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  作者: 小林マコト
番外編 セブリアン・パレット
104/131

1

 その日は雨が降っていた。

 細い、まとわりつくような雨だ。しっとりと肌を濡らすそれがあまりに鬱陶しく、腹立たしかったのを覚えている。


「――ちがう」


 崩れ落ちる女を見下ろしながら、彼はそう吐き捨てた。

 女の首から噴き出す血を浴びる。汚い色だ。彼――セブリアンの求める赤では、ない。


「ちがう、ちがうちがうちがうちがう……」


 繰り返し呟きながら女を刺し続ける。悲鳴もなく死んだ女の身体は柔らかかった。けれどセブリアンにとって、そんなものはどうでもいい。女の顔も体も、どれだけ美しいものだったとして、セブリアンの求める赤を持たないのならば、どうでもいい。

 赤がセブリアンを濡らす。噴き出す瞬間だけ、ぱっと明るく綺麗に発色してくれるそれを、出来るだけ長く見つめていたかった。だから刺し続けた。――こんなこと、いけないことだと知っていたけれど。


 ふと足音が聞こえてくる。前に進むのを躊躇うような、ゆっくりしたそれに、セブリアンはけれど手を止められなかった。


「なにしてるんですか」


 淡々とした、感情の色を少しも滲ませない声。


 かつて聞き慣れた声だ。しかし思い出せない。ただセブリアンの脳は、目の前の肉を切り刻み、赤を見つめることだけを命じていた。それ以外のすべてを遮断しようとしていた。


 頭の片隅にいる冷静な自分がやめろと叫んでいる。あらゆる感覚が消えていく。視界が赤に染まる。周囲の音も、女の肉の感触も、鉄の臭いも消えて、赤だけがセブリアンを支配する。


「――駄目じゃないですか」


 機能を失った耳に唯一、その声が届く。

 そしてセブリアンは、やっとナイフから手を離せた。





 三年前――もうすぐ四年前になる、雨の日のことだ。

 セブリアンは、リゼルヴィンと二度目の出会いを果たした。







  

 久々に人を殺した。手に残る感触が、かつての記憶を呼び覚まし気分を悪くする。

 相変わらずセブリアンの目は醜い色を映した。噴き出す瞬間すら、もう美しく思えない。血の赤すらそんな風に見えてしまっては、絶望しか残らなかった。


「珍しいですねえ、セブリアン。あなたが人を殺すなんて」

「……うるせえ、俺の勝手だろ」

「殺した相手に言いますか? それ」


 そうは言いつつも、ギルグッドはにやにや笑っていた。何が楽しいのか、顔に着いた自分の血を拭い、更に肌を赤が汚すたび笑い声をあげている。


「お前は気にしねえだろ。それともなんだ、あと一回だったのか」

「いいえ、これが初めてですよ。ああ、やはり……やはり殺されるのも気持ちが良い! 殺すばかりでは足りない、得られない、もっと強く、痛み痛みつけたい! そうは思いませんか? 痛みこそ、最高の快楽であると!」

「知らねえよ、ド変態が」


 いつ見ても、死んだはずの人間が動いているのは、気味が悪い。


 セブリアンは確実に、ギルグッドを殺したはずだった。右手のナイフから滴る血が、その証明であるはずだ。これで心臓を一突きし、喉を掻き切り、左手で金髪をわし掴み固い石の地面に何度も何度も叩き付けた。ギルグッドの足元には、彼の血が残っている。


 それなのに、ギルグッドは、生きている。笑ってすらいる。


 リゼルヴィンとの契約によるものだ。死んだはずの街の住人が生き返るのを見るたびに、世界の掟から外れたところに置かれてしまったのだと、思い知らされる。


 思いきり息を吐いて、なんとか落ち着いた頭を振る。そろそろ門へ戻らなければと、来た道を行く。


 リゼルヴィンがいなくなって一月が過ぎた。

 正確には、リゼルヴィンが失踪したと認定されてから一月だ。最後に目撃された日から数えると、もう四か月になる。


 その間、国はちょっとした混乱状態に陥り、女王エグランティーヌもその対応に追われ過労で体調を崩したという。ウェルヴィンキンズにいたっては領主たるリゼルヴィンがいなくなったせいで混乱どころではなく、ただでさえ無法地帯であるというのに更に悪化し、セブリアンは独断で街の門を昼夜問わず閉ざした。今のウェルヴィンキンズの住人を外に出してしまったら、何を仕出かすかわからないからだ。


 最近になってようやく落ち着いてきたが、まだ油断は出来ない。セブリアンの経験上、こういうときは、落ち着いたらすぐに調子に乗って好き勝手やらかすやつが出てくるのだ。


「主さまは、どこに行ったんですかねえ。いつもなら、そろそろ帰ってくる頃ですが」

「……お前、ほんとわけわからねえやつだな」

「そうでもありませんよ。あなたはきっと、私を殺したことを気にしてるんでしょう?」


 門にまでついてきたギルグッドは、当然のようにセブリアンの職場である門に作りつけられた部屋に入って来た。これまた当然のように隣に座った。


 そして言ったのが、先の言葉である。正直、セブリアンにとっては、図星だった。


「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」


 返答に困ったセブリアンに対し、ギルグッドはからから笑った。


「こんな街の人間は、生きたり死んだり、生き返ったりするんです。楽しいじゃないですか。楽しいからいいじゃないですか。こんな愉快な街、どこにもありませんよ。誰もが殺しますし、誰もが殺されるんです。気にすることじゃ、ないでしょう?」


 セブリアンは答えなかった。たぶん、ギルグッドにとってはそうなのだろう。それだけ思って、それ以上は考えなかった。


 何人かが門に近付いたが、全員を追い返す。外に出たいと言うが、出すわけにもいかない。言っても聞かない者は適当にあしらった。


 普段と変わらない夜だ。変わったのは、外から入ってくる者がいないことと、外へ出ていける者がいないことと、リゼルヴィンが街にいないということだけ。他は、何も変わらない。

 リゼルヴィンがいないからといって、セブリアンの見える世界が変わるわけでもなければ、求めるものが手に入るわけでもない。何も変わらないのだ。ただ、リゼルヴィンがいないだけで。


 ――考える。ならば、自分がいなくなっても、何も変わらないのではないか。誰も不自由しないのではないか。


 それは自然なことに思えた。セブリアンがいなくなったところで朝は来るし夜は明ける。世界は、何一つ変わらない。誰か悲しむかもしれないが、今まで殺してきた人々を思えば、喜ばれこそすれ、涙一つ流されない気がする。

 それはそれで、いい。良くはないが、悪くもないだろう。今ここにリゼルヴィンがいないだけであるように、そこにセブリアンがいなくなるだけで何も変わらないのだ。


 とても魅力的に思えて、けれど溜め息を吐く。

 こんなことを考えるくらいに、疲れている。自覚はあったが、今日も今日とてセブリアンは眠れない。


 薄く空が明るくなっていくのを眺めつつ、結局ずっと隣に座っていたギルグッドを横目でちらと見た。たまに窓から身を乗り出して道行く女に声を掛けたりしていたが、基本的にはずっと黙っていたギルグッドが何を考えているのか、セブリアンにはわかるはずもない。


 そんなこちらに気付いたギルグッドは、ようやく目的を口にした。


「主さまを、探しに行きませんか?」


 予想済みの答えに、セブリアンは小さく息を吐く。それに対する言葉を、セブリアンは一つしか持っていない。


「断る」

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