


 ギルグッドが期待しているほど、セブリアンはリゼルヴィンを知らない。確かに、唯一リゼルヴィンの幼少期を知り、幼馴染とでも言える関係にあるが、ただそれだけだ。リゼルヴィンの気持ちや考えを察せられるほど親しくはないし、どんな人生を歩んできたか理解しているわけでもない。


 それを素直に伝えれば、ギルグッドはまたも笑った。

 本当に、よく笑う男だ。その性癖から滅多に怒ることもなく、いつも穏やかで口元に笑みを浮かべ、人をからかうことはよくあるが不用意に傷つけることはしない。そんな男だから、リゼルヴィンに気に入られ、信頼され、傍に置かれたのだろう。かなり特殊な性癖は残念だが。


「それをわかっているのなら、ますます私はあなたの力を借りたくなりますよ。変に自身を持っている人間は、周囲を混乱させるだけですからね。やはり、あなたの力が必要です。協力してくださいませんか」


 イエスと言うまで付き纏うつもりですよ、と続けられる。もう一度、息を吐いて、同じ言葉を返した。


「断る」

「頑固ですねえ。わかりました、ならば今日は諦めましょう。時間はたっぷりありますからね、明日また来ますよ」

「二度と来るな、ド変態」


 笑いながら、ギルグッドはようやく、セブリアンから離れていった。その背が見えなくなって、セブリアンはどっと疲れを感じる。相手をするのが面倒な男なのだ、キャロル=ギルグッドは。





 その後は平穏だった。ここ数日で門に近付く者も減ったものだから、セブリアンも多少、緊張を解くことが出来た。


 時間を潰すのが、何よりも一番難しいことだとセブリアンは思う。眠れなくなって唯一、苦しく感じることだ。

 煙草を吸ってみたりしながら、なんとか夜になる。また街に灯りがつきはじめて、たった一人の昼から解放される。騒がしくなって来れば、息苦しさは、だいぶましになる。

 セブリアンの様子を見に来た、今日は休みらしいパルミラから差し入れの軽食を受け取ったとき、門の外側から声がかかる。


「どうもー、ミランダ=フェルデラッドですが。入れてもらっても?」


 フードを外しながら軽い調子で言ったのはミランダで、セブリアンは迷わず門を開けた。彼女だけは、中に入れるべきだ。


 ウェルヴィンキンズに医者はいない。そもそも死んでも生き返るのだから、医者なんて職業をわざわざ配置する必要がないのだ。

 けれど、生き返るからといって誰もが死にたいわけではない。契約により、住人たちが死ぬのは外部から傷つけられたときのみである。病では死なない。けれど、それをはじくことは出来ないため、死ねないままずっと病に蝕まれるのだ。それを嫌う者は少なくないが、高い金を払って王都の医者にかかろうとはしない。

 そこで、ミランダの出番だ。ミランダはリゼルヴィンの頼みで、薬の勉強をする際に医者としても働ける教育を受けた。月に一度、ウェルヴィンキンズにやってきて、医者の代わりが出来るように。


「いやあ、やっぱり遠いね。腕が痛いよ」

「歩いてきたのか? その荷物で?」

「いや、近くまで馬車を出してもらったんだけどね。流石に王都の、森の入り口までしか行きたくないって言われちゃったからさあ。やっぱりみんな、この街が怖いんだね」


 薬瓶やよくわからない薬草が入った大きな籠を両手に持つミランダを見かねて、セブリアンがどちらも持ってやれば、ミランダはにかっと「こんなにいい男がいる街なのにね」なんて笑った。


 セブリアンが前回ミランダに会ったのは、つい二週間前だ。そのときより随分と上機嫌に見えたが、前々回は前回よりも見ているこちらがハラハラするほど落ち込んでいたのを思い出し、ミランダ=フェルデラッドという女は浮き沈みの激しい人間だったと思い直す。正確に言えばきっとまた、記憶がごっそり飛んでしまって、いくらか考え方が変わったのだろう。


「パルミラ、休みのところ悪いんだが、ミランダをいつものところまで送ってやってくれ」

「わかりました。セブリアンさんも、どうか門をよろしくお願いします」

「頼まれるまでもねえよ。俺の仕事だからな」


 パルミラはセブリアンからミランダの荷物を受け取ろうとしたが、存外重たい籠を二つももたせるわけにはいかず、近くに誰か男がいないか探すことにする。

 その前に、とミランダは籠からいつも使っている紙束を取り出した。


「セブリアンってのは、どこの誰? 最初に話しておきたいんだ」


 どうやら二週間前のことも覚えていないらしい。軽く笑った声が乾きすぎていたのは充分にわかったが、それがセブリアンの精一杯だった。


「俺だよ」

「わっ、それは申し訳ない。今日はちょっと調子が悪くて……。あ、私、実は記憶が」

「わかってるよ、気にするな。充分それはわかってる」

「うう……。本当にごめん。なんとか治したいんだけどなあ……」


 頭を掻くミランダは、困った表情をしていたが、自らの持病とも言えるそれを本気で治そうとしているようには見えなかった。


「まあ、さっさと見てしまおう。そこの部屋、借りても?」

「狭いけど、許せよ。パルミラ、お前、この後は何かあんのか」

「いえ、特にはありません」

「なら、ちょっと待っててくれねえか。ミランダ、早めに終わらせられるか」

「見逃せないくらい悪化していなければね。大丈夫だよ、頑張ってみよう」


 ギルグッドを入れたときはかなり狭かった部屋だが、女のミランダが入ってもそれほど狭くはならなかった。籠を入れたらひどく窮屈になったが。よくこんなものを女一人で抱えて来れたものだ。

 いつものように診察は進む。特別変わったことはなかった。ただこの頃、以前にも増して眠れなくなった。表情を引き締めているミランダは、下がってもいない眼鏡のブリッジを押さえる。頭を働かせているときの癖だ。


「もう二年になるんだね、私があんたを診るようになって。その間……ずっと悪化してばっかりだ。力になれなくて申し訳ないよ」


 ノートに分をがさがさ書きながら、少しも申し訳ない顔をせずにミランダはそう言った。


 そのノートは、他とは違ってセブリアンのことばかりが書かれている。この街で、一応とはいえ真面目にミランダの下へ通っているのはセブリアンだけだ。何度も通い、何度も薬をもらっているうちに、セブリアンのためだけのノートが作られていた。


 ふと手を止めて、ミランダの赤いはずの目がセブリアンの目を捕える。逸らすことを許さない強いそれに、気分の悪さを感じながらも、動けなかった。


「あんた、私に話してないこと、あるでしょ」

「……話したら助けてくれんのか、センセ」

「無理だね。私にあんたは救えない」

「なら――」

「でも、あんたを助ける気はあるんだよ」


 それなら話さない、とセブリアンが拒絶することは、叶わなかった。

 ミランダが明らかな怒りを見せている。唇を噛んでいるのは、怒鳴ってしまわないように、だろうか。

 初めて見るその表情に、セブリアンも戸惑う。


「――私は医者じゃないよ。ただちょっと毒に興味があって、ちょっとだけ人より薬に詳しいだけの女だよ。頭が悪くて記憶がおかしい、自分を大切にしてくれた男を殺した人でなしだよ。そんなやつに、一体誰が救えるっていうんだ。でも、私はあんたを助けたい。助けるつもりでこうやってあんたと顔を合わせて話をして、どの薬が体に合うか考えてるんだ。あんたがあんたを否定するのはいい。でもね、あんたがあんたを否定する度に、あんたの周りの、あんたを助けたい人も否定してるってことを、絶対に忘れるんじゃないよ」

「……そう怒るなよ。どうしていいか、わからなくなる」


 わからなくていいよ、とミランダは言った。深い呼吸を繰り返して、気を落ち着かせて、目を伏せている。ミランダの赤いはずの目も、綺麗であるはずの目も、セブリアンの目には淀んで見える。


「わかんなくていいんだ。あんたが好きなようにするのが一番だからね。話さなくてもいいよ。私が悪かった。あんたを治したいのは私のワガママで、あんたを苦しめる権利はない。話したくなったら教えてよ、私はあんたの話が聞きたい。あんたの前で、耳を塞ぐことはないからさ」


 正直に言ってしまえば、セブリアンは途中から、ミランダが何を言っているのか理解出来なかった。頭が理解することを拒否していた。

 そんな様子に気付いたらしいミランダが、苦く笑った。


「要はさ、私はあんたを助けられないけど、助けるために頑張るからさ、あんたにも助けられるための努力をして欲しいってこと。私も私が何言ってるのかわかんなかった。ごめんね。今日はちょっと調子が悪い」

「――赤が、見えないんだ」


 言葉が勝手に飛び出した。ミランダも少し驚いた顔をしてから、真面目に耳を傾ける。


「いつだったかも思い出せない。生まれてずっと、色はくすんでるもんだと思ってた。それなのに、一度だけ、これ以上なく綺麗な赤を見たんだ。それ以来、ずっと、赤以外はあるのに、赤だけが、見えない」


 声は淡々としていた。沈黙が下りる。ミランダはまた、眼鏡のブリッジを触った。


 セブリアンはそれまで、くすんだ世界を生きてきた。

 目に映るすべてがくすんで見えたのだ。鮮やかさなど欠片もない。そもそも、生まれてずっとそんな世界にいたのだから、『鮮やか』とはどのようなものなのかすら、知らなかった。


 ――その『赤』を見るまでは。


 いつのことだったかは、もう覚えていない。そんなもの重要ではないからだ。ただ、見た、それだけが重要だった。セブリアンにはたったそれだけのことが、命よりも何よりも、重要だったのだ。

 それはあまりに美しい赤だった。美しすぎて、あらゆる言葉で表現することすらはばかられるほどだった。目に焼き付くような、目を閉じてなおも残っているような、血よりも夕陽よりも眩しい『赤』だった。その赤を、セブリアンは一言、美しいとしか表現出来なかった。


 一目見た瞬間、セブリアンの世界は一変した。くすんでいたすべての色が強く輝き始めた。青も、緑も、白や黒でさえも、光を放つように眩しくなった。

 けれど、その代償のように、すべての赤が光を失った。赤いはずのところは、あらゆる色を混ぜたような気持ちの悪い色に変わり、それを見た目が腐ってしまいそうになった。


 この世の色はとても美しいのに、赤だけがあまりに醜い。以前のセブリアンなら耐えられただろう。だが、あのとき、『至高の赤』に出会ってしまったから――セブリアンは、耐えられなくなってしまった。


 訥々と語るセブリアンの声に、ミランダは何も言わず耳を傾けた。

 しばらくして、ミランダはセブリアンのために用意してきた薬の紙袋を渡して、一言だけ告げる。


「あんたは、リゼルに会うべきだ」


 どいつもこいつも、そればかり言う。思わず笑ってしまった。


「笑うところじゃないよ。あんたが幸せになるためには、それをなんとかしなきゃいけない。でも、きっとそれは魔法によるものだ。魔法は私の管轄じゃない、リゼルの管轄だよ」

「魔法? リルは一言も、そんなこと言ってなかったぞ」

「それはおかしいな。でも、とにかく、一度リゼルに見てもらった方がいい。リゼル、今日は屋敷にいる?」

「いねえよ。もう四か月は帰ってない」

「ええっ!?」


 なんだ、それも忘れてたのか、とセブリアンが言えば、聞いてないよと喚く。少なくともセブリアンから三回は聞いているはずだ。そう指摘するのはやめておく。


「あんたなんでそんなに落ち着いてるんだ! 探しにいくべきだろう! 今すぐ! 街の全員で!」

「探したって見つかりやしねえよ。魔法使いのあいつが自分で逃げたんなら、凡人が探したって見つかるはずもねえだろ。誰かに連れ去られただとか、あいつに限ってそういうこともあり得ねえ」

「そういう問題じゃないだろう! リゼルヴィンを放っておいたらどうなると思ってるんだ。一人にしちゃだめだ、思ってる以上に、リゼルヴィンは弱いんだよ。そういう風に作られているだけで、中身は全然強くないんだ。だから今すぐ探してやってくれ」


 必要以上に慌てるミランダの必死の剣幕に、押し切られて頷いてしまいそうになる。

 そんなセブリアンを知ってか知らずか、ミランダは決心した様子で勢いよく立ち上がって宣言した。


「どうせあんたは門番がどうのこうのって理由で行かないんだろう? なら私が門番をしてやる! あんたみたいな門番にはなれないから、この部屋を一時的に借りてる研究員として、そのついでに見ててやる!」

「何言ってんだお前! とうとう頭おかしくなったのか?」

「私はもうずっと頭おかしい人間だよ。今日はもう遅いから、明日の朝一番に行きなさい。いいね」


 嫌だ、とはとても言えなかった。

 だが門の鍵はセブリアンが持っている。いつも腰のベルトにかけているのだ。それさえあれば、誰も門の見張りなど出来るはずは――


「あんたの探し物は、これ?」


 ミランダはその白い指で、門と、町中の主要な施設の鍵がまとめられたキーリングをくるくる回していた。にたりと嫌な笑みを浮かべている。


 いつの間に盗られたのか。確かに腰に掛けてあったのに、簡単には外せないようにしてあったのに。


 これは、完全にセブリアンの負けだった。


「――わかったよ。行けばいいんだろ。鍵、失くしたら殺すからな」


 久々に気分がよくなる。ミランダも一仕事した得意げな笑顔を見せていた。本当に、セブリアンの扱い方をよくわかっている。


 ――本心では、セブリアンも、リゼルヴィンを探しに行きたかったのだ。

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